【資材部編】資材管理の講師デビュー!

平成21年7月4日


◆資材管理の講師をすることに!
 昭和42年末に、資材管理士の資格を取得してその内容を現実のものとするべく少しずつ具体化の手を打って来たが、従来からの習慣や壁さらにアンタッチャブルとされている聖域もあり、成果は遅々として進まなかった。資材管理士の講習会に出席されたほかの方々はどのように学んだ事を実現されておられるかと事務局長に連絡して具体例や参考例を色々教えて頂いていたら、事務局長から3月に大阪で外注に関するセミナーを開催しますのでその
講師として講義をしてくださいとの勧誘があった。

 講義は二日間で持ち時間3時間で与えられた講義項目の講習をする事と概要が説明された。 当時学んだ事と現実との乖離に悩んでいた時で、この機会を利用して理論と現実とのギャップを自分なりに解釈して講義の形で出席者にぶっつけて反応を見てみようと、身の程知らずもええ所、これこそ「怖いもの知らず」の見本で引き受けた。大阪の北区にある電子会館の講義室で、どの様に講義したか又反応はどうだったかの記憶は薄れてしまったが、立ち会った事務局長から「とても面白かった、次のセミナーも是非御願いしたい」との手紙が残っているので、何とかこなしただろうと安心。この初めての講義のセミナー案内と私の原稿が印刷されたテキストが残っていましたのでその画像を最後にお見せします。その後昭和45年から、大阪で資材管理士基礎コースの講義や専門コースの講義も昭和47年まで年2回の割合で行ってきた。

◆全国資材管理研究会
昭和43年から約5年間大阪で講義をしていたら昭和48年2月に東京で「全国資材管理研究会」を開催するのでそこで講義をするようにとの依頼があった。この時の主催者は協会会長の野田信夫氏で講師陣も東芝、三井、旭硝子、の超ベテランクラスの方々や大阪大学の教授も講師として参加される素晴らしい内容であった。これを知っただけでも、実力無しと辞退するのが普通でしょうが、ノーテンキ講師は、こんな名誉な事はないと受けた次第。大阪での講習も今後の講習もそうですが、毎日会社で実務をこなし時には休日出勤もする事もあって、講習の原稿作りをする時間がありませんでした。テーマは大体二ヶ月位前に指示されますので、その日から毎日4時起床で6時まで二時間を原稿作りとして6時に朝食をとり7時に自宅を出て会社8時出勤、帰宅時間は全く予測つかずの日々が続きました。今から思っても、良くやったなあと自分で感心しています。この時の受講者は三菱、日立、住友、小糸IBM,東京電力、キリンビール、サントリー、キャノン等々のトップクラスの資材部関係者ばかりで、そんな方々を前に私が講義をしたんですから、頭脳よりも心臓の方が相当強かったんでしょう。ノーテンキ様の特徴としては、始まる前までは戦々恐々ガクガクな癖に、さて始まるといわゆる「クソ度胸」で居直ってしまうんでしょうね。 御陰様でなんとかこなしたようです。

◆最後の講義
この全国大会を期に今迄大阪だけで講義していたのが、今度は東京でも講義する様に依頼されて以後昭和50年の6月まで東京7割大阪3割で基礎コースやセミナーの講師として日常勤務の合間に行ったり来たりしていて、次第に資材管理の業界トップの方々と親しくなり新しい観点から「資材管理」の本の共著者として本を書きませんかとの話が持ち上がり、今までの講義で書いた原稿を推敲すれば何とかなるとかなり具体的な所まで進み、これでノーテンキ様にも「印税」が入って左団扇じゃあとほくそ笑んだら、世の中そうはうまく行きませんでした。 会社方針として、海外販売計画倍増?とかなんとかで輸出営業部強化の方針が打ち出されて、またまた否応無しに14年ぶりに元の古巣に戻る事になってしまいました。 それが昭和50年の6月21日付けでした。 その2.3ヶ月前に東京での講義が決定されておりこれはキャンセルすると多くの方に迷惑をかける事になるので営業部長にお断りをして6月17日東京で最後の講義をしてこれで資材部とはお別れとなった、残念ながら念願の「印税」もはかなく消え去ったのであります。

<参考>
日本資材管理協会