[191] 伯仲 2002年06月02日 (日)

六月の瑕瑾とひらく落下傘/加藤郁乎

句集『球體感覺』(1959年)の一句。
十七音に惹かれるきっかけとなった句。
『えくとぷらすま』以降はともかくも、
『球體感覺』は、どこかぎりぎりの場所で、
俳句(史)を抱えているのが感じられる。
この句の「六月」にも奇妙な質量があって、
現代詩のフラグメントになるのを拒んでいる。



日曜はマンションの塗装作業もお休み。
シンナーの匂いから一時的に解放された。
午後、家人と義母と三人で食事に出かける。
遅い昼食。外はすっかり夏の陽ざしである。
輸入雑貨を売っているカフェ風な店に入った。
名古屋の最高気温は30度をすこし超えたらしい。
夜になって今年はじめてのクーラーをかけてみる。

6月10日予定の歌葉新人賞の一次選考に向けて、
すでに一週間余、毎日、応募作と格闘している。
一首毎に評価しながら、どうにか100篇を超えた。
応募作を読みきったら、そこから候補を絞ってゆく。
読んでゆくうちにおのずと候補も見えると思ったが、
今のところの感触では、かなり多くが伯仲している。
期限ぎりぎりまで時間がかかりそうな気配である。


[190] 時差? 2002年06月01日 (土)

六月来絵はがきほどの重さにて/鈴木栄子

梅雨時と言えばいきなりじめじめするが、
六月と言えばおのずと湿度も下がる気がする。
季語に対する修飾というシンプルな構造で、
ここまでしっかり世界が構築されるのは、
俳句の特性でもあり不思議でもあると思う。
初出も収録句集も知らないまま、好きな句。



朝、来客があった。義姉の飼うメインクーン。
そだちざかりなのか、見るたびに大きくなってゆく。
ケージから出ると、ものおじもせずに遊びはじめる。
すきまを見つけるとすかさず入りたがるのがかわいい。
家人がすきまをかたっぱしからふさいで歩いている。
クッションやヘルスメータなどがそこここで軽業をする。
室内がシュールレアリスムのような風景になってゆく。

午後、塗装作業がまたシンナーの匂いをまきちらす。
仕事をしている途中できもちがわるくなって横になる。
W杯のアイルランド×カメルーン戦中継を眺めていると、
スタンドにやたらに空席がある。チケット完売なのでは?
実況コメントが映像よりもどこか微妙に早く感じられる。
「同点のゴォーーーーール」とか言っているときには、
まだボールは選手とゴールの真ん中にいたのだった。
視覚と聴覚に時差でもあるようなへんてこな感覚。
さらにきもちがわるくなって中継を消してしまった。
終日どこかおかしな感覚をひきずったまま過ごした。


[189] 菫の束を 2002年05月31日 (金)

朝、階段まわりの塗装作業がはじまった。
シンナーの匂いがただよう。きもちわるい。
『岩波現代短歌辞典CD-ROM版』のPR用に、
岩波書店の松永さんに諸情報をファックス。
午後、NHK名古屋放送局で取材をうける。
名古屋放送局制作の、おしゃべりらんち
東海文芸サロンで、作品2首が紹介されるため。
担当者の熱心さにシンクロしてあれこれ話す。
春日井建さんの選歌してくれた作品について、
「、」の挿入された文体であるとか、
「の」で止める不完全話法であるとか、
鑑賞の要点にうまく絞りこんだ質問に感心する。
放映は、名古屋放送局エリアで、6月10日の予定。



燕燕恋慕の人の投げたりし菫の束をつと避(よ)けて飛ぶ/与謝野寛

『相聞』(1910年/明治43年)の一首。
新書館の『77』には収録されていなかった。
与謝野寛の作品を、今日的な感覚で読むと、
どれもこれもことばが大袈裟にひびいてしまって、
史的な背景を考慮することなしには読みづらいが、
この一首などは、素のままで読んで面白いと思う。
たしかに「明星」的な浪漫主義には違いないものの、
たとえば、北原白秋『桐の花』(1913年/大正2年)
的な新しい世界に手が届いているようにも見える。


[188] 書籍婚式 2002年05月30日 (木)

凄いネーミングだなあ、と思う。
そういう日だったらしい。以下略。
低空飛行のような状態がつづいている。
飛んでいるのだが、なかなか高度が出ない。
高度が出るまでじっとがまんするしかない。
夕方、家人のパソコンがトラブルを起こす。
絶望的な感触だったが、なんとか救出する。
そろそろ新しいのを買うべき時期なのだろう。
この一週間、ワームが大量にとびかっている。
発信元をスプーフィングするタイプ。厄介だ。
ほんとうの感染者が誰なのかよくわからない。



砂子屋書房から寺山修司短歌賞・河野愛子賞の冊子が届いた。
選考委員のコメント集。受賞歌集についての評が基本のようで、
受賞者の島田修三さんと池田はるみさんへのコメントが連なる。
岡井隆さんが一人だけ、穂村弘さんとぼくの評を書いていた。

  寺山修司短歌賞には、わたしは、穂村弘さんの『手紙魔まみ、夏
 の引越し(ウサギ連れ)』を推した。出版以来、いろいろと話題を
 よんだ歌集である。その点でも、寺山修司の名にふさはしいと思つ
 た。わたしは、この本は穂村弘といふ人の独白であるとして読んだ
 ので、女性へジェンダーを転換したといふのは、一つの仮面だらう
 かとかんがへたのであつた。歌の可能性を拓いた本として記憶にの
 こるし、これからもくり返し議論されるだらう。
  荻原裕幸さんの「永遠青天症」(『デジタル・ビスケット』)を、
 穂村氏の本と並べて推した。技術的な達成といふことでは、荻原さ
 んの方が高度だともおもふ。さはがしいところのない本で、時代の
 気分についてもよく伝へてくれる。一冊の単行本として出されてゐ
 たら、よりよかつただらう。昨年は、この二人の歌集が出たことで
 記憶すべき年のやうに思つた。 /岡井隆


引用文、あきらかな誤植と改行には若干の修正をほどこしてある。
推薦歌集が落ちれば、意見はおのずと強く好意的になるものだが、
その分をさしひいたとしても、穂村さんについては納得できるし、
ぼくのものについてはとてもありがたいコメントだった。感謝。


[187] ファミリーネーム 2002年05月29日 (水)

