声の慰問袋
平成21年5月29日


 ブリン工場には現地の作業員指導のためにこちらから優秀な作業員が選抜されて単身赴任していた。彼等やまたその家族の消息を知るのは航空便で送る手紙が当時としては唯一の手段だったが、片道10日以上かかり返信が来るまでに又10日 以上かかって家族の方々は本当に苦労されておられた。何とか現地で頑張っている 作業者を激励する方法は無いかと思案していた時ふっとテープに家族の声を吹き込んでそれをダブリンに送ったらどうかの案が浮かび、家族の方に打診したら即賛成して頂いた。
 
 当時の録音機は直径30センチのテープを巻いたリールへマイクロホンから吹き込む仕組みで、この録音機も当時は高価で個人所有なんて物は無かったので会社の備品を使用する事で機材のほうは解決したが問題は家族の吹き込みだった。ほとんどの家族が声の録音した経験が無い事、家族とはいえ皆なの前でしゃべる事の ためらいもあり将にアイディア賛成、実行困難の状態だったが、録音機を家族の家に 持ち込んで、私が皆なの前でマイクを持って馬鹿話をして録音し、すぐテープを巻き戻して実際にこんな風になるんですと実演を一軒一軒の家族の前で繰り返してやっと納得されそれじゃあとご両親から兄弟姉妹 妻子供と順に声の慰問袋の作成開始。殆どの家庭で第一声は「元気ですかあ」で始まるんだが、現地で頑張っている夫や息子の顔を思い出して次の言葉が出てこない・・・あ〜〜、ええ〜〜っと・・・気が付いたらテープは廻りっぱなしなんて事は最初は毎回の事で最初からやり直しなんて事は日常茶飯事、だから最初は一軒の家族全員の吹き込み完了するまで3回も4回も自宅訪問する事があったがそれをダブリンに送ったら予想以上に喜ばれて、現地の作業員で俺の家の声を聞いてくれと盥回しで皆な楽しんだそうだ。

 後日帰国した彼等に再会した時、この声の慰問袋は実に嬉しかったと言われて、苦労したがやって良かったと喜んだ覚えがある。現在のようにどんな遠隔地僻地にいても殆ど即座に家族の消息を知る環境からは到底想像も出来ないでしょうね。