秋の夜長に
The long night with you, two

 

秋の夜は長い。

俺はこのままコウジのところで飲むつもりでやってきた。もちろんヤツにも言ったことだが,あさって提出しなきゃいけないレポートが真っ白で,幸運にも同じゼミを取っている用意周到なコウジの,きれいに出来上がってるであろうレポートを読ませてもらい,それにインフルエンスされ(まねをするつもりじゃない),ヤル気を起こす,というのが大義名分ではある。
正直に言えば,もうひとつ重要な目的があったのだが,この部屋に来て一時間もたたない今すでに,あれだけ決意してきたことをする気力が失せている。

コウジは電話に出ている。電話の相手が彼女だということはすぐに知れた。今晩会う約束があったのを,ヤツはあっさりキャンセルしている。
俺がいるせいではない。ここ数日,コウジはまったくやる気を見せない。大学にだって一日おきにしか来ない。
そして,俺は理由を知っている。
コウジ自身の口から,聞いてもいる。

なにやらきつい口調で会話を締めると,コウジは電話を切った。軽くため息をつく彼に,俺は容赦なく突っ込みを入れる。
「なにやってんねん,おまえ,このレポートめちゃくちゃやんか?論旨もよおわからんけど,誤字だらけやで?。「幹事長」も漢字ちゃう,幹は新幹線の幹や,ダクトの管やないわ。どないしたらこんなあほな変換ミスが出来るんや,まったく」
「使えないんなら見るな。頼んで見てもらってるわけじゃない」
相変わらず可愛くない返答をシカトして,俺は赤ボールペンをとりなおした。
「しゃぁないな。あの教授こういうミスうっさいそうや。俺チェックしたるわ」

俺がやりたい放題にヤツのレポートに赤を入れるのを見るともなしにコウジはビールをすすっている。あまり飲むほうじゃないのに。もともとそう豊かじゃない表情がよけいに固まって,無機質な感じさえ与えている。

重症だ。

「なんや,やっぱ気になっとんのか?幼馴染の・・・ええと,加奈子ちゃんやっけ?」
俺はさりげなく水を向けた。
「どうだろうね」
「幼馴染ってだけやろが?。喧嘩なんてしょっちゅうやゆうとったやんか」
「喧嘩の内容が悪かったよ」
「彼氏が出来たゆうたんやっけ?加奈子ちゃんが。ええやん,おまえかて彼女居るんやし,いままでだって別にそういう付き合いしてたわけちゃうんやろ」
「意識して付き合ったことなかったな。好きな人が出来たって言うのはしょっちゅう聞いてたし。そのときはなんとも思ってなかったから」
「・・・彼氏が出来たって,同じ大学のヤツなんか?」
たずねる口調に野次馬根性が響かなかっただろうか。俺は思わずコウジの表情を伺ったが,彼にはそんなことを感じ取る余裕はないようだった。
「ああ,つまり俺らと同じガッコ。どこの学部かは言わなかった。俺に報告する義務はないって」
「しかし,おまえと加奈子ちゃん,ホントなんだかんだいって腐れ縁やな,大学までおんなじとこになるなんてな」
「あっちが引っ越して遠くなったと思ったらな。大学どこ行くの,ってきかれて気楽に答えたら,合格発表で会った」

ちょっとしたずれ。溜まっていく澱。

「結局おまえ好きなんちゃうの,彼女のこと。いっそこと電話して謝っちゃええ」
「駄目だよ,こういうとき電話すると,関係が悪化する」

コウジはらしくなく自嘲的な笑いを浮かべた。

「せめて今より悪くしたくない。たまには電話で声聞かせてくれるくらいの希望はもってたい」
「はぁ。しんきくさ。その調子でやりあってたら,俺だったら堪忍袋の緒が切れまくって蘇生する暇もないやろな。やなときはぶつかる,うざいヤツとは切れる,好きなヤツにはそう言う。なんでそれができへんねや」

「加奈子が今の彼のこと好きなら,困らせたくないでしょ」

コウジが言ったそのせりふは俺の頭に血を上らせた。溜まっていく澱には明らかに方向性がある。とっくの昔に気づいていたのにそれを認めようとしない俺に,にごった白いものはとろとろと絡み付いてくる。
「帰るわ。こんなレポートじゃ役にたたへんし,辛気臭くてかなわん」
立ち上がった俺をコウジは止めようとしなかった。

アパートの外に出てすぐ,俺は携帯を取り出した。相手はツーコールで出た。
「俺や」
わずかに相手の声の調子が落ちたような気がしたのは気のせいだろうか。居間にある電話の前で,こんなまだ夜若い時間に,誰かからのコールを待ってでもいたのだろうか。
「今コウジんとこ出たわ。急に帰ることになってな。これから行くし。んじゃあとでな,加奈子」

急いでるふりをして,何かいいかかるその返事を聞かずに俺は電話を切った。
コウジとはゼミで,加奈子とはクラブで出会った。コウジとは性格は正反対だが,妙に馬が合うところがあって,結構親しく付き合うようになった。加奈子は,俺の一目ぼれ,速攻アタックしてどうにか恋人同士といえる仲に仕立て上げた。
そして,加奈子にコウジと彼女が幼馴染という話を聞いてから,俺の中に澱がたまり始めた。
なぜ加奈子はコウジに俺のことを言わないのだろう。
俺に言わせたいのだろうか。
今日ヤツのところに行くといっても,彼女は何も言わなかった。俺,加奈子とつきあっとるんや,と上っ調子に言えばよかったのだろうか。
それだけはどうしても言えなかった。

なぜ。

夜の闇の中に,どうしても届かないものがふたつ,ぽつり,ぽつりと浮かんでいる。その間には距離があるのに,そしてどちらもこちらを向いて微笑んでいるというのに,どうしてもその間に入ってはゆけない。
俺の中にたまった澱は,そんな幻影にゆっくりと姿を変えていく。
手持ち無沙汰にくわえたタバコの火の先を,俺の手の届かない何かが過ぎったような気がした。

じりつく焦りにさいなまれ,それでもいっそ快いほどに行き違うこころの行方を黙って見つめる俺を包んで,

夜はまだ続く。

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