[94] 2002年01月12日 (土)

午後、加藤治郎さんから電話があった。
いくつかある共同の仕事のうちのひとつについて
進め方の示唆をうける。いつも通り重厚な声である。
ほとんどは電子メールのやりとりで仕事を進めるが、
はっきりしたポイントを過ぎるときは電話、
というのが加藤さんの徹底した行動様式である。
この仕事が確実にフィニッシュに近づいたと実感する。



神崎ハルミさんのレインボー・セルで、
サイト名にちなんだコーナー「<虹>のうた」に
神崎さんの執筆した「荻原裕幸氏の虹について」が掲載された。
タイトル通り、ぼくの「虹」を詠んだ作品についての文章だ。
ぼくの「虹」という語の使用にはかなり癖があるため、
歌集のなかに配して読まれるよりも、あるいはこうして
同一語をモチーフにして括り、まとめて鑑賞されるのが、
作品たちにとっては幸せなことかも知れないと思った。

昨年、川本千栄さんが
「荻原裕幸の語彙」(「勝手に合評」掲載)で
この「虹」をはじめ、ぼくの頻用する単語を分析し、
かなり批判的な文章を書いたことがあった。
川本さんの文章は、見かけは語彙分析でも、
実は歌論的差異の提示という構成になっていて、
手法・語彙の頻用が批判の主対象になっていたが、
神崎さんのように読者の視点でテクストを考察することと
川本さんのように作者の視点でテクストを考察することとでは、
大きな違いが生まれるのだとあらためて気づかされた。
前者は作品を主に語り、後者は方法論を主に語っているわけだ。


[93] 2002年01月11日 (金)

午後、家人とともに実家に顔を出しに行く。
三時からすでに食事と酒が準備されていた。
実は、帰宅してから仕事を進めるつもりでいたが、
これでは無理だろうと観念して酒にひたる。
父の戦前戦中戦後の体験談をひさしぶりに聞いた。
知らない話がまだいくつもあったことに愕然とする。
予科練(と言っても父は陸軍だったのだが……)
のことから戦後の復員船の話まで、
昭和14年から22年までの8年間を、
父は、あたかも学生生活でも語るかのように
ときに楽しげにときに淋しげに語るのだった。
年齢で言うと16歳から24歳までのことである。
ぼくが詩歌に興味をもちはじめてから
第一歌集をまとめるあたりまでの年齢だ。
あの時期に、飛行学校に行って軍人になったのか、
と、そう思うと、言うに言われぬ変な気分になる。



むかしむかし喧嘩帰りのわれを見し父は麒麟のごときほほゑみ/荻原裕幸


[92] 7か月ぶりに更新 2002年01月10日 (木)

午後、玲はる名さんから電話。30分ほど話す。
夏に予定しているイベントのことで、溌剌としていた。
昨9月の、歌集『たった今覚えたものを』批評会の記録、
彼女のメモに補筆しながらまとめているところで、
どうにか会の真ん中あたりまでたどりつけた。
批評会はあっと言うまに進むが、
記録づくりはなかなか進んでくれない。



ひぐらしひなつさんに再掲載用の原稿を送って、
ひさしぶりにデジタル・ビスケットを更新してもらった。
昨4月から6月にかけて「短歌研究」に執筆した時評である。
同誌の内容を必ず扱うという制約があっての時評だが、
増刊号の『うたう』が刊行されて間もない時期だったため、
短歌の現在にまっすぐに向かって書くことができたのだった。
1995年以降、短歌が停滞していたと歌壇で言われた時期、
実はいたるところで「場」の問題をめぐっての活動があった。
そうした短歌の動きの輪郭をなんとか描こうと考えていた。
我田引水的に語れば、1995年以降、短歌のニューウェーブは、
表現力の問題から「場(=受容力)」の問題へと移行したのだ。
佐佐木幸綱や永田和宏が、読者論として語っていたことが、
20年近い時間を経て、短歌の表面に浮かびあがっていると思う。


[91] LLLと略すらしい 2002年01月09日 (水)

北溟社「俳句界」で今年からはじめた「短歌☆プラネット」、
2月号の選とコメントをまとめて編集部に電子メールで送る。
短歌の原稿は、数本パラレルに書いているため進みがわるい。
かたちになりはじめると新しいアイデアを思いついたりする。
早急にまとめて送らないといけない時期になっている。



フジテレビ系の新番組「ロング・ラブレター〜漂流教室」
テーマソングに山下達郎の曲をつかっているようだったし、
いくら同じタイトルでも、常盤貴子と窪塚洋介では、まさか、
と思っていたのだが、楳図かずお原作のあれのリライトだという。
気になってつい観てしまった。ほんとに「漂流教室」だった。
すっかり現代風にアレンジされて、原作のあのきもちわるさはない。
かわりに、NHKがつくるファンタスティックなドラマに似た、
ふわふわとした空気のただよう、抒情質の演出があった。
回を重ねるにつれ、その抒情質に疲れるのも予感されるが、
しばらくは欠かさずに観ることになりそうな気がする。


[90] SPAMメール 2002年01月08日 (火)

短歌同人誌の作品鑑賞の原稿をあげる。
400字で14枚。かなりひっぱってしまった。
すでに時刻が夜中に近かったので、
あすファックスすることにした。



今日は朝からずっと携帯電話にDMが届きつづける。
以前に一度アドレスを変更してみたのだが、
そのときはいったん届かなくなって、
年末あたりから徐々にふえはじめ、
今日になってまた急にふえている。
あらためて変更するしかなさそうだ。
電話会社はDMを撲滅したいとか言ってるが、
DMの送受信でもうかってしまうのに
本腰を入れるわけはないように思う。
料金の従量制を早くやめてくれればいいのに。
と、書いているうちにもまた1通メールが……。

そう言えば、FreeMLの運営しているML宛に、
メンテナンス情報を12通同報で流したら、
SPAMメールの可能性があるからと、
MLが投稿承認を運営者のぼく自身に求めてきた。
まったく融通のきかないシステムが多い。


[89] 検索 2002年01月07日 (月)

午後、実家の母から電話があった。
年があけてからまだ両親と顔をあわせていない。
近所に住んでいるのに、いや、むしろそのためか、
なかなか都合があわなくて顔をあわせられない。
互いに忙しいのは、まあ、いいことなんだけど。



電脳短歌イエローページの充実のため、
ときどき検索エンジンで情報収集をする。
気ままに歌人名を入れて検索をかけると
今まで知らなかったサイトを発見できることが多い。
自分の名前でもそこそこ新しい発見がある。
今日は「早坂類」で検索していたところ、
森本平さんの森本平の短歌鑑賞を発見した。
早坂類さんの一首が収録されていたからだった。
しかしなんで穂村弘の名前が誤植されているのだろう?
制作者に印字原稿を渡したのかな。


[88] カルメン 2002年01月06日 (日)

終日原稿。手の空いたところで
昨年のイベントの記録の補筆など。



昨12月25日のこと。
春日井政子さんが23日に亡くなられた。享年94歳。
翌日は身動きがとれなかったのでお通夜に出かけた。
大塚寅彦さん喜多昭夫さん小塩卓哉さんの顔も見えた。
喪主の春日井建さんが、母は決して若い死ではないけれど、
毎日元気そうな顔を見ていた自分にとっては、やはり、
早すぎる死だと感じられてなりません、と語っていた。
長寿の人のお通夜だったので、その場ではこらえていたが、
帰宅してから、夜中に涙がとまらなくなってしまった。
家を新築されてすぐの頃、飼いはじめたグッピーに、
政子さんが名前をつけて呼んでいたのを憶えている。
赤と黒のひらひらの衣装を身にまとっていた一匹は、
カルメンと呼ばれ、とても気に入られていた。


[87] 書くことによって姿を消してゆくものたちよ! 2002年01月05日 (土)

あれは1995年だったか、その前後か、
書くことによって文字の間に消えてしまう
書かれなかった時間や空間や感情や思考たちが、
それはもうどうしようもなくいとおしくて、
書くことがわるいことに思われてしかたなかった。
このいとおしく感じる気持ちというのが、
実は欺瞞であり傲慢であると気づいてからは、
書くことへのためらいが次第にとれていった。



というわけで、昨12月22日のメモ。
飯田有子歌集『林檎貫通式』批評会に出席。
島田修三、小島ゆかり、田中庸介がパネラー、
穂村弘がコーディネートをかねて司会。
この歌集にアクセスするためのファクターを
穂村が解析して提示するところから議論がはじまる。

1 --- 近現代短歌の知識
2 --- 口語短歌への接近
3 --- サブカルチャー指向
4 --- 女性性のモチーフ

という4つの項目が穂村の解析結果である。
以下、パネラーのディスカッションにおいて
いちばん強く関心を抱いた部分を要約する。
島田修三は、1の内在をとりわけ重要視した。
2〜4を活用することの有効性を認めながらも、
最終的に1をどう活かしどう提示するかで、
歴史に残るかどうかが決定される、と主張した。
小島ゆかりは、1が文体上にあらわれるか否か、で、
飯田の作品のいくつかの、短歌としての力を分析し、
定型詩としての有効/無効の分岐点を摘出した。
田中庸介は、穂村の解析とはまた別の解析を提示し、
飯田の歌集がそれらのファクターの雑煮状態である
ことを指摘した上で、構成上、どこに比重をおくか、
が、読者にいかなる影響をもたらすかを考察した。
このディスカッションを考えながら、ぼくは、
総合誌「歌壇」1999年12月号での、
穂村弘との対談のことを思い浮かべた。
そこで提示した1960年代以降の図式があるのだが、
島田の発言は、図式のA象限とB象限の往来、
小島の発言は、図式のAB象限とCD象限の境界、
田中の発言は、図式のABCD各象限への自由展開、
をそれぞれ語っていたように思われる。
田中の発言において、この図式が無効化され、
議論が短歌の本当の現在へとぬけてゆく可能性が
たびたび見えていたが、ライブの議論では、
さすがにそれ以上進めることは難しかったようだ。
充実したメンバーだからこそ実現した
レベルの高いユニークな批評会だったと思う。


[86] 鳴尾の雪だるま 2002年01月04日 (金)

新年の挨拶と打ちあわせをかねて、
鳴尾の加藤治郎さんのお宅を訪問する。
門の横には人の背丈くらいの雪だるまがあった。
加藤さん奥さんとともにこどもたちが迎えてくれる。
ああ日本の家庭がここにある、という空気に満ちている。
世間話、歌壇の噂話もときおりまじえながら、
そのまま夜まで打ちあわせ、夕食をごちそうになる。
帰るきわにこどもたちはすでに歯磨きをはじめていた。



塩谷風月さんのウェブ風月亭がリニューアルされた。
昨年8月に企画したミニシンポジウム現代短歌の焦点
レジュメの再録と塩谷さんの記録風のメモが掲載されている。
自分で企画してもなかなか記録にまでは手がまわらない。
ウェブでのこういった記録はほんとにありがたい。

当日、1970年から2001年までの現代短歌の動向について、
私見を凝縮しておよそ20分ほどでならべたてたのだが、
1970年代を前衛短歌の総括の時代、と語ったのは、
これまでの短歌史の感覚とはすこし違うところであり、
参加していない人には違和感の多い箇所かと思われる。
前衛短歌の終焉、内向の世代、微視的観念の小世界、等、
短歌の1970年代を語るのに適切な視点はむしろ他にある。
ただ、1970年代の終りから1980年代のはじめの頃に
短歌を書きはじめたぼくたちの世代の多くが、
いわゆる内向の世代ではなく、その前の世代、
つまり前衛短歌時代の歌人にダイレクトな影響をうけた
その理由についてつまびらかにしておきたかったのだ。
歌壇の動向をリアルタイムに吸収するのではなく、
印刷メディアによる影響がきわめて大きかった
という視点から、1970年代を前衛短歌の総括、
すなわち前衛短歌の定着した時代だと規定したのだった。

それから「インターネットには批評がない」という
大辻隆弘さんが「未来」に掲載した時評の主旨に対して、
当日、加藤治郎さんが強烈に批判したのを皮切りに
ぼくもまた大辻さんの意見を徹底して批判した。
インターネットの現状認識のずれを問題にしたのではない。
可変的に存在しているインターネットという場に対して、
不変的な性質としての何かを語るのは「怠惰」であり、
それはまた「無責任」にもつながりかねないから批判したのである。
その後、大辻さんは、電子会議室水の回廊を自身で運営しはじめた。
大辻さんらしい誠実さがうれしい。もちろんしばしば読ませてもらっている。


[85] 2002年01月03日 (木)

早朝、家人と雪のなかを歩いた。
朝のニュースでは16センチと報じられていたが、
積雪量ってどんな計測をするのだったか、
眼で見ると20〜30センチは確実に積もっている。
どこまでもふわふわの雪景色がひろがるなかに、
最初のあしあとを二人でどんどんつけてゆく。
倒れこんでそこで眠ってしまいたい誘惑にかられる。



奥村晃作さんのウェブ奥村晃作短歌ワールドで、
昨日、「生活の歌アンソロジー〈現代秀歌選〉」に
ぼくの作品15首を加えてもらった。
これまでにあった書評や歌人論では、
選んでもらえなかった作品も入っていた。
とても新鮮な気分になる。

夕刻、玲はる名さんからファックスが届く。
個人誌「Rei ☆ Haruna Fax Commucation」である。
昨秋に創刊されたこの個人誌は早くも第4号を数えている。
抜群の破壊力と保守性を同時に抱え、しかも、
そのバランスのとれていないのがいまの彼女の魅力だろう。
壊すものは壊しつくし、守るものは守りつくしている。
適度に壊し適度に守るといった中途半端なところがない。
もっとぐんぐんと前に出て活躍してほしいと思う。

正岡豊さんの折口信夫の別荘日記をのぞくと、
この日記の、2001年の電脳短歌の十大ニュースのことが書かれている。
ぼくの評論集が出ないことこそベスト1のニュースなのでは、
というようなことが書かれていて苦笑させられてしまった。
ありがたいことばである。今年は出せるだろうか。


[84] 昨夜、teacupの掲示板がすべて落ちていて驚いた 2002年01月02日 (水)

名古屋は夜になっていきなり雪が降りはじめた。
すでにしっかり積もりそうな勢いで降っている。

今年こそは寝正月をきめこもうと思っていたのだが、
やはりなかなかそういうわけにもゆかない状況である。
大晦日の夜になってやっと仕事に一段落がついたため、
そのしわよせが正月に来ている。例年とほぼかわらない。



飯田有子歌集『林檎貫通式』のオンライン批評会を
一月中旬から【e短歌salon】で開催することが決まった。
さっそく案内文を【e短歌salon】に書きこむ。
年末に、穂村弘がコーディネートした
オフラインでの批評会があったばかりだが、
オンラインにはオンラインの味わいがあるだろう。
今回の進行の担当は、水須ゆき子さんにお願いした。

買ったときには気づかなかったのだが、
その後、調べものがあって繰っていたとき、
角川書店の「短歌年鑑・平成十四年版」の
巻末からはじまる住所録サイドの末尾に
「*各結社や歌人個人のホームページなどは、
 電脳短歌イエローページ
 http://www.imagenet.co.jp/~ss/yp/
 に詳しく紹介されています。」
と、さりげなく記されているのが目に入った。
連絡いただければ宣伝しますのに、角川書店さん。


[83] 謹賀新年 2002年01月01日 (火)

二〇〇二年元日




[荻原裕幸の個人サイト]

【デジタル・ビスケット】
http://www.ne.jp/asahi/digital/biscuit/
【デジタル・ビスケット掲示板】
http://www.sweetswan.com/biscuit/
【ogihara.com】
http://www.na.rim.or.jp/~ogihara/0824/


[エスツー・プロジェクト関連]

【歌葉】
http://www.bookpark.ne.jp/utanoha/
【電脳短歌イエローページ】
http://www.imagenet.co.jp/~ss/yp/
http://www.sweetswan.com/yp/
【電脳短歌BBS】
http://www.imagenet.co.jp/~ss/com/dt/bbs.cgi
【e短歌salon】
http://www.sweetswan.com/ypbbs/
【@ラエティティア】
http://www.ne.jp/asahi/tanka/naoq/framepage1.htm
【鳴尾日記】
http://www.imagenet.co.jp/~ss/com/jiro/index.html
【グリーン・ヘル】
http://www.sweetswan.com/kato/jiro.cgi
【ごーふる・たうんBBS】
http://www.imagenet.co.jp/~ss/com/0521/syndicate.cgi
【短歌発言スペース・抒情が目にしみる】
http://www.imagenet.co.jp/~ss/com/ryufuji/tanka.cgi
【17.com】
http://www.sweetswan.com/17.com/
【17.com BBS】
http://www.imagenet.co.jp/~ss/com/17.com/17.cgi


