キウィのお酒

鳴海璃生 




「う〜ん、これ喰えるんやろか」
 冷蔵庫の前に座り込み、私は頭を捻った。手に持っているのは、オーストラリアに生息する鳥の名前と同じ果物。私の好物の一つでもあるキウィだ。それを手に持って一体何をやっているかというと、実はこれを食べるべきか食べざるべきか悩んでいるところなのだ。

 馴染みの編集者である珀友社の片桐さんから急追頼まれたエッセイをつい今し方仕上げて、私の空腹は限界の極みにまできていた。殆ど満足に食事も取らず1日と半分を原稿に費やしたせいで、ファックス終了の発信音が食事開始の合図に聞こえたぐらい私は空腹を持て余している状態なのだ。なのに何故、キウィ片手に悩む羽目に陥っているのか。それはこの手の中のキウィが、ちょっとばかりノーマルなキウィとは異なった状態になってしまっているからだった。
 わざわざ顔のそばまで持ってこずとも、ふんわりと鼻孔をつくこの匂い。それはとっても良くかぎ慣れた匂いで、私の好きな物の一つにも数え上げることができる。もちろん、食べ物が腐っている臭いというわけではないので、念のため。

 それをひと言で言い表すならば、アルコールの匂いなのだ。
 キウィとアルコール。まるで接点の見いだせないその二つに、お前の鼻が腐っているのだ、と皆様方は思われるかもしれない。だが、もちろん私の嗅覚は正常に働いているし、ましてや締め切りあけの徹夜と空腹で惚けているわけでもない。

 手の中のキウィからは、間違いなくふくよかなアルコールの香りが漂ってくるのだ。それ以外には、通常のキウィ---私がこの子を初めて手にした時の状態---と何ら変わりがあるわけではない。まぁ強いて挙げるならば、ちょこっと柔らかくなってるかなぁ…、という程度だ。
 なのに匂いだけがキウィではなく、アルコールに変化してしまっている。

「別に食べても死なへんとは思うんやけど…」
 空っぽの胃は、キュルキュルと悲しげな音をたてて食事を催促する。その悲しげな声に従って、いっそのことこのキウィをとっとと食べてしまおうか。何せキウィとアルコール。両方共私の好物なのだから、これはある意味儲け物なんじゃないか。

 だが、しかし---。理性と、人間として越えてはならないような一線が、「ちょっと待て」と私を引き留める。
「やけど、発見と発展は勇気ある1歩から始まるわけやし…」

 世界で初めてなまこを食べた人も、今の私と同じように悩んだのだろうか。だが、彼---或いは彼女---が勇気を振り絞って、あの不気味な物体を口にしてくれたおかげで、後世に生きる私達はあれが食物であるという認識を持つことができたのだ。
 食べるべきか、食べざるべきか。

 頭を抱え込みそうな勢いで、人類の偉大なる1歩に踏み出すべきかどうかを迷っていたその時---。
「おい、何やってるんだ北京原人」

 不埒なひと言が背後から響いてきた。
「誰がピテカントロプス・ペキネンシスやてッ!」

 怒鳴りながら振り返ると、京都在住の犯罪学者が壁に背を預けて私の姿を見下ろしていた。皮肉げに歪めた唇には愛飲の煙草。胸の前で腕を組み、斜に構えた姿がむかつくぐらい様になっている。
「アリス、間違ってるぜ」

 にやり、と犯罪学者は口許を歪めた。他の人間がやったら即殴りかかってしまうかもしれない横柄な態度も、目の前に立つ人物には嫌になるぐらい良く似合っている。それは、ちょっとだけ---ほんのちょっとだ、ちょっと---見惚れてしまうぐらいに、だ。
「何が間違ってるって言うねん」

 その表情にぼんやりと見入ってしまいそうになる自分を諫め、私は殊更に意識して表情を固くした。
「北京原人はシナントロプス・ペキネンシス。お前、ピテカントロプス・エレクトゥスのジャワ原人と一緒になってるぜ。まっ、どっちにしたって大した差はないけどな」

