【出戻り営業部編】香港出張
平成22年2月6日


◆香港出張
既述したように、当時の輸出営業は欧米を中心に販売網も充実して着々とその実績をあげつつあったが、中国を含め東南アジア、中近東、アフリカソ連を中心にする東欧諸国に対する販路確立はまだその緒についたばかりで営業部長も随分と苦労されて陣頭指揮をされてきた。いわゆるこれらの第三地域と称する地域は欧米と違って独裁国、社会主義国 政情不安国等々全く千差万別の国が多く輸出にはその国独自の法律習慣に熟知していないと、到底不可能であった。 当時の営業部ではまだまだ戦力不足でこれらの国への輸出販路拡大には当然地元商社や大手商社の力を借りざるを得なかった。
当時香港は輸出の厳しい中国へ入る唯一のルートで香港に送られた貨物の半分以上は、非合法的に中国に運ばれている事は万人が承知する所でした。 昭和51年当時 香港を拠点に強大な商権を確立している会社の中に、A物産があり、我々も中国への足懸りをつかむ為、6月に私一人で香港に飛びました。

◆シンガポールエアライン
名古屋を早朝に出て大阪伊丹空港10時出発の便に搭乗、このシンガポールエアラインのスチュワーデスは選りすぐりの美人ばかりで、チャイナドレスのロングスリットからみえる脚は素晴らしいぞと先輩から散々聞かされて、大いに期待して搭乗したら、噂と言うものは普通話半分とかいわれるが、今回は違った! 話以上に美人ばかりでぽ〜〜と眺めている間に香港到着したと言ってもウソじゃない!
JALも美人揃いだが、それ以上だったかも。 それ以来出張には何かと口実を設けてこのシンガポールエアラインを利用するようにした。 若し現在搭乗されて、そんな美人いなかったと苦情を言われても、「お気の毒様です」としか言い様がありませんな 。



※↑こんなセクシーじゃございませんが・・・

◆酒が飲めねえ奴は・・・・
香港には現地時間13:30到着 気温33度の真夏日、早速A物産の事務所に行って、香港情勢や経済状況の説明を受けたが、このA物産の現地駐在社員の素晴らしかった事、単に商売の事ではなく、当時の中国の政治から朝令暮改頻繁の法令まで実に幅広く勉強されており、今の自分が全く恥ずかしくなった位勉強されておられた。それ以来私も商談の前にその国の政情や経済状況を詳細に調べてから席に着くという習慣を持つことが出来て、本当に有難かった。さて色々の打合せ検討会は夕方6時ごろ終了。 A物産の方から初めての香港ですからと夜の香港を案内されてそれから宴会、 物産の方以外に営業部生え抜きでたまたま別件で香港に来ていたB君も参加した。 宴が進むにつれてこのB君の酒癖の悪さが出てきた。
彼は酒豪と言うより「底なし」でアルコール度の強い老酒でもブランデーでも将にがぶ飲み、私は酒に弱いのでもっぱらおしゃべり専門にしていたら席に来て「飲め、飲め」とブランデーや老酒を強制してくる。 飲めないから結構ですと断っても「俺の酒が飲めないか」と執拗に強制し、遂には「酒が飲めない奴が営業課長ででかいツラするな」とまで暴言を吐き、驚きよりもこんな席での暴言にこちらが恥ずかしい思いをした。 飲めないがとことん付き合ってやると覚悟を決めて午前二時にホテルへ戻るまで我慢してお付き合いした。
翌日彼と顔合わせたが前夜の暴言醜態は何処吹く風と全く平然たる態度にはまたまた驚かされた。  帰国してから聞いてみるとB君の酒癖の悪さは評判でこの為出世が遅れたとの噂もあり彼自身相当屈曲した気持でたまたま同席した私にその腹いせをぶっつけたんだと納得しました。

◆ぺニンシュラホテル
A物産が予約してくれた香港のホテルは、当時香港帝国ホテルと称される三ツ星ホテルであった。食事なしで一泊70ドルの超高級ホテル、私に支給される滞在費の倍以上で完全な赤字だが、その素晴らしい設備には驚いた 残念ながら連日深夜午前二時にホテルに戻って寝るだけで充分にホテルの良さを満喫出来なかった記憶にあるのは 出発の朝手持ちドルで支払いした時、交換レートを充分に確認せず言われるままに支払ってお釣りを貰って空港に来て確認したら、見事にごまかされて余分に支払った事に気付いたがもう後の祭り。 成る程これがホンコン流か、バカは騙されても仕方が無い、騙すほうが悪いんじゃなくて、騙される方が悪いんだ、それからは余裕を持って両替し、必ず目の前で計算して確認する習慣をつけたが日本ではおよそ想像の付かない事ですね。

◆帰国
香港から東京、大阪行きの便は沢山あるが名古屋行きは一便だけで、しかも直行便は無し。 香港を11時離陸・・当時の香港空港は離着陸の難しさが世界一といわれる場所にあり着陸はビルの屋上すれすれに飛び、離陸も高層ビルの高さギリギリでの浮上で窓から見ていてもヒヤヒヤだった・・その時の写真を見ていただければ状況がおわかりいただけるでしょう。現在は別の地点に巨大空港が新設されてこんな話は遠い昔の事になっています。 さて香港離陸後山の中にある鹿児島空港に着陸し次は福岡空港に着陸、将に空の各駅停車便で夕方5時半にやっと小牧空港着陸しました。帰路はJALで、目の保養は十分に出来無かったのが残念でした。その後香港には何度と無く出張しましたが、前夜福岡に行き一泊して朝一番の便で香港に行き商談終了後夕方の便で福岡に戻りその足で深夜名古屋に帰ると言う
日帰り出張もやりました。

シンガポール航空の機体
ペニンシュラホテルの前にて
ペニンシュラホテル
離着陸はひやひやものの香港空港