5月29日は家人の誕生日である。
何回目と書くのもあれなのだが、
しっかりときりの良い数字である。
沖縄が日本に復帰した5月の生まれ。
深夜0時を告げる時報が鳴ったとき、
誕生日おめでとう、と言ってみた。
その他まあいろいろあれなのだが、
こういうのは書きにくいのである。
以下略、ということにさせてもらおう。



荻原という姓の人は、全国に3万8千人いるらしい。
人数の多さのランキングでは517位なのだそうだ。
あまり多くはないが、珍しいというほどでもないか。
実は、直系の血族が荻原姓になったのは父方の祖父の代。
祖父の家が懇意にしていた荻原家にこどもがいないので、
祖父が少年時に後継のための養子に入ったのだという。
遠縁らしいので、先祖はつながっているのかも知れない。
しかし、この荻原家、どんな家だったのか。家紋が菊紋で、
どの代かで三つ割菊に変更するまで、十六菊だったらしい。
調べるとそれなりの何かゆかりがわかったりするはずだが、
調べずに謎はそのまま謎であるとしておくのが面白いのかな。

荻原さん電話ですよとさみどりに曲がるこゑまた蒼ざめたこゑ/荻原裕幸


[186] ファーストネーム 2002年05月28日 (火)

午前、屋根の上から工事の音。
騒音というほどではないのだが、
かなづちで何かを奏でているみたい。
読んだ文字が頭のなかで飛び跳ねる。

な く や は    が   あ
 つ さ   も  も ゆ
     つ  の    め
         ど    の と


新聞のゲラの校正。誤植がひとつ。
慌てて電話して訂正してもらう。
午後、父母がやってくる。雑談。
実家の配管工事とかタイルの修復とか、
なにやらそんなことをしているらしい父。
近々外壁の塗装も自分でするとか言ってた。
ところで、父母とあれこれ話していて、
家人のことを第三者に伝えるための呼び名を、
自分が決して使わないでいることに気づいた。
いつからだったか。きっと結婚以来のことだろう。
結婚前は旧姓で呼べばよかったので平気だった。
とりわけファーストネームで呼ぶあの感覚は苦手。
よくもまあそれで会話が成り立っているものだ。
夜、なぜか無性に甘いものが食べたくなる。
本日の計測、体重62.2kg、体脂肪率18.5%。


[185] 水を買う 2002年05月27日 (月)

月曜には月曜らしいことを、
これはいろいろしているよなあ、
としみじみ思いながら、いろいろしている。
こどもの頃に聴いた「一週間」の歌詞では、
月曜にお風呂をたいて、火曜にはいるという。
湯がさめるよ、とつっこみたくもなるけど、
ああいうライフサイクルも楽しそうだよな。
ロシア民謡らしいけど、原詞のままなのか。



昨日、三か月前に発注してあった
天然活性水素水が届いた。20リットル。
テレビ等で紹介されていた「日田天領水」。
からだをきれいにしてくれるのだという。
以前は、水を買うことに抵抗があったが、
今では飲料水をすべて購入する生活となり、
こうした「良い水」に惹かれたりもしている。
天然水が市場で販売されはじめたのは1973年。
これは、吉本隆明に言わせると(『大情況論』)、
「産業がマルクスの時代よりも一段階進んだ」
のを意味するらしい。歪みはじめたということか。
そう言えば「日光」を販売している店もあったな。
などとつらつら思いながら、新しい水を飲みはじめる。


[184] 青葉繁る 2002年05月26日 (日)

日曜には日曜らしいことを、
と思いながら、できたためしがない。
今日もまたそういう種類の日曜だった。
でも、日曜らしいことってなんだろう。



落合直文に関連してもうすこしメモをしておく。
1893年(明治26年)の「あさ香社」の発足は、
一般に近代の結社のはじめのように言われていて、
表現、メディア、グループという短歌史的観点から、
その内のグループの変革の先駆的存在と考えられている。
たしかに、与謝野鉄幹、尾上柴舟、金子薫園、服部躬治、
といった名前を並べてみると「あさ香社」の存在は重いが、
今日的に言えば、「あさ香社」は、グループと言うよりも、
ユニットかプロジェクトといった類のものだと思われる。
これが史的に微妙な扱いを受けつづけている原因だろうし、
アングルを切り換えた方が視界がひらける気がしてならない。

 青葉繁る電波も繁るただなかにいかなる梢なのかわれらは/荻原裕幸

12年ほど前、新聞のコラムに掲載した一首。
これまでの歌集には収録していない作品である。
当時この歌を読んで、俳人の小川双々子さんは、
初句六音の不安定な感じは、「あをばしげれる」
としなかったところに大きな要因があると言った。
はじめはあまりピンと来なかったのだが、やがて、
ああ、落合直文なのか、と気づいた。世代差かな。


[183] 写真日和 2002年05月25日 (土)

午前、S記者から電話があった。
昨夜の原稿についていくつかの確認。
しばらくすると今度はHさんから電話。
昨日の砂子屋書房の授賞式の話を聞く。
書くべきメールがふくれあがっている。
しかも丁寧に書く必要のあるものばかり。
この状況だけはどうしても解消されない。
午後から夜にかけてかなり長く外出する。



落合直文のことがすこし気になって、
以前につくったメモを探してみると、
『萩之家歌集』からの抜粋が見つかった。

 世に媚びぬこころも見えてなかなかに痩せたる菊のおもしろきかな/落合直文
 おくところよろしきをえておきおけばみなおもしろし庭の庭石
 妹が家の籠の鸚鵡もわれを見て名を呼ぶまでに馴れにけるかな
 砂の上にわが恋人の名をかけば波のよせきてかげもとどめず
 礼なしてゆきすぎし人を誰なりと思へど遂に思ひいでずなりぬ
 おくつきの石を撫でつつひとりごといひてかへりぬ春の夕ぐれ
 うつしなば雲雀の影もうつるべし写真日和のうららけき空

彼の短歌について面白く感じたのはこのあたり。
抒情性の強い作品にはほとんど惹かれない。
引用はいずれも、事象にあまり深く入りこまず、
傍観的に書かれている。そこが面白かった。
自己を見つめる自己があきらかにここにいるし、
なにげなく漂っているユーモアの感覚が良い。
その他、『於母影』における訳詩であるとか、
「孝女白菊の歌」「青葉茂れる桜井の」とか、
詩歌にかかわる仕事はいろいろあるわけだが、
正直なところ、さほど惹かれる感じはない。


[182] 恋人の名 2002年05月24日 (金)

