推理作家たちのこんな日常【2】

響 ヒロ 




 大阪府警捜査一課の警部補・鮫山は、地下鉄谷町線は谷町4丁目駅の改札を出た途端、己の目の良さ(眼鏡をかけてはいるが)、運の悪さを悔やまずにはいられなかった。それならせめて、刑事にしては無邪気な連れが、気づかないでいてくれればいいことなのだが……
「あ!」
 その彼から発せられた声に、鮫山はびくりと身を竦ませた。やはりというか、視線の先には鮫山があえて見まいとしていた2人組の姿があった。絶対に尾行には向かない、遠目にもはっきりと分かる秀でた容姿。特異な空気。実のところ、その目立つ男達が揃って花屋の前に立っているというのだから、人目を引くことこの上ないのだが。
「有栖川さ〜ん!」
 森下刑事がその片割れの名を微塵の躊躇いもなく呼んだ瞬間、普段は可愛がっていようがいまいが、鮫山は憚ることなく殺意を抱いた。
(このクソガキ〜〜〜っっ)
である。
 呼ばれた相手のもう片割れの視線が、この距離にあってさえ激しく痛い。この状況を歓迎していないのは自分以上にあの男だというのがよく分かる。はっきりいって自分達は、事件でなければ極力会いたくない相手だろう。しかし、このアホタレの部下が引き寄せられるように向かってしまったのだから、ついて行くしかないではないか。明日と言わず今日から、今すぐにでも、もっと空気を読む練習をさせなくては。
「こんにちは、火村先生、有栖川さん。府警に御用ですか?」
 とりあえず、当たり障りのない話を振ってみる。府警に出向くのに花束を持つ理由は万に一つもないのだが。
「ええ、火村が欲しがっていた資料が見つかったと船曳警部から連絡があって。その帰りなんです」
「電車でですか? 珍しいですね」
「火村も私も、車は修理中なもので」
 2人の車を脳裏に浮かべ、さもありなんと思いながら、鮫山は恥ずかしそうに頭に手をやりながら笑顔で答えた有栖川を見つめた。いつ見ても綺麗な男だ。光の世界がよく似合うこの優しげな男が、火村という触れなば切れる鋭利な刃物のような男と、長い付き合いの友人だと言われた時は、信じられないものだった。けれど1回のフィールドワークで理解した。有栖川は鞘なのだ。有栖川は火村の切れ味を損ねることなく、普段はその刃を包み込む。鞘を捨てた武士は勝てぬというが、あながち間違ってもいないだろう。
 はじめて見た時、本当にこんな人間もいるのだと驚いた。火村だけではない。有栖川は見る者全てを惹きつける。それは自分とて例外ではない。
 これでは火村が牽制しまくるのも仕方がないというものだ。きっと、気苦労が耐えないだろう。若白髪の原因が有栖川だというのも本当のことかもしれない。などと、他人事ながら気の毒に思えてくる。けれど、この存在を手に入れられるなら、安いものではなかろうか?
「ここで何なさってるんです? 花をお買いになるんですか?」
 花屋の前に並んで立って、お買いになるんですかもなにもないだろうに、森下がやはり無邪気に有栖川に訊いた。
「そやねん。火村が買うてくれるて言うて」
 それでなくとも目立つのに、この昼日中、この人通りの多い駅前の花屋でそんなことをしようというのか、この男達は。
 鮫山は頭痛を覚えた。ただ単に自分が古いだけなのか? そう思っている矢先、
「僕も有栖川さんにお花買うて差し上げるてお約束しとったんですよね。ちょうどええんで、僕もここで贈らせてもろうてええですか? お届は10日後くらいにしてですね」
 にこにこ笑ってそんなことを抜かす森下に、せっかく鎮まった鮫山の殺意は再び首をもたげそうになった。しかし。
「森下さんが汗水流して得た貴重な給与で、この世間知らずの大馬鹿作家に1週間でゴミ箱行きになるものを買ってやる必要なんてありませんよ」
 有栖川が答える前に、火村が憮然と言った。この男、せっかく造作はいいのに、こんな顔してばかりでもったいない。まぁ、有栖川といる時はそれだけでないのも周知の事実だが。
 しかし、花屋の前で「1週間でゴミ箱行き」とは。
「君はもう、なんちゅうこと言うんや。場所を考え!」
 やはり、有栖川からぺしりと後頭部への平手打ちが飛んだ。バツの悪そうな助教授の顔というのは見物だ。
「大体、世間知らずの大馬鹿作家ちゅうのは誰のことやねん! 君と違うて俺は常識人で通っとるんや!」
 有栖川は子供のように口を尖らせた。整った綺麗な顔立なのだが、そんな表情や仕草も似合うところが愛嬌だ。
「世間知らずだろうが! こんな馬鹿高い花を束で寄越せなんて言う奴の、一体どこが常識人だよ?」
「花束は常識やのうて感性や!」
 だから、昼日中から人通りの多い駅前の花屋の前で……
 鮫山は金輪際、この人達と町中で出会いたくないと心から思った。
 そんな鮫山の心情などいざ知らず、地位的には世間一般でいうところの常識人は忌々しく呟いた。
「ったく、花束ってもんに関わるとろくなことがねぇ」
 この男なら、なにかにつけて若い女性から花束をもらうことも多いのではないのだろうか。なんとなくその「ろくなことがない」を聞いてみたい気もするのだが、それこそ常識人の鮫山にそんなことを訊けようはずもなかった。だが。
「まさか君、あん時のこと、まだ根に持っとるわけやないやろな?」
 きっかけを、有栖川がくれた。
「ああ、充分持ってるね」
「なにかあったんですか?」
 更に好奇心に満ち満ちて、森下が訊いてくれた。若さって素晴らしい。
 火村は露骨に嫌そうに森下をじろりと見ると、煙草を銜えながら顔を背けた。
「そこまで嫌がることないやないか」
 有栖川は火村の子供っぽさに、呆れながら呟いた。