 失礼なことを飄々とした表情で述べる。んじゃ、何かい。冷蔵庫の前で高尚な思索にふける私の姿が、こいつには原始人に見えるっていうのか。失礼千万、友情に罅が入っても可笑しくないくらいの随分な台詞だ。
「今のお前の恰好は、お前がポテトチップスが喰いたいって言ってコンビニに駆け込んだ、あのCMの奴らにそっくりじゃないか」

 ポテトチップス?
 数瞬の間記憶の底を漁って、思い出した。火村が言っているのは、原始人の一団がベリーパリパリなポテチの前で、それを喰おうかどうしようか、と悩むCMのことだ。---って、ちょっと待て。それじゃ、私は。

「俺は原始人かいッ!」
「今さら、何をすっ惚けたことを…。最初からそう言ってるだろうが」

 いいや、違う。北京原人と原始人の間には、感覚的に淀川の川幅並みの差はあるぞ。
「外に出もしないくせに、暑さにやられてんな。ほれ、どけよ」

 大股に私の方---いや、冷蔵庫の方へと歩み寄ってきた火村は、蠅でも追い払うような仕種で、私を冷蔵庫の前からどけようとした。ドアに手を掛け、僅かに腰を折り中を覗き込む姿は、どっからどう見ても客とは言い難い。
 ---畜生。家主の意地に掛けて、絶対この場所を譲るもんか。

 目の前でひらひらと動く火村の手を払いのけ、私は冷蔵庫のドアに囓り付いた。
「人んちの冷蔵庫に何してんねん」

「天王寺署から歩いて来たら、喉が乾いたんだよ」
 そう言いながら私の防御壁を易々とかいくぐった火村は、冷蔵庫の中から缶ビールを取り出した。それも、私が1番楽しみにして残しておいた黄金色の缶。それに目を瞠っている内に、プシュッとプルトップを上げる小気味良い音が狭いキッチンに響く。

「ちょお、待てッ!」
 慌てて火村のズボンの裾を掴もうとした私の手は、ほんの僅かの差で空をきった。私の静止の声を背中に聞きながら、火村は悠々とした足取りでリビングへと向かう。歩きながら美味そうにビールを煽っている姿は、背中越しにもありありと感じられた。

「人には、自分の研究室を喫茶店代わりにしているとか文句言う癖に---」
 拳を握り、唇を噛む。どっからどう見ても、火村の様子はそれ以上だ。喫茶店どころか、ここを自分のセカンドハウスか御休息処とでも思っているんじゃないか。

「むっちゃ腹立つわ」
 どかりと冷蔵庫の前に座り込んだ私は、開きっぱなしになっている冷蔵庫の中を見つめた。缶ビールが、所狭しと冷蔵庫の中を凌駕している。だがそれはラガーだの一番絞りだの、ありきたりの缶ビール達だ。私がすっごくすっごく楽しみにして、風呂上がりにキューっとひっかけるんだと楽しみにとっておいたエビスの最後の1本は、火村の腹の中に流れ落ちてしまった。

 ああ、無情---。何でこういう時を狙い澄ましたようにやってくるんだ、あいつは。
 ハァ…と肩を落とし溜め息をついた時、キュルルルと悲しげな音で胃袋が空腹を主張してきた。あ〜あ、しょうがない。このまま火村の腹の中に収まったエビスビールを嘆いていても、埒があかない。取り敢えずは目の前の空腹を満たすことが先決だ。ナイスなタイミングで火村が来たことだし、ここは一つ何か作って貰って…と思い、冷蔵庫の中を見回してがっくりと頭を垂れた。

 目の前の棚の上には缶ビールが並んでいるだけで、めぼしい食料らしきものはない。さっき開けた野菜室にも、しわがれたネギがぽつりと入っているだけだった。いざとなれば火村が呑んだビールを口実に、何か買ってきて食事の支度をして貰うという手もある。だが哀れな私の胃袋は、その時間さえ耐え切れそうになかった。
「となると、やっぱこれやな」

 私は手の中にぴったりと収まったキウィを見た。掌に刺さるとげとげの感触が、早く自分を食べてくれと囁きかけているようだ。とは言っても---。
 頭を抱え込みそうになった時、ポンとアイディアの神様が私の頭に舞い降りた。私としたことが、何故こんなに大切なことを忘れてしまっていたのだろう。

