【資材部編】資材部はええなあ!

平成21年7月4日


和37年当時、世の中はまだ「岩戸景気」に浮かれていて、需要購買は非常に活発で、時には需要に応じきれないほどの注文殺到が、多くの業種で見られた。そんな時に、世間一般の方々から、私が営業から「物を買う」部門に異動したと聞いて 異口同音に「羨ましいな」のせりふが聞かれた。色々聞いてみると、連中は物を買うと言う事は、まず業者を呼びつけて見積もり書を提出させ、それを値切って納入させる。見積もり価格よりいくら値切ったかその額が大きいほど優秀なバイヤーで ある。だから絶えず算盤片手に業者と腹の探りあい、業者のほうもそう簡単に値引き されてはたまらないし、と言って他の競争業者に負けると大変だから、バイヤーに対して接待攻撃で有利な情報を得ようとあの手この手で裏口から攻めてくる。だからバイヤーは 毎晩料亭で宴会・・・羨ましい限り! とこんな風に見られていたのです。
どっかの会社の資材部ではこんな事が日常的にあったんでしょうが、新米担当者にはそんな声は全くかかりませんでした。そりゃそうです、担当していた品目の殆どが市販品か単価の安いものばかりで、時に目新しい購買物件が出ても前例、類似品が参考となって 決定され、値段交渉なんて殆どなしの状態。  これで良かったと思います。 何もわかっちゃいない新米が、でたらめに価格交渉して、結果的に損益に重大な影響を与える事になったら大変でした。ところが、こんな新米がベテラン営業マンの良い「鴨」にされるという大事件が発生したのです。

◆部長から怒鳴られたけど
某月某日、突然部長室から課長と新米二人ちょっと来いとの怒声!課長と顔見合わせて「何かヘマやらかした?」おそるおそる部長室に入っていったらそこに取引先の社長と部長の二人が渋い顔して

「君等接待を受けるのもいい加減せい、度が過ぎるぞ」

といきなり雷が落ちてきた。
「はあ〜?」 課長は私の顔見るし 私は課長の顔見て心の中で「接待受けたんですか?」私達の不審顔を見て取引先の社長が言い憎くそうに「接待するなとは申しませんが、せめて月一、二回程度で御願いしたいんです。 毎週とか連日の接待では担当者が悲鳴上げています。」 益々分からなくなって、社長の顔見たら、「この若造め、部長の前でシラきりおって」と 領収書の束を出してきた。それを見ると料亭やバー、居酒屋等の領収書で接待 A課長様 新米様と我々二人の名前が時には一人時には連名で書かれていた!偶然にも、この頃業務日誌を付けていて、会議内容時間出席者を明記していた。すぐこの日誌を持ってきて、接待を受けたと言う日付けと照合したら、全くのでたらめで我々二人が接待を受けようにも物理的に不可能である事が判明。日頃おとなしい課長が怒り狂って 担当者を呼べと社長に要求、部長も我々がその担当者の飲み代稼ぎに利用された事がわかって一安心、先方の社長は面目丸潰れで早々に退散した。後日その担当者は即日懲戒免職になり、部長の所に謝罪に来られたそうだが、課長と新米二人は暫くは腹の虫がおさまらなかった。これを見ていた先輩同僚達もその後日誌をつける様になったそうだ。長い間資材部でお世話になったがこんな風に「飲み代稼ぎ」に利用されたのはこの時限りだったので今でも記憶に残っています。

◆麻雀大会
当時は何かと言うとすぐ麻雀をやろうとの声がかかり会社の近所にも麻雀屋が沢山ありました。資材部に入りましたら、部長がその道のベテランで、先輩諸氏もそうそうたる腕前の方ばかり、勿論取引先にもすごい方が居られました。
A課長さん、 某鉄鋼商事の課長さんでしたが、ある日その方と麻雀をする機会がありました。初めてのお手合わせで、一回りしましたら、「Hさん、貴方の手はこれこれでそれでは勝てません」と指摘された、全くその通りでびっくり仰天、「牌のきり方で貴方の癖がわかります」と種明かしされた。さらにA課長さんは 自分の前に並べた牌の順序を替える事なく持ってきた。そのまま、さらにつもって来た牌は指先で撫でただけで判断、それだけでなく結果は、満貫役満の連続で、ボロ勝ち・・こちらはもう唖然とするだけだった。そこで最後の種明かし牌をかき混ぜ自分の前に積み込むときに、何をどう積み込んだか記憶して、どの牌が誰の所に行ったかを記憶、さらに驚いたのは手の内に不用の牌を隠し持ってすり替える早業!いわゆる「いかさま麻雀」の仕事師である事を教えてくれた。 彼から見たら私とやる事はもう退屈そのものであったでしょう。 聞く所によるとA課長さんは、プロの麻雀仕事師のいる麻雀屋に行ってそのような人達とチョウチヨウハッシとやりあっているとお聞きした。本当にすごい人が居るもんです。

