【出戻り営業部編】巡航見本市の出張

嬉しかった慰問袋の到着
平成22年5月23日


  戦後派の方には、「慰問袋」って言われても、そりゃなんじゃい?でしょうね。 現在では完全に死語ですわ。この「慰問袋」とは昭和17年位までまだ日本軍が東南アジア方面の制海権や制空権を保持していた頃、戦場で戦っている兵士に内地より激励の意味で、学校や町内会単位で、手紙や写真、図画工作等を同封して慰問袋と印刷してある布袋に詰めて、それを外地の兵士に送った・・・昭和18年になると、それを運ぶ輸送船が次々と撃沈され、食料弾薬運搬が最優先となり、内地も物資が全て配給制で不足してきたので、この制度は廃止になった。 しかし戦後中国大陸で戦って帰還した兵士からは「慰問袋」は実に嬉しかった、貰った手紙や写真はボロボロになっても軍服の中にしまっていた・・・当時はその気持が充分に理解出来なかったが、こうして日本を離れて遠く共産圏の国に来ていると無性に家族の事が懐かしくなる。そんな時にブルガリアのバルナ港に着いたら、待望の家族からの手紙が来ていた!
◆息子からの手紙
その中に当時5歳であった息子からの絵があった。まさに「シュールリアリズム」の傑作画であります。どの様に解釈されるかはご自由にどうぞ!(※1)



※1これは「帰ってきたウルトラマン」に登場する”タッコング”という怪獣を書いたものと思われます。

もう一枚同封されていたのは出発する前に部屋の某所に隠しておいた模型セットのカタロクで、ユーゴスラビアから手紙で、隠し場所を「謎かけ」して教えたらそれを見つけて自分で夢中になって組み立てたそうだ。ミクロセスナの名前に記憶のある方もおられるでしょうね。 どうもこんな時から模型の組立が好きになるように洗脳?したんですかね?


切手の写真は、ブルガリアから送った手紙の切手で、之もまた文字読めず意味不明で申し訳ありませんが当時の切手として見て下さい。 

出張中送った手紙は全て封筒毎全部保管して置いてくれましたので、記憶を呼び戻すのに大助かりです。