■管理者自己紹介■

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■ハンドルネーム■nama

■ペンネーム■あさのひろ生

■生年月日■ウルトラマンの放映と数日違い(らしい)

■生息地■名古屋

■職業■某筆記具メーカー勤務

■血液型■パターン青(って、それじゃあ使徒やんか!)じゃなくてA型

■更新履歴■

小学二年生の時、友人T.Iが広告の裏で作ったノートに「イナズマン」のコママンガを描いてきたのがきっかけで、突然マンガを描くことに目覚める。
しばらく、鉛筆描きでその手のマンガを描き続ける。(今で言う、パロディマンガ)石森章太郎のが、多かった。

小学四年生の時、ペンを使うことを覚える。最初に使ったのは確かスクールペン。カラス口やガラスペンなんかも買う。直ぐに挫折して、鉛筆に戻る。(その時の事が尾を引いて、ペンタッチはいまだに上手くならない。)

小学五年生の時、友人に「ヤマト」にはめられる。ゴリゴリの松本零二の線に影響を受けてしまい、それからいらん回り道をする羽目になる。

中学一年生の時、悪友T.K(その頃は、友人でも何でもなかった。)の描いたマンガを見て、オリジナルに燃える。

中学二年の時、妹の買った「なかよし」で、高橋千鶴の「しあわせ半分こ」を読んで、突然少女マンガに目覚める。それ以来、思考形態は少女マンガが基礎言語にフイックスされる。ついでに、竹本泉のデビューにも遭遇してしまう。

同じ頃、友人に「機動戦士ガンダム」にはめられる。この前辺りで、アニメを見なくなっていたのだが、また引き戻される。当の友人は、その後さっさと足を洗った。つい、2年前ぐらいまで、そいつの事を実は恨んでた。今は、感謝してるけど…開き直ってるか?オレ。

その後、オリジナルの冒頭だけ、みたいなマンガを描き続ける。その頃のクセが、未だにぬけない。コンテもちゃんと切らないし…

高校二年の頃、同級生の女の子の姉がやってたサークルに入る。ろくな活動もしないうちに自然消滅する。初めて即売会に行ったのは、この頃。「花のO−ENステップ」なんかの、コスプレをやってたのは……まあ、若気の至りってやつやね…この時期好きだったマンガ家は、ふくやまけいこ、成田美名子、たがみよしひさ。「うる星やつら」のおかげで、アニメとも完全にエンゲージしてしまう。

大学でアニメのサークルに入る。8ミリで、紙パラアニメとか特撮もどきとか作ってた。今見ると情けなくて、のた打ち回るような出来。サークルの先輩の、同人誌で「ドリームハンターレム」とかのマンガも描いた。(あの鈴木典孝さんも、同じ本で描いてた…)この頃は、わかつきめぐみが凄く好きだった。「So What?」は大名作だと、今でも思っている。

ビデオを買って、アニメざんまいとなる。周りの先輩が、「次こそは!」「次こそは!」と、言いつつOVAを買っていたのが、今のオタク的OVA濫造の引き金になろうとは、その当時思いもしなかった。オレは、アニメの新しい表現を求めていたはずなのに…(今の流れがキライって訳でもないんだけどね…というか、志は間違っとるが肌には合う。と言う…)その頃好きだったアニメとかは、不思議なことに覚えてない…

会社に入って、だんだんマンガを描かなくなる。このまま、ただの消費者になるのかと 思っていた。悪友T.Kに便乗して、コミケに行き始める。これが、その後のきっかけになろうとは、予想だにしなかったオレだった。ちなみにその時買った同人誌3冊…

何回目かのコミケで、熱気に当てられて本を作ろうと決心する。きっとあの時は、夏コミの地獄の熱気で、頭がおかしくなっていたに違いない…と、思っていたがその年の冬コミで本は完成していた。「東京電力のでんこちゃん」の本と、「わたしとわたし」の本という、しょっぱなから思いっきり隙間狙いのラインナップだった。コピーで50部ぐらいしか作らなかったので完売。それに気を良くしちゃったのが運の尽きだった…

現在、同人活動を延々続けている。こんなに長い事ひとつの事しかやってないのに、なんで絵が上手くならないんだろうと思う今日このごろ…

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