【出戻り営業部編】 はじめてのオーストラリア出張
(1977年4月18日〜30日(昭和52年)

平成23年9月3日掲載


◆オーストラリアの営業強化
出戻り営業部での経験も、二年弱となり少しずつその要領が分かってきたが、肝心の事はまださっぱりだった。昭和52年当初より営業部長と会社上層部との会議でこれからの発展の為には、オーストラリアの営業強化が決定されて、此処に事務所を開設する事になり、その下準備と現地取引先に対する説明と商談に行くようにと
命令された。
今回は単なる売上げ増大ではなく現地事務所開設に関する土地建物借用や買収等現地不動産に関する法律的な問題もあり、こりゃ大変だと覚悟したら部長も共感してくれて、優秀なA君が同行してくれる事になった。

◆4月18日 航空機事故
午後の新幹線でA君と東京行き、羽田に六時到着、どうも空港内の雰囲気が可笑しい・・JALの受付に行ったら、4時前にフイリッピン航空#422がマニラに向かって離陸滑走中、何故か滑走路を外れて機体が大破して、目下空港閉鎖の状態であるとの事、まだ今後の事は不明なので空港内で待機していて欲しいと言われて、待合室で待っていたら続々と乗客が来てもう一杯となった。情報は全く入ってこないので大分険悪な雰囲気になったが、8時半になってやっと今夜の便は全て運行中止と決定。JALの乗客は、バスで都内の三番町ホテルに9時過ぎに戻った。 そこでみんなブツブツ言いながらも夕食をすませたが、明日のフライトがどいうなるか、電話をくれると言うので寝る事も出来ずA君とポッケ〜とテレビ見て時間つぶし。 午前1時過ぎに明日十時の臨時便に搭乗して欲しいとの連絡が入ったが、それから寝ようとしても目がパッチリでとうとう朝までうとうとであった。

◆4月19日 予約取消
本来ならば今朝7時にはシドニーに着いている筈がまだ東京だ。当時国際線は2時間前に受付終了せねばならぬので、朝食もなしでホテルを7時に出た。 空港で搭乗手続きを済ませて自宅に電話したら、女房殿びっくり仰天、事故のニュースは知っていたが、空港閉鎖で飛べなかった事は知らなかった様子だった。10時前に搭乗して離陸を待っていたが十時、十時半,11時 一向に離陸する気配なし やっと11時半に飛び上がった。朝飯も無く乗ったのでハラペコ! 機内サービスの昼食が本当に美味しかった。 それからはもうやる事なし、意味不明の機内映画を見たり仮眠したりして、やっと夜9:45にシドニー空港に着陸。空港には現地の邦銀のOさんが出迎えに来てくれたので彼の車で日本で予約しておいたキングスゲートのホテルに11時に行く。 ところが予約は夕方6時までに来なかったし連絡も無かったから自動取消になっていると言うではないか、邦銀のOさんが、航空機事故で飛べなかったと説明したら、すぐに別のホテルに紹介してくれた。 早速の手配には感謝するが、事情がわかったら同じホテルにチェックインさせても良かろうものを、やはり一旦断った手前メンツでもあったのかなあ、 兎に角紹介してくれたシェブロンホテルに12時にやっとチェックイン出来た。 こりゃあ前途多難だぞとA君と顔見合わせたね。

◆4月20日 事務所予定地視察
シェブロンホテルの10階からはシドニーの展望が素晴らしく、オールドハンガーブリジとオペラホウスが見えていた。






朝食はルームサービス:コーヒー、トマトジュース、ミルク、クロワッサン3個 ジャム、バター、で約900円、 まこんなものでしょうと納得。






午前中に現地の人と三人で事務所予定地を視察。昼食に行ったら、昼間からビール、ワインを注文、生牡蠣(12個)にレモンを絞り込んでワインと一緒に頂きメインは白身の魚料理、日本だったら昼食は15分? 此処ではなんと2時間で、昼間からの酒?と思ったがその後これが当たり前とわかって、驚いた。この日は23時まで打ち合わせで少々くたびれた。 だだっぴろい事務所予定は画像の通りです。


