【出戻り営業部編】 忍耐のバクダットにおける商談
(1977年(昭和52年)

平成23年10月1日掲載


■7月8日  24時間のフライト
春から継続していた商談の最終詰めをする為に、優秀なN君と同行してバグダットに行く事になった。名古屋駅を朝7時に出て10時過ぎ羽田着。羽田からバンコックまではJALに搭乗(この頃のJALは世界一の安全率と離着陸時間の正確性を評価されていて、我々も出来るだけJALを利用するようにしていた。) 
この頃のスチューワーデスは、素晴らしい美人ばかり! しっかりと目の保養が出来るのが隠れた本当の理由だったと白状します。バンコックからはイラク航空に乗り換え。日本時間で午前3時 現地時間では夕食時で、居眠りしていたら起こされて、夕食だと言う。食べたくないんだあ と言おうとしてふっとみたら なんと夕食は「菊水」の弁当箱に入ったお寿司 稲荷ずし かっぱ巻き 生姜付で とたんに目が覚めて頂きました。 まさかイラク航空で純日本食が出るとは!! 嬉しかったなあ。

真夜中インドのデリーで給油着陸、その間インド人の検疫役人が二人入ってきて、乗客がいるのに、いきなりスプレー缶より白い液体の噴霧開始、乗客から一斉に抗議の声が挙がったが、そ知らぬ顔で悠々と機内一周して散布して退陣された。後で聞いたら、有害昆虫の入国阻止だとか・・何を散布したか不明だが昆虫より人間の方がくたばるんじゃないか・・そんな事は関知せずの態度は御国柄でしょうかね。
デリーよりドバイ経由でバグダットに着陸したのは1時、羽田を出てから将に24時間のフライトだった。  現地時間で朝の7時。早朝のせいか通関検査も全く、いい加減だった。 こちらは大助かりでしたが。

■7月9日 忍耐、忍耐!
朝空港からタクシーでホテルへ。 昨年12月に来た時に修理中だった回教寺院が大分出来てきました(写真参照) 。


ホテルで朝食を済ませて休む間もなく、9時半から 相手先の事務所に行き受付で登録。その後から商談目的の大勢の人が次々と登録していた。 9時半登録、待合室でじっと呼ばれるのを待つだけ 10時半、11時半
何も無し、ただ待つだけ。 12時突然秘書が部屋から出てきて、我々とその後1組を指名して、後は「明日来い」の一言! さあ我々の番だと期待したら、声がかかったのがなんと午後2時、5時間近く忍耐、忍耐で待っていたことになる。此処で怒って帰ったら次は何時になるか不明なので商談をするには待つしかない。午後2時からやっと先方の責任者と商談を開始したが、話途中で秘書が来て、何か囁いたら、この責任者君、今日はこれで終わりだ、明日来いと言ってささっと退場。朝9時半から午後2時まで待って1時間足らずで、ハイ今日お仕舞 じゃ本当にひどいと思ったが、なんともならずホテルに戻った。7月のバグダットは暑いよりも「熱い」の感じだ 気温は40度が涼しいと言う感覚の相違には閉口した。

■7月10日 鶏の丸焼き
今日も「熱い」 持参した梅干がとても美味しく感じる。8時半事務所で又登録して待合室でじっと待つ。 今日は運よく十時に声がかかって、やっと具体的に商談開始。
だが もう内容は目茶目茶、 1000円を10円にせよ、嫌なら帰れ そんな状態だった。
忍耐、忍耐 で相手を説得、同行のN君の流暢な英語のお陰で、私の爆発しそうになった堪忍袋も切れずに済んだ、 12時何とかまとめたが、常識とかルールの通用する相手ではないので明日又来て,詰めをする事にした。

午後工場に行って、日本で研修したZ君とA君と再会したら、今日は我々が昼食に招待するとの事で喜んで近くの店に行った。Z君とA君と私の写真を見てください。


さて この店に行きましたら、そこにA。Z君の部下が3人居て合計7人での昼食会。スープが出た後、今日のメインの「鶏の丸焼き」が大皿に盛られてデ〜〜ンと出てきた。クビは無かったが両足は天に向かって突き出している。 私とN君の皿にはナイフが置いてあるだけ。 さてどうすれば?とZ君の顔見たら、主賓が先ず足を持って引き裂いて食べてくれないと我々は手が出せないと言う。 覚悟して素手で鶏の足を握って 力任せに引っ張ったらバリバリと取れた、ニコっと作り笑い(泣き笑い)してその足にかぶりついたら待っていた5人が一斉に鶏に向かって突進! あっという間にばらばら、N君は圧倒されて手が出ず、隣のA君から引き裂いた肉を分けて貰った。とにかく素手で掴んで食べるのだから手は脂でベトベト・・仕方なくポケットからハンケチ出してこっそりと拭いたが、彼らはその脂だらけの指を上手に舐めてお仕舞だった。 到底真似の出来る事じゃありません、 N君も私もほんの一切れだけで終わりにしましたが彼等は小さい骨まで丹念にしゃぶって綺麗にカラにしました。
後日談ですが、現地の彼等が外国人(我々の事)を招待するのは異例であり、また鶏一羽の値段は彼等にしては相当の出費になるとかを聞いて、嬉しい反面申し訳ない気持ちになりました。

