【資材部編】棚卸の宴会

平成21年7月4日


◆棚卸の宴会
昭和48年頃からか、本社より南にある瑞穂工場内の資材倉庫の在庫管理も担当する事になった。この棚卸ってのがまた厄介千万で、年二回の大棚卸とその中間の棚卸とで、年4回も在庫のチェックをする事になっていた。 現代のようにすべてコンピューターの秒単位で処理する時代ではなく、すべて手作業での棚卸であったから、その時間の掛かる事! 何万点もある資材倉庫の物品全ての現在庫数と台帳とが一致しなければならない・・・日常業務をきちんとやってれば、何時棚卸をしても数量は一致する筈・・・なんだが、それが不思議と一致しない。だから棚卸の時期になると皆なうんざりした顔になる。 以前は現場と事務担当とは一線が引かれており、事務担当は棚卸台帳の整備だけで現場に入る事はなかった。 さらに在庫品の種類別に担当が決まっており、担当分野が台帳と一致していたら、もうそれで終了。 他の担当者が不一致で悪戦苦闘していても、我関せずの風潮が蔓延していた。だから同じ部門でも定時退社する者もおれば、深夜までその不一致の原因究明に残っている者もいた。初めてその棚卸の現状を目の前にした時、やり方をどうのこうのと批判する前に現場担当者の「うんざりした不公平感」を無くすのが先と直感した。そこですぐ作業服に着替えて、事務担当者も現場に入り、棚卸の作業を手伝う事にし、さらに担当部門が終了したら、まだ終わっていない部門の棚卸を手伝う事にして、資材倉庫の全物品が一致するまで全員帰宅する事は駄目と指示した。このときに今迄苦労した部門の担当者に聞くと、腹へっても何もなし、お茶も自分達で沸かして現場の隅で飲んでいたらしい。それじゃ立ち会う私もかなわないので、棚卸作業開始直前に、女子事務員に頼んで、パンやジュースを全員分買ってきてもらい、私も入ってまずそれを食べてから作業開始。さらに女子事務員に頭下げて9時近く迄居残ってもらって、棚卸作業全員終了後休憩室で夕食を食べられるように調理を御願いした。
勿論会社の中でこんな事をするのは違法である事は承知の上だが、一度これをやったら全員が大喜びしてくれた。二回目からは他の部門にわからぬ様にする要領もわかってきて、夕食も熱いうどんに玉子やてんぷらが入るようになり、内緒だが一升瓶からのお神酒も出す様になった。この効果は、まず棚卸作業を通して現場と事務との壁が無くなり、共同作業の気持ちが強く芽生えてきた事、さらに最大の効果は、車座になって油に汚れた作業服の皆から問題点はここだな、とか不一致の原因はこれではないか、次回から直そうとの改善案が次々と出てきた事だった。これは本当に有難かった。理論では、こうすれば良いとわかっていても、実際現場に来て見ると、そこには理論では解明出来ない独特の問題が横たわっており、その解決案が直接の担当者から現実に即して出されるのだから、こんな有難い事は無かった。 二回、三回と繰り返すにつれて、不一致の件数も激減して作業時間も早く終わるようになったが、この棚卸のあとの「宴」は皆なの楽しみの行事となった。

◆時効の話
瑞穂工場の中には色々の部門があり、夫々の部門が退社すると、守衛さんが工場の隅々までチェックに来て異常がないか定期的に巡回する事になっていた。当然我々の作業現場にも巡回に来るが、作業している時には問題ないが、皆が集まって、いい匂いのするうどんを食べている現場を発見されたら・・・の事もあって、棚卸の日には事前に守衛さん(複数)に予め連絡して、終了時には熱いうどんを守衛室に内緒で届けて、目こぼしをして貰った。当時の守衛さんは皆な苦労してこられた方ばかりなので、「けしからん、規則違反だ」なんていきまく方は一人もいなかったし、逆に巡回の時に「今夜の夜食は美味しかったよ」と声をかけてくれる程であった。

退職後も当時の現場担当者と定期的に会合があるが、必ずと言って良いほど「棚卸の時のうどんの美味しかった事」が話題になった。規則を守る事は大事だが、ちょっとだけのはずれを大目に見てくれた古い時代の人情の機微がなつかしいものです