◆4月21日 着陸出来ず
朝6時にホテルを出て国内線で、メルボルンの取引先に飛ぶ。 7時離陸して南西の約750キロ離れたメルボルン上空に8時過ぎに来ているはずが、同じ高度で旋回を続けているだけで、可笑しいなと思ったら機内放送で、空港上空は濃い霧の為着陸出来ず、メルボルン北西約700キロのアデレード空港に着陸するという。 なんのこっちゃ!そこから又1時間飛んで アデレードに着いたのが10時過ぎ、メルボルン行きの便の確認に一苦労して、11時過ぎ再び機上の人となったが、気苦労で疲れた。12時過ぎ今度は無事メルボルン着、予定より大幅に遅れているので、取引先との商談時間が少なくなったので、内心少々焦ったが、でっかいオーストラリア大陸に住んでいると全てが鷹揚になるのか、先ず昼食、ここでもビールとワインが先に出てくる、早めに切り上げたつもりでも、昼食時間は1時間半だった。夕方5時に終わって(終わらして)空港にタクシーを走らせ7時の便でシドニーにトンボ帰りした。A君もくたくたになったので、慰労をかねてキングスゲートの日本料理屋「ナゴヤ」で ビール、刺身 揚げ豆腐、味噌汁と 特大天丼を二人で食べて、費用は全部で6千円でした。 ホテルに帰ったのが11時すぎ。流石に今夜はパタンキューでした

◆4月22日 羊羹と日本茶
8時半からA君と共に取引先との打ち合わせ会、今日の昼食会も先日おと同じで1時過ぎからワイン、生牡蠣 で乾杯、その後特大のステーキ幅は12cm位だが長さは優に20cmは越えて厚みはどう見ても3センチの大きさ、表面は焦げていて芯はレアの状態、之を塩と胡椒だけで食べるなんて、もう何ともかんとも、悪戦苦闘でした。この地獄の昼食は3時まで続いたんです。食べるのに疲れたなんて生まれて初めただ。 そのあとの商談も済ませてホテルに戻ったのが8時だった。
くたびれたなあとA君に言ったら、彼 ニヤッと笑って カバンの中から出してきたのはなんと羊羹と日本茶ではないか、早速室内にある湯沸しでお湯を沸かして頂いたその日本茶と羊羹の美味しかった事!!以後の海外出張に私も梅干以外にこの日本茶と羊羹そして時には「煎餅」も持参しました。


◆4月23日 休日
今日は土曜日なので、商談等は休日、 ノンビリと9時ごろ朝食をとり食後A君と今までの経過のまとめとこれからの打ち合わせをする。 午後フリータイムとして私はシドニー一番の繁華街のキングスクロスの通りを散策、雑多な商店が多くて大須に感じが似ていたが、ポルノ映画館がどうしてこんなに多いのだろうと思う位至る所に堂々と上映内容の」一部を広告していた。夕食はA君と一緒に中華の店に行ってあれこれと馴染みの料理を食べて満足してホテルに戻りました
 
◆4月24日 バーベキュー
朝9時、日本の女房殿に国際電話を申し込んだら5分で繋がった、女房殿は感度が素晴らしく良いので、とてもシドニーからとは信じられないと興奮気味だった。10時より現地の取引先の社長の自宅で軽い打ち合わせをして、昼食は彼の庭でバーベキューとなった。 もう半端じゃないその大きいのにびっくりした。 ワインも ビールもビンじゃなくてでっかい容器に入ったのがで〜〜んと置いてあって、飲みたい人は自分でコップを持っていって注いで飲む、肉は塊をキロ単位で買ってきてその場で小さく切って 炭火の上にどっさと置いて焼く、ミディアムとかレアなんて関係なし。全部がウエルダンの姿でしたが、困ったのはその大きさ! 何でこんなにでっかい?
彼に頼んで特別に小さく切ってもらったのを焼いてもらったがそれでも200グラムは あったと思う。 画像にあるステーキを見てください。これが一番小さいのです。


