【出戻り営業部編】テヘラン M先生

平成22年8月22日


11月29日より12月4日まで
◆イラン 首都テヘランへ
29日 エジプトのカイロからイラク航空(イラン航空ではない)で、テヘランに飛ぶ事になった。予定では離陸は5時だったが、乗客数と搭乗券の数が一致しないとの珍事件で、一時間も遅れて離陸。現地時間の10時半にテヘラン空港に着陸。 空港には現地の取引先の社長と日本から一足先に現地入りしていた編み物教師のMさんが迎えに来てくれていた。 空港から車で一時間、テヘラン市内のホテルに到着したのが午前零時!

◆素晴らしいホテル
午前零時の到着でフロントの担当者も眠かったんだろう、予約カードの束をポンと投げ出して自分で探せと言ったので、仕方無しに探し出したら、キーを出して、三階の OO号室、それだけであとは知らん顔。 仕方無しに荷物をもって三階に行ったがなんとも汚いホテル! 部屋に入ってドアーを閉めてさて鍵をかけて寝ようと思ったらその鍵が壊れて駄目だった。 部屋からフロントに電話しても応答無しで仕方無しにそのままにして、洗面所で埃だらけの顔でも洗おうと蛇口をひねったら 出てくるのはチンチンの熱い湯だけ。どうにもならなかった。カイロでは夏だったが、テヘランはもう冬で寒くてたまらない、 緯度でみると北緯35度で名古屋と同じ位なんだが テヘランのすぐ北にはエルブールス山脈が東西に走り有名なデマベント山(5600米)が聳えている関係かとにかく寒い。 午前1時すぎ諦めてベッドに横になったが、部屋が通りに面していて車の騒音で眠れなかった。翌日 フロントに行って、部屋を替えて欲しいとまくしたてたが、先方は、イラン語で返事をするので全くらちがあかない・・・ふっと閃いてポッケトから5ドルか10ドルだったか米ドル紙幣を出して、部屋を替えて欲しいとやったら、やっこさんめ、 OK,新館の308号室が今朝空いたからそこに行けと英語であっさりと、のたもうた。勿論米ドル紙幣はさっさと彼の手の中に消え去っていた。今度の部屋は鍵はかかるし、水は水、お湯はお湯と出てくる!
当たり前の事だが、ほっとした事とフロントの兄ちゃんの商売上手には脱帽だった。

◆信号
テヘランは車の街と言ってよいほど車が道路から溢れる勢いで走り回っている。 街の要所要所には信号はあるが、それを守っている光景にはついぞお目にかからなかった。 道路を横断する時は絶対に一人では横断しない、それらしき人が集まって集団になるのを待ってその集団の中に入って横断しなければ、即座に車にぶっつけられるかひき殺されるだろう、何時か「赤信号、皆で渡れば怖くない」とのジョークを聞いたがひょっとして、その発祥の地はこのテヘランじゃないかと思う。 車同士交差点には先に入った方が勝ちで、譲る気配はサラサラ無し、 警笛をうるさく鳴らし、窓を開けて手を振り回して怒鳴りあう、それいて衝突したとか怪我人が出たとかで警察官が来たり救急車が走り回る光景も見た事がないのは、混雑雑踏の中にも彼等にしかわからない何かルールがあるんだろう。彼等が日本に来て信号に従って通行しているのを見たら、逆に怖くなってどうやって走ればよいか悩むだろうね。

◆M先生の事
テヘラン空港に着いたときに、出迎えてくれた編み物教師のMさんの話をします。
私がテヘラン訪問する一年位前から、毛糸編み機がイランで爆発的人気を博して、現地では引っ張り凧の需要でありましたが、その理由の一つに大手家庭衣料業者が家庭の主婦の内職として編み機を貸与して作った製品を買いあげて市場に流した事だと言われたが、いずれにしてもすごい人気で当然その使用方法と編み物のより高度な技術取得の要望がっ高まってきて、イラン側から編み物教師の派遣を要請してきた。当時日本でも編み機は人気商品で至る所に編み物教室が開校され、教師の数も増えては来たが、さて見も知らぬイランまで行って現地で指導できる先生は殆ど皆無に近かった。 日本側もその人選にずいぶんと苦労した様子だったが、その時に名乗りをあげたのがM先生だった。 詳しい経過は別として、私がテヘランで色々と聞いた所では、すでにイランの各地を取引先の担当者と廻って、現地の編み物先生の養成と指導をされてきて、取引先の評価は、すばらしいものであった。 欧米と全く違った風俗習慣のイランで、しかもその地名すら知られていない地方の町まで行っての指導、地図で訪問先の町に印をつけていくと、こんな僻地?と思われる様な所まで行かれていた。そのお蔭で、編み機の日本からの輸出は毎年増加となりイラン市場を独占する位販売できたのは、このM先生の様に地道に各地を廻って一般の主婦層から絶大な信頼を得たお蔭だと思います。  こんな影の功労者に対して、会社として全く報いる事が無かったのは本当に残念でした。
テヘランの取引先で撮りましたM先生の写真を添付致しますので見てください



◆後日談
帰国後再度イラン訪問の計画が出た時、丁度日本に居られたM先生から、編み機の新型を売り込みに行くのなら、その編み機で実演出来る様に習得してから行きなさいと、きつくお叱りを受けて、営業部の関係者が終業後M先生の指導の下に編み機の使い方を教えてもらう事になった。他の製品なら少々自信あっても、女性専用と思い込んでいた編み機の使い方の習得は本当に苦労した。 イロハのイの字も知らないのだから、M先生から何度言われても、出来上がった?物は見るも哀れな姿で毎回不合格。兎に角編み機でネクタイを編みあげてその形、デザイン 模様が先生から合格と言われるまで実習させられた。 頭のよい野郎は一発で合格を貰って次からは実習に出てこない、 最後の最後まで、やり直しを命ぜられていたのは、某君と私の二人ではなかったかな、 今でも懐かしい思い出です。M先生は定年後もお元気で、語学の勉強やシャンソンの勉強等益々元気で頑張っておられるとお聞きしました。