朝、目は覚めたもののどこか朦朧としている。
二時間という中途半端な睡眠がよくないらしい。
昨夜書きあげた原稿を編集部宛にファックス。
次の資料を読みはじめたところで限界を感じて、
仮眠をとろうとしたのだが、うまく眠れない。
結局そのまま仕事をつづけていた。眠い……。
午後、NHK名古屋放送局の人から電話があった。
春日井建さんが出演している番組で、来月、
ぼくの作品をとりあげたい、どうですか、という。
先月、加藤治郎さんが紹介されていたあの番組。
楽しそうな企画だったので、よろこんで承諾する。
仕事が途切れた流れで【歌葉】関連の原稿を読む。
原稿の感想等、加藤治郎さん穂村弘さんにメール。
メールしたあたりでさすがに眠くなって仮眠をとる。
いくらも仮眠しないうちに今度は岩波書店から電話。
短歌辞典のCD-ROM版について、PRのだんどり等。
しばらくして今度は朝日新聞のS記者からメール。
いま書いている「東海の文芸」の入稿のだんどり。
今夜中に担当者にメールで送信することに決め、
日没の頃、家人とウォーキングに出かける。
今年になってはじめて半袖姿で外出した。
夜、どうにか脱稿。自分自身で校閲作業。
深夜、担当者宛にメールを送信した。



砂の上にわが恋人の名をかけば波のよせきてかげもとどめず/落合直文

『萩之家歌集』(1906年/明治39年)は、
退屈なところも多いが、この歌は好き。
ラディゲの「イニシアル」みたいな世界。
新書館『近代短歌の鑑賞77』の30首にも入っていた。
影山一男さんの解説でのこの一首と落合直文の評価は、
驚くほどに高い、と言うか、実際に驚いてしまった。
こういう歌が明星調を育成したと推論しているのだ。
史的な問題とは別に、影山さんのこの感覚が興味深い。


[181] CD-ROM 2002年05月23日 (木)

『岩波現代短歌辞典CD-ROM版』、
5月22日付でリリースされた。
商品見本も手元に届いている。
紹介サイトもすでにオープン。
「付録」専用の公式サイトも、
いずれ動かす予定でいる。



原稿を書きすすめる。
詩集と句集をまとめて読む。
俳句系の雑誌をめとめて読む。
午後、小高賢さんから郵便物が届く。
あとで開封しようかな、と思ったのだが、
書籍封筒の薄さがとても気になって開ける。
厚みがないのはたぶん何か変わった本なのだ。
編著の『近代短歌の鑑賞77』(新書館)だった。
生年順で、落合直文から石川信夫まで並んでいる。
近代短歌がすっきりと一望できるアンソロジー。
『現代短歌の鑑賞101』の姉妹本ということか。
解説の執筆者は、小高賢、大島史洋、影山一男、
草田照子、小紋潤、内藤明、日高堯子の七人。
短歌史では必ず名前を見るのに作品を見かけない、
といった歌人たちもしっかりと収録されている。
このシリーズでこの内容の本が出るとは驚いた。
夜、遅れていた原稿を脱稿。次の原稿にかかる。


[180] ふたたび、時間 2002年05月22日 (水)

外壁工事、今日もあまり騒音がない。
しかもビニールの覆いがとれたため、
通気もそれなりには良くなった。
嵐の前の静けさ、というやつかな。
原稿が一本、遅れてしまっている。
明日の夜にはまちがいなくしあがるが、
明日の夜でいいのか。考えてもしかたないか。
昨日の「時間」も、実はそうだったのだが、
今日もストックしてあるメモを日記がわりに。
思考の筋トレみたいなつもりで書いた抽象論。
日記のアクセス数が30,000を超えた。感謝。
本日の計測、体重62.0kg、体脂肪率18.5%。



明日が在る、というのはただの仮定で、
実際にそうなのかどうかはわからない。
明日へと生きよう、とする意識のうちには、
明日が在る、という仮定を事実だと断定してしまう
なにかしらまやかしのような性質があるようだ。
これを陥穽だと実感するのは、困難をきわめる。
しかも、この陥穽の前/後にはもう一つ陥穽がある。
明日が在る、のかどうかはわからない、けれども、
明日が在るのかどうかはわからない、という意識が
現在に侵入して来ると、現在が「死」や「無」に似はじめる。
前者を近代=モダン、後者をニヒリズムと呼んでも良いか。
これらの陥穽は、時間の無限の持続を願う点で一致する。

 永遠が時間の無限の持続のことではなく、
 無時間性のことと解されるなら、
 現在のうちに生きる者は、永遠に生きる。
  /L.ヴィトゲンシュタイン・坂井秀寿訳


[179] 時間 2002年05月21日 (火)

外壁工事がつづいているが、
今日はなぜか騒音があまりない。
ベランダのある窓がビニールで覆われ、
風がほとんど通わない状態になっている。
部屋がどこかしら息苦しそうにしている。
5月21日は穂村弘さんの誕生日である。
あたりまえと言えばあたりまえなんだけど、
同い年のともだちがみんな不惑になってゆく。
ごーふる・たうんBBSがいつも以上ににぎわう。



時間、を掴んでみようする。
時間が過去から未来につながっているなら、
そのどこか一点をうまくつまみあげさえすれば、
全体がするするっともちあがりそうな気がする。

 栂の杖にささへられ
 ひとつの伝不詳の魂がさすらっていく
 影は巌にも水のうへにも落ち
 硬い時雨のそそぐ田舎(プロヴァンス)にきて
 その魂の鴫(シギ)のにはかに羽ばたく。 /安西均


しかし、この「西行」に内在する時間は、
西行の時間ではなく安西均の時間である。
つまみあげた時間の、過去の側の端は、
それなりの遡行を可能にはするけれど、
決して西行の時間にまではつながっていない。
ぼく自身が「西行」を書いても同じことだろう。
時間はほんとにつながっているのだろうか?
そもそも、時間が在る、と語っているぼくの
ことばの「外」に、ほんとうに時間は在るのか?