野菜も、ブツ切りのでっかいサイズのままで焼く、少々焦げていようが 生であろうが そんな事は関係なし。 兎に角みんな良く飲み良く食べました。 その後社長夫人の手製のケーキが出ました。瞬間メキシコで経験した地獄の特大ケーキを思い出して、これも一番小さいサイズを一切れだけ頂きましたが、正解でしたよ!
この昼食会がなんと5時まで続きました。 ホテルに戻っても、もう腹一杯で、何も食べずに10時には寝てしまいました。 後日談ですが、オーストラリアでは一番安い接待料理がバーベキューだそうでビールもワインもちゃんとバーベキュー専用の廉価版が用意してあるそうです。 今日は5人でしたが肉は5−6キロを買ったとか、日本とはえらい違いようですね。4月25、26,27日は商談と事務所問題で弁護士、現地不動産やとの打ち合わせで終わってしまいました。

◆4月28日 昼食は公園で
今日でシドニーでの仕事は終わるので、今後の事もあって邦銀中心に市内の支店を訪問して挨拶回りをした。昼食はA君の提案で、屋台のハンバーガーを食べようとなりシドニー港のそばの公園でミルクバーと言われる屋台でハンバーガー(チーズと卵がしっかりと入っていた)とパック入り牛乳、これで600円、それを公園の中の芝生の上で足を投げ出してたべた。 本当にここのサイズは尋常ではない位でっかい!ハンバーガーもとても食べきれぬ、こまったと思ったら、人馴れたかもめがそばに来て、おねだりをするのでちぎって与えたらあっという間に消えてほっとした。 背広着てアッタシェケースもったビジネスマンが公園の芝生の上でハンバーガーの昼食をしている風景は日本だったらちょっと不審に思われるだろうが此処では全く無視。
どんな様子だったか画像を見てください


夜は流石に空腹を感じたのでA君と日本料理店に行きお寿司を久し振りに頂いた。味は別問題であります。 充分頂いて一人5500円でした。 今夜でシドニーともお別れであります・・・・・・が が・・・・・・??

◆4月29日 ストライキ!
六時起床 さあ今日は帰国日だ、荷物を詰めてさーチェックアウトだと用意したその瞬間電話が鳴った。 カンタス航空より、「ミスター、H ベリソーリー、今日ストライキで日本行き飛行機飛ばないあるよ。 明日の10時飛ぶね」との電話。 もうがっかりして気が抜けた。
ええい!今日は遊びだと思ったらA君から遣り残した商談をやりましょうと提案。半分ヤケクソで、商談できなかった取引先と連絡して急遽打ち合わせする事にしたが、この取引先が予想以上に難物で要求と場違いな苦情の連続で閉口した、昼食もパンをかじりながらの打ち合わせとなり、かなり際どいやり取りの連続だったがA君のお陰で何とか打開策を見つけることが出来てほっとした。最終日にこんな商談となるとは流石のA君も予想外だったらしく、今夜は何処かでパーアとやって憂さ晴らしをしましょうとの事でハイアットホテルのレストランで夕食、と言っても変わり映えせず 相変わらずワイン 生牡蠣 野菜サラダ 子羊の骨付き肉、その後なんとアイスクリームの天ぷら! シドニーで出されるとは魂消たね。 食事の間美人歌手二人組がテーブルを歩いて色々な歌を聞かせてくれた。 雰囲気は最高値段もこれで約7千円だからまーまーって所ですか。 10時にホテルに戻ってフロントで カンタスのストは終ったかと聞いたら、明日は大丈夫ですとの返事で二人とも安心して寝た次第。これで明日も又ストライキだなんて言ったら二度とここにはこないぞ!

◆4月30日 やっと帰国だ
夜中何度も目が覚めて熟睡できず、今朝は冷え込んで暖房を入れる。いよいよ秋が深まってきたんだ。 7時にホテルを出て空港に行く、搭乗券貰うまで安心出来なかったがこれでほっとした。シドニーを10時に離陸、窓から馴染みになった橋とオペラハウスともこれでお別れだ。画像でお分かりですか。


順調に飛行して羽田に19時着陸 通関終えてすぐ東京駅に行き20:30分の新幹線、半分居眠りしている内に22時30分名古屋着、 自宅に帰ったのは将に午前零時でありました。
A君のお陰で初めてのオーストラリア出張も無事終える事が出来て感謝、感謝でした。