◆賭け麻雀
大体麻雀自体が一種の博打みたいなものですから、当然そこに何かを賭けて楽しむ風潮がありました。当時貴重品だった特級酒や輸入物の洋酒を賭けた事もありましたが金額の大小はあってもお金をかけるのが一般的でした。 部長はその役目がら取引先の上層部の方との麻雀会に出られる事が多くあり、私の様なペイスケには縁遠い話でしたが、ある時部長から今度はお前を連れて行くとの宣言、はてさてどなたとご一緒かなと部長のお尻にくっついって行ったら、入った事もない高級料亭、部屋に通されたらそこには日本のトップ企業の支店長と幹部様がお待ちであった!なんだか嫌な雰囲気だなと感じたがそこは生来のノーテンキ様様だから、出た料理も頂きさて「麻雀」開始、とたんに部長がレートは今迄通りで良いですねと宣言、更に部長は支店長に「今日は差額で握りましょう」との、こちらの理解できない会話があって、ポン。チーの開始・・・ノーテンキ様の強みは相手が支店長様であろうと幹部様であろうと怖いもの知らずでただひたすらに「ポン、チー」を繰り返して、なぜか珍しく2万点程私が勝ち部長も多少勝った様子で支店長がひどく一人負けだった。さタクシー呼んで帰りましょうと準備したら、支店長が「精算だ」と言ってお金を私に出した、その金額が何と2万円近い、「ええこれは?」といぶかったら、今日は一点一円のレートだからこれで良い筈と言われてそれこそ魂消た!!もっと驚いたのは部長が支店長から私の倍以上のお金を受け取った事だった、タクシーの中で差額握りって何ですかと聞いたら、私が1万点勝って相手が三万点負けたらその差額の4万点分支払うんだ、今日は支店長一人負けだからあの金額になったんだと説明されて、OOOOが縮みあがった、そんなレートとは露知らず「えへへへ」でやったお蔭で辛うじて勝ったがもし知っていたらどうなっただろう? 二万点負けたら二万円支払い、今月分の給料の殆どが吹っ飛んだ・・・後にも先にもこんなおっそろしい麻雀は初めて以後お相手をおおせつかっても、尻に帆を揚げて逃げました。 本当にこれこそ「盲蛇におじず」の諺通りでした。

◆資材管理士の勉強をすることに
見よう見まねで何とか毎日を過ごしていましたが、慣れるに従って資材部の仕事って一体何だろうとの疑問が出てきました。 先輩に色々購入の際のテクニック等を教えて頂きましたが、二年三年たつと、ノーテンキ様にも経験が積まれ失敗と言う苦い薬も度々飲んだお蔭でテクニック以前の基本的、本質的な理解不足が自分でも分かってきました。岩戸景気も下火になり、いい加減な経営では会社は成り立っていかない、経営全ての部門での近代化の要求が徐々に大きくなってきました。その頃になりますと 資材計画や購買:外注管理、在庫管理、原価分析等々色々な分野の専門書が発行されるようになり 丸善や三省堂等で購入して読んで見ると、もう驚く事ばかり、自分のやってきたのは全て経験中心の時代錯誤も甚だしいやり方であったのを痛感しました。 以前から「資材管理」と言う専門誌があり、随分と勉強させられましたが、その中で「資材管理士専門コース」言うのがありました、これは実務経験3年以上ないと申し込み資格無しでしたが 昭和42年にこれに申し込んで系統的に勉強する事にしました。