[178] 「俳句界」、届く 2002年05月20日 (月)

マンションの外壁補修工事。超騒音。
高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』
の、講談社版初版58頁参照、という感じ。
これがまた明日もつづくらしい……。
北溟社から「俳句界」6月号、届く。
まもまく創刊される同社の「短歌WAVE」に
「短歌☆プラネット」がまるごと引越するため、
「俳句界」での掲載はこれが最後となると思う。
正岡豊さんのウェブ日記「折口信夫の別荘日記」が、
昨日から再開されている様子。楽しみが一つ戻った。
事象を歪ませて掴んでゆくと安定的に情報が提示できる。
事象にダイレクトに触れようとすると不安定に襲われる。
書くという行為の根源にはむろん後者があるべきだが、
ほとんどの人が継続的にはそれを実践できないでいる。
正岡豊のウェブ日記には、その稀少な実践がある。
夕方から夜にかけて、ずいぶん長く外出したため、
深夜になってあれこればたばたと慌てている。


[177] 「とんぼ通信」、届く 2002年05月19日 (日)

二日も続けて会に出ると、
さすがにからだがぼんやりする。
オフにしてはいけない状況なのだが、
ほぼ、オフ、の一日になってしまった。
午後、『岩波現代短歌辞典』CD-ROM版の、
マスタのコピーをあれこれとさわってみた。
辞典本文は『広辞苑』CD-ROM版と同じく、
ことといの最新バージョンを活用している。
CD-ROM版では印刷メディア版に先んじて、
「20世紀短歌史年表」を数年分補足した。
そのため、名称を超えて21世紀に到達した。
付録として、編集委員の朗読映像、自撰集、
および「電脳短歌イエローページ」特別版を
html形式でシンプルにデザインして組みこんだ。
最新のテクニックを駆使、という選択もあった。
製作自体もその方が面白いし、強く誘惑されたが、
電子メディアと短歌の将来をいろいろ考えた結果、
架橋的な役目を果たすものこそ大切だと判断した。
GWのどたばたは、この付録のディレクションである。
CD-ROM版、今週のなかほどには発売となる予定。
矢島玖美子さんからもらった、『永遠青天症』の
「好きになった歌」のリストを楽しく読んだ。
ぼくが『矢島家』に惹かれる理由が逆算的に見える。
現代詩文庫『安西均詩集』をひさしぶりにひらく。
何度も読んでいたのに、「田舎(プロヴァンス)」
という語の感触が、はじめて掴めたような気がした。
長い間、単なる非・京/非・都市だと思いこんでいた。
なぜそんな誤解をしていたのだろう。よくわからない。
夕刻、家人が外出していたので、一人でウォーキング。
しずかな、ただ青が褪せてゆくような夕暮だった。
外に出たついでに、とても遅い昼食をとった。



夜、吉浦玲子さんから「とんぼ通信」第11号、届く。
短歌時評「<声>の文体」をとても興味深く読んだ。
メルマガゆえの即時性がこの時評にも反映されている。
前後のコンテクストを省くと誤解も生じるだろうが、
5月11日、大阪での「朗読する歌人たち」で生じた
朗読ははずかしい、という感覚を一つの核として、
詩歌朗読における「文体」の不在を指摘している。
イベントの感想をそこまで繋げることの是非は、
さしあたりここではおいておくにしても、
この「はずかしい」の内実については、
吉浦はもっときちんと吟味すべきではないか。
コンテクストをいろいろ補って読んでみても、
定型がはずかしさの隠れ蓑であるように読める。
それが主張ではないようにも思うのだが……。


[176] 「週刊読書人」、届く 2002年05月18日 (土)

「週刊読書人」5月24日号、届く。
執筆した穂村弘『世界音痴』の書評が載る。
タイトルは「非常事態としての日常」。
いつかまとめる穂村弘論の一視点。
午後、名古屋市内のホテルで、
石部明句集『遊魔系』、
矢島玖美子句集『矢島家』、
なかはられいこ句集『脱衣場のアリス』、
三冊あわせての合同批評会があった。
川柳作家たちが企画した内輪の会だが、
縁があって参加させてもらったのだった。
現代川柳の前線で活躍する彼等が、
どのように川柳の作品を読んでいるのか、
興味深く聞かせてもらった。
思いがけない独特の視点と
予想された内輪的な癖がある。
求められた以上にあれこれ発言して、
読解についてのずれを徹底して測定した。
昼の1時からディスカッションをはじめ、
気づいてみれば、夜の1時に近くなっていた。



倉富洋子さんのウェブ内の日記、
「Show must go on」を読んでいたら、
歌集『デジタル・ビスケット』の話が出ていた。
5月15日付の「トランポリン・トーク」。
彼女の同い年の友人曰く、通称『デジビ』は、
マジンガーZと同格だそうで、無敵って感じ、
のタイトルであるらしい。そうだったのか。
あるいは強そうなタイトルが幸いしたか、
おかげさまで『デジビ』は現在重版中、
そろそろ二刷が出来する予定である。


[175] 「WE ARE!」、届く 2002年05月17日 (金)

マンションの外壁洗浄がはじまる。
朝から豪雨のようにうるさい。
玄関ドアの新聞受から浸水。
しばらくしてチャイムが鳴る。
速達だというのでドアをあけると、
郵便局員がずぶぬれで立っていた。
いらだちともうしわけなさそうな表情。
速達その他の郵便の束がかなりぬれている。
「WE ARE!」第4号、届く。
束の真ん中で被害を免れていた。
ぱらぱらとページを繰りながら、
第5号の原稿のことを考える。
次は「作品を読む」原稿にしたい。
午後から読書会。愛知芸術文化センター。
E.W.サイード『戦争とプロパガンダ』。
会がはねてから食事。歓談。夜、帰宅。
中島裕介さん篠原小梅さん今野将さんの
短歌作品批評のチャットにすこし入る。
チャットでの批評の煩雑さを感じながらも、
可能性のありかのようなものが見えていた。



倉富洋子さんがウェブをオープンした。
誰でもいつでもすぐかんたんにつくれるのに、
きちんと準備しないと倉富さんは気が済まない。
オープン前のウェブを見せてもらったとき、
ほぼ現在と同じ状態であったにもかかわらず、
問題点がないか、モニターを求められた。
問題点があるとすれば、その過剰な慎重さかも。
Stage.B、は、とても素敵なしあがり具合である。


[174] 応募作、届く 2002年05月16日 (木)

朝、いつもよりのんびり寝ていたのだが、
ごみ収集の日だったと気づいて飛び起きた。
パジャマのまま傘をさし、ごみ袋を抱えて走る。
ごみ袋の山がまだある。どうにか間にあったらしい。
コンテンツワークスから歌葉新人賞の応募作、届く。
総数117篇。ずっしりとした重みがある。快い重みだ。
既知の期待する作家の応募数だけで選考数を超えている。
きつい選択になりそうな気がする。かなりきついだろう。
時間のゆるすかぎり丁寧に読み進めたいと思っている。
例の外壁塗装工事で窓があけられない日を予想して、
家人がクーラーの掃除をはじめる。1台分負担する。
E.W.サイードの『戦争とプロパガンダ』、進む。
進みはじめたら、意外にすっきりと頭に入った。
過剰なプロパガンダを批判する視点はままあるが、
この、極少のプロパガンダへの視点は稀なものだ。
そこにある種の怠慢を見るような感触が興味深い。



