【出戻り営業部編】巡航見本市の出張

RIJEKAのホテル(ユーゴスラビア)
平成22年5月9日


◆10月29日
滞在しているユーゴスラビアの首都ベオグラードはほぼ北緯45度近く日本で言えば北海道北端の稚内あたりです。10月末ともなると気温が冬並みで寒くて閉口しました。社会主義国特有の「無愛想」はあいかわらず、接客サービスなんて頭から無し、義務的にやっているだけとしか思えない。夕方チェックアウト 支払いは480ディナール(日本円で約8700円・・・現地での物価がわからないのでこれが高いのかどうか不明・・6時に出て空港に向かう。 8時過ぎの国内線に搭乗するまでな〜〜んにも無い空港内でただ待つだけ。ベオグラードからイタリー国境近くの港湾都市のリエカ(RIJEKA)まで約一時間のフライト。もう真っ暗な中、空港からリエカの町に行くバスを探すのに一苦労。 交通手段はこのバスしかないので、超満員、バス代は30Dr(540円)どこをどう走ってるかさっぱりわからず。途中で港に入ってフェリーでバスごと移動、何故か乗客はのったまま。着いた所が街かと思ったらそこから又山道を登ったり下ったり、やっとホテルに着いたのが夜の12時!ツインの部屋であったが、日本や欧米ではベッドは平行にならんでいるのが、ここでは壁に沿ってベッドが一直線、お互い足を向けて寝るようにセットされていたには、たまげたね。 午前一時やっと寝る事が出来た。一人旅ってものは、何もかも自分でやらねばならないのが少々辛い所だ。
真中の白い建物が「ボナビアホテル」

◆10月30日
朝食はこのボナビアホテルのレストランに行ったが、出されたパンの固いこと!オムレツは玉子をといてフライパンに流しただけで到底オムレツとは言えない代物。塩と胡椒でやっと食べれた。隣のテーブルのおっさんはこの固いパンを二つに切って間にジャムとバターをたっぷり塗ってサンドイッチにして食べていたがあんな硬いパンでよく歯が欠けないものと感心した。食事の後段々天候が悪化して、ものすごい豪雨と雷。 視界が10米くらいしか無い位の豪雨。外に出られないので部屋で仕事の整理をしていたら、この豪雨で「さくら丸」が接岸出来ないとの緊急連絡が入ってきて、やむなくまたこのホテルに泊まる事になった。へんてこな部屋、うまくない食事にはうんざり。テレビやラジオ? な〜〜んにも無し。仕事整理終わったらもうベッドにひっくり返って寝るだけ。 持参したウイスキーを飲んで半分ヤケクソで寝てしまった。

◆10月31日
朝6時にフロントの電話から「さくら丸」に電話したら深夜に接岸したとの事。そうとわかればこのホテルに用はない。7時にホテル出発して船に向かい無事乗船出来た。さっそく朝食を頂く。 熱いメシ、味噌汁 卵焼き 海苔 漬物と典型的な日本食だったが、もうこんなウマイ飯があったかと思う位! 現金なもので、美味しい食事を腹一杯頂くと「やる気」が出てきた。今日は9時から見本市開場、夕方5時までに7500人の入場者で大混雑。無料で配布する資料やカタログなどの習慣が無く、入場者は先を争ってこの配布物を貰っていくので、あっという間に在庫が無くなってしまった。実演で使用した縫い見本もきれいに消えてしまったし、アクセサリー類も殆どが無くなっていた。だから終わってから,展示品の点検や無くなっている部品、カタログの補充で8時過ぎまでクタクタ!無料でなにもかも貰えると勘違いしているのかな?昼飯も夕食もどのようであったか記録にないが、夜船の中の大浴場で手足伸ばしてほっとした事が書いてあった。

リエカの街
ユーゴスラビアと言っても実際にどの辺りか目の前に浮かんでこないと思いますが、欧州の南イタリア半島の東のアドリア海を隔てた対岸がユーゴスラビア社会主義連邦共和国であります。 国名の示す様にこの国は6つの共和国から出来ております(実態は夫々の民族が違う為国境線問題等民族間の対立が激しく治安は決して良くありません。) このリエカはクロアチア共和国に属しており風光明媚と言われるアドリア海の北部にある工業港湾都市です。
さくら丸甲板から見たリエカの街で手が旧市街、遠くに近代的なビル群が見えています。