【出戻り営業部編】トルコからエジプトへ

平成22年7月3日


◆11月22日 イスタンブール(トルコ)から、アレキサンドリア(エジプト)行き
イスタンブールの港を朝8時出港、地図を御覧頂ければすぐおわかりになると思いますが、イスタンブール港から
すぐ西南の海は「マルマラ海」と称しトルコとギリシャに囲まれた狭い海なので、波風全く無く「鏡の海」とも言われている位で誠に静寂そのもの、聞こえるのは船のエンジン音がどこかで響いている程度で、すれ違ったのは写真にある貨物船一隻だけでした。海面の様子を見ればどれだけ静かだったかお分かりでしょう。


観光で有名なエーゲ海は残念ながら真夜中に通過、スキロス、サモス、ロードスの島々も見る事なくエーゲ海を出て地中海に入ったら、これが「海」だとばかりの大波にしっかりと揺れた。 画像にある通りかなりの波です。


24日アレキサンドリア(エジプト)
数日前まで居たルーマニアやブルガリアでは、寒くて震えていたが、アレキサンドリアでは下着のシャツ一枚でも暑い位だった。 直線距離にしてブカレストから南に約1400キロの距離で、日本では鹿児島の南の奄美大島あたりです。 アレキの街の南100キロ位の所はもう砂漠で、停泊中にも砂漠の砂嵐で飛んできた細かい砂で全ての物がじゃりじゃりの感じでした。 

27日 アレキサンドリアからカイロへ
三日間の見本市を済ませて、27日朝9時エジプトの取引先の社長の運転する車で、210キロ南のカイロに出発した。 途中で社長の店によって見学、(社長の用事で立ち寄っただけ)なんですが、日本人が来たのは初めてでそこの店員さん全員が私を囲んで記念撮影・・・俺ってETかいな?・・画像を見てくださいね。


 カイロまで走った道路は実に立派な道路でした。高速道路ではありませんでしたが、5キロ位一直線の道路があり、幅も分離帯をはさんで100米はある素晴らしく整備された道路で、社長の話では、シナイ半島をはさんだ戦争の時の臨時滑走路として使えるように作られているそうだ。


昼食
100キロ程走りましたか、砂漠の中に点在する小さな部落の中のレストラン、いえ江戸時代の風景画にあるような道中御休み処ってな感じの店で現地食の昼食を頂く事にしました。 勿論店の選定も献立?も全て現地の社長さんのお決めになったものです。 出てきたのは、小麦粉を練って薄く延ばして油で焼いた平べったいパイ状のお煎餅の様なもの。 いまならああこれが「ナン」だとわかりますが、その時はなんだ、ナンだ?と思っただけ。画像にありますA印はチーズと胡椒を混ぜて牛乳でといたクリーム状のソース? B印は黒砂糖と蜜を混ぜて練り上げたねっとりしたソース。皿の上にあります「ナン」をちぎってこのソースにつけて食べる。それだけです。


コーヒー、紅茶、ジュースは別注文。 初めて食べましたがとても食べられず皿の上の量の五分の一程度がやっとでした。 味があわないのも原因ですが、もう一つの原因、 それは猛烈な「ハエ」の集団です。絶えず追っ払っていませんと、すぐ甘い蜜のソースにしっかりとたかり、「なん」にもたかってきます。 現地の方は全く動じません。社長曰く、「ハエがたかると言う事はそれだけうまいと言う事の証拠だよ」。 結局全部召し上がったのは現地の方だけでありました。

トイレの話
ついでにもう一つ、「なん」を手でちぎってたべるんだと教えられてその通りにしましたが、指が何となくべたついてこれはたまらんと、店の方に手洗いの場所とトイレの場所を聞きましたが、言葉が通ぜず、ジェスチャーでやりましたら、手など洗う場所はない、なるほど砂漠の真中では水は貴重品だからと納得して、トイレはと聞いたら身振りで、店の裏に行けとの事。 ぐるりと廻って店の裏手?に出たら、そこは広大な砂漠だった! 戻ってトイレがないと聞いたら、そこは男同士のジェスチャーで「大か小か?」 「小だ」 「そんなら砂漠の中でやれ」。店の裏手を見回したら誰もいない・・・生理的欲求が限界・・・ええいままよ、エジプトの砂漠でXXXXとは!!!カラカラに乾いた砂地に浸み込んだ痕跡は、みるみる消滅した。 は〜〜〜あ。こんな経験は滅多にありません。その後、勿論手を洗うなんてそんな設備はない、そうするとあの「なん」の小麦粉を練ったりソースを作ったりする時のお手手様は、そのままの手で作るんか・・・「大」の時も同じかよと想像しただけで、おえ〜〜げぼげぼ!。
果物売り
昼食後暫く走ったら、道端にみかんの様なネーブルの様な果物を売っている店がありました。

早速降りて買いましたが、一個二個では無く「キロ単位」。 あまり期待していなかったんですが、意外に皮が柔らかくて楽にむけるので車の中で食べましたら、びっくりするくらい美味しくて二・三個続けて食べた記憶があります。 ただここでも驚いたのは、種があるんですが、それは皆な飲み込んで、誰も種を吐き出さない。 出したのは私一人だけ。日本人は果物の種は食べないのかと逆に聞かれました。 カイロで西瓜を食べた時もあの沢山の種を誰も吐き出さず食べていました。ほんま丈夫な胃袋なんでしょうね。こんなスタイルの果物売りの店が道路の途中に沢山みかけた事を覚えています。
今回は此処までです。 次はイランのテヘラン行きです。

おまけ。取引先の社長と髭くらべの巻〜