文字の朗読というのは、
文字を声化すること、あるいは、
文字の声化の瞬間を見せることだ。
あたりまえのようにも思われるが、
これがまるで意識されていない朗読を
しばしば目に/耳にすることがある。


[173] スキャンダラス 2002年05月15日 (水)

昨日のんびりしたはずなのに眠気がとれない。
原稿、もうフィニッシュに入らないといけない。
夕方、のび放題にのびてしまった髪をカットした。
美容師のSさん曰く、顔の線が細くなったという。
褒めてくれたのかと思ったら、どうやらそうでもなく、
これまでかなりふっくらしていたのが気になったという。
Sさんには、15年ほど髪をカットしてもらっているが、
考えてみれば、あんなに体重が増えたことはなかったか。
E.W.サイード『戦争とプロパガンダ』がうまく進まない。
江口透『ローリングサンダーマン詩篇』を読みはじめる。
中西進『柿本人麻呂』を読んだり、ランボーの年譜を読んだり。
時代背景の違いもあるが、ランボーの行動にはいつも呆れる。
原稿、ほんとにもうフィニッシュに入らないといけない。



本阿弥書店「歌壇」6月号が届く。特集でとりあげられていた。

 スキャンダラスな短歌
 時代を切り拓いた12人
 既成の枠を壊した歌を検証する


という特集。どれがタイトルでどれがサブタイトルなのかは不明。
中城ふみ子、塚本邦雄、岡井隆、寺山修司、岸上大作、道浦母都子、
阿木津英、加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸、俵万智、森本平の12人。
スキャンダラス、の一語に、う〜ん、と唸りながら頁を繰ったが、
なるほど、こういうピックアップの方法もあるのか、と思った。
大野道夫さんがとても丁寧な解説を書いてくれていた。感謝。


[172] 鳥の囀りとか猫の鼾とか 2002年05月14日 (火)

例の蚊帳のおかげで、室内にいると、
曇天なのか晴天なのかまるでわからない。
すでに梅雨に入っているような気分になる。
午前、眠気がひどくて仕事に集中できない。
校正を進めていたが、危険なので別の作業に。
Iさんから速達。先日の原稿の補完分が揃う。
先日から同時に製作を進めている二冊の歌集の
表紙デザインのラフがあがったので確認する。
午後、家人と実家に行く。4月の初旬以来か。
平日の午後、実家の周囲はものすごく静かで、
どこか遠いところで鳥の囀りがかすかに響く。
客間のベランダで昼寝中の隣家の猫の鼾が聞こえる。
たまにはこういう時間にひたるのもいいなと思う。
父からワープロの操作のことをあれこれ訊かれる。
家人とともにパソコンを買うことを勧めてみたら、
来年からはじめると予定が決まっているらしい。
食べたり飲んだり横になったりして、夜、帰宅。
深夜、錦見映理子さんのチャットにすこし入る。
歌人論のメモ、完了、原稿として書きはじめる。



シューマンを貴重なひとに借りたままだいじなひとと遠出する 春/小林久美子

この一首を読むと、作品の解釈をいささか逸れて、
個人的にとても懐かしい何人かの顔が浮かんでくる。
「借りたまま」なんだし、あくまで「遠出」なんだから、
きちんと帰るべきところに帰れよ。いつかかならず。


[171] 蚊帳とか登山とか 2002年05月13日 (月)

午前、コンテンツワークスの荻野明彦さんから、
第1回歌葉新人賞の応募状況等を知らせるメール。
加藤治郎さんから、今後の展開についてのメール。
これから何が起きるのか、ぼくたちにも予測できない。
わかっているのは、始まっている、ということだけだ。
午後、応募作の一覧を見る。なるほど、え? ふむふむ、
などなど、納得と意外がこもごもにやってくるのだった。
今日、マンションの外壁塗装工事初日。足場の架設が進む。
棟全体にすっぽりと覆いがかかり、蚊帳みたいな外観に。
これから一か月あまり、この蚊帳のなかで暮らすわけか。
玲はる名さん宛にR☆FC・9号用の詠草1首をメール。
夕刻、日課となっているウォーキング。1時間半ほど。
はじめての道で、迷子になりかける。御幸山のあたり。
住宅街と森(としか言いようがない)の間の坂道を
延々と登りつづける。登山レベルの傾斜があった。
書評の依頼が1件。今月末刊行の歌集が対象だという。
未見での依頼はあっても、未刊での依頼は珍しいか。
栞を書くのだと思えば、あるいは同じことなのかな。
夜、フジテレビ系「SMAP×SMAP」を観る。
藤原龍一郎さんが、短歌の先生として出演した。
そばで見ていてもあまりはっきり意識できないが、
人を落ちつかせる風貌。テレビで見るとよくわかる。

藤原の名をもつ悲哀定家にもありや建久十年日暮/藤原龍一郎


[170] 読むとか書くとか 2002年05月12日 (日)

夏燕がきもちよさそうに飛んでいる。
快適な気候だが、でも、歩くとすこし暑い。
先日もらった村上きわみさんからのメールに、
桜の開花のことが書かれていたのを思い出す。
日本列島と桜前線が頭のなかでぐるぐるする。
「國文學・短歌の争点ノート」をざっと読む。
それぞれに読めばユニークな文章が揃っているが、
歌壇という奇妙な垣根がこの本のなかにもあって、
どこかしらまとまりを損ねている印象があった。
柄谷行人『柄谷行人初期論文集』(批評空間)、
読みはじめた。おもしろい。田中槐さん推薦本。
まず修士論文だというロレンス・ダレル論を読んだ。
十代で、意識せずに受容していた欧米文学的常識が、
中心点のジョイスあたりから崩れてゆく感触がある。
友人との読書会のために読んでいるE.W.サイードの
『戦争とプロパガンダ』(みすず書房)が進まない。
進まない理由は、パレスチナとかイスラエルとか、
そうした固有名が抱えている歴史的感触について、
ぼくがまったく実感的に掴めないからではないかと思う。
苦肉の策として、イスラエルの歴史を、別の文献で読む。
締切の近づいた歌人論の原稿のメモがやっと進みはじめる。