[荻原裕幸のプロデュースサイト]

【梨の実歌会BBS】
http://www.sweetswan.com/nashinomi/noma-iga.cgi
【電脳日記・夢みる頃を過ぎても】
http://www.sweetswan.com/19XX/
【その日暮らし。】
http://www.sweetswan.com/hinatsu/
【たった今覚えたものを掲示板】
http://www.sweetswan.com/reiharu/yybbs.cgi
【31フォーラム】
http://www.sweetswan.com/31/31forum.cgi
【なかはらさんに一言ください掲示板】
http://www.sweetswan.com/0410/reiko.cgi
【♪Club☆Myu♪】
http://www.sweetswan.com/cgi-bin/myu2/myu.cgi
【せんりゅう・らぼ】
http://www.imagenet.co.jp/~ss/com/senryu/lab.cgi
【WE ARE!】
http://www.sweetswan.com/weare/
【WE ARE!BBS】
http://www.sweetswan.com/harakura/weare.cgi


[82] 永遠の夢に向かって全てを捨てよう、と大黒摩季がうたう 2001年12月31日 (月)

電脳短歌の十大ニュース、後半の5項目。
どうにか今年のうちにまとまった。
我田引水を自覚するところもあるが、
朱入れせずにアップしてのちに反省することにした。
来年もまた電脳短歌におもしろいことがありますように。




○電子会議室運営問題の噴出

電子会議室が荒れると議論にならない・無益に疲労する、というのは、パソコン通信の時代からすでに存在している電子ネットワークの課題のひとつなのだが、「2ch掲示板」のような完全な匿名電子会議室の存在によって事態がさらに複雑化した。たとえば、某スレッドで枡野浩一がたたかれたときは、視点によっては有名税と考えることもできたわけだが、別のスレッドで石井辰彦や辰巳泰子等がたたかれたときは、あきらかに、いくつかの公開電子会議室の「裏会議室」のように匿名電子会議室が機能していた。公開電子会議室の運営サイドがどれほど「権力」をふるって方向性を打ちだしても、所詮は無力であることが実証されてしまった。電子会議室を本当に価値あるものに進化させてゆくには、まだまだ時間がかかりそうだ。


○オンライン・オフライン一体化企画の実現

たとえば、今年4月、田中槐が中心になって企画が進められた「連鎖する歌人たち〜マラソン・リーディング2001〜」は、朗読イベントといういかにもオフラインなイベントだったが、参加者・入場者を盛りあげてイベントを成功に導いたのは、企画専用の電子会議室をはじめとしたオンラインによる情報網であったと考えられる。イベント後の反省・批判までもが公開され、企画サイドには苦しいところもあったと推察されるが、瞬時にすぎてゆくイベントに対して簡易記録を自然に残せる方法論が付加された意義はきわめて大きい。結社その他の母体を持たない個人企画のイベントが可能になったと言えようか。


○オンライン歌集批評会の実現

今年5月に「e短歌salon」で開催された正岡豊歌集『四月の魚』批評会は、史上はじめての(はじめて、は確認するのがむずかしいが、おそらくはじめての)公開されたオンライン歌集批評会だ。わずか3週間で60人以上の人から480件あまりのコメントが出され、アクセスカウンタは7000回以上まわった。この種の企画をオフラインで実現することは困難であり、その点でインターネットの可能性を最大限に示したイベントのひとつだと思われるが、にもかかわらず、これがまったく無視されるかたちでいくつかのインターネット批判が書かれたことはきわめて残念だった。


○オンライン対談・座談会の実現

結社誌「未来」7月号の、加藤治郎が企画した特集「場のニューウェーブ」で、加藤と吉川宏志、加藤と荻原裕幸という二本の電子メールによる対談が掲載された。また、同人誌「かばん」12月号の、穂村弘歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』の特集で、藤原龍一郎、本田瑞穂、正岡豊によるメーリングリスト座談会が掲載された。例は他にもいろいろあるはずだ。会って話して録音からおこして編集・構成して朱入れするという作業がほとんど必要ないオンライン対談・座談会は、今後、少人数での活動に大きな機動力を与えるだろう。


○歌壇系出版社のウェブが続々開設

歌集・歌書が書店で手に入りにくいため、オンライン書店や「三月書房」等、歌集・歌書を多く扱っている書店のウェブ、また【歌葉】等のオンライン販売が広がってゆくなかで、やっと、多くの歌集・歌書の版元となっている出版社がウェブを開設しはじめた。とりわけ砂子屋書房とながらみ書房のウェブ開設で、歌壇内部に向けての情報発信が外にいても見やすくなったと言えようか。願わくは、もっと労力的な投資を、と望みたいところだが、諸社が躍進したことをまずよろこびたい。


[81] マスノ短歌教信者の部屋よ永遠なれ 2001年12月31日 (月)

電脳短歌の十大ニュースの解説。前半の5項目。
いずれも電脳短歌という視点に偏向して解説。
後半も今年中に書けるといいのだが……。




○NHK「電脳短歌の世界へようこそ」放映

1月にNHK教育で放映された番組。好評を得て、その後計4回放映される。主に若者たちの自己表現・コミュニケーションの方法として短歌が選ばれ、そのための場・メディアのひとつとしてインターネットが活用されているという「物語」が描かれた。案内役の枡野浩一と出演者の一人である加藤千恵の活動の様子を軸に番組が構成されたため、いささか電脳短歌から逸れた印象をもたらしたらしいが、根底にある「物語」は明確であり、電脳短歌に対するほとんどはじめての社会的な認知がもたらされたと推測される。この「物語」には、番組を担当したディレクターの足立美樹の「予測的解釈」も多く含まれていたようだが、2001年は、この予測をそのまま実現した年であったと思われる。


○オンデマンド歌集出版企画【歌葉】開始

富士ゼロックスの推進するオンデマンド出版企画「ブックパーク」とエスツー・プロジェクト(加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸)が共同でたちあげた歌集出版企画。現在の歌集出版に大きく欠けていると考えられる、絶版の廃止、プロデュース、低コスト、オンライン販売を導入したのが特徴。いずれも、電子データ・インターネットの活用によって実現したシステムである。歌壇の枠を超えたニュースとなったし、電脳短歌がはっきり認知される要因ともなったが、表現の問題とどのようにつながってゆくのかが語られる機会は少なかった。企画者サイドからさらに強く打ちだす必要のあることなのかも知れない。


○「短歌研究」が『うたう』の継続企画「うたう☆クラブ」開始

昨年末の「短歌研究」臨時増刊『うたう』の主旨を継続して、4月号から同誌上に掲載されはじめた短歌創作のサポート企画。インターネットを活用して作品を投稿した作者とコーチの間で複数のやりとりがかわされる様子を、誌上にまるごと掲載している。この「まるごと」を見せるという点が、『うたう』以来の「短歌研究」のスタンスであり、やりとりの過程を結果として秘してしまう添削との大きな違いである。また、物理的に複数のやりとりが困難な従来の添削システムと違って、通信手段としてインターネットを活用したところも画期的であった。コーチには、加藤治郎、穂村弘等があたっている。


○「マスノ短歌教信者の部屋」休止

枡野浩一が運営していた電子会議室「マスノ短歌教信者の部屋」が9月に休止された。ログはそのまま保存されている。短歌関連でもっとも多くのユーザを抱えていたと思われる同会議室の休止は、多くの支持者たちに衝撃を与えるものだった。休止の理由は、枡野自身によってあきらかにされてはいないが、私見では、限りなく増えてゆくユーザへの対応が困難をともなう状態になったからだと推測される。つねに作家活動の根底につながるところでの対話を続けたのがこの困難を生んだようだ。二度と誰も実践できそうにない、稀有の電子会議室運営であった。


○インターネット短歌批判の噴出

インターネットを活用した短歌活動、の批判は、昨年までにも多くあったが、インターネットに対する情報不足が意見を歪ませているものが多かった。今年もその傾向はあるものの、興味深く読むべき文章や電子会議室上のコメントが多くあった。たとえば、吉浦玲子が「短歌人」6月号に発表した「インターネット短歌のユーウツ」等、自らがインターネットを活用してゆく上での方向性を模索しながらの文章は、賛否両論があろうとも、あきらかに有益だろう。批判の噴出は、活性化の結果であり、期待のあかしだと考えられる。


[80] 小林聡美と三谷幸喜が夫婦である世界って素敵だ 2001年12月30日 (日)

というタイトルで、今日あった笑い話を書いてみたが、
やっぱりなんだか恥ずかしくなって消してしまった。
さて。秋に一度、本と雑誌の大々的な整理をしてしまったため、
もうあとはいいかな、という気分で、大掃除に身が入らない。
年を越してしまう仕事を気にしながらぼんやりと窓拭きなどする。
午後、かたづけもそこそこで、家人、義母、義姉の買物につきあう。
すでに人出のピークをすぎたのか、道路はさほど混んでいない。
それでも正月用の食品で彩られたデパートの地下がにぎわっていた。
途中一人だけ抜けだして、資料をそろえるため丸善にたちよる。
雑誌をあわただしく買いそろえ、歌集売場にちらっと目をやると、
村上きわみ『fish』が予想どおり平積みにされていた。
加藤千恵『ハッピーアイスクリーム』がその隣りで平積み。
歌集・歌書の棚が以前よりもやや充実した感じになっている。
『現代短歌最前線』(北溟社)も再刷が決まったという話だし、
歌集・歌書の動きがすこし良くなっているのだろうか。



今年の電脳短歌の十大ニュースというのを考えてみた。
順位は特につけられそうにないので、順不同。
個人的な感覚による選出だが、さほど偏向はないだろう。
一知半解の電脳短歌論があとをたたない状況を考え、
最低これくらいはおさえる必要がありそうなものを選んだ。
項目についても一日再考して、解説はあすにでもまとめる。

○NHK「電脳短歌の世界へようこそ」放映
○オンデマンド歌集出版企画【歌葉】開始
○「短歌研究」が『うたう』の継続企画「うたう☆クラブ」開始
○「マスノ短歌教信者の部屋」休止
○インターネット短歌批判の噴出
○電子会議室運営問題の噴出
○オンライン・オフライン一体化企画の実現
○オンライン歌集批評会の実現
○オンライン対談・座談会の実現
○歌壇系出版社のウェブが続々開設


[79] 憎んでも覚えてて、と松任谷由実がうたっている 2001年12月29日 (土)

巷はすっかり冬休みに入ったのだろうか。
マンションの周囲がやけにしんとしている。
仕事中・作業中は、あまり音楽を聴かないのだが、
音があまり少ないのも逆に集中力を欠くので、
けさは松任谷由実のCDを流していた。
「DA・DI・DA」。1985年のアルバム。
たしか11月か12月のリリースだったはずだ。
ちょうどその頃、いきなり多くの同世代歌人と出会った。
正岡豊や大塚寅彦が、ポスト前衛短歌の夢を語ってくれた。
ともあれ、アルバムを聴きながら、あれこれと歌集を読み耽る。

村上きわみの『fish』(ヒヨコ舎)は、既刊歌集の再編集であり、
この日記でも以前に感想らしきものを書いたことがある。
既刊のためプロデュースに専念できたのかも知れないが、
それにしても、「本」としては、歌集のなかで、
今年1番目か2番目のときめきを感じさせるものだった。
ヲバラトモコの絵やデザインやレイアウトが
硬質なイメージの文体をどこか液状にしていて
ページを繰るたび、指に何か香ばしいものが残る。
魚のくせに(くせに?)キャラメルみたいだ。
ちなみにもう1冊の1番目か2番目は、枡野浩一の
『ハッピーロンリーウォーリーソング』(角川文庫)。
(乞参照、過去ログ[63] あかいところとあおいところ)
そう言えばこちらも既刊歌集の再編集だった。
この2冊、作品の「表現力」をまっすぐ増加させる方向へ
精密なプロデュースがおこなわれていると思う。
ああ、こういう本がつくりたい。
プロデュースということで言えば、
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(小学館)、
加藤千恵『ハッピーアイスクリーム』(中央公論新社)
だって、桁違いにすぐれた出色の本で、
例年ならぶっちりでトップ(トップ?)を独走したはずである。
むろん【歌葉】のいくつかも、既成の枠は超えていよう。
自分が、種々の誘惑にあらがいながら、中途半端を避けて、
テキストをベースにした「全歌集」を出した年だっただけに、
なおさら欲望を刺激されているのだった。
端的に言えば、嫉妬!



ところで、今日から、改行を多用した表記に切り換えてみた。
文体というのはその「器」にすぐ影響を受けるもので、
改行なしにくらべてあきらかにふわふわしているようなのだが、
肩のちからを抜く意味でもしばらくこのスタイルを採用する。


[78] 年間回顧・補足 2001年12月28日 (金)

下欄の年間回顧は、主に他者と共同で進めた仕事を書きならべてみた。今年も多くの人と一緒に仕事ができたのがうれしい。ひとりで仕事を進めることも大切だが、ひとりで培ったものも、他者との交流のなかではじめてかたちになってゆく。来年もまた自身を他者にひらいて仕事を進めてゆきたいと思う。ほとんど記憶だけを頼りに書いているので、あるいは大切なものが抜けているかも知れない。それから、書きならべてみるとたしかに12か月だが、今年は、長かった。



今年は、とりわけ後半になって、インターネットでの活動を抑制していた。作業的に限界状態が来ている感触があったし、個人的な事情もふくめ、理由はさまざまにあったが、結果として、インターネット上で、方向性を稀釈しての活性化をおこなうべき季節が、そろそろ終りにちかづいるのを強く感じることになった。まだしばらく方向転換をするつもりはないが、来年は、将来的なビジョンを打ちだすための下準備くらいははじめたいと思っている。


[77] 年間回顧 2001年12月28日 (金)

【1月】
NHK「ETV2001・電脳短歌の世界へようこそ」に枡野浩一らと出演
オンデマンド歌集サイト【歌葉】をブックパークと共同プロデュース
加藤治郎の日記サイト鳴尾日記を開設
メールマガジン「@ラエティティア」7.5号(号外)発行

【2月】
電子会議室せんりゅう・らぼ(運営=畑美樹・なかはられいこ)を開設
電子会議室31フォーラムを塩谷風月とプロデュース

【3月】
第5歌集『永遠青天症』を含む全歌集『デジタル・ビスケット』(沖積舎)刊行
川柳誌「WE ARE!」(倉富洋子・なかはられいこ)のウェブを開設
NHKハイビジョン「百人一首への旅」に小林恭二と出演
監修・編著『あなたを想う恋のうた』(武生市)刊行
メールマガジン「@ラエティティア」第8号発行

【4月】
日記サイト「ogihara.com」を開設
なかはられいこ第2句集『脱衣場のアリス』(北冬舎)をプロデュース
シンポジウム「川柳ジャンクション2001」(於大阪)に出演
総合誌「短歌研究」に短歌時評を執筆(6月まで3か月)
玲はる名の公式BBSたった今覚えたものを掲示板を開設

【5月】
電子会議室e短歌salonにて正岡豊第1歌集『四月の魚』批評会を開催
【歌葉】サイトに「今月の歌」「現代短歌の世界」を執筆(7月まで3か月)
メールマガジン「@ラエティティア」第9号発行

【6月】
シンポジウム「二十一世紀と俳句の役割」(現代俳句協会)に出演
メールマガジン「@ラエティティア」第10号発行

【7月】
結社誌「未来」創刊50周年企画「場のニューウェーブ」で加藤治郎とメール対談
短歌誌「勝手に合評」のニューウェーブ世代をめぐる小特集「第3回・荻原裕幸」
メールマガジン「@ラエティティア」第11号発行

【8月】
シンポジウム「現代短歌の焦点」(於名古屋)をコーディネート
五十嵐きよみ第2歌集『港のヨーコを探していない』(歌葉)をプロデュース
川柳誌「WE ARE!」第2号にロング・インタビューを掲載
メールマガジン「@ラエティティア」第12号発行

【9月】
玲はる名第1歌集『たった今覚えたものを』批評会(於名古屋)をコーディネート
ファックス短歌誌「Rei ☆ Haruna Fax Commucation」創刊に1首詠(以後毎号)
『現代短歌一〇〇人二〇首』(邑書林)に自選30首を出稿