■7月11日 停電、又停電 夜は泥棒騒ぎ
久し振りに朝シャワーを浴びた、バスタブの「水」からはぬるま湯、「湯」からはチンチンの熱湯で調整するのに一苦労。 今日は9時に事務所に行って登録、もう待つのは当たり前で馴れましたが、12時に秘書君が出てきて我々と次の組で今日は終わりで明日来いと宣言、待たされていた連中から一斉にブーイングだったが、秘書君は馬耳東風で澄ました顔。 午後2時やっと商談開始したら停電、その間責任者は雲隠れ、30分後やっと回復したら、何処からとも無く責任者君でてきて商談再会。ああでもない こうでもない 又一からやり直し説明しなおしの連続、途中で又もや停電。ムードぶち壊しの連続であったが 何とか続行して5時やっと目鼻がついたので契約書は明日調印と言う事で6時過ぎ熱風の中をホテルに戻った。
今日は疲れた、早めに夕食を済ませて持参のウイスキーを飲んで、酔った勢いでベッドに入って暫くしたら 突然ドアーを強烈なノックの音で目が覚めた。何事かとドアーをあけたら警備員らしき男とホテルの従業員数人が、泥棒が部屋に入って逃げたので今全部の部屋を調べていると言う、部屋に入ってきてベッドの下を覗いたり
洗面所までチェックしていったが居るわけがない。 廊下では現地語での大声の騒ぎが聞こえる。、とんだハプニングで、目が覚めてしまって朝までうとうとの連続で終わった。

■7月12日 俺は責任者じゃない
今朝はバスタブに湯をいれて、久し振りに体を洗った。今日は契約書を貰って之で商談も終わりだと思うと気分が楽になった。 N君と9時半に事務所に行く。またまた相変わらずの忍耐時間。 12時半やっと声がかかったので、部屋に入ったら、いきなり値引きの要求、昨日あれだけ説明して了解して今日は注文の契約書を貰う約束だと言っても全然聞く耳もたず、挙句の果てが、値引きしなければこの注文は無しだと言うではないか、流石にここまで来ると私の忍耐力も限界で爆発したね、 「N君帰ろう、こんな時間の無駄をする必要はない、帰ろう」と日本語で言って立ち上がったら、その気配で私が何を言ったか分かったのだろう、 急に「ちょっとまて、 契約書にはサインがいる。 俺は責任者じゃないから契約書は出せない」と言い出した。ええ?N君と思わず顔見合わせた。 カンカンになっている私の代わりにN君が「明日もう一度来る、その時に契約書もらえなかったら我々は帰国する。」と説明して2時にホテルに戻った。 色々な国の責任者と商談をしたが、これ程ルール無視のやり方をするのは、数年後アジアの某大国での経験をするまで最悪な国とおもった。

二人とももう気が抜けて何もする気無し。 夕食はN君が商談成立したら食べようと持参したカップラーメン(貴重品ですぞ)に お湯を入れて二人で部屋でたべた後ルームサービスで冷えたビールを貰って半分ヤケ飲み、9時には寝てしまった

■7月13日 やっと、やっと契約書!
10時に熱風の中を事務所に行く。受付の事務員とも顔なじみになって、記入は良いからすぐ待合室に行けと言ってくれた。今日は早いかなと思ったら、残念変わらず、声がかかったのは午後1時、例の「偽責任者?」が出てきて、もったいぶって契約書を呉れた。 心底ほっとしたね。 詳細は別にして今回の契約で約X億円以上の注文を取った事になる。 ホテルに戻って、N君とバーに行って、ビールで乾杯したが、この時のビールは腹に浸みわったねえ。  夕食は例のごとくカチカチのパンと水ぽいオムレツ(持参した醤油をかけて食べました)、そしてマタマタビール飲んで部屋に戻ってベッドにひっくり返った。ガーガーガーとうるさい音を立てるエアコンもこれで終わりだと思うと、そんなに気にならずに眠れた。 人間って勝手なもんです。14日は、この国の休日なので、N君と二人で洗濯デーをやった。後は飲んで食べて寝て一日終わり。
15日は工場に行ってZ君やA君と面談、言葉は多少難儀するが、あの偽責任者とは全く違って気持の良い会話が出来た。

■7月16日 テヘラン行き
朝4時起床 5時にタクシーで空港に行く。 6時の受付開始前に、現地人も大勢来て長蛇の列。やっと受け付け、搭乗券貰って待合室で待つ。 7時搭乗開始のアナウンスと同時に皆がワッと搭乗機に殺到した。 席の番号なんて形式だけ、そこは俺の席だと抗議しても、知らん顔、仕方なく他の席に座っていたが、我々が外人と見て、文句言ってくる人はいなかった、だが他では現地語の怒鳴りあいが続いて一騒動であったが 航空関係者はだれもそれを整理しようとしない。多分毎回の事で、その内に自然に収まるのを待つほうが得策と経験したんでしょうね。その通りになりました。
8時過ぎ離陸 9時にはテヘラン空港に着陸。 現地の取引先の方が迎えに来てくれて、空港から彼の車で一時間走って11時にテヘランのホテルに入った。 バグダッドは「熱かった」が湿度は低くカラっとしていたが、テヘランは暑い上に蒸し暑くて気分が悪くなる位だった。