「短歌人」で連載されている「西王燦の今様塾」
かなり楽しんで読んでいる。今様歌って、なぜか、
ついつい書いてみたくなる。書いてみようかな。
経験的に、七五調って、短歌に影響するので、
これまではかたくなに避けていたのだった。


[169] ご飯の支度しなくちゃ 2002年05月11日 (土)

午前10時起床。よく眠った。
昼からゆっくり書店に行くつもりだったが、
仕事のきりがよくないので、明日以降に延期。
午後、先月14日と同じ謎の瞬間的な停電があった。
やはり、ブレーカーには何の変化もないままだ。
マンションの棟全体の配電盤をたしかめに行くと、
三輪車にのった女の子がそばにいたのだった。
おだやかな感じで、配電盤のあたりを指さして、
「ねえ、これ、さわった?」と訊いてみた。
「……」
「さわってないのかな?」
「さわっちゃった……」
「そうか、あぶないから、もう絶対さわっちゃだめだよ」
「うん」
こどもの表情が一瞬の狼狽から安堵にかわる。
それにしても、やはりそうだったのか、う〜む、
と思いながら、大家さんに電話。対策を求める。
謎は解決したけど、データはすこしとんだ……。
でもまあ、感電しなくて良かった、と考えよう。
昨夜から「WE ARE!」のウェブの更新の準備。
なかはられいこさん倉富洋子さんから交互にメール、
二人のかけあいが、雑誌とは別の意味でおもしろい。
作業と交互に、新しいウェブのアイデアを練った。
遠くない時期に動かす予定のものが計3サイトある。
義母と出かけていた家人が、万華鏡を買って来た。
懐かしい。何年ぶりだろうか。30年くらいかな。
何か健康に良いのだというような話を半分聞きで、
面白がって覗いていたら、眼が違うと言われた。
見るのは左眼、それで右脳を活性化するらしい。
右脳か。はて、右脳って何に使うのだったか?



すなどけいおちてゆくのをさいごまでみていたご飯の支度しなくちゃ /本田瑞穂

非日常から日常への推移は、
文字通り「幻滅」を意味するわけだが、
本田瑞穂さんのこの「ご飯の支度しなくちゃ」は、
そこのところの感触がちょっと違っていて好き。
きりかわりの際の、満足と焦りが一気におとずれ、
それが混合されて動力になる、この感触、わかる。


[168] もしもし 2002年05月10日 (金)

昨深夜、Sさんからメールが入る。
偶然にも、小池純代さんの『梅園』の話。
その流れで塚本邦雄『ことば遊び悦覧記』を再読。
小池さんは、あるいはこの本を意識しているのか、
などと考えていたところで猛烈な睡魔がやって来る。
そう言えば、歌会に出かける前に鏡をのぞいてみたら、
ものすごい長髪だった。カットに行って来なければ。
昨日の計測、体重62.4kg、体脂肪率19.5%。良好。

午前、Sさんに『梅園』の件でメールの返信。
午後、なかなか進まないメール整理に手をつける。
Mさんから、CD-ROMの件、完全に校了とのメール。
Tさんに、Tさんのビジネススタイルについてメール。
Eさんに、すこし頭の整理をしてみますというメール。
編集者のTさんから電話。原稿のスタイル変更の相談。
Iさんから歌集の校正について電話。こちらからも電話。
夜、Yさんに依頼してあったデータの受取のため外出。
その足で家人と夕食を済ませ、さらにキンコーズで仕事。
帰宅すると歌葉新人賞の締切でネットがにぎやかだった。
加藤治郎さんのテンションがあきらかに上がっている。
彼のテンションが上がると必ず大きな「事件」になる。



深夜、宮崎二健さんの{俳の細道}をのぞいてみると、
う〜ん、そう来たか、という展開になっていて驚く。
驚いたまま何もことばが出なかったので本をひらく。

 もしもし目の玉が落ちましたよ/石田柊馬
 石をふたつならべてみせた
 婚約をすると砥石がにおいだす
 あけがたのころんとありぬひざの骨

ふたたび『現代川柳の群像』からメモをとる。
石田柊馬の印象は「へた、だが、すごい」である。
これは彼と会って十数年来ずっとかわらない印象。
ことばは悪いが、半端じゃない「へた」さである。
この半端じゃないところが「すごさ」のみなもとだ。
他ジャンルからは、どうにも及ばない世界だろう。
引用は、ぼくの好み。「すごさ」60%ほどの句か。


[167] ぼんやり 2002年05月09日 (木)

【歌葉】「今月の歌」「現代短歌の世界」が更新されている。
「今月の歌」は、松平盟子さんの歌集の一首鑑賞を書いた。
「現代短歌の世界」は、小池純代さんの『梅園』について。
『梅園』の世界の奥行きには、コラムでは到底ふれられない。
また機会を見つけて、徐々に紹介してゆきたいと思っている。
塚本邦雄『ことば遊び悦覧記』(1980年)を読んでからは、
ほとんどのことば遊びに対して驚きを感じなくなっていたが、
小池純代は例外だ。この人の、日本語に恋する情熱、あるいは、
日本語で遊ぶちからは、主題中心のいかなる歌論をも超えている。



午前中、昨日からのぼんやりした感じをひきずっていた。
いくつかメールの返信に手をつけるがちっともまとまらない。
午後になったところで、東桜歌会のテキストを作りはじめる。
栗木京子さんから電話。参加人数の確認。今月は13人が出詠。
夕方、地下鉄駅まで歩く。駅前でコピーをとって歌会へ向かう。
歌会。作品の解釈をめぐってのやりとりと雑談で進んでゆく。
自作は、題詠が3票、自由詠が7票を得た。司会をしていると、
自作へのコメント時間をさりげなく短くしてしまうのだが、
指名のないまま、思いのほかたくさんコメントをもらえた。
有志で居酒屋に行って、近所の書店によって、帰宅は深夜。
まだどこかしら疲労をひきずっているらしい。眠い……。


[166] 昼起きた折口信夫 2002年05月08日 (水)