「卒業祝いに奢ってくれるんだろう?」
 卒業式の前々晩、電話口で火村が嬉しそうにそう言ったのだ。
 なに言ってやがると、もちろん有栖は呆れたものだが、
「ああ、ええよ。火村君の一生に一度の晴れの日やもんな」
 そう答えながら目一杯キバって驚かせてやろうと頭の中で計画を立て始めていた。
 食事はもちろん、一流ホテルの一流レストラン。だってその日は火村だってスーツ姿で決めてるはず。いつものようにだらしない格好じゃあ、婆ちゃんが許さないだろう。多分きっと、以前有栖が見立ててやった濃紺のスーツだ。あれはまるで火村のためにあつらえたかのように、それはそれは、とても良く似合っていた。内緒だけれど、しばらく見惚れていたくらいだ。だから自分もお洒落をしよう。隣にいても、火村が恥ずかしくないように。この間買った黒のスーツはどうだろう。ちょっと洒落たシルエットで、黒だけれどあんまりフォーマルっぽくはない。タイも黒がいいだろう。それからシャツは、グレイのシルク。上品な色合いと手触りが、一目で気に入って買ってしまった一品だ。
 あと、卒業式といえば、やっぱり花だ。抱える程の大きな花束。花の種類は詳しくないから花屋に行って、火村に似合う色を探そう。それから車。これは必須。お迎えといったらこれがなくっちゃ。さすがにこれは今すぐ買えるものじゃないから叔父貴に借りよう。
 そうして迎えた当日は、卒業式に相応しく、綺麗に晴れた暖かい日だった。
 少し早めに着いてしまった有栖は花束を手に、車のドアに寄りかかって待ち人が現れるのを待っていた。火村、驚くやろうな。自然と顔がほころんだ。もちろん、驚かせるためにお膳立てしたのだ。驚いてくれなければつまらない。
 どんなリアクションを返してくれるやろ。そんなことを考えていると、無遠慮に注がれる視線や囁き声もまったく気にならなかった。
 腕時計をちらりと見やる。もう少し。―――あ、終わったみたいや。
 有栖はわくわくしながらその瞬間を心待ちにした。