【10月】
読売新聞「いまを詠む」にアメリカ同時テロをモチーフに3首出稿

【11月】
『現代短歌最前線』(北溟社)に自選200首&エッセイを出稿
朝日新聞・コラム「心の書」を執筆(4回)
短歌誌「BISON」第9号で小特集「荻原裕幸ワールド」
メールマガジン「@ラエティティア」第13号発行

【12月】
加藤治郎の公式BBSグリーン・ヘルを移転・開設
週刊読書人・短歌時評の連載を完了(2年間で計26回)


[76] 「護憲的改憲」 2001年09月20日 (木)

防衛庁の中谷長官が、湾岸戦争のとき、莫大な経済支援をしたにもかかわらずあまり感謝・評価されなかった、今回はその轍をふまないように……、という主旨のコメントをしたのがマスメディアで報道されていた。もはや問題点の横すべりという段階を超えてしまっているように思う。

自衛隊が動きはじめている。憲法の枠内ということばが聞かれるものの、もとより自衛隊が違憲だという(どう考えてもごく自然な)見解もあるわけで、にわか議論をしてもどうにもならない状態になってしまっている。学術的な法解釈は知らないが、素人目に見ても、自衛隊法をはじめ自衛隊にかかわるすべての法律は、第九条について言えば、憲法よりも上位の法であるとしか思えない。とりかえしのつかないことにならないように「護憲的改憲」をめざすべきではないだろうか。現行の第九条に加え、自衛隊の定義と摘要範囲を明記しなければ、実質的に、衆議院の過半数だけの力によって、国民投票もなされずに、改憲がおこなわれてしまうのと同じことになるわけなのだから。


[75] 横すべり 2001年09月19日 (水)

昨日、読書会で、北川透『詩的90年代の彼方へ−戦争詩の方法』(思潮社)を扱った。1990年から1992年にかけて書かれた文章を中心にまとめた一冊で、湾岸戦争、谷川俊太郎、定型論争を大きな軸として、1990年代の初頭における現代詩のフレームをかなり大胆にうちだしている。十年前のこととは言っても、以後、あまり積極的にデザインがなされていない感のある現代詩において、フレームとしての効力を失っていないように思われた。



テロ事件からたちまち戦争へと話が移行している。テロの真相を見きわめてゆかねばならないはずが、アメリカの報復の是非が問われ、ひいては諸国の対応が問われ、問題点の横すべり状態が起きている。なぜここまではげしい横すべりを起こしてしまうのか……。世界が空転し、人々が抒情しかできないとすれば、テロも戦争もいつまでもなくなりようがないのに。そして、自衛隊が動きはじめている。横すべりだということがわかっていても、それもまた無視できない状況になってしまっている。


[74] 出産 2001年09月18日 (火)

妻のともだちが出産した。おめでとう。二人目で二人とも女の子。出産前後、長女は母親にかまってもらえなくて泣いているらしい。か、かわいい……。これから数年は姉妹で母親のとりあいなのだろう。自分にはこどもがいないのでピンと来ないところもあるのだけど、いやむしろ出産や育児の凄まじさが実感できないからこそ思うのだろうけど、いいなあという感覚がふわふわとたちあがってくる。



アメリカでのテロ事件から一週間が経過した。日付を見て、もう一週間も過ぎたのか、まだ一週間しか過ぎていないのか、という感覚が同時に訪れた。テロで死者が出た。アメリカは報復を決意した。一見、明確な意志に明確な意志が応じようとしているわけだが、一方の主体の存在があまりにも不鮮明なため、周囲は、仮定としてしか思考ができない。テロの悲惨さに胸をいためて見えない犯人を憎んでも、世界の行方についていくらひととことばを交わしていても、どこかにすかすかした感じが残ったままだ。いったいどういう人物が何を意図してあの人たちをあんな風に殺してしまったのだろうか。


[73] スナフキン 2001年09月17日 (月)

昨日、アクセスしてみると、枡野浩一さんの運営するBBS「マスノ短歌教信者の部屋」が休止されていた(今はまたログだけ復活しているようだが……、ちなみに、アクセスカウンタは280,717である)。理由はあかされていない。彼のBBSの運営は、いかに苦しげなときでも、どこかにあたたかい感触をもっていて、励まされることが多かっただけに、衝撃が大きかったが、彼の決断なのだから、ベターな選択肢の一つなのだと信じたい。また、これまでの運営に感謝したいと思う。ありがとう。

 荻原裕幸のことを考える時、
 私はスナフキンをイメージしている。
 と気づいた。

8月27日付で書きこまれていた、枡野さんのこのコメントが、その日以来、どうも気になっているようで、悩んでいるときに、ふと、スナフキンだったらどう考えるだろうと考えていた自分に気づいた。本末転倒である。


[72] 共有 2001年08月11日 (土)

19日に岡井隆さんたちと計画している現代短歌ミニシンポジウムについて、あれこれ思案していた。くりかえしくりかえしおこなってきたシンポジウムやディスカッションにおいて、これまで、歴史と現在のちがいをきわだたせることばかりを求めてきたような気がする。そろそろ方向転換の時期になっているんじゃないか。教育的なニュアンスが生じるのは嫌だが、現在を軸にして、共有する何かをふやすための場としては考えられないものだろうか。



小泉首相の靖国神社参拝の是非が、毎日のように報じられている。靖国神社問題については、批判的な意見ばかりを耳にしていたので、この機会に肯定論を探してみようと思って、インターネットであれこれ探してみたところ、靖国神社の公式ホームページはまあ当然のことながら、他の関連サイトも、靖国神社問題への批判を批判するものが意外なほど多かった。東京裁判の無効を訴えたり、A級戦犯は実はA級英雄なのであると述べたり、死者に対する感覚(死ねば誰もが神仏という感覚)が日本と諸外国の文化とではまったくちがうと力説したり……。


[71] 「ジャック」 2001年08月10日 (金)

宣伝会議の出している「人間会議」2号に、眞木準さんが「新しい一行詩『ジャック』をつくろう。」という一文を載せている。「ジャック」はつまり惹句、広告コピーのキャッチフレーズの感覚で、新時代の詩型(と言ってもフォルムの制約はない)をつくろうというのである。これまでにも類似した試行はあったし、糸井重里の「萬流コピー塾」と仲畑貴志の「万能川柳」との中間的な感じ、なんて言うと怒られるかも知れないが、むろんうまく展開すれば、眞木準の「ジャック」は、ずいぶん面白い風景を見せてくれるんじゃないだろうか。心得風な「実験レシピ」に「一、一行に想いを込めること。/一、一行に一意しか込めぬこと。/一、一行に真実が込められること。」とある。これはどこかで聞いたことがあるような、ないような……。



ここしばらく(もう十年以上だと思う)ほとんど夢を見たことがない。むろん、身体の構造上、ほんとに見ていないわけはないので、憶えていないだけなのだろうが、ともかく起きたときにはたいていすでにすっかりこちらの世界にいるのだ。世の中には夢を細部まで鮮明に憶えているひとも多いらしいし、妻などは、夢に出てきたぼくの態度が気にいらなかったとき、起きてからしばらく機嫌がわるかったりもする。よほどリアルな感じで夢を見ているのだろうか。なんだか損をしているような、妬ましい気分になる。


[70] 二つの極 2001年08月08日 (水)

フジテレビ系「ファイティングガール」の寺山修司の詩の朗読がなくなってしまった。かわりに佐野洋子『百万回生きたねこ』が朗読されていた。この種の小道具は誰の選択なのだろう。居酒屋のシーンでは井上陽水「闇夜の国から」が流れていた。



吉本隆明の本で好きなものをあげるとき、『言葉からの触手』(1989年、河出書房新社)と『情況としての画像』(1991年、河出書房新社)をどうしてもはずすことができない、という話を、以前、ある人にしたとき、それはあまりにも斜にかまえた意見じゃないか、と嫌がられたことがあった。たしかにこの二冊は、吉本の仕事全体から見れば、異色の本であるのはまちがいないが、『言葉からの触手』がもっている詩のことば(と言ってもさしつかえないだろう)で書かれた「現在」の輪郭と、『情況としての画像』がもっているテレビの画像論を通して書かれた「現在」の輪郭とは、その他の評価の高い吉本の批評の構造を、二つの極から、もっともわかりやすく見せてくれている本じゃないかと思う。最近またこの二冊を再読している。


[69] 「S.O.S.」 2001年08月07日 (火)

先日から電脳短歌イエローページのメンテナンスの夏休みをとっている。その間に17.com、諸々のBBS、ホームページのメンテナンスに時間を割こうと思っているのだが、計画通りにはなかなか進んでゆかない。お盆あたりの仕事になりそうだ。



TBS系で再放送をしていた野島伸司の「ストロベリー・オンザ・ショートケーキ」を最終回まで観た。今年の第一クールのドラマの再放送。初期からの野島ファンには、とりわけ最終回の評判が悪かったと聞いていたのだが、なぜそんな屈折した意見が生まれてしまうのか、正直なところよく理解できなかった。あれでいいじゃないか。ストーリーは、ネガティブに偏向させればさせるほど、むしろ単純で、退屈の要因になりやすいし、偏向をどれだけ小さく抑えきれるかというのが大切ではないだろうか。趣味の問題かな。キャストでは、内山理名の演じていた沢村遥というキャラクターが見ていていちばん快かった。ショーケーキの苺は最後までとっておくとか、永遠をイメージさせるから青が好きだとか、嫌になるくらいありきたりのイメージをもちながら、そのありきたりの季節を爽やかに通り抜けてゆく感じがうまく出ていたと思う。


[68] 火星の緑の丘 2001年08月05日 (日)

いつだったかテレビで、ある種の研究者たちによって進められている、火星への移民計画の番組を観た。SF的に言えば、移民先の星で、青い地球、緑の地球に、ノスタルジックな感情をつのらせる、あの定番的なイメージで、どう考えても明るい未来には思えないわけだが、その計画の概要にはこころ惹かれるものがあった。火星の氷を溶かして海をつくり、植物をもちこんで光合成で酸素をつくり、つまりは火星を地球化しようというのである。火星を地球化できれば、同時に地球を本来の青い星、緑の星にもどすことにもつながるらしい。かたづけようにもかたづけきれない机まわりの山々を眺めながら、この話を思い出していた。



穂村弘の第三歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』(小学館)の感想が、やっと自分の中でかたちになりはじめたので、週刊読書人の短歌時評に、その一部をまとめてみた。800字ではどうしても大雑把な感想にしかならないが、まとめられるところまでまとめて、急ぎ、電子メールで入稿した。タイトルは「造形者としての作者」。文体の構造から見える一人称の問題を考えてみた。穂村さんの歌集については、あらためて長い文章をまとめてみようと思っている。


[67] 狼狽 2001年08月04日 (土)

昨日、夕刻から、妻と義母と義姉と四人で映画に。宮崎駿監督、スタジオジブリの「千と千尋の神隠し」。良質でとてもいい感じの作品だったが、どこかかすかに感情移入して楽しみきれない壁のようなものがあった。宮崎駿の一連の作品のなかにうっすらと流れている道徳臭と言ったらいいだろうか。ストーリーのほとんどに教訓あるいは人生訓がまとわりついているようで、それが見えてくると作品の世界に入りづらくなる。現代社会へのメッセージならばともかく、教訓というのは、どうも苦手だ。



河田育子さんが「音」六月号の時評で『永遠青天症』をとりあげてくれていた。その一部を引用しておく。「第三歌集『あるまじろん』や第四歌集『世紀末くん!』で、それぞれの実験的な表現を、方法論としてかなり意識的に繰り出していた氏の歌は、その意識の尖鋭さにおいて、私の感受性を棘のように刺すところがあったが、それがどのような転換を見せてくれるのかと期待しながら読んだ。第一に、ピュアで洗練されていながら新鮮な感じの、のびやかな抒情性に驚かされた。そしてその抒情性が、こちらを微かに狼狽させるほどの透明度の高さを持っているようにも感じられた」。この一文を読んでからというもの、つねに「狼狽」ということばが頭のなかをかけめぐっている。


[66] 『fish』 2001年08月03日 (金)

思い出したように夏風邪のなごりの咳がでる。ダイレクトメールの量が過剰になったので携帯電話のメールアドレスを変更した。280円になった吉野家の牛丼をもう二度も食べた。そういう日記って、楽しそうなんだけど、なんとなく書きにくい……。



村上きわみさんが、第一歌集『fish』(緑鯨社、1994年)をウェブにアップしてくれたので、熟読してみた。前衛短歌とのかかわりやライトバース以降の文体との接点が、手にとるように見えるのがとても興味深かった。歌集として総合的に見れば、第二歌集『キマイラ』の方があきらかにランクアップされた印象があるけれど、その時期にしか書けない、文体の、季節的なきらめきというのがあって、それがとてもまぶしい印象だった。以下、個人的な好みから、十首選をしてみた。

 パノラマの間違い探しの風景をふたり見ている非常階段
 ホールズを口うつしする別々の顔と手足を持つわたしたち
 午前ニ時 無言電話のむこうから小さくスワンソングが流れる
 はなから他人 くまなく身体合わせても混じることない液体がある
 簡単に〈生きざま〉などとぬらぬらと言ってしまえる男ではある
 唐突に泣き出す男 裏返るその声のこと思う一日
 まだ誰もしたことのないキスをする たとえば愛していない証に
 抱き合ったはずみにつけたアネモネの花粉が今日のアリバイになる
 ウミウシに話しかけたら長くなるような気がするからやめておく
 なんでもない犬でいるのも大変なことではあると思うな僕は


[65] 2ギガバイト 2001年08月02日 (木)

ウェブに利用しているimagenet.co.jpの、わりあてられている領域の利用量(データの転送量)が、月あたり2ギガバイトを超えているらしい。盛況で、うれしい悲鳴なのだが、サーバを提供してくれている側の問題もいろいろあって、近々、引越を検討しないといけないかも知れない。データを移送するだけのことなんだけど、それにしても、作業量を考えただけで目眩に襲われそうだ。



日記に書きそこねていたこと。6月3日から13日まで、【e短歌salon】で、「インターネットと短歌の現在」というテーマの短期集中のディスカッションをおこなった。インターネットを主媒体にするひととそうではないひとの間の摩擦係数が小さくなるといいなと思っていたのだが……、そこは、まあ、小さくなったり大きくなったり、で、なかなか思惑どおりには進んでゆかないとあらためて実感された。終盤、田中庸介さんの批評が、短詩型の作家たちの間でブレイクしたのがとりわけ印象的だった。現在も過去ログですべてのコメントが読める。そうそう、田中庸介さんと言えば、6月1日に、名古屋で、はじめて逢うことができた。逢うまではどんな人なのだろうとどきどきしていたが、ウェブに出ているそのままの、思考が明晰でかつ爽快な人だった。現代詩についていっぱい教えてもらい、短歌の議論をいろいろした。朗読の話についてかみあわなかったところがあって、じゃあこんど一緒に企画をしましょうという約束をしたまま進んでいない。ああ、そうだ、実はその日、コラボレーションの企画を彼にもちかけようと思って、それも言いそびれたままだった……。


[64] 『ひとりぼっちのあなたに』 2001年08月01日 (水)

八月になった。誕生月。下旬には三十九歳になる。二十一世紀になったら三十九歳になるんだってこどもの頃にときどき思っていたその歳になる。末尾の「九」が何かのタイムリミットのように感じられるのは、十九歳も二十九歳も同じだったが、たぶん同じように大したことは起きないだろう。



夜、フジテレビ系の「ファイティングガール」を観る。初回、寺山修司の詩の朗読に気づいたため、つい毎回欠かさずに観ることになってしまった。絶版本の『ひとりぼっちのあなたに』からの朗読、最終回までつづけるつもりだろうか。先週は「映子をみつめる」から地平線のくだりを、今日は「幸福についての七つの詩」の一節をふたたび読んでいた。深田恭子が寺山修司を朗読するというミスマッチな感じがなんだか面白い。毎回、実物の本が映される。今日も一瞬だけ出たが、さすがに絶版本だけあって表紙が色褪せていた。うちにあるのも同じくらい色褪せている。


[63] あかいところとあおいところ 2001年07月31日 (火)

