秋の夜長に II
Who is the one of the two?
 

秋の夜は長い。

永遠に続きそうなその漆黒の夜の中,立て続けにふかしてもう何本目かもわからないタバコの吸殻を,コウジは灰皿にもみつぶした。
その癇症な行動が,さっきまで自分の前にいて,ひとりでしゃべってひとりで怒って帰っていった人間のそれをトレースしているのをふと,自覚した。

やはりおれには,マサヤという人間がわからないのかもしれない。
もちろんほかの人間の事を完全に理解するなんてことが不可能であるっていうのは十分承知している。
「あなたのことならなんでもわかるのよ」なんていう人間を,おれは信用できない。

ただ,驚くべき行動をされたところで,ゆっくり落ち着いて考えて,その人間がそういう行動をするにいたった道筋を追い,その過程について納得はできないものの認識することはある程度可能であると思う。
そういう考えをめぐらすことを「相手を思いやる」というのだと,そう思っていた。
それなのにおれの今のその思考は,思いやりとは正反対のところに帰着しつつある。

マサヤという人間が嫌いではない。
おれとはまったく違う人懐こさ,調子のよさ,そしてどこか根っこでは多分ものすごく正直なんであろう,あまりにストレートな感情のぶつけ方。
最初は単純に自制の効かないやつだとしか思えなかったし,そういう人間は付き合うのもごめんだと思ってはいたのだが,おれみたいな個人主義の人間にめげずに付き合ってくるあの根性のよさと,時折見せる子供っぽいほどの感情の吐露がものめずらしくて,だんだん彼が近くにいるのが自然に受け入れられるようになった。
これを,彼を好んでいるというのかあるいは彼をなんとか許容しているというのかはおれ自身にもわからない。

いるのならいればいい。彼の気の向いたときにおれのところにくれば,おれは自分のペースを乱されない程度にお付き合いすればいい。
そう思っていた。

加奈子のことがあるまでは。

加奈子とは幼馴染で,幾度となくけんかを繰り返してきた。
どうしても,彼女とはおれはうまくやることができなかった。
だから,間違いなく惹かれていたのに,お互いを特別な人間と認めることができなかった。
それなのに離れても離れきれず,おさな友達を装って付き合い続けてきたのだけれど,去年の秋,彼女が「彼ができたの」という言葉でそんな距離がとれなくなった。
今までだって幾度となく好きな人ができたとか,彼氏ゲットしたとか,そんな話は聞いてきたのに,おれはなんの引っかかりもなく笑ってよかったなと答えていた。
それが今回は違った。
加奈子の言い方も違ったのだろうが,なぜかおれははじめて,加奈子の心が誰かの方に向いてしまうことに焦りを感じた。
おれは,自分が驚くほどに落ち込んだ。

落ち込んでいる自分のザマに落ち込んで,悪循環に陥っているおれに,土足でどかどかと踏み込んでくるようなやり方で接してきたのがマサヤだった。
そうでもしなければおれが浮上しないとわかっていてやってくれたのか,そうでもないのかは,やはりおれにはわからない。

きつい大阪弁で発破をかけられ,そんなに加奈子が好きなら正直にいっちまえと執拗に迫られ,結局その反動でおれは違う方向に答えを出した。

「よりそっても痛い相手なら,距離を置いて静かに見ていればよい」

おれはこう開き直った。加奈子の思う相手が誰であろうと,そして彼女の中でのおれの位置がどうであろうと,おれはおれの気が済むまで彼女を思っている。静かに,彼女にも知られないように。
実際には彼女に知られずにというところは貫徹できない部分があった。
だがそれのおかげで,おれは彼女と離れずに済む一点を維持することができるようになった。
たぶん,それも棄てるべきだったのだろう。
棄てられなかったのは,彼女の中に,まだおれの居場所を見たような気がして,そしてそれを絶対に失いたくなかったせいなのだけど。
おれは,ほんの少し,おれの居場所が彼女の中にあればそれだけでよかったんだ。いや,今でもそう思っている。

