【資材部編】資材管理士専門コースの受講、そして合格

平成21年7月4日


◆資材管理の勉強
昭和42年(1967)の5月頃だったか、業界紙「資材管理」に、第3期関西地区専門コース開催の案内が出ていた。早速部長に御願いして受講料4万円も快く承認して頂きこれで 受講の申し込みが出来た。 8月末に専門コースの詳細案内が来てそれを見ると受講生は総勢13名で私以外は大阪と神戸の会社(住友機械 積水化学 三菱重工 三共・・)からであった。講習場所は大阪の野田駅前にある資材管理者協会関西支部のビルで、9月の18日よりほぼ四日置きに午後1時から5時までの講習があり、後半になると10時から5時迄びっしりと一日中缶詰状態の日もあった。この状態で11月28日まで三ヶ月間の講習だ。交通費を安くするため名古屋からは近鉄の回数券を買って、午前中会社で仕事やり昼に 飛び出して名古屋駅で弁当を買って車内で食べて出席、帰りは5時に終る事は殆どなく大抵は6時頃でそこから難波にすっ飛んで又近鉄、車内でパンか弁当食べて名古屋駅に10時頃地下鉄バス乗り継いで11時過ぎ帰宅するのが恒例となっていた。 会社の仕事の残りは行きがけの車内で整理し、受講時の復習と宿題の」チェックは帰りの車内で済ませて帰宅したらもう寝るだけの生活だった。この頃の私は資材部でもう6年の経験をつみ、担当業種も非常に多くなって、それだけに日常業務も煩雑となってきたが、そんな時に私一人が大阪まで午後抜けて空席になるのを許可してくれた部長と、留守中に色々バックアップしてくれた同僚には心から感謝です。

◆専門コースの講師陣
資材関係者ならだれでもその名前を目にする小野寛徳氏(産業能率大学学長であり資材管理者協会会長)をはじめ大阪大学教授の横山氏、甲南大学教授の岸本氏 朝日新聞論説委員の佐藤氏等錚々たるメンバーが名をつらね、さらに、三菱重工 松下電器 東洋レーヨン小松製作所 川崎航空機等のトップ企業の資材部長クラスも講師としておられた。従って時には日本経済からみた今後の企業のあり方と言った非常に理論的な講義から現実に即したコストダウンの考え方や外注購買、在庫管理と言った必須項目の講義、さらに決算報告書の分析から見た企業の将来性等々本当に幅広い内容で、私にとっては実に有益な講習であった。その後数多くのセミナーや講習会に出席したがこの専門コースから得た感動と知識に匹敵するものは無かった。裏を返せば、それだけ私が何も知らずに来て、ここで全く新しい切り口で資材部のあり方を教えてもらった・・乾いた砂に水が浸み込む様に飲み込んでいった感じだった。この時に得た内容は私が資材部在籍中に非常に役に立ったが、その後他部門に移動した時にもこの時に教えていただいた内容がどれ程役に立ったか数え切れないほどでした。
後日談だが、講習が終わった後ちょっとした命題を与えられてその回答を提出する事が三、四回程あった。 近鉄の車内で原稿を作り会社の業務が終わって帰宅してから自宅で作成して返送はいつも期限ぎりぎり、それでも一度もサボる事なく提出したが、これが専門コースの試験?の代わりとして講師方が評価して事務局に連絡していたそうだ。11月28日の最終日に事務局から資材管理士として合格された方には後日証書をお送りしますと言われてドッキとした。

◆資材管理士合格!
11月末に講習は全て終了した。資格取得が出来たかどうか? 会社の仕事を半分にして先輩同僚に迷惑かけて、それで不合格だったらどうしようと内心心配していたら、12月初めに資格の証書が届いた。 安心して部長や皆さんにお礼の報告をした事を覚えている。ただ、その時に会社として外部講習で資格を取る事は認めていないので、資材管理士の称号を名詞に印刷は不許可と言われて少少がっかりした事とひょっとして給料にが少し位上がるかとの淡い期待も吹っ飛んだ、やっぱりノーテンキはまだ直っていなかった。

◆中部地区第一号?
後日資材管理者協会の事務長のAさんにお会いしたときに聞いた話だが、中部地区からの受講者は、Hさん、貴方が第一号でこの証書も
中部地区第一号です、中部地区の大手企業さんは何故か資材管理に対しては無関心の所が多く、中部地区第一号のHさんの今後の活躍に 期待していますとの言葉をいただいた。



更に彼から講師の皆さんより「受講者の中に変わった人がいる、いつも最前列に座って質問ありますかと言うと真っ先に手を上げて聞いてくる、しかもどうして何故と畳み掛けて聞いて来る人がいた。」と。事務長は講義の間中必ず同席して講師の話や受講者の態度を見ていたので、「ああそれは名古屋から来ているHさんです」と説明したら、講師の方々から提出されたレポートの審査をしたら毎回とても優秀なレポートを提出された人がいて、その人の名前がHさんで、これで顔と名前が一致しましたとの話がありましたと伝えてくれた。たとえお世辞半分にしても嬉しかった。確かに最前列に陣取って講義を聴いたがその理由の最たるものは「居眠り防止」であった。1時過ぎと言う時間は経験者はおわかりになると思うが、一番眠たくなる時間です。これを防ぐには一番前にすわるしかない、・・・まさか講師の目の前で居眠りも出来ませんものね・・その次の理由は、講師の実戦に即した講義内容と自分の経験してきた事例と比較すると、如何に自分の資材管理に対する認識の甘さがあったかと痛感と同時に、自分の分からない事を毎回質問して教えて頂いた・・この点でも居眠りするどころじゃ無かったのが実態です。

◆さっそく、(笑)新旧の衝突
大阪での三ヶ月の講習で、資材管理の奥行きの広さと企業経営に占める重要性について 自分なりに理解したつもりで、会社に戻り日常業務に復帰してみると、現実の業務内容と自分の考えていた資材管理像との乖離の差の大きい事に驚いた。何処から手をつけて良いか? もう少し私が思慮深く慎重であったらと後日反省する事ばかりだったが、その時は改善とか改革とかの言葉に酔って、がむしゃらに事を進めたら途端に方々から、苦情。非難の嵐が殺到してきた。
例えば当時の取引先の内容について、その会社の組織や沿革経営内容等に関する資料は殆ど無きに等しかった。 先代の社長から既に二十年以上の 取引年数で、先輩諸兄の頭の中にはその会社の内容は全て経験値として記憶されており 知らないのは私位のもの、だから今更何を取引先の調査をするのかと一蹴されたし、又 取引先の方から「何を目的に今頃調べるのか?」と不審がられて白い目で見られた。火がついたのは私が取引先の「決算報告書」を見せて欲しいと御願いしたら今迄の長い取引でそんな要求したのはあんだだけだ!と非難されて無視された。昭和40年代にはまだまだこんな状態でありました。