過ぎ行く夢

時計の針が7時をまわった。
人影が消えた浜辺にもうどのくらい居たのだろう。
海の上に浮かんだ月はまだ満月には若くて不恰好な形のまま,遠慮も無い光を投げてくる。
邪魔な光に目を海に落とした。

明るいのは邪魔だ。
邪魔?何の?自分は何のためにここに来た?

失恋したから。愛を投げ棄てたから。
誰も居ない海に向かってふとつぶやくと,照れくさいような感覚がした。
苦笑いするのと裏腹に,涙があふれてくる。
不恰好な月の輪郭がぼやけて見える。

目を細めれば遠い街の明かりが見える。
そこにあのひとが居るようで,ひと恋しくてたまらなくなる。
流れる車の灯かりのどれかにあのひとが居るようで,ポケットの中で握り締め続けていた携帯電話を握りつぶしてしまいたくなる。
今すぐに車を停めて。車を停めて,振り向いてよ。

電話は鳴らない。鳴るはずも,ない。

ただ好きだというだけじゃ,恋愛は持続しない。
ましてや自分がかわいい同士じゃ相手を想う気持ちはあっというまに底をつく。
思うほどに想えない。欲しいほどには想われない。寄り添っても肩が寒い。
終わる恋の予感はそこここにあった。

遠くなった波うちぎわでうねる波音は妖しくあえぐ。
見つめればときたま砕ける白いしぶきがそこここに見える。
その白さを探して視線は動いているはずなのに,なぜさっきから笑顔だけが目に浮かぶのだろう。
冷たくしかめられたまゆや涙で潤んだ瞳ではなく,
少し長めの柔らかな前髪の下から,ためらうように笑ってみせるあの笑顔だけが。
あえいでいるのは自分。
二度と触れられない髪の感触に息が止まりそうで。
あのひとの何もかもを忘れることがどうにもできなくて切なくて。

あふれ出してくる思い出の行き場がなくてここに来た。
止まらない涙は暗い海が隠してくれる。
息を殺してここにこうしてていれば,ひとりも良いような,そんな気分にもなる。

波が寄せる。
想いは夢に変換できるだろうか。
波が散る。
想いは痛くないほどに和らげられるだろうか。
波があえぐ。
想いは跡形もなく消してしまえるだろうか。

 

不恰好な月はいつの間にかめぐって視野から去っていた。
海を映してさらに暗い空にちりばめられた星の中,すっとひとつが尾を引いて消えていく。
またひとつ,邪魔をするものが思い出から消えていく。
求めて得られずに歯噛みした恨みがどこかに消えて去る。
想われたりずに流した涙もどこかに消えて去る。

終わってしまえばなんでも愛の破片になる。思い出すのは優しさだけ。
涙が泣き笑いに変わっていく。

流れて消える星を数えているうちに,深い夜を消して若い朝がやってくる。
夜明けのほのじろい光に追われて遠い街の灯が見えなくなる。
もう涙はあふれない。
醒めた自分も,浜辺から立ち上がる。
胸の中に感じなれないぬくもりがある。ひとつの夜を越える間に自分が作り上げしまった見せ掛けだけのぬくもりが。

朝になったあの街に戻ることにしよう。そこしか戻るところはないのだから。
自分の中のなにか大切だったはずのものを流れる星に乗せて夜の中に置き去りにしたことは忘れてしまうことにして。
そして振り向くこともできずに前に進んでいくのだろう。
背後の足跡にどれほど光り輝く星の破片が散りばめられているのだとしても。
夜と昼はきっとまた繰り返され,つれて心の輝きは少しずつだけど確実に失われていくのだろう。

終わってしまったものをすべて優しい幻惑に変えて。

 

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