「はぁ……」
 森下が納得しきれないと呟いた。卒業式に花束をもらえるというのは嬉しい事じゃないだろうか。自分だったら、やっぱり嬉しい。
「物事には限度とか常識とかいうものがあるんですよ」
 火村がそんな苦々しく言うほどの、有栖川が渡した花束とはどんなものだったのだろう? 火村が持って、似合いそうなものと言えば、普通だったら気障、の一言で片づけられてしまうだろう真っ赤な薔薇の花束といったところだが、卒業式には似合わない。有栖川も、そこまで外したことはしないだろう。
 森下は火村がよくやるように指で下唇を撫でながら、店頭に並んだ花を見つめた。自分がもらって嬉しい花か、それとも相手に合わせた花か。
「それとそれとそれですよ。それも抱えるくらいのね」
 火村が指差したのは、ピンクのスイトピーとピンクのガーベラ、それとかすみ草だった。
 そのあまりに可愛らしく可憐な花達を目に、一瞬それを両手に抱える火村の姿を思い描いて、森下は顔を引きつらせた。
「し、しゃーないやろ! 卒業式のお祝いの花束言うたら、お店の人が勝手に彼女やて勘違いしてもうたんやから!」
「任せっきりにするお前が悪い。どうせ大量の花に見惚れて、どこぞへトリップしてたんだろう?」
 有栖川はぐっと詰まった。
「それを大勢の前で渡されたのが嫌だった、と?」
「それもありますけどね」
「ほかにも、まだ?」
 遠慮がちに訊ねる鮫山に、火村は大きく頷いた。
「それくらいの演出じゃ、まだ満足しなかったんですよ。このロマンチストのファンタジー作家先生は」
「ミステリーや!!」
 有栖川の抗議などは当然無視し、火村は当時を思い出して怒りをふつふつ再燃させた。
「こいつときたら、あの人人人でごったがえす駐車場に、叔父さんに借りてきたとかいう真っ赤なポルシェでやって来やがったんですよ」
「真っ赤なポルシェ……」
 鮫山と森下は、声を揃えて呆然と呟いた。それでも目に浮かぶようだった。
 柔らかい表情を浮かべながらピンクのスイトピーとかすみ草の花束を抱えた有栖川。
 その彼が真っ赤なポルシェのドアに寄りかかって誰かを待っている姿はさぞや女性達の、いや女性に限らず、多くの人の視線を釘付けにしていたことだろう。やがて、これまた周囲の視線を一身に浴びながら式場から出てくる火村の姿を目に歩み寄り、花束を差し出す。「卒業おめでとう」。極上の笑みと共に。
 はっきり言って、聞いている方が赤面物だ。実際、森下の顔は赤くなっていた。卒業式にはたくさんの女の子から涙とともに多くの花束で送られた経験が1度ではすまないだろう男であるにも関わらず。かくいう鮫山だって、そういう経験がないわけではないのだが。
「せやかて、せっかくの記念すべき日や思うたから、1ヶ月の部屋掃除と引き替えに、わざわざ叔父貴から車借りて来てんで?」
「そうじゃないだろ」
 火村が言うと、
「……やってみたかってんもん」
 有栖川は拗ねたように俯いて呟いた。
 この人なら、それだけでやるだろうな、と鮫山はなんとなく納得した。
 有栖川は毎日繰り返される日常の中、それでも楽しいことを探して瞳を輝かせることのできる男だ。
「せやけど、君の卒業式やったからいうんも嘘やないで」
「はっ そのセンスで女性ファンが多いってんだからな」
「君にだけは言われたないわ!」
「でも、有栖川さんやったら見事にハマってたでしょうね」
 騒ぎの様子は想像するに難くない。―――飛び交う黄色い声や連続でカメラのシャッターを切る音の嵐。まるで芸能人並みだが、この2人のそんなシーンを目にしたならば、大げさな、とも言えないだろう。
「僕やったら嬉しいかも……」
 未だ赤味の引かない顔のまま森下がそんなことを呟いた。
「ところで、お2人こそ連れ立って電車でというのは珍しいんやないですか?」
 途端に感じた体感温度の急下降に、さすが、有栖川が素早く話題を変えた。
「ああ、今日はパソコン講習やったんです。昨今、捜査の情報管理もパソコンの時代ですからね。とりあえずは扱えないとお話にならんのです。森下みたいに若い者ならともかく、時代について行くのが大変ですよ」
「何言うてるんですか、鮫山さん。鮫山さんかてまだまだ若いやないですか」
 またまた、と有栖川は笑った。
「それなら今度、私の家でパソコン教室しませんか? デスクトップとノートと2台ありますし。大概のことなら分かると思いますよ。いかがです?」
 喜色満面、飛びついたのは森下だった。
「ええんですか!? わぁ、鮫山さん、そうさせてもらいましょうよ! 僕、 有栖川さんの大好きなお菓子買って行きますよ! ね、鮫山さん?」
「いえ、私は……」
 渋る鮫山に、有栖川は表情を曇らせた。
「鮫山さん、私のこと嫌いですか?」
 だからそういうことではなくて。突き刺すような火村の視線。答えるに答えられずに黙っていると、
「やっぱり私のこと、嫌いなんですね」
 有栖川の肩が目に見えて、しぅんと落ちた。これはこれで火村の視線がまた痛い。じゃあ自分に一体どうしろというんだ!!
「では、火村先生もご一緒ということでいかがですか? それなら2対2でちょうど良いでしょう?」
 これでどうだ! と火村を窺う。
「ああ、いいですね。私も普段からパソコンは使ってますから。教えるのは本職ですし、アリスより上手いですよ」
 珍しく、火村が鮫山に笑みを見せた。
 これで捜査一課も安泰だ。鮫山は心の中で安堵の息を吐き出した。その時。
「泥棒! かっぱらい〜!! 誰か捕まえてえぇぇぇ!!」
 咄嗟に行動に出たのは有栖川だった。
「君、これ持って! そっち貸し!」
 持っていたクラッチバッグを火村に押しつけ、代わりに火村のを奪い取る。
「お、おいっ!?」
「ピッチャー有栖川くん、大きく振りかぶって―――」
「おっ おまっ……っ」
「―――投げましたぁ!!」
「てめぇのを投げろよな〜〜〜っっ」
 火村の叫びの語尾と、犯人の後頭部へのバッグの直撃、有栖川がガッツポーズを決めたのは、ほぼ同時のことだった。
「見たか! タイガースFAN歴500年!」
「んなわけあるか〜っっ!!」
 この2人、こんな顔して揃うとやはり、日常会話は漫才だった。
 そして歓声と拍手喝采の中、戻ったバッグを手にした被害者の女性は、バッグが戻った感激のためか、はたまた違う理由でか、潤んだ瞳を有栖川の顔から離すことなく、何度も何度も頭を下げた。有栖川が「いや、そんな……市民の務めを果たしたまでです」などと言って拍手が再び盛り上がった中、鮫山と森下は未だ路面と仲良しの犯人に歩み寄り、お約束通りに黒い手帳を突きつけた。
 まるでドラマのような展開に、周囲から「おおーーーっっ」という声が上がり、通報にすぐさま駆けつけてきた警官が手錠をかけたところで、今回の事件の幕は降りた。





