夢はいまも、夢のままで

 

便宜上一人称を用いたけど、わたしの実話というわけではない。

登場人物は二人。わたしと、やつ。そして話に出てくる彼と、彼女。

わたしとやつと、彼は、大学の頃同じ研究室だった。研究室には30人ほど人がいたが、同学年は三人だけ。

とりあえずめちゃくちゃ仲がよかった。誰かの実験が徹夜になるとなれば、あとの二人も、決して手伝いにはならないんだけど、ていうか、人が実験してる後ろで酒かっくらって駄弁ってるだけなんだけど、応援と称して夜中一緒にいた。

いろいろな話もした。もう思い出せないようなつまらない馬鹿話から、まじめな実験の話、そして、それぞれに付き合っている相手のことなど。

暗黙のルールがあった。誰かが聞いて欲しくて言い出すことはとことん聞く。でも、話さないエリアには絶対に踏み込まない。悩んでいるとわかっていても、知らない振りをしていた。

自分以外の二人の間で、何か話があっても、自分に言わないのならば自分が知るべきことではない、とそう納得し、当事者にも、もう一人にも尋ねることはしなかった。

はじきになってるとか、仲間はずれにしているとか、そういう意識をもったことは、わたしは一度もなかった。

そんな人間関係が、なかなか得られないものだなんて、毛頭思いもしていなかった。

 

話は、ニ三ヶ月前のことである。

やつとわたしはたまたまある会議で一緒になり、会議が引けてから、何人かで軽く飲んだ。

ほかのメンバーは学年が違ったのでなんとなく三々五々となり、やつはわたしが飲んだあとは必ずコーヒーを飲みたがるのを覚えていたらしく、ちょっとお茶して行こうか、と言い出し、二人で手近のコーヒーショップにはいった。

二人で話すとなれば、話はやはり彼のことになる。彼は、九州に勤めていて、専門分野も変わっているため、二人ともなかなか接点がない。元気かね、という話になった。

もともと彼は、東北の人間である。なぜ今九州かというと、東京で知り合って、九州に帰っていた彼女を追ってゆき、九州にそのまま勤めてしまったのである。あやうく、学校を卒業し損ねるところだったのである。

このラブロマンスに話がいった。

わたし「仲良くやってるかね。もう子供もおっきいんだよね」

やつ「そうだな、おれらのなかじゃ一番早く結婚したもんな」

わたし「でもびっくりしたよね。彼が、あんな突然試験けっぽって九州に彼女に会いにいっちゃうなんてさ」

やつがちょっと笑って、わたしを見た。

やつ「そうか。おまえまだ知らないんだよな。もういいかな」

わたしはわからなくて黙っていた。

やつはゆっくりと話し出した。

九州の彼女は、彼よりも五つほど年上で、くだんのラブロマンス事件の二年程前に九州に帰っている。その際、彼に告白したそうだ。

彼は、その頃好きな人がいたので、素直にそれをいい、わかれたんだそうだ。

そのときに彼女が、彼が幸せならいい、ただ、どうしようもつらくなったら、連絡しなさい。そのときはわたしが絶対にあなたを楽にしてあげるから。そのときもわたしはあなたを好きだから、といったそうなんである。

そして二年も経ってから、彼は連絡もせずに、試験けっぽって九州に行った。そして彼女のうちの前で、彼女が出てくるまでじっと待ってたそうだ。

で、やっと会えた彼女に、まだ、いいか、ときいたそうだ。

彼女はただ、泣き出したそうである。

 

やつは、全部知っていた。どころか、九州に行くよう進めたのはやつだったらしい。まさか連絡もせずに、試験無視してまでいくとは思わなかったそうだが、でも結果的にはよかったんだろうな、とやつはつぶやいた。

わたしは、何も知らなかった。

知らなかったのはそれだけではなかった。

 

「彼ね、おまえのこと、好きだったんだよ」

 

ああそういや。部活で知り合った先輩とうまくいかなくなって、隣の部屋の先輩にのりかえたの、確かあの春だったな・・・。

「だって、そんなぜんぜん?」

隣の部屋の先輩が好きだとか、先輩がこうしてくれて、ひょっとしたらうまくいっちゃうかもとか、えへへ、うまくいっちゃったの、とかわたしはすべて話していたのである。

彼は笑って聞いてたし、やつとふたりして後押しまでしてくれてたじゃないか。あのひとはいいひとだから、乗り換えちゃえ、って言ってたのは、彼じゃなかったか?

「おまえが先輩と付き合いだしてから、あいつ変だったのは知ってたろ」

どうした、元気ないじゃん、て彼にきいたのは覚えている。彼はそんなことないと答え、とりあえずやつにも聞いたが、やつもそんなことないだろう、といったので、わたしはそれ以上聞かなかった。

聞くべきじゃないと思ってたから。

「・・・聞けばよかったね。なんも知らなくて、わたし」

やつは大きく笑った。

「聞いて?なんかよくなったか?今、みんなそれなりなんだから、いいじゃんよ」

やつはこともなげに言った。

たぶん、そうなんだろう。

 

自分の気持ちを黙りつづけた彼。その彼とわたしの間で三人のバランスをとっていたやつ。彼を待ちつづけ、癒した彼女。

そして、何も知ろうとしなかったわたし。

 

遅くなっちゃった、奥さんにおこられちゃう、と小走りに去っていく彼と別れ、自分も自宅に待つひとに電話を入れながら、あの頃の自分たちを想ってみる。

深かったのか、それともただたんに不器用だったのかわからないけど、かたちにならないやさしさがちりばめられていたような、あの頃。

記憶の中では変わらない三人。気を使うそぶりもみせずに、ただ相手の思うままにしてやろうと思っていたあの頃。

そんな風に思うのも、遠のいたせいで記憶から角が取れ、まるで夢のようなふんわりとしたものになってしまっているせいだろう、ある意味幻惑なんだ、とそれはよくわかっている。

わかっているから、苦笑いが抑えられない。

 

それでもやっぱり、

夢はいまも、夢のまま、なのである。

 

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