枡野浩一さんの『ハッピーロンリーウォーリーソング』(角川文庫)のあかいところ(読んだ人にはわかる)に、懐かしい感じの写真がいっぱいあって楽しい。高円寺の周辺かな。あおいところ(読んだ人にはわかる)にはあまり懐かしい感じがなくて、はじめて見るものを追っているような視線を感じた。細かい場所はよくわからないけれど、あかいところからあおいところへ、同心円がひろがっていって、その外に東京がぐーんとひろがっている印象がある。こういうのは写真の池田進吾さんの仕事として単独に賞賛すべきなのかも知れないが、枡野浩一の短歌に決定的に欠けている(と言っても欠点というわけではない)発語する主格が存在している時空の実在感みたいなものがそこに「補完」されていて、すごいなと思った。写真と短歌の組みあわせで、コラボレーションとはっきり言える本は、これがはじめてじゃないだろうか。同じ試みはいくらでもあるけど、互いに互いをバックグラウンドへと追いやってしまうものが多かったと記憶している。良い本だ。



【歌葉】サイトの「現代短歌の世界」等のコラムの執筆担当が、八月分から穂村弘さんにかわった。初回には『デジタル・ビスケット』をとりあげてくれていた。タイトルは「お墓に注意」。解題のクロニクル的な感覚とはまたちがう、フルーツバスケットのような(と言ってもさっぱり説明にならないが、読んだ人にはわかる、気がする……)文体である。自分が著者であることも完全に忘れて面白がってしまった。


[62] 補助線 2001年07月30日 (月)

メールマガジン「@ラエティティア」の11号を校了した。編集の小林久美子さん東直子さんの発案で、連続して【歌葉】の特集を組むことになった。システムの話題が先行してしまったオンデマンド歌集も、こうしてすこしずつコンテンツへと話題が移行してくれるとうれしい。配信リストに追加登録をして、明日には発行できるだろう。発行部数は750を超えた。



正岡豊さんが「折口信夫の別荘日記」(7月30日付)に、「未来」七月号に掲載された加藤治郎さんとの電子メール対談「『場』のニューウェーブ」の感想を書いてくれた。歌壇や短歌史という角度からでは、おそらく異論ばかりになってしまうと思うのだが、正岡さんのは、きもちよく視点を横に広げてくれる文章でうれしかった。「短歌というのは確かに一種の「詩形」ではあるんだけれど、文化論的なシステムやソフトウエアでもあるし、ある無形で日本なり日本人なりの精神に接続するサブウェイを持つ、「情報」流通の太いチューブにも思えます」等、感想の域をはるかに超えて、補助線を次々に引いてくれている。それらの補助線をひとつの梃子にして、対談中の発想のいくつかをもうすこし煮つめてみようかと思う。


[61] 選挙 2001年07月29日 (日)

昼頃、参議院選挙の某政党の某候補者の選挙事務所を名のる女性から電話があった。某選挙事務所の者ですが、本日の投票には行っていただけましたでしょうか、という。投票日にこれは選挙違反だと思うし、ごちゃごちゃ揉めるのも億劫なので、そういう電話はやめていただけますか、と釘をさしたところ、投票率が落ちるのをふせぎたいと思いまして云々と言いわけをはじめてくれた。政党名や候補者の名前を出しての電話というのは、どう考えても選挙運動じゃないか……。

夜、テレビ各局の選挙の開票速報をずっと見ている。ほぼ誰の予測もうらぎらない結果になったようだ。小泉内閣・与党への期待票と野党にながれる抑制票という構図になってしまった以上、期待の側が勝つのは自然ななりゆきだろう。各局のキャスターたちがそろって、思ったほど投票率があがらなかったと口にしていたが、手の内の見えない選挙でそんなに投票率があがると本気で考えていたのだろうか。あるいはテレビ的な虚辞のコメントなのだろうか。昼間の選挙違反の電話の女性の方が、いくらか感覚がまともなようにさえ思われた。


[60] 時間旅行 2001年07月28日 (土)

ふと気がつくと机まわりが怖ろしいことになっていた。書類や資料の山、山、山で、何がどこにあるのか、いちばん上に積んであるもの以外、さっぱり見当もつかない状態になっている。整理に一か月くらいはかかるんじゃないだろうか……。



倉富洋子さんとなかはられいこさんの同人誌「WE ARE!」第2号が来月発行になる。今号にはぼくのインタビューを掲載してもらうことになった。十代の日々、短歌に傾倒していった頃の話から、現在の川柳の話まで、気ままに話をさせてもらった。昨日読んでいた『コカコーラ・レッスン』云々は、二人にまとめてもらったゲラを読んでいるうちに、行間に消えていたエピソードとして思い出したものでもある。二十年も経つのだから、記憶がかすれるのはあたりまえだが、体感している時間にくらべて、実際に経過した時間が長いことに愕然としている。『デジタル・ビスケット』をまとめた時期と重なるように、アンソロジーの原稿を二冊分まとめたり、なぜか過去の整理の仕事が集中的にあった。個人的な時間旅行するように、1980年代から現在までを往来することが多い。勢いにまかせて、何か現在の短歌についてまとめるべきなのかも知れない。


[59] オフ 2001年07月27日 (金)

日曜日あたりから夏風邪にやられたようで、しばらくは鼻のいたみと咳に悩まされていた。それでも無理をしながら仕事をつづけていたせいか、症状の治まってきた今日になって、猛烈な睡魔に襲われ、ほぼ半日、ずっと眠っていた。自動的にオフの一日となった。どうせオフにするなら、どこかに遊びにゆきたいとも思うのだが……。



谷川俊太郎の『コカコーラ・レッスン』をひさしぶりにひらいてみた。はじめてこの詩集にふれたとき、たしか十代の終りだったか、こうした日本語への入射角のありように、現代詩の本質の一端があるように感じたのを思い出した。もう一方の端には、たとえば、寺山修司の『ロング・グッドバイ』にあるような、ロマン的な想像力を刺激することばのアクロバットを想定していたと思う。谷川と寺山のあいだで鳴りひびく宙吊りの鈴の音のようなものが、あえて言えば、現代詩の理想のイメージの核としてぼくの中にあった。いささか奇異な詩観と言うほかないが、今でもさして大きくはかわっていない。平出隆と瀬尾育生という、共通項を見出しにくい二人に同時に惹かれているのも、この詩観につながるものだと思われる。1980年頃、荒川洋治からねじめ正一や伊藤比呂美といった方向へ展開してゆく現代詩を楽しみながら、それでもうまくなじめなかったのは、この理想のイメージとのギャップをうまく埋められなかったからだろう。同時代と現代詩に強い関心を抱きながら、なぜその時期に塚本邦雄や寺山修司の、しかも主に1950年代、60年代の短歌に傾倒していったのか、今となってはどうにも記憶の糸をたぐりよせられないが、「詩」の本質をどこで捉えるかに深くかかわることだったに違いない。


[58] 知恵の輪 2001年07月26日 (木)

早朝からあたりに蝉の声がみちている。マンションの中庭は、それはもうすさまじい状態で、蝉が、と言うよりは、樹そのものが鳴いているみたいだ。あの声をあびていると、夏の真ん中にいるんだ、と、それだけはたしかに感じられるんだけど、しかし、それにしても、にぎやかだなあ。



二か月にわたって更新していないのに、カウンタの数字がかなり増えている……。驚いた。もう10,000に近い。アクセスしてくれた人にお詫びがてら、とにかく更新をする。仕事を含め、パソコンでの作業量があまりにも増えてしまったためか、この数か月、思ったように身動きがとれない状態だった。管理をしているBBSにもなかなか顔を出せなかった。日記が自身を縛ってはまずいと思い、更新を放棄する日々がつづいた。どうやって脱すればいいのか、考えて考えてもよくわからなかったのだが、思いつきで、オフの時間をふやしてみたら、ある日、知恵の輪がはずれてゆくような感覚があって、またここにもどって来ることができた。しばらくはリハビリのつもりで書くことにする。


[57] ハチドリとして 2001年05月27日 (日)

順序を気にせず、ひとつずつクリアするしかない……。



【歌葉】サイトの「今月の歌」を執筆するため、村上きわみさんの『キマイラ』を再読していた。村上さんの文体には、その斬新な感覚のかげに、どこか懐かしさを感じさせる何かがある。ぼくはいつもその懐かしさに惹かれる。弾けるようなことばのほとばしりをささえているのは、この、正体を掴めない懐かしさではないかと思う。

 それはしずかな諒解として息をして食べて泣いたり笑いあったり
 この次はハチドリとハチドリとして会いましょうせわしなく会いましょ
 じゃあまたと手をあげる時ナオユキはなんだかすごくナオユキになる
 青年が青年のままゆっくりと廃墟になっていくのを見てる
 しどけなき春泥に足とられつつかなしも 近代以降 の われ ら

あとがきにこんな一節がある。「私にとって短歌を書くことは、自分をとりまく世界への違和の表明のようなものでした。あるいはその違和を確かめ確かめしながら、世界に触れ直していく試みのようなものと言ってもいいかもしれません」。短絡的に考えてしまえば、違和をたしかめながらも、世界に触れなおす、というその点に、ぼくの感じている懐かしさはあるのだろう。違和を失わないことによって、よりふかく親和するのかも知れない。


[56] 伝統意識と歴史 2001年05月26日 (土)

電子ネットワークの仕事が山積したまま、まだしばらく手がつけられそうにない。どうしたものか。要返信のメールもどっさりたまっていて、どこから手をつけたらいいものやら、いささか途方に暮れている。



BBS「せんりゅう・らぼ」がいきなりにぎやかなことになっていた。いとう岬さんとなかはられいこさんのディスカッションが白熱していて、楽しんで読んでいたところ、どこからか議論の糸がもつれてしまって、交通整理のようなコメントをする必要に迫られた。それぞれの主張が対立しあっているのならばまだわかるのだが……。川柳の議論を読んでいてしばしばこれはまずいなと感じるのは、川柳史との接点を模索する方向へ議論がすすんでゆかないことである。むろんいちいち歴史をもちだすうざったさはわからないわけではない。ただ、歴史を迂回するにしては、あまりにも共有している認識がすくなすぎるように感じられてならない。『脱衣場のアリス』の座談会で、石田柊馬さんが「川柳には伝統意識がない」と断言していたけれど、この伝統意識がないということと歴史をもちださないということは、あるいはどこかで結びついているのだろうか。


[55] 解題としての座談会 2001年05月25日 (金)

朝日新聞「東海の文芸」の原稿をしあげる。四百字で五枚。電子メールで入稿。今回は、なかはられいこ句集『脱衣場のアリス』を中心にまとめてみた。この句集のことを語るならば、併載している座談会の話からはいりたいと思っていたのだが、新聞での紹介となるとどうもそういうわけにもいかず、作品中心のオーソドックスな紹介となった。

そう言えば、併載の座談会「なかはられいこと川柳の現在」について、そのディスカッションの内容以前の問題として、読者には、なぜ句集に座談会を併載しているのかという本の構成そのものへのとまどいもあるらしい。本田瑞穂さんの日記に「はじめて読んだ川柳の句集、『脱衣場のアリス』の最初の感想は、座談会を読んだあとにはもう大幅に変わってしまったのである」「これだけ別の場所で論じることはできなかったのかなあ」(2001年5月2日付)等と書かれていたのを読んで、ちょっと考えこんでしまった。実は、座談会=解題という位置づけは、誰が見てもあきらかだと思っていたのだ。本田さんは、作品集における解題の存在そのものを否定しているわけではないだろう。そもそもそれを読んで何の印象の変化も与えないような解題など無意味なのだから。となると、座談会というスタイルに違和感をもたせてしまう何かがあったということなのか……。


[54] 電脳短歌の行方 2001年05月24日 (木)

仕事を強引に再開。ひたすら資料を読み耽る。砂子屋書房のパーティに出席するつもりだったが、どうにも時間がとれなくなってしまった。残念である。夜になってから「@ラエティティア」第9号を発行した。昨夜、新しい購読希望者を配信リストに登録した時点で、購読者数が713人となっている。10通を超える返送が予測されるが、それでも700人ちかくには配信されるであろう。



電脳短歌BBSがにわかに盛りあがりはじめている。インターネットにおける短歌全体をめぐる議論である。【e短歌salon】のように、特定のテクストを対象としていれば、まだどうにかコーディネートの方法もあるのだが、電脳短歌BBSの議論は、ともすれば仮想のテクストを対象としたものになりがちで、こちらからアクティブに組みたててゆくのは不可能であろう。議論の行方を見まもっているしかない。ただ、これを契機に、運営方針など、自身で確認する意味もふくめて、いくつか見解をまとめておこうとは思っている。


[53] 作者はどこにいるのか 2001年05月23日 (水)

集中力を完全に失っている。思索に耽る。メモ。作者がどこにいるかということをぼくたちは明確に示すことができない。なぜなら、明確に示すという行為そのものが、つねに「作者」をメタレベルに転送してしまうからだ。たとえば「わたしはここにいる」という記述は「わたしはここにいる、とわたしは書いた」というメタレベルでの認識においてはじめて作者の位置をあきらかにするが、その認識はさらに「わたしはここにいる、とわたしは書いた、とわたしは書いた」というメタレベルの認識をよびおこしてしまう。これを無限に繰り返したところで何も明確にはならない。では、作者がどこにいるのかを示すことは不可能なのだろうか。可能だとすれば、それは「文字」を書くという行為が、その行為以外の一切の意識をはらまない場所においてだけであろう。言いかえると、短歌は短歌である、という以外の一切の述語を求めないような場所においてのみである。そこでは、作者のメタレベルへの転送が発生しないからだ。

我田引水的に言えば、『あるまじろん』と『世紀末くん!』は、結果として、短歌は短歌であるというトートロジーを生きてみる試みであったと言えるのかも知れない。二冊の歌集が抱えていた「わからなさ」というのは、このトートロジーの骨格がむきだしになっていたために発生した歪みである。むろんむきだしにしてしまうことは必要だったわけだが、トートロジーも、トートロジー自体を目的にした瞬間に崩れてしまう。さして時を経ず『永遠青天症』の方へと歩きはじめなければならなくなった。そして『永遠青天症』も、すでに過去の駅なのである。


[52] 文字にやどる意識 2001年05月22日 (火)

メールマガジン「@ラエティティア」第9号の校正をすすめる。小林久美子さん東直子さんの編集の快調なテンポにくらべて、どうも発行作業はおくれがちだ。今号は、松平盟子さんの『パリを抱きしめる』『カフェの木椅子が軋むまま』の特集号である。作品中にフランス語が頻出するため、批評文にもおのずとルビが多くなる。パソコン系の日本語は、このあたりの表記力が弱い。丸括弧でルビをあらわすのはまだしも、たとえばアクサンテギュを欄外の注記以外で表記できないのが悔しい。やむをえないとはいえ、執筆者にも松平さんにももうしわけないきもちになる。発行まであとわずかである。



資料読みと思索の繰り返し。メモ。では「文字」にぼくたちの意識はやどっているのか。たしかに記述された文字から意識を読みとることは可能なのだが、ぼくたちは、記述された文字から読みとれるような意識としてここに生きているわけではないと思う。作中の主格と作者とが無縁であるわけはないにしても、作中の主格はせいぜい自画像でしかない。そして自画像の像そのものは、決して作者の意識そのものではない。だとしたら作者はどこにいるのだろうか……。


[51] 文字という物質 2001年05月21日 (月)

月のはじめから【e短歌salon】で開催していた正岡豊歌集『四月の魚』批評会が終了した。20日間での発言数が約450、アクセスカウンタが7000回まわった。企画は成功したと言ってもいいだろう。話の流れをうまくはこんでくれた錦見映理子さんはじめ、発言してくれた人、見守っていてくれた人にも感謝したい。いま、次の企画を検討中だが、すべてのコメントを熟読するという作業が、予想した以上にきついものであることが実感された。負担が過剰にならない範囲で、ゆっくり進めてゆきたいと思っている。



時評の資料をあれこれ読みはじめるが、読んだものの感触がうまく掴みきれない。集中力がまだ欠けているらしい。強引に何冊か読みとおしたところで中断する。気分転換に、思索に耽る。メモ。ぼくたちは「短歌を書く」という行為に、あまりためらいなく、作家性という意識の流れを感じているが、実際にそこでおこなわれていることの多くは、ただ「文字」を提示するという物質的な行為ではないのか……。


[50] 2001年05月20日 (日)