「いやぁ、お手柄でしたね、有栖川さん!」
 手柄を立てたのがまるで自分であるかのように、嬉しそうに森下が言った。
「お帰りの途中だったのに、また府警へ逆戻りですね」
 申し訳なさそうに鮫山が言う。これから調書の作成に1時間はかかるだろう。
「どうせこいつは暇でしょうし」
 火村が答え、有栖川が文句を言おうと口を開きかけたその時。
「あのぉ、お客様……」
 遠慮がちに声をかけてきたのは、先程の花屋の店員だった。
「それさっき、自宅宛に送ってもらうようにて……」
 両腕に抱えられた花束を見つめ、有栖川はその大きな瞳を何度も何度も瞬かせた。その目はそのまま隣の男に向けられて。
「知らねぇな」
 一瞬、有栖川の右手に拳が出現して、消えた。
「えっと、それじゃあ帰りに住所のメモ渡しますんで、そっちに送っていただけますか?」
 花屋の店員にはにっこり微笑む。店員の顔は一瞬に真っ赤に染まった。コクンと首を縦に振ろうとしたその時、煙草の煙を空へ向かって吐き出した火村は、正に他人事とばかりにのたまった。
「駄目だ。お前、どうせ忘れるに決まってるからな」
「は? はぁ? これから行くん、府警やで?」
 まったくもって、その通り。花を持つのは有栖川だとしても、自分達も一緒に歩くのだということを忘れないで欲しいと鮫山は思った。
「それがどうした。ここで買えって言ったのはお前だ」
 火村は店員から巨大な花束を受け取ると、有栖川の前に差し出した。在りし日とは立場は逆で、まるで様子も異なるけれど、渡す方と渡される方の表情は同じ。その微笑みはとても祝福の笑みとは言えないけれど。
「犯人逮捕、おめでとう!」


End/2001.03.18



ヒロさぁ〜ん、ありがとぉ!! 嬉しいですぅvvv
今回のお話を読んで、私はしみじみ思いました。---大阪市民になりたいッ☆
そしてそして、アリスが引ったくり犯人を捕まえた時にいた野次馬の中の一人になるのだ。もちろん片手にはカメラで、ビシバシ写真を撮り捲るッ!! それからドラえもんにお願いしてタイムマシンで過去に戻って、赤いポルシェの前に花束持って佇むアリスだって、ばっちり激写しまくりッ。んでんで、『アリスラブリンチョ写真集』を作って、毎日毎晩眺めて、時たま枕の下なんかにも入れて---。
うっきゃぁ〜〜〜ッ、考えただけで幸せ!!!(*^-^*)
でもって、ヒロさん!! 鮫山さんと森下さんのコンビ、最高です。
特に鮫山さん。笑わしてくれて、ありがとう☆ お二人ともさすがに大阪人。なかなかに漫才です(笑)
さぁ、次はパソコン教室ですねv ウキウキ…o(^-^)o ←勝手に決めてる

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