 そう---。今この部屋にいるのは、私一人ではないのだ。京都在住の犯罪学者、火村英生助教授様が、人の家を喫茶店代わりにして、私の今夜1番の楽しみのエビスビールを御痛飲なさっているのだ。そして大大大親友の火村助教授の利用価値は、単に美味しい御飯が作れるってことだけじゃない。
「まずあいつに食べさせたる」

 毒味という己の身を捨てた献身的な役割を任せるのに、果たして彼ほど相応しい人間がいるだろうか。だいたい私の缶ビール---しかも1番のお気に入り---を呑んでしまったのだ。ここで私のためにちょこっとキウィの毒味をして、少しぐらいお腹を壊すことがあったとしても、決して私が責められる立場にはならないはずだ。
 だいいち、このキウィは腐ってるわけじゃない。少し食べるのに躊躇するなかぁ…、ってな程度にキウィ本来の匂いじゃなく、アルコールの匂いがするだけだ。

「んじゃ、早速---」
 私は冷蔵庫の中から残り二つのキウィも手に取って、まな板の上に置いた。真ん中からざっくりと二つに割ると、ツンと鼻をつくアルコールの匂いがキッチン一杯に広がっていく気がした。ビールやお酒の持つアルコール臭とは微妙に違う、もっと原始的な匂いに、くらりと目眩がしそうだ。

 酒に酔った心地良さとは異なる酩酊感を堪えながら、残りのキウィも大雑把な包丁使いで二つに割る。がたがたと傍らの食器棚からガラスの器を取り出し、私は切ったキウィを三つずつ器に放り込んだ。透き通るようなエメラルドグリーンとガラスの器の爽快さは、外の暑さも忘れさせてくれるくらい涼しげだ。但し残念なことに、漂う香りがその爽やかな雰囲気をぶち壊しているのだが---。
「火っ村ぁー、キウィ切ったんやけど食べへん?」

 キウィを入れたガラスの器を両手に持って、私はリビングへと小躍りしながら足を踏み入れた。図々しさの極地の火村助教授は、定位置であるソファに長々と長身を横たえて、『火曜サスペンス』の再放送なんぞをぼんやりと眺めている。きっとニュースを見ようと思ってテレビの電源を入れたはいいが、どのチャンネルでもワイドショー的なものしかやっていなくて、仕方なく最後にいきついたチャンネルをそのままにしているのだろう。
 心の中でざまぁみろと舌を出しながら、私は火村のいるソファの前の床に腰を下ろした。テーブルの上には金色のエビスビールと白いラガーの缶。持っていったのはエビスビールだけだと思っていたのに、全くもって油断のならない奴だ。

 空になったビール缶をテーブルの端に避け、私は両手に持っていたガラスの器をそれぞれの前に置いた。
「ん〜」だか「ああ」だか良く判らない返事を口にしながら、火村はのっそりと身体を起こす。
 ブラウン管に視線を止めたまま器に手を伸ばし、傍らに置いたスプーンを右手で持った。私はわくわくするような胸の高鳴りを押さえながら、火村の一挙手一投足を見守った。

「アリスにしちゃ随分と気が利くじゃねぇか」
 減らず口を叩きながらキウィの入ったガラス器を取り上げた火村の動きが、不意に止まった。僅かに眉を寄せ、何かを確かめるようにキウィに鼻先を近づける。途端、火村は大仰に顔を顰めて、手にした器をカチャンと乱暴にテーブルに置いた。右手に持っていたスプーンも、その傍らに放り投げる。

「おい、アリス」
「何や?」

 にっこりと笑いかける私に、火村は苦虫を噛みつぶしたような表情を返してきた。
「これは何だよ?」

「キウィ」
 すまして応えた私に向かって、火村は大袈裟に溜め息をついてみせた。端から見ていると下手な漫才のような遣り取りだが、私も火村も至って真剣なのだ。

「んなもん、見りゃ判る。俺が言ってるのは、この匂いだ。普通こんなもんを客に出すか?」
 自分で自分のことを客と言い切る図々しさに、思わず心の中で拍手を送る。一体どこの世界に、家主に断りもなく冷蔵庫から勝手にビールを取り出す客がいるっていうんだ。これで客だというのなら、世の中全員お客様だ。