昨日、姉の結婚式に妻と出席した。姉とはいっても妻の実姉で、年齢も実はずいぶん下なのである。話していて妹のように感じてしまうことも多い。夕方からの挙式・披露宴であったが、正午をすぎた頃には式場にはいり、そのまま華やいだ空気のなかにずっといることになった。花嫁をみていて、妻と二人、何度かぽろぽろ涙をながして泣いてしまった。妹の想いというのはよくわからないが、五月になったあたりから周囲のすべてに過敏になっていたようで、その過敏さがぼくにも伝染していたらしい。尾をひいているのか、今日になっても、思考が、仕事のモードにうまくきりかわらない。でもまあ、しばらくはきりかわらなくてもいいか……。



「歌壇」五月号の短歌時評で、大野道夫さんが、歌集『デジタル・ビスケット』をとりあげてくれていた。『永遠青天症』について「全体に今の時代を反映させて淡くはあるが、溶けかけているゼリーに満ちているような、質感がある世界が詠まれていると思う」とある。また「どこかに遊びに行っていた若者が年齢を重ねて帰ってきたような感じがした」ともある。第二歌集から第四歌集にわたる営為に対するやわらかな批判をふくんだ後者には、作者として苦笑するしかなかったが、ともあれ、それら「遊び」を基礎になりたっている第五歌集のことばが大野さんにきちんと届いたことは、何よりもうれしく感じられたのだった。


[49] 視線の方向 2001年05月18日 (金)

それでも、菊池典子さんの文章に註を入れてみよう……。世界には絶対的不可知の領域がある。こう断言するのには、たいそう胡散臭いひびきがあるが、婉曲に言ったところでどうにもならない。世界には絶対的不可知の領域がある。それを仮に永遠と呼んでも神と呼んでも死と呼んでも他者と呼んでもいい。仮に「青天」と呼んでもいい。これまでの自分の短歌の活動は、数えきれない試行錯誤をはらんでいるだろうが、「いま・ここ」から「青天」に向かう視線の方向だけは、あるいはその視線の方向を維持しようとする姿勢だけは、一貫していたと思う。この視線の方向は、ぼくにとっては不可逆の「意志」のようなものなのだから。この視線の方向は、しかし、短歌は詩/文学である、この作品は詩/文学である、という、作品のメタレベルの意識/無意識が兆すと、正反対を向いてしまうものでもある。ぼくが「いま・ここ」を唱えるためになんらかの迂回をしたとすれば、今後またそのような迂回をするとすれば、それは、視線の方向を狂わせないための「意志」によるものだろう。


[48] パソコン不調 2001年05月17日 (木)

先日からパソコン一台が不調のままである。どうもフォントにかかわる問題のようなのだが、杳としてその原因がわからず、OSを再インストールすることにした。ふくれあがったデータのバックアップ用に、外付のハードディスクを買いにでる。大須のパソコンショップで探してみると、40GBで、2万円台……。以前のことを思うと、信じられない安さだ。帰宅して、フォーマットして、再インストールして、起動してみる。OSはわけもなくたちあがったが、肝心の不調が解決していない。ハードウェアの問題なのだろうか……。



菊池典子さんが「ひかりの方舟」(2001年5月14〜15日付)に、歌集『デジタル・ビスケット』の批評・鑑賞を書いてくれた。最新の『永遠青天症』と以前の歌集をあわせて、総量は優に二〇枚を超えている……。菊池さんは『永遠青天症』を「入り込んだ迷路から出る呪文を彼は唱え始める。『いま、ここ』と。」「精神が宿っていたからだに立ち戻るように彼は彼自身のからだの住むこの世界を眺め始める。そして、そこから『あをぞら』を見上げはじめるのだ」等と概観している。作者からは註をさしはさみにくい、それゆえに魅力のある文章だった。


[47] 「去勢の書法」 2001年05月16日 (水)

終日、仕事。



豊島重之「二度性の演劇」からふたたび引用する。「周知のように寺山文学はまず俳句に始まる。俳句はしかし、若き寺山が渇望した私性の捕獲どころか、技術的錬成をかえって無私性の方へと連れだす。いわば『沈黙へ向かって開かれる』供犠の書法であった。すぐさま彼は短歌に乗り換える。座りがいい。飽和感がある。呼びかけが生じ、内なる他者との物語が編まれ、濃密な私性が起ちあがる。けれどまたしても技術的な錬成は囁くのだ。ここには丸ごとの世界肯定と底なしの自己言及しかないと。いわば『対話に向かって閉じられる』去勢の書法ではないのかと」。

寺山修司がどのような契機で演劇に向かったのか、実際のところはわかりようがない。わかりようはないが、短歌の朗読=上演は、豊島が示唆するような寺山演劇の場所もしくは隣接した場所/反転した場所で考えられるべきではないか。いまのところ、ぼくには、それ以外に、短歌の朗読=上演を価値づけてゆく思考の軸は見つからないように思われる。


[46] 寺山演劇の場所 2001年05月15日 (火)

終日、仕事。睡眠時間帯が不規則なせいか、ときおり長時間まったく眠れなくなることがある。ベッドでの読書が最近すこしふえた。



ユリイカの臨時増刊「寺山修司」(一九九三年)をすこし読みなおしていた。読みなおしたかったのは、内野儀「寺山修司の墓」。寺山演劇の「後継者」問題として、岸田理生と豊島重之の活動を考察している一文だ。もっとも、ぼくの関心は、ダイレクトに演劇にあるわけではない。短歌の朗読をめぐる思考の軸として、寺山が演劇にむかった経緯や豊島重之・海上宏美たちの「絶対演劇」をめぐる思索が必須ではないかと考えているのだ。ユリイカには、豊島重之「二度性の演劇」も掲載されている。「短歌のタテ穴と俳句のヨコ穴、これを演劇のテクストの形式としてではなく、あくまで上演の形式として反復すること。そして穴という形式のへりに降り立つこと。そこに寺山演劇の場所があるはずであった」。


[45] 俳句の役割? 2001年05月14日 (月)

六月二日に名古屋での開催が予定されている現代俳句協会青年部のシンポジウムの資料をまとめた。テーマは「二十一世紀と俳句の役割〜俳句の根拠を求めて」。ディスカッションのパネラーとして出席する。はじめ、あまりにもポジティブなテーマ設定におどろかされたが、ジャンルが盛んになればなるほど分派も極端になり、根源的なところで何か共有事項を求めてゆくものなのかも知れない。これは短歌でも似た状況が見られる。ジャンル外からは川柳作家の大西泰世さんも出席されるという。



昨夜、佐藤りえさんと電話をしていた。急逝された高瀬一誌さんの話。ときおり二人で沈黙しては、またぽつぽつと喋りはじめる。死はどのようにも解決されない。それは二人ともわかってはいるが、出口がないともわかってはいるが、話をつづけられずにはいられなかった……。


[44] 10000 2001年05月13日 (日)

母の日。

数日前に、贈りものをわたすからと電話でつたえておいたら、いきなり母が高熱を出した。三十九度を超えていたとか。う〜ん、珍しいことをすると雨が降るというあの類か。医者の診察をうけて薬を処方してもらい、すぐに熱はさがったらしい。ただの風邪だった。やれやれ。



ウェブ「デジタル・ビスケット」のアクセスカウンタが10000を超えた。一か月あたり、700〜800回カウンタがまわっている計算になる。更新があまり進んでいないのに、いろいろな人が来てくれているということだ。感謝のきもちでいっぱいになる。できるだけ早い時期に、ホームページ用に、短歌の連作を書きおろしたいと考えているが、なかなか時間がとれずに難航している。


[43] 「異物」 2001年05月12日 (土)

藤原龍一郎『東京式』(北冬舎)の書評をしあげた。四百字で二枚。「@ラエティティア」編集の小林久美子さんに電子メールで入稿した。第10号に掲載予定である。できるだけシンプルにまとめようとしたのに、岡井隆歌集『人生の視える場所』、小池光歌集『日々の思い出』、佐佐木幸綱歌集『旅人』『呑牛』等、詞書と日録にモチーフをかぎってみても、資料を再読しはじめたらどんどん思考の網がひろがってゆき、収拾がつかなくなる寸前だった。『東京式』がそれほどスリリングな刺激にみちているということだろう。こうした日録との一体化にしても、音声との一体化をはかる朗読にしても、短歌と「異物」の接点に生じる場というのは、近いうちに、大きな焦点を形成することになるのではないか。



五十嵐きよみさんのウェブ「梨の実通信」内の「梨の実図書館」で、歌集『デジタル・ビスケット』を紹介してもらっている。歌集ごとの文体の変遷に焦点をしぼって、五十嵐さん自身の作歌姿勢との共鳴部分について、高らかに、宣言するように書かれた文章がきもちよかった。歌集をめぐる作歌姿勢について、ここまではっきり共鳴してもらったのははじめてだった。五歌集を一冊にまとめてほんとによかったなと実感している。


[42] その先に何がある? 2001年05月11日 (金)

ウェブ「デジタル・ビスケット」に掲載する一首評の原稿が、岡田幸生さんから届いた。ひぐらしひなつさんから転送されてくる。谷川俊太郎がひいてある。シェイクスピアがひいてある。かげりのないかげりというか、文学臭のない文学というか、そうしたところにつないで語ってくれている。ぼくの作品がそのような地点で読めるというよりも、そのような地点に確実に到達せよという強いメッセージだろう。原稿をひらいたモニターを拝む。確認に加えて、再掲載のため、「中部短歌」四月号に掲載した「二〇〇一年と場の問題」のデータをひぐらしさんに送る。更新はひさしぶり。そう言えばアクセスカウンタが9900を超えていた。誰が10000を踏んでくれるのだろうか。



加藤治郎さんからメール対談をプリントアウトしたゲラが届く。早い。タイトルが付されている。「場のニューウェーブ」。ああそう言えばぼくはそんな話ばかりしていたなあと再認識して、なんとなくてれくさい気分になる。通読するとどうしても手をいれたい箇所があらわれるし、一九八〇年代を語ると一九七〇年代のことが気になってしかたないが、ほぼ一か月かけてまとめた流れをいまさらこわしたくない。加藤さんも編集上の行数調整のための朱入れしかほどこしてないようだ。場の空気は大切にすべきだろう。確認だけすませて、GOサインのメールを流す。


[41] 5-3=2 2001年05月10日 (木)

五から三をひいた二としておもむろにしろがねを深めゆく父と母/荻原裕幸

今夜、東桜歌会に出席した。今月の題は五月の「五」である。題詠歌会にかかわるようになってから、そろそろ六年になる。はじめはきまりがあるのは嫌だなあとばかり感じていたが、最近やっとどこかすこし楽しみながらも書けるようになった。とは言っても、むろん締切ぎりぎりまでは悩みまくるのである。ああもしかしたら今月は出せないかも知れないという気分にすらなる。幹事をひきうけているのは、逃げをうてないようにするための手段でもあり、物理的に追いつめられるとなぜか作品が書けたりもするのだ。人間の不思議な生理を毎月のように実感している。今月の作品、この一首の上句をひきだすまでに二日がかりだった。

歌会の雑談のなかで、岡井隆さんと「連鎖する歌人たち〜マラソン・リーディング2001〜」の話をする。人間としての優しさと歌人としての厳しさを同時に感じさせることばの洪水にあう。



昨夜の新規参加者をカウントして、ラエティティアのメンバーが168人となった。玲はる名さんが、元気に定例歌会をとりしきりはじめている。とざされたグループとは言っても、もはや単なるフレンドシップだけで維持できる人数ではなくなっているのかも知れない。運営者として何をすべきか、初心にたちかえり、あたらしい青写真を準備する季節が近づいているようだ。


[40] メール対談 2001年05月09日 (水)

明日の東桜歌会の詠草が電子メールとファックスで届きはじめている。



加藤治郎さんとこつこつ進めていたメール対談をほぼ終えた。結社「未来」創立五十周年の記念企画として、加藤さんの担当号に掲載される予定だ。ぼくたちの対談のテーマは「ライトヴァースからニューウェーブという枠組みの検証」「へるめす歌会、岩波現代短歌辞典という運動」「電脳短歌、オンデマンド出版の現代短歌への影響」等、考えてみると、いずれも加藤さんとともにかかわっていた事件だ。青年期への追憶に似た懐かしさもこみあげてくるけれど、それ以上に、どうやったらあのかたくなな歌人をこちらの考える領域にひきずりこめるか、あるいはどうやってあちらにひきずりこまれないようにするか、といった確執の記憶が、いや、記憶ばかりではない現在進行形の確執が、つぎつぎにあたまのなかを流れてゆく。歌集『デジタル・ビスケット』の解題で「われわれは、作風も世界観も異なるのだが、一点、未知の領域へ賭ける気質において繋がっているように思う」と加藤さんが書いていたのは、同時にぼくの実感でもあるのだった。


[39] 猫の死骸 2001年05月08日 (火)

雨。

猫の死骸。車に轢かれたらしい。通りの真ん中によこたわっていた。首輪をしていない。ふたたび轢かれるとほんとに悲惨なので、脇によけてやらなければならない。運ぼうとしてもちあげたところで腕にふるえが奔った。うまく言えないけど、元気な猫とはどこかおもさの質がちがうのだ。車が近づいて来たので、あわててともかく脇にはこんだ。猫をおろしてからも腕のふるえがとまらない。怖いとかきもちわるいとかそういう感触とはどこか質のちがうもので、触れてはならないものに触れてしまったという感触だった。小一時間くらい腕のふるえがとまらなかった。ふるえがとまってからも、腕がまだあのおもさを憶えている。

なぜ自分がそんなに過敏に反応してしまったのか、しばらく理解できずにいた。死に接することはたびたびあっても、死骸をもつという経験がなかったからだろうか。少年時にそんな経験があったような気もするが、記憶がさだかではない。腕がまだあのおもさを憶えている。


[38] 帰名 2001年05月07日 (月)

帰名すると、いつものことながら電子メールの洪水だった。急ぎのところから対応をはじめる。



玲はる名と写生のこと。ひきつづきメモをする。

批評会のレジュメにも引用したが、たとえば、島木赤彦の『歌道小見』では「歌はれる事象は、歌ふ主観が全心的に集中されゝば、されるほど単一化されてまゐります。写生が事象の核心を捉へようとするのも、同じく単一化を目ざすことになるのでありまして、単一化は要するに全心の一点に集中する状態であります」と語られる。たとえば、斎藤茂吉の『短歌写生の説』では「歌ごころの衝迫にしたがつて、自由に、直接に、深く、確かに、その間に二次的の雑念を交へずに、中途でふらふらと戯れることなしに、表はすものをば表はすのが写生である」と語られる。こうした写生についての理論は、対象に向かう作者の姿勢をさだめてはゆくが、解釈次第では、フォーカスの設定を必ずしも固定してしまうわけではない。玲はる名が赤彦や茂吉をダイレクトに意識しているとは思われないにしても、このフォーカスの設定部分に、彼女が「短歌21世紀」という場を生きてきた道筋があるのではないか。歌集制作に対してインスピレーションを与えた加藤治郎にしても、きわめてよく似た経緯をたどって短歌の現在にいたったようにぼくには見えるのだ。


[37] 上京 2001年05月06日 (日)

上京。玲はる名と小川優子の出版記念会&批評会。ホテルの部屋にもどると、すでに日付がかわっている。批評会では、あまり話す時間がなかったので、忘れてしまわないうちにおぼえがきを。



 便器から赤ペン拾う。たった今覚えたものを手に記すため
 人垣を抜け出して立つ雨の中に 橙色はわたし、わたしよ!
 おろしたての出刃の光のみぎひだりひだりみぎみぎひだりみぎひだり
 愛なんてあなたがこの世にひとりしかいないからまだ100%なのよ
 そっと置くあなたに貸した消しゴムの先があなたの先に似ている

玲はる名の『たった今覚えたものを』のなかで、いいのではないか、と思った作品である。まっすぐに、歌の核となる事象や意識を抽出しえていると感じられる。事象や意識の周囲にあったはずの、世界と自分とのつながりをことごとく捨象して、それゆえに、つながりを求めてふるえつづけることばの力がここに残っている。この歌集は、実験的要素を剥き出しにした作品を多く抱えてしまったかも知れないが、文体の獲得という点で、短歌の現在に肉薄しえていると言えるのではないだろうか。

