【出戻り営業部編】ブルガリアからトルコへ

平成22年6月14日


◆11月16日(火) ブルガリアからトルコへ
16日早朝ホテルを出て、バスでバルナ空港へ行き、ブルガリアの首都ソフィアへ飛ぶ。 バルナの空港を10時に4発の古色蒼然たるプロペラ機に搭乗、防音装置が悪いのか機内はエンジン音が響いて相当にやかましかった。11時過ぎソフィア空港に到着、現地取引先の社長の出迎えをうけて、市内のバルカンホテルに直行。

早速昼食となったが、驚いたのは「パン」のサイズ、直径20センチ、厚みは7−8センチの大きさで之を4等分に切り、これに胡椒の様な調味料を振りかけていただく。 バターチーズジャム等は一切無。野菜サラダは白い粉チーズがタップリと乗っていた。 メインは焼き肉とソーセージ、だがこの大きさが半端じゃない、焼肉と言ってもぺらぺらの肉片を焼いたのではなく、ミニステーキが5−6枚あるとおもえば想像がつくでしょう。 これに真っ赤なケッチャプの中に唐辛子のみじん切がしっかり入ったソースをかけて食べるんですが、最初の一口たべたら、口の中「火傷」したかと思う位辛くて到底食べられなかった。しかし現地の社長や商社の方はこのソースをタップリとかけて全部平らげた。一体どういう構造の胃袋持ってるんでしょうね。食後は商談を7時までやってそれからソフィア空港に行った。 昼食はパン一切れと野菜サラダだけだったので空腹! 空港内のレストランで食事も
考えたが、機内の夕食を期待して我慢した・・・・9時過ぎ、一体どの飛行機に乗るのか、国際線だから大型ジェット機と思い込んでいたら、駐機場にあるのは、双発プロペラ機のフレンドシップ型一機だけ。ええ〜〜?あれに乗る? 嫌な予感がしたが、的中!!落っこちませんようにと心の中で念じて、さて期待の機内食は、小さなパンとこれまた小さいバターとジャムそれとオレンジジュース。 それだけだった。 考えてみれば夜の10時過ぎのフライトで豪華な夕食が出る筈がない・・・それでもハラペコには美味しく頂きました。
トルコ:イスタンブール空港には夜11:30着陸、通関税関検査も半分居眠りしていいる役人がOKOKOKの連続で通過したのが午前零時の深夜。 さてそこからが問題だ。

◆タクシー運ちゃんと値段交渉
ソフィア出発する前に、空港のタクシードライバーは、値段を倍位に言うから必ず交渉しなさいとおしえられた・・その通りで、深夜待ち受けているタクシーの運ちゃんがわーっと駆け寄ってきてどこのホテルだ? パークホテルなら150リラ(約3000円)でいく。 教えられたとおり、高い!もっと負けろ、じゃ130リラだ、120リラだと大分下がってきた。 これ以上は駄目だと運ちゃんが頑張るので、 こっちも、それじゃ他のタクシーの運ちゃんの所に行くと置いてあったトランクを持ったら「110リラだ う〜〜ん、100だ」との声。 ここが限界だなと判断してOKしてホテルに行った。 真夜中に空港の前で運ちゃんと値段交渉を大声でやりあう・・・トルコ語じゃありません、勿論英語ですが、高い安い負けろの言葉と数字はどんな方でも理解できる共通語・・・・後から考えたら深夜さっさとホテルに行って休息するほうが良いと思ったが、その時は真剣に値段交渉していた。この100リラが、本当に安かったのか、普通は50−60リラ位だったのか、今となっては確認しようもありませんが、運賃の交渉だなんていい経験をしました。ホテルには午前1時過ぎ、明日の予定のチェックをしてからベッドに入ったのは午前2時過ぎていた。

◆11月17日(水)イスタンブール
9時から現地の取引先との商談開始。 眠いとか何とか言ってられない時間との競争だった。この街の特徴は先ず「喧騒」「雑多」です。 写真を見ていただくとお分かりの通り街の真中をまだロバに引かれた荷車が悠然と通行、それと信号がありませんので、道路横断は文字通り「軽業」で通り過ぎる車の間をヒラリヒラリと走り抜ける業が必要です。
私は到底そんな事は出来ませんので、集団を見つけてその中に入って通過しました。 集団ですと車も若干スピードを落としてくれますが、停まる事はありません。此処では完全に車優先ですが、私の見ている限りでは通行人との接触事故などなにもありませんでした。大したもんです。

◆水上市場
昼食後海岸沿いに散策しましたら岸壁の下に色々商品をつんだ船が舫っていて、通りがかりの人達と商売をしていました。 見ましたら船に沢山の野菜があり、岸辺の客から声がかかると、その野菜を船のそばの海水で洗ってざるに入れて渡していた。 隣は魚を売っている船で船上で魚をさばいて、不用な所は船から海にドボンと捨てる、そして調理した魚はその海水を汲んで洗ってまたその海水を元の海に捨てる。見ていただけで、ええ何たる不潔!と思ったのは私位で現地の方は平然とその野菜を買い魚を買っていた。所変われば品変わる.