「もちろん俺かてそれなりの常識は兼ね備えているからな、こんなんお客様には出さへんよ。火村やから出してるやないか。それにこの匂いかて単なるアルコールの匂いやし…。大丈夫やて。喰ったからて、死なへんて」
 それに私は火村の胃袋の頑強さを信じている。通常の人間にはアウトでも、火村の鍛えられた胃袋なら難なく毒味役をこなせるはずだ。
 ほれほれと、私はキウィの盛られたガラス器とスプーンを火村の目の前に差し出した。顔を背けるようにして僅かに状態を逸らした火村は、嫌そうに器の中のキウィから視線を逸らした。

「俺様のデリケートな胃は、こんな不気味な食べ物には拒否反応を示すんだよ」
 小さく鼻を鳴らし、火村はまるで蠅でも追い払うかのような仕種で右手を振り、ガラス器を目の前から遠ざける。私は火村とキウィを交互に見つめながら、上目遣いに火村を睨め付けた。せっかく毒味役という有り難い役目を与えてやろうと思ったのに、何て根性の無い奴なんだ。だいたい火村の胃袋がデリケートだなんて、私は今初めて聞いたぞ。デリケートやグルメなんていう言葉から1億5000万光年は隔たった場所に生息しているくせに、図々しいにも程がある。

「そのバリケードな胃で、少しは人の役に立ってやろうとは思わへんのか」
 キウィの入ったガラスの器とスプーンを手に持ったまま、「本当に友達甲斐の無い奴だ」とぶつぶつ文句をたれる。私の言葉に聞き耳を立てた火村が、じろりと険悪な眼差しを注いできた。
「何が友達甲斐の無い奴だ、だ。てめぇこそ、人を毒味役に仕立てようとするようなその腐った根性を、叩き直しやがれ」

 キャメルに火をつけた火村はフゥ〜と大きく息を吸い込み、私に向かって紫煙を吐きだした。濡れた犬が水を払うような動作で頭を振り、私は顔の周りを漂う白い煙を払いのけた。恨めしげな視線をソファの上の助教授に注ぐが、火村はどこ吹く風という風体で煙草をくゆらしている。
「最低最悪の匂いがしても、ドリアンは美味いって言うやないか。地獄の香りに天国の味っていうのを、君は聞いたことがないんかい」

「節操のない例えを持ち出すなよ、推理作家。俺はお前の今後に不安を感じるぜ」
「余計な世話や。何やねん、火村の根性無し。君にはフロンティアスピリッツってもんが無いんかい」

「そんなもん喰うようなフロンティアスピリッツなんて、頼まれても持ちたくねぇぜ」
 フンとそっぽを向いて紫煙をくゆらす火村を上目遣いに見つめ、私は小さく吐息を吐き出した。仕方がない。火村の根性無しがダメなら、自分で食べるしかない。もしこれで腹を壊したら、盛大に火村のせいだと大騒ぎしてやるし、もし御昇天なさってしまったら、毎晩毎晩火村の枕元に立って恨み言を述べてやる。そうなってから後悔しても遅いんだからな、こん畜生。

「ええもん。やったら、俺が喰うもん。人類の偉大な1歩はフロンティアスピリットからや。そうして、なまこも食べ物になったんや」
 ぐっさりとスプーンをキウィに突き刺して、私はエメラルドグリーンの果肉をなみなみと掬い取った。あーんと口を開けると、あらぬ方向を向いていた火村がギョッとしたように振り向いた。

「おい、待てっ!」
 焦ったような火村の制止と私がキウィの乗ったスプーンを口の中に入れたのは、ほぼ同時だった。唖然とした眼差しの中で、私はもぐもぐと口に含んだ柔らかい果肉を咀嚼した。口の中一杯に、何とも言いがたい甘い味が広がる。キウィというよりはアルコールに近いその味は、果実そのものから作られたお酒を口にしたような不思議な感じだった。美味しいとはお世辞にも言えないが、どこかな懐かしいような気がするのは何故なんだろう。