小川優子にもすこし感じられたことだが、とりわけ玲はる名が、なぜ「短歌21世紀」という場を経てこうした文体へ向かうのかが不思議でならなかった。たぶん本人も意識していないであろう道筋を仮構してみた。写生とは、広く、空想を排して対象の描写に向かうその姿勢をさす。写生は世界のすべてを写すわけではなく、対象の核を何らかのフレームをもちいて世界から切り出す。短歌における写生は、短歌というフレームで世界を切り出すことだが、フレームが定型=フォルムとして固定されている以上、フォーカスの設定によって個々の方法に向かうことになる。極端に設定が異なるものの、玲はる名の方法は、写生の一変種なのであろう、と。


[36] 文体 2001年05月05日 (土)

小川優子歌集『路上の果実』の再読を終えた。

 猫飼へば修復できる二人ではなかつた窓をあけてもひとり
 宇宙からすぐに現世に戻れずにすかいらーくにひとり頬づゑ
 荒き息にくもるガラスのむかうには君とは棲めぬ東京がある
 さみだれの音などきかぬ二人でした二人でたてる音だけを聴いて

付箋をほどこした作品をいくつか引用したみた。それぞれに佳品であると思う。思うが、こうした引用では、この歌集の何をも示せないという感覚が消えない。離婚から母の死にいたる「生活」を主要なモチーフとしたこの歌集の核にとどかない。文体を中心に読むからなのだろう。逆に言えば、文体は、この歌集の中心から逸れたところでしか意識されていないということか。この歌集を成り立たせている場の半分が見えていて、あとの半分が見えてこない。



週刊読書人の短歌時評を脱稿した。八〇〇字。玲はる名と小川優子の歌集をひきあいにして、「短歌21世紀」および結社のことにふれた。結社が、各々の理念以上に、集団としての活力の獲得に向かっているのではないかという指摘である。


[35] 二十歳 2001年05月04日 (休)

寺山修司忌。

十代の日々、寺山修司に耽溺していた。いま、こう書いただけで、鼻の奥につぅんとしたあの感じがみなぎり、涙腺が刺激される、そんな日々だった。「二十才 ぼくは五月に誕生した」。みたしてもみたしても何かが水のようにこぼれていってしまう十代の、護符のようなフレーズだった。二十歳になれば何かがかわる……。まさか、そのぼくの二十歳の、しかも五月に、寺山修司が死ぬとは思ってもみなかった。一九八三年五月四日のことだった。


[34] 場のニューウェーブ 2001年05月03日 (祝)

電子ブック系の企画をすすめるために、新しいアプリケーションソフトをさわりはじめたところ、以前からつかっているデザインソフトが、頻繁にエラーを起こすようになった。因果関係はないようだけれど……。マッキントッシュのメンテナンスにかかりきりになる。



岡井隆が『前衛短歌運動の渦中で』(ながらみ書房)に、前衛短歌とニューウェーブの比較論を書いていたのを思い出す。「ニュー・ウェーヴ作家の孤立感−たのしき孤立感ともいへるが−は、映像とか、ヴァーチャル・リアリティとかインターネットとかいふ、科学技術の進歩が生み出した、環境や道具の共有性だけが目立つてゐて、政治運動の影は、ほとんど射してゐないところから来てゐるのかも知れない」等々と書かれたのは、一九九六年に「玲瓏」が主催したシンポジウムの直後だったか。指摘は正鵠を射ていると思う。加えて、だからこそニューウェーブが、エスツー・プロジェクトというスタイルに発展できたのだとも思う。文体や方法のニューウェーブが、さらに場のニューウェーブに向かったのだと言っては、あまりに我田引水的だろうか……。


[33] 2001年05月02日 (水)

また雨が降っている。

玲はる名さんから電話があった。六日に新宿で、玲さんの歌集『たった今覚えたものを』(ブックパーク)と小川優子さん歌集『路上の果実』(砂子屋書房)の合同の出版記念会&批評会がひらかれる。ぼくもパネラーとして出席する。その話。玲さんは、ふだんとあまりかわらない、おだやかで透きとおった感じのいい声だった。記念会の直前に、作家の声を聞くと、たいていはその会のおおよその感じというものが伝わってくる。いい会になりそうだ。



昨夜、正岡豊さんのチャットに参加した。【e短歌salon】での批評会について、あつまった人にいろいろ訊いてみた。メールではなかなか答えにくいものだが、チャットだと即答してもらえてうれしい。他に、正岡さんとのやりとりは、たとえば、「現代詩手帖」五月号に掲載された北川透インタビューと瀬尾育生の文章のこと、PUNCH-MANのBBSでの白熱した書きこみのこと、朗読のこと、等々。情報を共有していれば、何でもできるということかな……。


[32] 批評会 2001年05月01日 (火)

五月が来た。

北溟社から『現代短歌最前線』のゲラがとどく。自選作品とエッセイにざっと目をとおしてみる。数か月のうちにすこし考えのずれたところがあるものの、まとめた時点での自分の思考のかたちははっきり見える。機械的な校正に専念することに決める。歌集『デジタル・ビスケット』の制作と並行したためか、歌集未収録の自選作品三十首が、収録したものから選んだ百七十首よりも新鮮なものに見えたりした。自作とはそんなものか……。



【e短歌salon】ではじめた、正岡豊歌集『四月の魚』批評会に、いきなり多くのコメントがあつまっている。コーディネートしてくれている錦見映理子さんが、うれしそうに悲鳴をあげていた。自分で企画しておいて迂闊にも気づかずにいたが、公開されたBBSで、歌集の批評会がおこなわれたのは、前例に記憶がない。もしかすると、これがはじめてのことだったか。アットニフティの短歌フォーラムでは、自身の歌集『世紀末くん!』と江戸雪歌集『百合オイル』の批評会を体験した。メーリングリスト現代歌人会議(通称「GK」)では、同じく『百合オイル』と川野里子歌集『青鯨の日』の批評会を体験した。けれど、いずれもメンバーが限定されていたわけで、公開された場所での批評会は、やはりこれがはじめてということになるのだろう。


[31] ただひとつの場 2001年04月30日 (休)

月末締切の短文があがらない。数日のびてしまいそうな気配がある……。

ふたたび岡井隆『現代短歌入門』。「場について」。ふたたび漠然とした考えをメモする。場を変革してゆこう、と叫んだ岡井のプログラムは、結局どのように進んだのか。前衛短歌を「リアリズムとモダニズムの綜合」と言ったのは加藤治郎だが、時代という視点をたてると、すべての場は、次々に他の場との接点を求めていったように見える。全体がゆるやかな、ただひとつの場と化している。短歌における「近代/文学」が、近代文学に大きくおくれて形成される。そして世界が見えなくなる。一九七〇年前後……。



昨夜も水須ゆき子さんのチャットに参加する。人数がふくれあがっていて驚かされる。延べで二十人を超えていた。やはり主催者の人柄か。水須さんの「ぽっぽ日記」を読んでいると、彼女のまわりに人があつまる理由がじんわりと見えてくる。芯にある熱さが外にゆったりとひろがってゆき、他人とふれあうあたりではほどよい温かさになっている感じだ。ところで、遠からず、チャットサイトを企画しようと考えはじめているものの、そこで何をすべきなのかが見えそうで見えない。雑談以外の何かがほんとに可能なのだろうか。パーティを想定してみた。虚しいと感じるときもあれば、楽しいと感じるときもある。手ぶらで帰るときもあれば、そこで得た仕事のもとが抱えきれないときもある。あるいはあれと同じなのかも知れない。


[30] 再生 2001年04月29日 (祝)

雨の音と鳥の声を聴きながら仕事。

岡井隆『現代短歌入門』と菱川善夫『歌のありか』をぱらぱらとめくりながら、かたちになっていない漠然とした考えをメモする。いつからか、前衛短歌というフレームが、前衛短歌時代を考えるのには、どうも邪魔だと感じるようになった。外せないだろうか。外すと何が見えるか。更新されていった風景よりも再生されていった風景がめだたないだろうか。ロマンティシズム、リアリズム、モダニズム、そして古典もふくめて、すべてがかたちをかえながら再生されていったのではないだろうか。ほんとの意味での死を宣告されたものがない。



昨夜、ぽっぽさんこと水須ゆき子さんのチャットに小一時間ほど顔をだした。水須さんのチャットにははじめて参加する。チャット自体はかなり経験をかさねたが、はじめての場というのは、それでも緊張する。挨拶と雑談がひろがってゆくと、おのずと場に重力の発生する感じがわかる。コメントを打ちこむ。重心がすこしこちらに動く。沈黙をつづけると重心がすこしずつ遠ざかる。雑談がさらにひろがってゆくなかで、松木秀さんが、あえて短歌をえらぶという決意もなしに短歌を書くのは犯罪的だ、と言いはじめたので、だったら歌人の大半は犯罪者だね、と打ちこんでみた。別の雑談のコメントがそこにかぶさる。松木さんは潔癖だな。たぶん、書くことの意味を自分に問いなおしているのだろう。そう考えているうちにも、モニターには別の話題が流れている。あらかじめ決意のある歌人なんてどこにもいないし、それに、自覚的な決意は書いているうちにやがて消し飛んでしまう……などと思いいたったときには、すでに二人ともチャットから落ちていた。


[29] 黄金週間 2001年04月28日 (土)

マンションの周囲がすこし静かになって、ゴールデンウィークになったのに気づく。

17.comを更新した。17.com BBSにいつもどおり報告を書きこむ。今回の更新では14件のサイトを追記、掲載総数はこれで142件となった。また、電脳短歌イエローページを更新した。電脳短歌BBSにいつもどおり報告を書きこむ。今回の更新では10件のサイトを追記した。それから、【e短歌salon】に、第1回歌集批評会の案内を流した。対象歌集は正岡豊『四月の魚』。錦見映理子さんに進行をお願いしている。



福田弘さんの発行している「現代川柳研究・宇宙船」41号に、本多洋子さんが「川柳ジャンクション2001・雑感」をまとめていた。ぼくの発言した、川柳における自己規定の欠落云々のことにふれてあった。川柳の事情をろくにわかってもいない他ジャンルの作家が口を出したことに対する不快の念が、そこかしこに奔ってはいたが、「要は、川柳人が、俳人や歌人にとやかく言われてなくても、もっと大らかな自己規定の出来る力を内包しているのだということを、アッピールしなければならないのだ」というくだりを読んで、思わず表情がゆるんでしまった。御意。


[28] なかりけり 2001年04月27日 (金)

【歌葉】に「今月の歌」と「現代短歌の世界」が掲載された。入稿から掲載までに二日もかからないのだから、締切もきびしくなるわけだ……。「今月の歌」は、勝野かおり歌集『Br 臭素』からの一首。名古屋の現代の歌枕を中心に鑑賞してみた。「現代短歌の世界」は、正岡豊歌集『四月の魚』。「増刷」の事情をめぐって、この優れた歌集を紹介した。



みづいろの楽譜に音符記されずただみづいろのまま五月過ぐ/荻原裕幸

「俳句界」五月号に、穂村弘が「五月の歌」というエッセイを書いている。俳句雑誌だが、歌人が毎月、数人で交互に執筆しているコラムだ。早坂類の「あなたへの供物(くもつ)のように澄んでいるくつぬぎ石は五月の庭に」と穂村の「『あなたがたの心はとても邪悪です』と牧師の瞳も素敵な五月」に挟まれて、ぼくの五月の歌が引用されていた(なんとなくその場所にはくすぐったい感じがある)。これは、第一歌集『青年霊歌』の巻末歌。おおよそ逆年順に編集したので、ある意味で「巻頭歌」がもつような想いをこめてそこにならべた作品である。「一首の内部で何も起こらないことが、その外の荒れ狂う世界との<対比>を感じさせ、次の一瞬の<反転>を予感させると云えばうがち過ぎであろうか」と、穂村のコメントがあった。塚本邦雄『定家百首』を思い出していた。


[27] 短歌の手ざわり 2001年04月26日 (木)

自宅での仕事がふえてから、あきらかに書店に足をはこぶ回数が減っている。昼食のついでにとか、打ちあわせのついでとか、この「ついで」に書店にたちよる回数が減った。一日に数回が週に数回になってしまったのだ。収集できる情報量に、さほど影響が出るわけでもないが、どこかしら淋しい感じがある。歩いて数分という距離に、大型の書店でもできないものだろうか。



「NHK歌壇」五月号の短歌時評で、藤原龍一郎さんが、【歌葉】の歌集を丁寧に紹介していた。各歌集の注目作品の抜粋、鑑賞をまじえた解説、それにオンデマンド出版への肯定的評価に加え、五冊の歌集をならべた写真までついている。「この方式の利点は費用の安さと絶版がないこと。そしてこのふたつの利点が保証されるということは産業革命にも等しいことなのである」。ありがたいことばである。

藤原龍一郎さんは、角川書店「短歌」五月号でも、学生歌人を相手に、若い世代が感じる現代短歌の手ざわりをさぐる座談会を司会していた。五大学学生座談会「僕たちにとっての短歌の手ざわり」。京大短歌会の田中克尚さんが「僕は岡井隆も塚本邦雄も優先順位があまり高くないです」と語っていたのが印象的で、田中さんにとっては岡井隆『現代短歌入門』などはすでに古い感じがあるのだという。このくだり、さすがに藤原さんもうろたえた感じだったが、田中さんの意見は、あたりまえと言えばあたりまえの話で、岡井が三十代の前半に書いたこの歌論を、はっきりと超えていない現在のぼくたちにこそ問題があるのだと思う。


[26] 2001年04月25日 (水)

【歌葉】で、オープニング記念作品公募の選考結果が発表になった。無記名選考だったし、本名・ペンネーム・ハンドルネームのうち、どれかひとつしか知らない人が多いこともあって、応募者層がうまく掴めていなかったのだが、梨の実歌会BBSに入賞者がコメントを書きこんでいたりして、それなりに近い場所で活動している人たちの応募が多かったのだろうと推測された。電子ネットワーク上で、じわじわと輪が広がっている感じなのがうれしい。ただ、むろん、電子ネットワーク上の、この小さい輪の外には、はかり知れない数の歌人たちがいるはずだ。できるだけ輪が小さくならないように、何かを考えはじめなければいけない時期が近づいているようにも思われた。

そうそう、五月から【歌葉】の「今月の歌」と「現代短歌の世界」の執筆を担当する。今日、書きあげた原稿を電子メールで入稿した。四百字換算で一枚と四枚。近々【歌葉】サイトに掲載される予定だ。



ウェブのことでぼくがいつもお世話になりっぱなしのひぐらしひなつさんが、病気でたいへんだというので、ずっと心配していた。昨夜連絡をもらったところによれば、かなりよくなったらしい。よかったよかった。病気のさなかにも、仕事をしなくちゃ短歌を書かなくちゃと叫びつづけているので、はらはらしていたのである。その情熱にはうたれたけど、よしがんばれと言うわけにはいかないよ、ひぐらしさん、はやくすっかり元気になってね。


[25] 明るい暗黒 2001年04月24日 (火)

加藤治郎さんの「鳴尾日記」(2001年4月20日付)を読んでいたら、街頭で呼びとめられて、テレビ東京系の「クイズ赤恥青恥」にうつることになった旨が書かれていた。どことなくうれしそうな筆致で書かれているのがおもしろい。なんと言ったらいいのか、こういう加藤さんのセンスがああいう作品群に結晶しているのだろうなと思う。いつだったか「トゥナイト2」に枡野浩一さんが出演して、ラブレターについてのコメントをしていた。それはわかる。その同じ週に、岩田正さんが「TVチャンピオン」に審査員として出演して、寿司職人だったかそういった技術の判定をしていた。それもまあわかる。加藤さんが「NHK歌壇」や「BS短歌会」に出るのは、これももちろんわかる。でも、加藤さんには、その先に、人智を超えた、明るい暗黒のかたまりのようなものがある。



もうすこし読んだ本や雑誌のことを書いてみようかと思ってメモをとってみたのだが……。ふいに懐かしさがこみあげてきてハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』(ハヤカワ文庫)を読みはじめた。『井辻朱美歌集』(沖積舎)、枡野浩一『君の鳥は歌を歌える』(マガジンハウス)は、そういう気分(どういう気分?)になったとき、一日に一回くらいひらいている。歌集・歌書では、菱川善夫『素手でつかむ火・90年代短歌論』(ながらみ書房)、小川優子『路上の果実』(砂子屋書房)、他、すでに日記にあげたものやその他もろもろを。「開放区」61号、錦見映理子さんの文章がラブリーでした。「俳句界」5月号、穂村弘さんの文章がラブリーでした。という具合に、書名だけでスペースがどんどん埋まってしまうのでやめることにした。