加奈子が付き合っている人間がわかった今となっても,それは変わらない。

その人間は,夜の若いうちというのにほぼへべれけに酔っ払って押しかけてきて,すべてを話して一人で怒って勝手に飛び出して行った。

彼の言ったことを要約すると,
「加奈子ちゃんとつきおうてるのはおれや。
おまえがなやんどるのをみててそれをだまってたのもおれや。
いつまでもだまっとれんからそれ言いに来たけど,ゆうとくが,加奈子ちゃんは絶対にわたせへんからな,ええな。」
ていうようなところだろうか。

本当のところ,何を宣言しに来たのかよくわからない。
おれにとって,加奈子と付き合っているのが誰かなんてことは問題ではない。
マサヤはおれがぼろぼろに落ち込んでいるのを見ている間,さぞや心苦しかったのだろう。
だから言えなかったのだろう。
ならば今言う必要もないのではないか。
なぜおれが開き直って,そしてあのわずかなひとつの接点だけをよすがに自分のバランスを取れるようになった今,あんなふうに喧嘩売りに来たとしか言いようのない言い方でおれに伝えねばならないのだろうか。
こうしておれは,マサヤの思考を追っていこうとする。

おれは,マサヤほとまっすぐじゃない。
だから,おれの思考はこんな風に展開し,思いやりと違う極にむかってすすんで行く。
人と人との接点は,ほかの人には,見えない。
三人を二人と一人に分けるとき,自分が二人のうちの一人なのか,たった一人なのか,それは自分で判断するしかない。
おれは自分が一人で,マサヤと加奈子が二人であることがわかっている。
だが,マサヤにはそれを信じる自信がないのだとしたら。
その自信が生まれない根拠が彼ら二人の間にあるのだとしたら。

おれの思考の帰着点は間違いなくあざといものになる。
加奈子の中でのおれの居場所はおれの思うより広いのかも知れない,と。

 

さっきマサヤが加奈子と自分のことを早口の大阪弁でまくし立てているとき,つけっぱなしだったテレビから9時の時報が流れた。
今日は木曜日。木曜日の夜9時。

いつも机の上におきっぱなしの携帯をおれはさりげなくポケットに入れていた。
そして時報の少し後,加奈子について熱く語るマサヤのその前に座るおれの胸で,携帯が震える。
いつものとおりきっかり三回震えて,そして電話は静かになる。

二人と一人が,三人になる。

電気もつけない闇の中で,おれはようやく携帯をポケットから出した。
9時1分,着信ありと言う表示から,着信履歴をあける。

9時1分  加奈子

開き直ったと自分に言い聞かせていたころのある夜に,どうしても話したくて電話をかけたものの,やはり何を言ったらいいのかわからずにコールだけして切ってしまったおれの電話に,加奈子も同じようにコールだけしてきた(実際には着信表示を見ておれがすくんでいる間に,きっかり三回コールしてきれてしまった),そのやり取りから始まったこの接点。
木曜の9時に加奈子から,金曜の8時におれから,お互いの携帯に電話を入れる。
三回鳴らして,切るだけの電話。

話すことはない。話しても何も変わらない。おそらくは,すべてが悪くなる。

だから,ただ,おれは居る,そしておれはおまえを忘れていない,というそのための三回のコール。
そして,おれには何を伝えているのかわかるすべもない,彼女からの三回のコール。
取れない電話,繋げない,会話。

マサヤは加奈子におれのところに行くって言ったのだろうか。
おれに,二人と一人の配分を思い知らせると言ってきたのだろうか。
加奈子は,おれがマサヤの顔を見ながら小さな秘密を受け取ることをわかっていたのだろうか。
おれが,どんな表情を浮かべると思っていたのだろうか。

 

答えの得られないたくさんの質問を自答しながら,それでもどこかに最低の自己満足の破片をちくちくと感じるおれを包んで,

夜は,まだ,続く。

 

 

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