【出戻り営業部編】巡航見本市の出張

アテネ到着と強烈な下痢
平成22年3月28日


10月22日
アテネ着
羽田空港飛びたってから24時間経過した・・殺虫剤ふりまかれたボンベイを出て一体何処を飛んでいるのかさっぱりわからぬが、朝飯がでた。 オムレツ、野菜サラダ、パンと紅茶。ただ座っているだけで、流石に食欲なしでオムレツほんの一口と紅茶一杯でもう充分だった。
アテネ時間午前4時、着陸。 外は真っ暗だがこんな時間に降りる乗客は殆どが現地の人で日本人は私だけだった。 若干の不安はあったが、すでにメキシコで見知らぬ同志が会う経験をしているので、通関すませて外に出たら、現地の取引先の方が迎えに来てくれて、彼の車で中心街のホテルまで送ってもらった。  ホテルで一休みの後9時から早速商談開始で夕方6時まで。 時差ぼけ?長時間のフライトで疲れた? 夕食のご招待はお断りして9時にはベッドでパタンキュ〜〜であった。
アテネ空港は堂々たる神殿スタイルのビルで外のバスターミナル周辺の山は全く木一本なく禿山ばかりだった。 着陸した時は真っ暗だったのでこの写真は28日に出発する時に撮ったものです。

アテネ空港


周辺の山は全く木一本なく禿山ばかり


私の泊まったホテルは「パレスホテル」で写真にあるようにガイドブックでは高級で、外観は実に堂々と立派だったが、部屋はツインベッドがあるだけで、ラジオ:テレビなど何もなくただ洗面所は日本の倍以上の大きさ、特にバスタブは身長2米体重200キロの人でも楽々入れる位でびっくりした。
今でもこのホテルはあるのだろうか??


10月23日
終日商談
9時からの商談の後昼食に行ったホテルの食堂からの眺めは最高だった、大きな一枚ガラスの向こうの小高い丘の上のパルテノンの神殿が見えていた。目の前にあるのだから、そこに行きたかったが、午後もすぐ商談開始でその時間なしで、本当に残念だった!


夕食はアテネ市内の中華料理の店に招待されて、1969年産のビンテージ物のワインを出して頂いたが、猫に小判、豚に真珠の例え通り、その味の良さは最後までわからなかったそれ以上に閉口したのは、先方が日本の経済情勢や会社の製品開発等の事を次々に質問してくる、質問者は3−4人で交代に食事しながら質問、答えるのは私一人、それも下手糞な英語を使って話するのだから、ゆっくり食事を楽しむ暇なし、出てきた料理も殆ど手をつけず終わってしまった。11時か12時ごろホテルの部屋に戻ったが、疲れと同時に「ハラ減った」でがっくりした・・・と当時の日記に書いてありました。海外出張の経験が増えてくると、こんな場面に良く遭遇しましたが、適当に要領よくちゃんと食事を楽しむコツも心得るように進歩
致しました。 ハイ。

10月24日
終日ベッドの中
午前1時過ぎ猛烈な腹痛を感じてトイレに行ったら、ひどい下痢の症状。日本から持参した胃腸の薬を飲んだが強烈な腹痛と下痢は止まらず、明け方までベッドで転々・・・・9時の約束の会合も電話でお断りして朝食も昼食もナシでベッドに横になっていたら、取引先の社長が見舞いに来てくれて下痢止めの薬をくれたので、それを飲んで又ベッドの中。 医師の診察は断ってただもう体を海老の様に曲げて横になっていただけ。 下痢の方は何も食べていないので出るものがにゃあ〜。 腹痛もすこしずつ納まってきたのが夕方で、何か食べなければと
ルームサービスでスープ、オムレツ、トーストを頼んだがスープにもオムレツにもオリーブオイルがふんだんに使用してありとても食べられるものではなかった。 トーストはカチカチのカチで歯が欠けるかと思う位。 このトーストだけはゆっくりと柔らかくして食べたが、外国で一人旅で体調を悪くする事が如何に辛いか身にしみてわかった。  終日寝ていたのに腹痛と下痢が収まってきたせいか10時過ぎには何とか眠る事が出来た。自分なりに診断して見ると羽田出発してから24時間、機内で運動もせずうとうとしただけでアテネに着きその日の9時から早速商談。出された料理は殆どがオリーブオイルが使用されてそれに疲労限界に達していた胃腸が耐えられなかったのだろうと推察しました。