[24] 花も紅葉も 2001年04月23日 (月)

まとめきれずに週末を超えてしまった「短歌研究」六月号の短歌時評をやっと脱稿した。四百字で六枚半。「添削と『場』の問題」。締切を超過しているので、いささか焦りながら、四月号、五月号の原稿とのつながりや文章のトーンの調整をした。あともうすこしだけ寝かせておきたいのだが……、時間がなさそうだ。



オンエアが見られなかったNHKデジタル「百人一首への旅」のビデオを見る。旅人・小林恭二さんの回に、ゲストとして出演させてもらった。学者でも歌人でもない視点からかたられる小林さんの「百人一首」は、新鮮でおもしろい。秋の京都の料亭(有名な老舗だそうで、いたるところに拝みたくなるようなありがたいものがならんでいた)で、王朝から現在にいたる紅葉についてあれこれかたらったのを思い出していた。自作の紅葉の一首を披露したシーンも含め、比較的はっきりまとまった部分が五、六分ほど抽出されていた。それにしても、もうすこしかっこよく話ができないものかと、自分の姿を見ながら感じる。机の前に鏡でもおいてみようか……。


[23] テクニック 2001年04月22日 (日)

一昨夜のチャット中に紹介してもらった「恋愛価値鑑定」というのをやってみたら、はじめ「少女マンガ恋愛級」というなんだかよくわからない結果が出たのだが、結果を保存するのを忘れたので、やり直してみると、こんどは「ドラマ恋愛級」だとか。ずいぶん上のランクらしい。どこか選択肢のチェックが微妙に違ったのか。ふたたび試すが同じ結果。ほとんどの項目で最高の価値だという。わけはわからないながらも、それなりにいい気分だったのだが、[テクニック]の評価が最低で、「荻原さんは、恋愛テクニックについてはまったく考えていないようです。猪突猛進とも表現されるべき、まっすぐすぎる恋愛をするタイプです。恋愛には、素で勝負するだけでは損をする場面もたびたび存在します。かけひきばかりで気持ちがおざなりになることは避けるべきですが、たまには猫をかぶったり有効なハッタリやウソを利用することも必要でしょう。当たって砕けろ、ではいつか本当に砕けてしまいそうです」だって……。大きなお世話である。



勝野かおり歌集『臭素 Br』(ブックパーク)と玲はる名歌集『たった今覚えたものを』(ブックパーク)の再読をはじめている。ダイレクトに制作や編集にかかわった歌集は、落ち着いて読めるようになるまでずいぶん時間がかかるものだと実感した。やっとひとりの読者になれそうな気がする。


[22] なんという薔薇 2001年04月21日 (土)

昨夜、正岡豊さんのひらいているチャットにひさしぶりに顔を出した。いろいろ話そうと思っていたこともあったのだが、都合もあり、一時間ほどで落ちる。仮名遣いの話題と並行して、恋愛価値鑑定とか蟹釣りとか、そういう話題がとびまわっていた。



岡田幸生さんが「なんという薔薇日記」(2001年4月19日付)で、歌集『永遠青天症』の感想を書評風にまとめてくれていた。自作について言及してもらったときには、どうしてもそうなってしまうのだが、うれしくてなんども読みかえしていた。親馬鹿というものである。岡田さんの文章は、カアル・ブッセの「山のあなた」を起点に、主に「いま・ここ」と「彼方」をめぐるモチーフを考察するものだ。第一歌集からこのモチーフをしつこく追いかけているぼくとしては、どこかしら心理学の分析をうけているような気分になって、どきどきしながら読んだ。ぼくの作品は「時空がはてしなく透明なのだ。不在なのだ。」と書かれているくだりを読んで、心拍数が急上昇した……。


[21] e短歌salon 2001年04月20日 (金)

昨夜、電脳短歌イエローページを更新した。電脳短歌BBSにいつもどおり報告を書きこむ。今回の更新では、9件のサイトを追記。細かい手順を言えば、更新ファイルをアップロードし、リンクの確認をウェブ上でおこなったのち、運営者たちに電子メールで通知して、それから電脳短歌BBSに報告を書きこむのだが、最近、BBSに報告を書きこむ頃には、通知を送信した運営者の何人かからすでに確認の返信が届いているというケースがふえている。このアクセスの良好さは以前には考えられなかった。そう、一年前でも想像できなかった。うれしいようなこわいような、なんとも言えない緊張を感じる。

また、電脳短歌イエローページの第二のBBSである電脳短歌BBS・分室を、【e短歌salon】と改名してリニューアルした。リニューアルといっても、運営方針を見なおしたというだけで、諸機能はそのままである。いまひとつ運営方法のはっきりしなかったこのBBSを、テーマと意見交換のスケジュールを決め、ソフトなディスカッションをおこなう場として活用してゆきたいと考えている。主として歌集の感想・批評を中心としたディスカッションとなるだろう。第一回の企画については、近日中に【e短歌salon】に案内を書きこむつもりでいる。


[20] チャット 2001年04月19日 (木)

昨夜、フリーのスクリプトにすこし手を加え、数人でチャットを動かしてみた。基本機能以外はほとんどとりはらったので、文字列だけがシンプルにならんでゆく。よく知っている相手の場合、むしろ文字列だけの方があたたかい感じになるのが不思議だった。表示が重くなりやすいテレホーダイの時間帯にあわせて試してみたところ、それでも軽くスムーズに表示されている。週末の夜についてはよくわからないが、とりあえずは問題なくつかえそうだ。あとはスクリプトをコピーするだけで動かすことはできる。しかし、チャットでいったい何ができるのだろう。チャットの活用法は、文芸という側面にかぎって言えば、ほとんど未開拓という気がしている。未知の可能性を秘めているとも言えるが、徒労に終る可能性も高い。



「川柳ジャンクション2001」の感想が、電子メール等でいろいろ届いている。およそ半数はあのシンポジウムをめぐる空気に共鳴するもの、あとの半数は反撥するものである。深くかかわりすぎたため、もはや自分では判断できなくなっているが、たしかなのは、多くのリアクションがあった、ということだ。とりわけ、共鳴しない人からも意見がもらえたのがうれしかった。


[19] 休暇 2001年04月18日 (水)

どこか旅にでも出て、ぼんやりしてみたい……。スケジュールがたてこんだときに襲ってくる、いつものあの感覚だ。今後の予定を整理してみると、休暇がとれそうなのは、最短でも来月になってからである。会社を辞めて、フリーで仕事をはじめてから、時間の組みたては自由にできるようになったものの、休暇というものが絶望的に失われた。五月になったらすこしゆっくりしよう。でも、たしか先月も、先々月も、その前の月も、そのまた前の月も、同じことを考えていたな。



五色もののポスト・イットを脇において、小池光の歌集『静物』と高野公彦の歌集『水苑』の再読のつづき。うまい歌、いい歌、であることの条件についてあれこれ思いをめぐらせる。「短歌研究」4月号も並行して読みすすめながら、同誌の時評のしあげにかかる。


[18] 仮名遣い 2001年04月17日 (火)

午後、愛知芸術文化センターの会議室で読書会。メンバーはぼくを入れて四人(名前を公開していいものかどうか訊き忘れた)。山城むつみをあつかうのは『転形期と思考』(講談社)につづいて二冊目になる。山城のテキストは明晰で読みやすいものだった。もっとも、メンバーの発言がすぐに横に広がるので、意見交換ではかなりきつい事態になる。蓄積した読書量はそれほど少ない方ではないと思うのだが、この会にくると何も読んでないなという気分にさせられる。それが楽しくて出席しているわけなんだけれど……、それにしても……。



数日前、枡野浩一さんが、「荻原裕幸さんは、口語なのに旧仮名という不思議なスタイルをとっていて、旧仮名でなければかなり枡野好みの作風なのだと今さら発見してるんですが、 口語と旧仮名の組み合わせっていうのは不思議です、やっぱり私には」と、ある掲示板に書きこんでいた。以前、藤原龍一郎さんにもよく似たことを言われた。簡単には説明できないが、あえてひとことで言えば、記述している感触を消したくない=言文不一致の感触を残しておきたい、ということになるだろうか。この件については、いずれもっとはっきり書くつもりでいる。


[17] 無根拠な希望 2001年04月16日 (月)

昨夜、懇親会・二次会・三次会と、ホテルの門限を超えて夜中まで話しつづける。部屋にもどったあと、日記用のメモをとったところで、泥のような眠りにおちた。朝、宿泊した参加者たちの何人かがロビーで輪になる。どことなく川柳の新しい動きに不安げな様子を見せていた石部明さんが、でももうあともどりする必要はないしあともどりはできない、という快活な笑顔を見せていたのが印象的だった。午後、上本町の駅周辺で、なかはられいこ、倉富洋子と「これから」のことをあれこれ話した。



帰宅してパソコンをたちあげると、予想していたよりはいくらか少なかったものの、やはり電子メールが洪水のようになっていた。大阪で顔をあわせた何人かからも届いていた。この反応の早さはうれしい。正岡豊がいつもどおりのすばやさで「川柳ジャンクション2001」のレポートをまとめたという。タイトルは「上本町バイバイブラックバード」。どうも似たところにポイントをおいていたらしいのがわかって、複雑な表情をしてしまった。岡井隆さんからは先日の東桜歌会の感想がファックスで届いていた。返事をしなければならないものもあるが、明日の読書会のために山城むつみ『文学のプログラム』(太田出版)の再読を進める。「読み書きの虚しさに絶望しているのに、なぜ読み、書くことをやめないのか。それは我々の場所(ポジション)に固有のこの否定的(ネガティブ)な感触を積極的(ポジティブ)に押し出すことから文学が生まれてこないかという無根拠な希望を抱かずにはいられないからである」。無根拠な希望、を、抱かずにはいられない、と、口のなかで何度も繰り返してみた。


[16] 自己規定 2001年04月15日 (日)

【歌葉】の歌稿のコメントをまとめたところで、朝になっていた。ぬるめの風呂につかり、軽く朝食をすませて、駅に向かう。待ちあわせをしていたなかはられいこと大阪へ。近鉄車中にて今日の「川柳ジャンクション2001」の詳細をあれこれ確認する。来場者は百人を確実に超えるらしい。上本町で降りると、大阪には、空色の空がひろがっていた。予報では雨と聞いていたが、快晴だ。



藤原龍一郎、堀本吟との鼎談「川柳の立っている場所」では、テーマに忠実に沿って、川柳の立っている場所を自分なりにスケッチしてみた。伝えたかった核心は「川柳は自己規定がへた、もしくは関心がない、その意味を問え!」ということだった。反応は大きかったようだが、このコメントにこめたきもちが川柳作家に届いたかどうか、あまりよくわからなかった。会場から石田柊馬さんが「へたと言っても時事川柳やサラリーマン川柳はきちんと自己規定ができている。だが、あのようなものにはなりたくない、なるくらいなら……」という旨の発言をしたのを聞いて自分の耳を疑った。いつから石田さんの考える川柳はそんなに格好のいいものになったのか。そもそもぼくが川柳に深い関心をもつようになったのは、当の石田さんが、ぼくがもっとも敬愛する川柳作家・石田柊馬が、「あのようなもの」を切り捨てない場所にこそ川柳の本質があるのだと教えてくれてからだったのに……。ディスカッションをしているつもりだったが、ある種のディベートだと受けとられてしまったのだろうか。

倉本朝世、なかはられいこ、樋口由紀子、広瀬ちえみとのディスカッション「川柳の現在と21世紀の展望」では、スケジュールがおしていて十分に時間がとれなかったにもかかわらず、四人の女性作家たちが、簡潔に爽やかなことばを聞かせてくれたのがうれしかった。理論のいちばんしっかりしていた倉本さんのコメントが、シンポジウムの現場では逆にいちばん伝わりにくかったようで、司会としてもっと明確にフォローすべきだったと反省した。広瀬さんが、自分は自己規定できないししないと発言していて、少なくともこの人にはぼくの伝えたかったことがかなりきちんと伝わったのだと確信できた。聞きたかったのは、まさにそのような一言だったのだ。似て非なる石田柊馬と広瀬ちえみの発言の間にあるものが、来場者には見えただろうか。


[15] ヌーアゴニア 2001年04月14日 (土)

猫をかかえながらでは仕事にならないなあと思っていたその猫が、いざ本来の棲家に帰ってしまうと、なんだかものさびしかったりする。いるかいないかよくわからないようなあの重みが、にわかに恋しくなる。ここから歩いてわずか五分の場所に棲んでいる猫なのだが……。

明日の「川柳ジャンクション2001」の準備をひととおり終えて、仮眠をとった。積み残してある仕事が終るのは……、朝かな。



賢治風にヌーアゴニアと呼びたれど名古屋のすがた毫も紛れず/荻原裕幸

未刊(だった)歌集『永遠青天症』にある「ヌーアゴニア小景」十五首のうちの一首である。すでに十年以上も前のことになるが、主に、街としての名古屋を題材にした短歌&散文のコラムを、朝日新聞(中部版)に毎週一回・一年余り連載したことがあって、連載を終えた直後から、そのコラムをリライトして大きな連作にまとめようと考えていた。「ヌーアゴニア小景」は、なかなか実現できないリライト作品の青写真をまとめようとした時期に書いた作品で、連作のタイトルを「ヌーアゴニア彷徨」にしよう、というところまでは決めたものの、その後また手つかずのまま五年ばかりがすぎている。徐々にまとめながら、自分のウェブに掲載してしまうというのもひとつの手だけれど……。


[14] 梨の実 2001年04月13日 (金)

連日、私事にふりまわされている。猫の世話とか配水管の工事とか……。猫をかかえながら資料に眼をとおしていて、何か所か爪をたてられた。



五十嵐きよみさんの主催する「梨の実歌会」が、今回の日程を終えた。半月弱で5000アクセス・800コメントを超えるという、この種の歌会としては異常なほどの盛況ぶりである。主催者の、明るく爽やかな人柄によるところがもちろん大きいのだが、作風・意見を自由にぶつけあう「場」の空気も、活気の大きなみなもととなっているようだ。歌会の会場となっている梨の実歌会BBSには過去ログもすべて保存されているので、ぜひご覧いただきたい。


[13] 更新 2001年04月11日 (水)

月曜、火曜の疲れが少し残っているのか、なんだか眠くてしかたない。高野公彦の最新歌集『水苑』(砂子屋書房)と小池光の最新歌集『静物』(砂子屋書房)を再読しはじめている。それにしても二冊ともボリュームがある。作品のチェックをしているうちに付箋のストックが切れた。買いにゆかなければ。



17.comを更新した。17.com BBSにいつもどおり報告を書きこむ。今回の更新では7件のサイトを追記。【ogihara.com】を「管理人日記」として諸メニューからリンクさせた。掲載総数はこれで128件となった。作業量に限界があるため、なかなかリンクが増えてゆかないが、まだ開設以来ちょうど半年が過ぎたところである。ゆったりと構えて進めてゆきたい。また、電脳短歌イエローページを更新した。電脳短歌BBSにいつもどおり報告を書きこむ。今回の更新では13件のサイトを追記。総数は……、350件超といったところか。正確には把握できていない。


[12] 上京 2001年04月10日 (火)

9日、【歌葉】オープニング記念作品公募の選考会等、仕事のために上京。一泊。一泊しただけなのに、帰宅してみると200通以上のメールがたまっていた。急ぎの要件だけを選りわけるのに30分近くかかる。大半は明日読むことになりそうだ。sweetswan.comが、今日の午後、一時間ほどダウンしていたらしい。自宅にいたところで、ぼくがすぐに解決できるわけではないのだが、ダウン時に不在というのは管理人としてこころぐるしい。



【歌葉】の選考会は、BookParkの母体であるコンテンツワークスで開催された。加藤治郎、穂村弘、飯田有子と荻原の四人で進めた。自宅で思いきった下選をして選考にのぞんだつもりだったが、四人の選がかなりかぶっていて驚かされた。みんな思いきりがいいらしい。討議を進めながら、加藤、穂村、飯田が、いま短歌の何に強くこだわっているかを知る。最終的に「力のある作品」を選べたと思う。発表は4月25日に【歌葉】のサイト上でおこなわれる。