「何や、原始のお酒を食べたって感じやな。きっと人類は、こうして酒を生み出したんやな」
 熟しすぎた果物が自然に発酵して果実酒になる。遙か古代の人類は、きっとこうして酒という至福の飲み物を手に入れたに違いない。まるで原始社会における酒の生成の原点を見たような気がして、私はうっとりと呟いた。

 ---やっぱりフロンティアスピリットは大切やな。
 味に多少の不満はあるものの、取り敢えず食べれない代物でもないし、腹を下す心配もなさそうだ。ほんじゃま、と気合いを入れてキウィにスプーンを突き刺した私を、火村が慌てて止めた。不意に横合いから伸びてきた腕が、左手にもったガラスの器をかっ攫っていく。

「何するんや! 喰いたいんなら、自分の分を食べればいいやろ」
「バカ。誰がこんなもん喰いたがるか」

「やったら、返せ!」
 火村は伸ばした私の腕をピシリと叩き、手にしていたキウィの入ったガラス器をテーブルの反対側まで遠ざけた。短くなった煙草を灰皿で揉み消し、疲れたようにハァ〜と大きく溜め息を吐く。

「何やねん、その態度。俺は腹減ってるんやからな、早よそのキウィ返せ」
 手を伸ばす私を押しとどめ、火村は再度大きな溜め息を落とす。

「こんな原始人が友人だなんて、俺は情けねえぜ」
「何やてっ ! 失礼なこといいなや」

「どこが失礼だ。本当のことだろうが」
 むっとしたように眉を寄せた私の額をぺしゃりと軽く叩き、火村は両手にキウィの入ったガラス器を持って立ち上がった。「あっ」と小さく名残惜しげな声を上げた私を見下ろし、口許に苦笑を刻む。

「腹減ってんなら何か作ってやるから、こんなもん喰うんじゃねぇよ」
「そう言うたかて、冷蔵庫の中、何も入ってへんもん」

「だったら何か適当に買ってくるから、暫く待ってろ」
「えーっ! そんなん、我慢できへん」

 キッチンへと消える火村の背中に向かって、「餓死する」だの「人非人」だの大声を上げる。だが火村はそんな私の声に頓着することなく、キッチンへと姿を消した。カチャカチャとガラスの触れ合うような音を遠くに聞き、私はぱったりと力つきたようにフローリングの床の上に寝転がった。極限をオーバーフローした空腹のせいで、さすがの私もこれ以上文句を言う元気が出ない。ぐったりと床に張り付くように寝ころんでいると、柔らかな足音が床越しに響いてきた。傍らに人の佇ずむ気配を感じ、うっそりと閉じた目蓋を開ける。真上から見下ろしてきた火村が、呆れたように小さく息を吐いた。
「何が喰いたい?」

「腹減ってるから、何でもええ」
「じゃあ、あと30分ほど待ってな。お前の好物を作ってやるよ」
「早くしてや。俺、空腹で死んでまうわ」

 力が抜けたようにそう呟くと、返事の代わりに火村が足で肘の辺りをこつんと緩く蹴った。ゆっくりと遠離って行く足音に、私は小さく息を吐いた。ドアの閉まる小さな音が鼓膜を掠めた途端、部屋の温度が少しだけ下がったような気がした。テレビからは、煩いぐらいにドラマのクライマックスを告げる音楽が鳴り響いてくる。なのに、何故か部屋の中にシンとした沈黙が落ちているような気がするのだ。
「---火村、何作ってくれるんやろ」

 気を紛らわせるように小さく呟いた声は、部屋の空気に溶け込みゆっくりと消えていく。食べ損なったキウィは何だかとっても惜しいような気もしたが、それで火村の御飯が食べられるのなら、まぁ良しということにしておこう。
 キュルルと悲しげな音で催促をする胃袋を慰めながら、私は目の前に饗されるであろう食事を思ってゆっくりと目を閉じた。



End/2000.10.17




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