朝8時起床。ぼんやりしたまま朝食を済ませ、
仕事にかかろうとしたところで猛烈な睡魔。
正午近くまで眠る。起きたあともまだ眠い。
サイクルは自分でもよくわからないけれど、
この疲労状態に入ると二、三日は戻らない。
午後、明日の東桜歌会の詠草が届きはじめる。
Aさんからファックス。推薦書の紹介。つまり、
最低このあたりは読んでおきなさいという示唆。
かれこれ15年くらいこの紹介をしてもらっている。
短歌の作品のため、自由連想でメモをとりつづける。
某新聞社のMさんから電話。【歌葉】についての取材。
松平盟子さんの歌集復刻をめぐっての反響の一つである。
夕刻からウォーキング。欅をはじめ、毎日みどりが眩しい。
夜、Yさんのところで、歌集の校正の受取と新規の入稿。



先日から『現代川柳の群像』(川柳木馬グループ)を
気の向くままにひらいては好きな句をメモしている。

 うっかりと命がふたつあり真昼/天根夢草
 マンホールに人がいるので蓋をする
 中年のうつる鏡を売っている
 昼起きた折口信夫手を洗う
 おしぼりが冷たくなっていくように

天根夢草さんの句は、ことばの咀嚼が徹底されて、
どんな人にも届くことばになっていると感じる。
ただ、逆に言えば、咀嚼されすぎているとも思う。
そのため、どこかに本音が紛れてしまう感触がある。
引用の句は、その咀嚼が寸前で中断されている感じ。
たぶんこの中断のされ具合が、ぼくには快いのだろう。


[165] 疲労 2002年05月07日 (火)

朝からにぎやかにメールが届きつづける。
巷がうごきはじめたという感触である。
午前、句集の研究会のためのテキストを読む。
宅配便でIさんから本の原稿。内容を確認する。
集中するため機械的に作業を進めていたのだが、
しばらくするうちに作品の世界にひきこまれる。
午後までそのまま本の構成をまとめてゆく作業。
昼食後、急ぎのメールのいくつかに返信を書く。
急ぎではないメールのいくつかをじっくり読む。
じっくり読みたくなるメールが多い日だった。
6月号「俳句界」の選歌・選評のまとめをする。
夜になってから近所のジャスコへ買い物に出る。
火曜は特売日らしく、しかも閉店間際だったため、
食料品売場が活気、を超えて、殺気だっていた。
陳列棚しか見ていない女性に二回激突された。
深夜、いつになくはげしい眠気が来ている。



前の歌集を出した頃、たしか1994年頃、
短歌が「疲労」していると感じることがあった。
歌人でも歌壇でもなく、短歌そのものの疲労だ。
急に慣れない筋肉をつかったための疲労という感触。
小笠原賢二さんが、ニューウエーブの試行について、
自己本位な三十一音の酷使、と、いつか述べていたが、
自己本位かどうかはともかく、酷使ではあったと思う。
運動のための筋肉がきちんと備わっていなかったわけだ。
そこからの七、八年、この筋肉のことにこだわり続けた。
こだわり続けて「場」という視点を再認識したのだった。


[164] きれいな緑 2002年05月06日 (休)

朝、Mさんから、メールで入稿したデータの一部が
どうしてもパソコンで認識されないと連絡が入る。
アーカイブの方法をチェックしたりあれこれ、
小一時間ほどデータを調整して再送信する。
どうにかこの仕事も一段落しそうな気配だ。
午後、倉富洋子さんから依頼されていた
Eの会の句会記録のチェックをはじめる。
思ったよりもすんなり進んで、夕方に完了。
家人の母、義姉夫婦とともに5人で外で夕食。
夜、岡井隆関連の資料を絞って読みはじめる。
深夜、メールの整理を再開。これが済むのは、
どうやらGWを超えてしまいそう……。
GW中はついに一日も休みがなかった。



十年ほど前に書いた俳句の評論を整理していたら、
荻原久美子句集『ジュラルミン ラビア』(1991年)
についての記述があった。読みなおしていささか苦笑した。
坪内稔典の句がどこかでかすかに川柳と交差しているとすれば、
荻原久美子はどこかで現代詩と交差している印象がある、とか。
当時、彼女とは電話で何回も短詩型の話をした記憶があるが、
彼女が川柳作家でもあると知ったのは数年後のことだった。

 マラルメの靴音を恋ふ枕木よ/荻原久美子
 三千足の靴下やがて蛇苺
 北北西を少し齧つて客死せり
 太郎からきれいな緑ぬいてみる
 とある夜の空気しばしば左折する
 平方根より無菌の春を摘みにけり

そのとき、句集から引用していたのはこの六句。
気づくべきだったのか、気づかずに当然だったのか。


[163] わたしだからね 2002年05月05日 (祝)

午前、Tさんの仕上げ作業の間に、
ふたたびデータのチェックと校正をする。
正午、仕上がったデータをメールで入稿。
午後、今日はウォーキングではなく、散歩。
鯉幟を見た家人が、お母さんはどこにいるの?
なるほど、そうだよな。♪屋根より高いこいのぼり、
って、二番の歌詞はあったかな。ちょっと考えて、
あれは、お母さんがこどもに話している場面で、
真鯉はお父さん、緋鯉はあなたたちみたいね、と
楽しませながら説明しているところなんだよ、
だからきっと自分はたとえには出てこないの、
と説明してみたのだが、家人は納得しない。
じゃあ、吹き流しかも、と言ったら叱られた。
夕刻、みたびデータのチェックと校正をする。
念のためのチェックのつもりだったのだけど、
単純なミスがみつかる。ぼくの校正ミスだ。
何回も繰り返して見たつもりだったのだが。
編集のMさんからその校正ミスの指摘が入る。
Tさんに手配。夜、訂正稿をメールで再入稿。
本日の計測、体重62.6kg、体脂肪率19.0%。



歌誌「塔」4月号の短歌時評で、江戸雪さんが、
現代短歌の作品傾向が二分されていることを書いていた。
田中槐さんとぼくの作品が同一のカテゴリーになっていて
「言葉を道具としてうまく利用している作者だとおもう。
 言葉というものを冷静に見つめ、
 現在の自分達が使う言葉をそのまま歌に滑り込ませつつ、
 生きている事のリアル感を巧みに醸し出す」とあった。
自作に対する判断は困難だが、田中槐さんを例に考えれば、
このカテゴリーは、むしろ、言葉を道具にしていないと思う。
仮に言葉を道具にしていたとしても、従来と機能が違っている。
従来の短歌表現というのは、起点が作者もしくは「私」である。
そこから、作品を媒体として、読者に何かが伝わる、のが基本。
けれど、たとえば田中槐さんの作品は、起点が作品そのものだ。
作品の背景にある作者や「私」に読者を向かわせるのではなく、
その作品に、読者がダイレクトにつながることを求めている。