打ちあわせの合間に、時間をむりやり捻出して、神田の書店をまわる。三省堂、東京堂書店などで、歌集・句集のならび具合をチェックしたり、古書店で川柳にかかわる資料を漁ったりした。そうそう、古書店で加藤治郎の『ハレアカラ』を発見した。もちろん所有している歌集だが、安かったら買っておこうと思って価格を見ると、定価よりも高い値がついていた。美本とはいえ、特にプレミアを生む要素はなかった。在庫切れなのか。それにしても同世代の歌集で、定価を上まわった古書ははじめて見た。古書の場合、買ってしまうと値札をとられてしまう。なんとなくそれが惜しくて、結局買わずに店を出た。


[11] 自註、BGN 2001年04月08日 (日)

あいかわらず文字の編隊が眼前を流れている。

水原紫苑『うたものがたり』について、よくよく考えてみれば、八〇〇字の文章がまとまらないわけはないし、八〇〇字のスペースでまとまるわけもなかった。ともあれ、ぎりぎりのところで脱稿、電子メールを送った。原稿ではふれなかったことだが、水原の「自註」は、穂村弘がかたっていた「わがまま」を裏づけるようでもあり、ぼくが一昨年に書いた(デジタル・ビスケットに再掲載している)「横糸の見えない織物」「1999年の縦と横」にダイレクトにつながっているようでもあった。該当の文章が雑誌に連載されていたのを知らずにまとめたのに、奇妙なほど交響していて、なんだかうれしかった。藤原龍一郎の『東京式』についても、ちょうど八〇〇字のスペースが確保できた。こちらはまた書きあげたところで報告する。自註、バック・グラウンド・ノイズ、いずれも「場」の問題のひとつであり、やがてまた訪れるであろう「刷新」の起点になるものかも知れない。



藤原さんと言えば、堀本吟さんに続き、川柳ジャンクションをめぐっての熱い文章が届いていた。ぼくは「川柳の現在と21世紀の展望」のディスカッションの方針がやっとかたまったところで、まだ鼎談についてはもやもやしたものが残っている。急がなければ。


[10] 散文+短歌=? 2001年04月07日 (土)

【歌葉】にかかわる作品をひたすらに読む。読み耽る。集中力が落ちると新刊の本にきりかえる。また集中力が落ちると作品にきりかえる。この繰り返し。テキストから眼を離しても、眼前を文字の編隊が流れている。

水原紫苑のエッセイ集『うたものがたり』(岩波書店)を読みはじめたところで、前半に収録されている自歌自註風な文章のことを、にわかに語りたくなった。週刊読書人に月一で連載している短歌時評の締切にぎりぎり間にあうか、どうか。メモをとってみると急に、藤原龍一郎の日記&短歌『東京式』(北冬舎)とのかかわりに思いいたり、そちらにも眼を通す。通しているうちにやっと藤原の言う「バック・グラウンド・ノイズ」の輪郭が見えてきた。ただ、まだ思考が抽象的すぎてメモにもならない。ほんとにかたちになるか、どうか。



川柳ジャンクションの件で、堀本吟さんからふたたび、当日のディスカッションをめぐる詳細なファックスが届いている。どう進めようか迷っていたことが次々にとけはじめてゆく。そろそろまとめの時間だ。


[9] 卵−卯=? 2001年04月06日 (金)

卵から卯をとりさつてゐる世紀なにかがあはくわれをみつめる/荻原裕幸

昨夕、東桜歌会に出席した。東桜歌会は、岡井隆、栗木京子らと月に一回おこなっている超結社歌会である。一九九五年秋に組織され、例会はこのたび五十回を超えた。毎月、題詠と自由詠の各一首を無記名でプリント、互選、批評と進めてゆく。十数名の出席者の価値観はみごとなまでにばらばらだが、批評段階では、価値観のぶつけあいはほとんどなく、むしろ定型の機能をたしかめるかのような共同研究の空気が流れている。それに、わざわざつくりにくい題を設定する傾向があって、しばしば、発案者をふくめた全員で閉口するといった奇妙な具合になる。今月の題は卯月の「卯」。見慣れた文字ではあるが、いくつかのかぎられた単語しか思い浮かばない。オーソドクスなまとめ方を避けて、いささか強引にひねりだしたのが冒頭の一首である。



ごーふる・たうんBBSの人口をカウントしたらちょうど80人だった。企画段階では、あまり書きこみを約束できないと語っていた穂村弘だったが、実際にはじめてみると、ホットかつクールで楽しいコメントを頻繁に書きこんでくれているため、彼のファンや支持層や仲間を中心に、にぎやかなコミュニケーションが実現されている。短歌にダイレクトにかかわらない雑談もあるので入りにくい、という声を聞かされたことがあって、管理人としてずいぶん考えさせられたが、電子ネットワークで四六時中、しかも短歌の話だけをしている状態もまた異常なわけで、生活の場における短歌と非・短歌の比率を想定してみると、案外それがうまく反映されている場所じゃないかと感じている。


[8] 川柳が動いている 2001年04月05日 (木)

川柳とのかかわりをもちはじめてから十年に近い。同型で異ジャンルをもたない短歌の場からは見えない何か、それがひきおこす俳句と川柳との確執は、短歌のしくみを知るうえでも大切なものだろう。いまだに視界は不明瞭だが、ジャンルやフォルムの秘密を求めて、俳句と川柳を熱く見つめる日がつづいている。



その秘密の鍵を握る一方のジャンル、川柳が動いている。自身とのかかわりだけで言っても、昨夏刊行された『現代川柳の精鋭たち』(北宋社)の出版記念イベントとして、今月十五日に「川柳ジャンクション2001」が大阪で開催される(現在、案内はここに)。歌人・俳人も、パネラーや選者として参加する、まさに大がかりな「交差点」が構築されようとしている。また、倉富洋子となかはられいこは、二人誌「WE ARE!」を創刊した。これもまた「交差点」である。創刊号では、歌人・俳人・川柳作家に寄稿を依頼し、倉富・なかはらと相互に作品批評を展開している。また「WE ARE!」のなかはられいこは、第二句集『脱衣場のアリス』(北冬舎)を刊行したところだ。歌人であるぼくにプロデュースを依頼する破天荒なオファーがあったのを受けて、全力を投じた。二年がかりでまとめあげることになった。併録した座談会「なかはられいこと川柳の現在」には、川柳作家の石田柊馬・倉本朝世、歌人の穂村弘・荻原裕幸が出席し、おそらくこれまでにはなかったアングルから川柳を論じた。他ジャンルをまきこんでの川柳の動きが何をもたらすか。ほんとうに川柳の現在を牽引するだけの動きへと発展してゆくのか。注目したい。


[7] 場の問題 2001年04月04日 (水)

午後、外出した折に桜を見た。この時期、かまえて花見にゆける状況にはまずならないが、さいわい近所に桜の名所がある。川沿いにひろがる並木を、橋のうえから眺めていたら、なんだか吸いこまれそうになった。桜の向こう側は、どうなっているのだろう。



短歌総合誌「短歌研究」に、いま発売中の四月号から六月号まで、三回連続で短歌時評を執筆する。一回あたり四百字で六枚半だが、それぞれ視点をつなげて進めているので、約二十枚の断片集のように読めるのではないかと思う。一九八〇年代にはいったあたりで既成の短歌の「場」が崩壊した、一九九五年以降の動きは新しい「場」の模索である、という、短歌のこの二十年の輪郭を別にまとめはじめていて、その視点にそったかたちで、短歌研究社の『うたう』などにふれてゆく。今月のタイトルは「『うたう』と「場」の問題」。「場」の問題については、他に、結社誌「短歌」四月号に寄稿した「二〇〇一年と場の問題」(これも六枚半)でもふれた。生活圏、作品空間、世界観、メディア、いずれも「場」として考えると、その崩壊と模索のなかに、混迷をきわめた二十年の光景がくっきり見えてくるのではないか。しばらくこの問題をじっくり考えてみたい。


[6] 電脳短歌の迷宮 2001年04月03日 (火)

電脳短歌イエローページを更新した。電脳短歌BBSにいつもどおり報告を書きこむ。あわせて【ogihara.com】のオープンも報告した。今回の更新では、6件のサイトを追記、数件にリンクの修正をほどこす。そして【ogihara.com】を「管理人日記」として諸メニューからリンクさせた。これでいよいよ本格的なスタートとなる。



電脳短歌イエローページに掲載されているアクティブサイトの数は、もう正確には把握できなくなっている。およそ350件ほどが稼動しているはずだ。総数55件だった三年前のスタート時に比較すると、作業量は増したが、ひぐらしひなつさんと玲はる名さんにスタッフとして加わってもらい、物理的にも精神的にも負担はかなり軽減されている。先日、掲載数が多すぎてどこを見ていいのかわからない、という声があることを知った。ただ、リンク集の訪問者たちを私見で誘導しないことは、スタートのときから徹底してきた方針なので、今後もつらぬきとおそうと思っている(もっとも、この「管理人日記」がどう作用するかはわからないが……)。つらぬきとおした上で、電脳短歌の迷宮を楽しんでもらうための企画を別に考えてみたい。


[5] 甘藍派 2001年04月02日 (月)

リビングの窓から見えていたキャベツ畑が、地均しされてしまい、かたちばかりの地鎮祭をおこなったかと思うと、にわかにマンションの建設工事がはじまった。眺めのよさも転居のときの決め手だっただけに、なんとなくだまされたような気分である。市街地の便利さを求めながら一方で自然を求めるというのも虫のいい話だが、名古屋市瑞穂区彌富町界隈は、その双方が満喫できる場所なのだ。先日も、ウォーキングの新しいコースを探していたら、畑風な庭で山羊を飼っている家にでくわした。不思議な街である。



デジタル・ビスケットに、昨年「歌壇」に執筆したエッセイを再掲載してもらった(トップページにある「WHAT'S NEW」参照)。電子ネットワークにも言及した文章を読みなおしてみると、一年弱でずいぶん感触がかわったのに気づいた。数字もいささかかわった。電脳短歌イエローページのリンクサイトは約350件に、メールマガジン「@ラエティティア」の読者数はほぼ700人に達している。リンクの登録も発送リストの作成も、プログラムをほとんど利用しないマニュアル管理なので、どうしても対応が遅れがちになるが、なにごとも右から左へは流さないというこだわりを、ぎりぎりの状況になるまでは持っていたい。そう言えば、リンク集の登録情報やメールマガジンの購読希望がたまりはじめている。これもそろそろ手をつけはじめないと……。


[4] オープン・追記 2001年04月01日 (日)

「NHK『電脳短歌の世界〜』で水を飲んでいた歌人・荻原裕幸さんの日記がスタートしました。早い時期からインターネットに関わっていた、荻原さんならではの表現です。」(「マスノ短歌教信者の部屋(4月1日付)」枡野浩一)



引用の枡野浩一さんの紹介(で、もし笑えない人がいたら、NHK「ETV2001・電脳短歌の世界へようこそ」のビデオをぜひ!)をはじめ、友人たちが【ogihara.com】のスタートを宣伝してくれていた。知ってしまったら、仕事が手につかなくなってしまった(とてもうれしいうらみごと)。

枡野浩一さんが「親しさ」のスタンスにきわめて敏感な人なので、オープンコメントに書くのを遠慮していたことがある。デジタル・ビスケットのオープンにあたって、ウェブが日記的ナルシシズムに陥ることを悲観する文章を書いたかと思うが、この一年でいささか考えがかわった。いまは、電子ネットワーク上にひろがる日記的ナルシシズムも、作家的な責任をともなうかぎり、楽しい読みものになりうると感じている。その可能性をもっともはっきり示唆してくれたのは電子掲示板【今出てる枡野浩一(増野ではなく升野でも舛野でも桝野でもない枡野なんです)】だった。インターネットの活用法を、予測の範囲外へとひろげてくれた稀少な歌人のひとりが枡野浩一だったのである。記して、あらためて感謝したいと思う。

【今出てる枡野浩一(増野ではなく升野でも舛野でも桝野でもない枡野なんです)】
http://www60.tcup.com/6004/nomasu.html
【マスノ短歌教信者の部屋】
http://www60.tcup.com/6003/nomasu.html


[3] オープン 2001年04月01日 (日)

【ogihara.com】を正式にオープンする。



サイトをたちあげるほど時間にゆとりのある状態ではなかったのだが、四月一日は、デジタル・ビスケットをはじめた日でもあり、第一歌集『青年霊歌』の「あとがき」を書きあげた日でもあり、どこかしらそんなナルシシズムを満足させたいという力が作用してしまったらしい。【歌葉】の歌集が二冊、制作進行中で、まずはこれに集中しないといけない。15日に開催される「川柳ジャンクション2001」のディスカッションの詰めもしないといけない(ああ、堀本吟さんから文字ぎっしりのファックスが届いている)。歌集『デジタル・ビスケット』の発送で、返送されてきた分のチェックと準備がやっと済んだ分の作業がある。あ、加藤治郎さんにメール書かなくちゃ。なんだかあわただしい日曜日となりそうだ。


[2] 三周年を超えて 2001年03月31日 (土)

「みんな欠伸をしてゐた。これからどこへ行かう、と峻吉が言つた。」(三島由紀夫『鏡子の家』)



加藤治郎、穂村弘と、エスツー・プロジェクトを結成してから、すでに三年が過ぎた。プロジェクトと言っても、さだまった目標があるわけではなく、ただひたすらに、ここではないどこかへ向かって走りつづけている。ハンドルをさばくのは加藤治郎。つねに不可能としか思えないコースを選択してははらはらさせるが、彼がハンドルを切った瞬間からそこが道路に見えてくるから不思議だ。アクセルとブレーキを踏むのは、いや正しくは、アクセルを踏みつづけているのは荻原裕幸。たいそう消耗するが、ともかくプロジェクトは前進しなければどうにもならない。そして、ギアをきめ細かくきりかえるのは穂村弘。信じられないほどの繊細さで、走行のクオリティを求めつづけ、手のつけられない暴走さえも快走にかえようと苦労している。

ウェブリンク集、メーリングリスト、BBS、メールマガジン、オンデマンド出版、等々、三年間、電子ネットワーク上に、かたっぱしから手をひろげてみた。そこに何か意味のあるものが残せたかどうか、これは周囲の意見を待つほかにない。ただ、メディアという意味でも壇という意味でも、作家が生き、作品の存在する「場」を、自分たちの手でゼロの状態からつくりあげてゆく、その可能性の一端は示せたのではないだろうか。1980年代のはじめ頃から、短歌では、価値観・方法論・文体等における、多様で多彩な変革がおこなわれてきた。けれど、「場」の変革だけは、手つかずのまま、禁忌のように残されていたと思う。触れなければならないことに触れたのか、触れてはならないことに触れてしまったのか、答はまだわからない。

【SS-PROJECT WEB MAP】
http://www.imagenet.co.jp/~ss/ss.html
http://www.sweetswan.com/ss.html(MIRROR)


[1] 一周年を目前に 2001年03月29日 (木)

もうすぐ四月になる。何かが何かにかわってゆく気配が、そこここに広がっている。この季節はとても好きだ。



デジタル・ビスケットを正式にオープンしてから、まもなく一年になる。ひぐらしひなつさんにすっかり頼りきりで、素材を渡せばまたたくまにビスケットを焼きあげてもらえる、というめぐまれた環境をつくってもらいながら、それでもやっぱり息ぎれしている。自分のなかで、個人ウェブの位置づけというものが曖昧だったからだろうか。ともすれば、企画にかかわっている他のウェブのことが優先されてしまい、どうしても個人ウェブの更新がとどこおりがちになる。作家兼エディターが、しばしば、自身の著作以上に他人の著作に比重がかたむいてしまうのとよく似た現象かも知れない。むろんどちらも優先すべき大切なものであり、本末転倒ではないのだが、このバランスを欠きつづけると、他のウェブに対する企画力もまた落ちてゆくのではないか。作家としての自身のモチベーションをそこに投影するかたちで、友人たちのウェブづくりのサポートをしているのだから。

何か打開策はないものだろうかとずっと考えていたが、答のひとつとして、この【ogihara.com】を動かしてみることにした。スタイルは日記形式を採用して、ぼくのかかわっているオンラインおよびオフラインの活動の概観の見える場所にしたいと思っている。デジタル・ビスケットから見れば作家のエッセイとして、電脳短歌イエローページ等から見れば管理人の日誌として。自と他をここでつなぐことによって、何が見えるのか、何が生まれるのか、ゆきつく先はよくわからないのだが、これまでどおり、のんびりと考えながら進めてゆきたい。