1日目
その日、エルハザード学園の空は晴れていた。そして、その空の下に一人の少女がいた。期待に胸を踊らせて。少女の名はクァウール。今日からこの学園の生徒になる。
クァウールは転校に必要な手続きを済ませ、校長であるストレルバウに挨拶をしていた。
「まあ、この学園の生徒にはユニークな者も多いが、がんばってやってくれたまえ」
学長であるストレルバウはにこやかに言う。
「はい。がんばります!」
クァウールもにこやかに返答した。
挨拶を済ませたクァウールは、学長室から出ようとする。
「ひっ!?」
出ようとして――氷りついた。
そこには、廊下を埋めつくさんばかりにして生徒の大軍がいた。さっき学長室に入る時にはいなかったのに。
生徒たちはクァウールの姿を認めるなり、口々に何かを叫び始めた。大量の叫びに、一人一人が何を言っているのか聞き取れない。
「ひっ! ひいぃっ!!」
怖くなったクァウールは生徒たちを押しのけ、そこから逃げ出した。すると生徒たちも追ってくる。
「わ、私なにも悪いことしてませぇーんっ!!」
クァウールは必死に逃げた。
第3校舎の3階廊下。
何とか逃げおおせたクァウールは肩で息をしながらふらふらと歩いていた。
「い…一体何が…。何があったんだろう…」
必死に呼吸を整えながら、さっきのことを思い出す。そういえば、入部してくれとか、そんな声がしていたような気がする。
「もしもし」
不意に、背後から声をかけられた。若い女の声だ。
「はぃ?」
クァウールはいささか間の抜けた返事を返すと、後ろを向いた。
そこにはエルハザード学園の制服を着た少女が二人いた。中肉中背といった所の少女と、やや小柄な少女の二人だ。どうやら追っ手ではないらしい。
「何か用ですか?」
彼女たちは安全と察し、礼儀正しく訊くクァウール。すると彼女たちはバスケットのような物を出した。中には小さな丸いものがいくつか入っている。
「飴をあげます」
「まあ、ありがとう!」
クァウールは何の疑いもなくバスケットの中から丸いものを1つ取り出すと、口に運んだ。
「うっ!」
次の瞬間、目の前が暗転し、意識が混濁する。
クァウールはばったりと床に倒れこんだ。うぐうぐと声にならない声をあげ、指先は必死に助けを求めているように見える。
「……死なないね…」
「きっと調合がおかしかったんだよ」
女生徒二人は屈み込んでクァウールの様子を観察している。
クァウールの様子に変化がないことを確認すると、二人はどこへともなく消えていった。
「うう……。お父さん、お母さん、クァウールはもう生きてはいられないような気がします……」
クァウールの脳裏に今までの人生が走馬灯のごとく流れていく。
ふと、そこへ何者かが通りがかった。
「おや。こんな所に美少女が落ちている」
長い黒髪の女生徒と、背の低い蒼い髪をした女生徒だ。
「こんな所にきれいなお姉様が落ちているなんて、きっと日ごろの行いがいいからですね!」
「……まあいい。どれ…」
何かいい行いなんてしていたっけと思いながら、黒髪の女生徒は床に屈むとクァウールを抱き起こした。
「うーむ、美しい。これは新入生じゃな」
「はかなげな所が素敵ですね」
より正確にいえば、毒を盛られたせいではかなげに見えるのである。もっとも、この二人がそんなことを知る由もない。クァウールは蒼白な顔をし、病弱そうに見えていた。
黒髪の女生徒はクァウールの体を抱きしめ感触を楽しんでいたが、やがてそれにも飽き、クァウールの唇に狙いをつけた。
二人の唇の間の距離が狭くなっていく…。
と、その時。
「ファトラさん、なにしてるんですか?」
背後から声をかけられた。声のした方を向くと、男子生徒がいる。
「やあ、廊下を歩いていたら美少女が落ちていたんじゃ」
ファトラと呼ばれた女生徒はクァウールの顔を相手に見せる。
「そりゃ落ちていたんやなくて、倒れていたんやないですか?」
「まあ、そうとも言うかもしれんな。しかしまあ、そんなことを気にしていたらこの学園では生きていけんぞ?」
「まったくもう…。ちょっと貸して下さい」
「あとで返せよ」
そう言いながら、ファトラはクァウールを渡してやる。
「……どうも何か薬を飲まされたみたいやな。早く手当てしてやらんと…」
そう言うと、男子生徒はクァウールをどこかへと連れ去った。
何だか、頭の中が冷たいような気がした。どうしてそんなふうに感じるのかは判らなかったが。
「……ぅうん……」
何か硬いものの上に寝かされているらしい。四肢の感覚ははっきりしていることから、おそらくは五体満足であろうことが知れた。
目を開けると、天井らしきものが見えた。実際、それが天井であると分かる。所々に染みの入ったグレーの天井。
「気がついたんやな」
「え?」