国が違えば清潔不潔の判断基準も全く違うんですね。ただ誤解しないで下さい。 この写真は1976年(昭和51年)当時のもので今からもう34年も昔の記録、現在はどうなっていますか分かりません。何方か最近イスタンブールに行かれた方のお話をお聞きしたいものです。

◆11月18日〜20日 イスタンブール(トルコ)
初日の18日は、トルコ政府関係者、イスタンブールの商工会や経済団体役員さん達(招待状は500人分とか)を招待してのパーティー。 ところが入場したのは700人近い予定以上の人、人でホールは一杯! 聞いてみると招待状持った客の友人、親戚と称する方々が招待客から呼ばれたとして入場、受付で一悶着あったそうだが、団長の判断で入場已む無しとしたそうだ。 それはそれで仕方ないとしても、魂消たのは、彼等の旺盛な食欲!テーブルの上のビールやジュース、ちょっとした酒の肴類は、10分ともたなかった、あっという間にからっぽになり、入場者から、もっとだせ!と露骨に催促された。お国柄か土地柄か、どっかの国でも良く似た光景が見られたが、ここでも同様であった。ただ塩コショウスプーン灰皿が全部消えうせる事はなかったね。

現地新聞社の報道
(1)イスタンブールに本社があり発行部数60万部と言われる「ハリエット」新聞社が見本市の写真を一面に掲載したが なんとその写真の中に、私が説明している写真が載って、トルコの取引先からその連絡があって、びっくりした。


トルコ語が読めないから詳細は不明だが、なんでも私が説明している「おばちゃん」は商工会会頭夫人で現地では相当有名人で、その為に記事になったんだろうとの事。 当の本人はそんな事、全く知らずに応対していたんだ。


(2)同じ紙面で、真っ赤なドレスは駐トルコ大使夫人で、その隣の和服姿は、どこかの協会のえらいご夫人との事、大使夫人は顔は良く知られているが、和服姿の日本人は珍しくそれで紙面を飾ったんだろうとの雀達の
噂話でした。

(3)之は新聞には載りませんでしたが、ハリエット社のカメラマンが撮ってくれたものです。パーティ席上で取引先の社長と懇談している所を、肩を寄せ合ってくれと注文されて右手を伸ばした所です。


この頃は「ひげ」を生やしていました。ひげそりが面倒な事もありましたが、東欧や中近東では、「一人前の男は髭をはやす」とか言われて、その事もあって、興味半分で「ひげ面」にして見ました。ご感想如何?ただこの「ひげ面で日本に戻って、久し振りに息子に対面した時に一騒動ありました。それはまた後日お話致します。

◆「あ、UFOだ!」
既述しました様に、パーティの席上ではあっという間に用意した物が無くなりましたので、追加追加で大変でした。一段落すると、こんどは、夫々の取引先集団に別れて雑談会、当然私の周りにも取引先の方やその友人?の皆さんが集まって、ブランディーやタバコをふかしながらのオシャベリタイム。その時に私が吸っていたのは日本製のハードケースに入っているタバコでした。 船内で私が買う時は免税ですので、市価の半分以下の安さでしたが、之は個人消費と船内のみで使用という条件がついています。 取引先の社長が、そのタバコに目をつけて、これを1カートンわけてくれとの申し出があったが、これは船内だけで、外に持ち出しは禁じれており、差し上げるのは駄目ですとお断りした。 社長を取り囲んだ友人達も一様にがっかりの表情を見せていたが駄目なものは駄目!
だが「規則は違反にならないようにその裏をくぐるものである」の信条で、すぐ船室に行って買い置きしてあったタバコを1カートン持ってきた。 社長も取り巻きも、「なんだ、これは?駄目と言ったじゃないか?」と不審顔で私を見つめていた。 やおら社長の前に行って「ご要望に応える事が出来ずに申し訳ない」と話しながら突然窓の外を指差して、「あ、UFOが飛んでいる」と英語で大声で言ったら、皆がびっくりして一斉に窓を向いた!その隙に社長の上着の内側にそのタバコ1カートンをさっと滑り込ませた。 その間5秒もあったか?ひょっとして俺様は「すり」の天分があるんではないかと思ったくらい、上手にやれた。 社長は片手で胸を押さえてタバコが落ちないように、笑いを必死になってこらえている。 取り巻き連中は何の事かさっぱりわからず呆然の様子、ただ社長がもう吹き出しそうな顔をしているので、次第に理由がわかってきて、今度は彼らが大笑いを始めて一件落着。パーティー終了後,退船する時に皆から小さい声で「タバコ有難う」と握手されて面映かった
後日談だが、トルコの取引先から、「UFOの旦那に宜しく」とのメッセージが来た時は今度は私が大笑いしました