不意の声にそちらを振り向くと、そこには優しそうな顔をした男子生徒がいた。
「あなたは……」
「僕は水原誠って言うんや。君が倒れていたから、介抱してあげたんや」
「まあ。そうなんですか。ありがとうございます」
全身を安堵の感情が満たし、にっこり微笑むクァウール。
「君、転校生やろ。この学園はいろいろ気をつけなくちゃならないことが多いやさかい、注意せなあかんで。外科手術同好会とか戦争クラブとか、おかしな連中もいるさかいな。まあ、僕が大丈夫なようにしといたけど…」
「まあ。そうなんですか。ありがとうございます」
『大丈夫にしておいた』という言葉の意味がよく判らなかったが、とりあえずクァウールは微笑んでおいた。
「さ、立てるやろか?」
「あ、はい」
誠に促されて、クァウールは寝かされているものの上から降りた。そこで初めて、寝かされていたものがベッドではなく、作業台のようなものであったことが分かる。
誠はクァウールの体の様子を一通り確かめると、安心したような顔をした。
「どうやらうまくいったみたいやな。もう心配ないで」
「あ、ありがとうございます」
愛想笑いを浮かべるクァウール。彼女は誠を不思議な人だと思った。
誠にお礼を言ったクァウールは、学園内を散策していた。
この学園は広い。もらったパンフレットを参考に歩いていたが、一日で回りきれそうにはなかった。
今、クァウールは第3校舎付近の庭道を歩いている。
すると――
「もしもし。そこのお嬢さん」
突然声をかけられた。
「はい?」
声の方を向くと、いかにもあか抜けない雰囲気の男子生徒がいる。ぼさぼさの髪に分厚い眼鏡をかけ、作業着のような物を着ていた。
「あなた、モデルになってみませんか?」
「モデルですか?」
「はい。簡単なことです。ギャラもはずみます」
男子生徒はなんだか手慣れた様子で喋る。
「はあ、でも…」
モデルという言葉に、クァウールは関心がないわけではなかった。
「今、ちょっとスタジオに来てくれればいいんですよ」
にへらぁっと笑う男子生徒。
「でも私、知らない人についていっちゃいけないってお母さんに言われてますから…」
さっきまでのことから、クァウールは警戒心を強くしていた。
「そうですか。僕は、2年の尼崎と申します」
「まあ。そうですか。じゃあもう知っている人ですね」
にっこり微笑むクァウール。
「では来てくれますか?」
「はい」
かわいそうなほどに純真なクァウールであった。
クァウールは男子生徒に連れられて、とある部屋にやってきた。そこには、尼崎と似たような風体の男子生徒が何人かいた。みんなぎらぎらとした目でクァウールを見ている。
「あのう…。ここって、あんまりスタジオっていう感じじゃないんですが」
「いえいえ。studioという単語には、仕事場や工房という意味もありますよ。そういうわけで――」
「え…?」
尼崎は水槽のような物を指で示した。人が一人入れるほどの大きさだ。
「1分の1スケールフィギュアのモデルになってもらいます」
「ええっ!?」
クァウールの顔が驚愕に歪む。その表情に、尼崎は嗜虐の笑みを浮かべた。
「フィギュアってなんですか?」
「いやなに。すぐ済みますよ。ただちょっと――服を脱いでそこの水槽に入ってもらえばいいんです。型取りをするだけですから」
「ええぇっ!? そ、そんな! 嫌ですよ!」
「ええい! モデルになると言ったじゃないですか! もう後には引けませんよ!!」
尼崎を始め、そこに居合わせた人間たちがこぞってクァウールを取り押さえようとする。
「きゃあああぁぁっ!!」
生徒の一人がクァウールの腕を掴む。
「いやあああぁぁっ!!」
クァウールは大声をあげ、腕を外そうと全力でもがいた。
全力でもがいた――すると――
「うぎゃあっ!!」
クァウールの腕を掴んでいた生徒は派手に跳ね飛ばされ、水槽を直撃した。水槽は木っ端微塵になり、生徒は失神する。
「な、なにいっ!?」
驚愕する尼崎たち。クァウール自身も信じられないといった顔をする。
「わ、私…わたし……」
「ええい! ひるむな! 取り押さえろ!!」
「い、いやああぁっ!!」
クァウールは悲鳴をあげた。そして突如――その悲鳴に呼応し、彼女の指にある指輪から強烈な水流が発射される。
「えっ!?」
再度、クァウールは信じられない顔をする。
水流はかなりの高圧らしく、生徒をなぎ倒し、壁に穴をあけた。
クァウールはその穴を通り、恐怖の部屋からの脱出に成功したのだった。
「わ、私……わたし、一体…!?」
あまりの出来事に、クァウールは混乱していた。この1日に起きたことは、その全てが想像を絶している。一体どこで間違えたのか考えるクァウールであったが、最後まで結論は出なかった。
1日目終わり