逃げてゆく君の背中に雪つぶて 冷たいかけら わたしだからね/田中槐


[162] 五月の鷹 2002年05月04日 (休)

朝から延々とCD-ROM用のデータのチェック。
ほぼ問題ないようなのだが、ほぼでは済まない。
午後、ふたたびTさんからデータがあがりはじめる。
夜、Tさん宅へ。問題点を確認してデータを受けとる。
深夜、同じ仕事のからみで諸サイトのURL情報をチェック。
あわせて電脳短歌イエローページのメンテナンスをおこなう。
これでひといきつけるかな。どうだろう。まだかな……。



目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹/寺山修司

寺山修司の代表句と言われているこの句から、
何かを感じとるまでにずいぶん時間がかかった。
五月の鷹、はどこまでもかぎりなくかっこいいが、
統べられる、のは絶対だめだろうと思ったのだ。
寺山ならばここは、吾「が」統ぶ、じゃないか、
などと考えていたために、わからなくなったのだ。
今ならわかる。自身でも自覚できない精神のかたち、
五月の鷹は、つまりもうひとりの自分だということを。
今日、寺山修司忌。数えてみると十九年になっている。


[161] 空に散れ 2002年05月03日 (祝)

巷はまた連休。近隣に不思議な静けさがある。
朝、たまっていたメールの返信を書きはじめる。
書きおわるのは連休明けになりそうな気がする。
昼、所用で外出。名古屋駅まで行って見送って帰る。
街路樹とか庭木とか、街中にみどりが氾濫していた。
右翼団体と思われる街宣車が通りに行列をつくっていて、
憲法にかかわる祝日だということをそのとき思い出した。
夕方、一件遅れていた原稿を脱稿。後にメールで入稿する。
夜、CD-ROM用のデータのチェック。あともうひといきか。
数日できなかったウォーキングに出る。夜道を一時間ほど。
岡井隆に関連する資料をあれこれまとまりなく読み漁る。



錆びてゆく廃車の山のミラーたちいっせいに空映せ十月/穂村弘
ウエディングヴェール剥ぐ朝静電気よ一円硬貨色の空に散れ

第一歌集『シンジケート』(1990年)から引用した。
映す、ではなく、映せ。散る、ではなく、散れ、である。
命令形と言えば命令形なのだが、何か感触が違っている。
文語の文体ならば、空(こそ)映せ、空に(こそ)散れ、
の(こそ)が落ちた已然形と読める。これに似ている。
願望のニュアンスをも含んだ強調表現なのだろうか。
どこかしら自分自身に言いきかせている雰囲気もある。
定型と口語をなじませてゆく過程で生じた表現だと思う。
方法と言うよりはある種の副産物に近いのかも知れない。


[160] 強き電波 2002年05月02日 (木)

昨深夜、延々と終らない仕事を進めていると、
編集のMさんからメール。Mさんはまだ寝てない。
さらにTさんからもメール。Tさんも寝てない。
なんとなくほっとしながら作業をつづける。
外が明るくなったところでごみ出し。鴉なし。
頭が動かなくなったところで就寝。すぐ起きる。
午前、『青卵』書評ゲラの校正。一箇所だけ訂正。
歌集の件でスタッフに電話。Yさんの声が動揺している。
大丈夫だってば。連休明けにあげてなんて言わないから。
午後、Yさんにデータと指示書を入稿。あとは連休明け。
合併以降はじめて、みずほ銀行へ振込をした。届いてね。
一件だけ遅らせてしまっている原稿のまとめをはじめる。
Tさんからデータの仮組みがあがりはじめる。早いなあ。
夕方になってほぼなりゆきが見える。Tさん宅に向かう。
データをもらって郵便局から速達でMさんに発送する。
夜から深夜、延々とデータのチェック・校正を続ける。
深夜1時頃、ヘリコプターらしき爆音がした。何だろう?
東桜歌会、5月歌会の案内を電子メールで発送する。



木犀が強き電波を浴びてゐる/摂津幸彦

第五句集『鸚母集』(1986年)に収められた一句。
摂津幸彦の句としてはシンプルな構成の文体だと思う。
佳い句なのかどうか、判断に迷う。いまだにわからない。
わからないのだけれど、どうしようもなく気にかかる。
この数年、川柳作家と俳人が同席する句会にたまに出る。
価値の磁場がぐちゃぐちゃな場所にどんな句を出そうか。
迷う。迷ってわからなくなる。歌人である弱さが出る。
そんなとき、川柳に似て非なる、俳句に似て非なる、
と感じる句をイメージして自分の句を書くことが多い。
摂津のこの句は、そこでイメージのモデルにする句の一つ。


[159] 部分集合 2002年05月01日 (水)

五月来る硝子のかなた森閑と嬰児みなころされたるみどり/塚本邦雄

生涯ただ一人の師に選んだ人の代表作の一つ。
昨深夜、家人の仕事がようやく一段落ついた。
発送のため、二人で郵便局の夜間窓口に向かう。
雨。深夜なのに車がかなり走っている。GWである。
朝、いつもどおりに起きる。どうしようもなく眠い。
午前、資料読みと午後からの打ちあわせのまとめをする。
昼、銀行に行く。連休の間だからか、ATMが異常な混雑。
期限のある振込を何件か済ませたが、うしろを見ると大行列。
打ちあわせの時間もあるので、明日もう一度行くことにした。
午後、守山のTさん宅で打ちあわせ。CD-ROMの製作の追いこみ。
作業オフィスのある3階の部屋が爽快な感じで、快適そうだった。
Tさんはぼくよりもかなり年下なのだが、マイホームなのである。
川柳誌、俳句誌、詩誌、短歌誌、句集が届いたが、開封できない。
夜から深夜、今日もばたばた。明日の夜はゆっくりできるかな……。
本日の計測、体重63.0kg、体脂肪率19.5%。このあたりから動かない。



なんの菅野さんが、自身のウェブ内の日記に、
「仮説『俳句は川柳の部分集合であった。』」
というタイトルで川柳と俳句の境界論を書いている。
4月28日の「この差は?」に対する解答である。感謝。
川上三太郎の例の「あとは川柳がもらう」を思い浮かべた。
川柳作家の態度の主な理由は、たしかにこれで説明がつくし、
近いことを感じている川柳作家も多いのだろう。すっきりする。
ただ、その発想において、川柳は「ジャンル」ではないと思う。
五七五というフォルムの「呼称」になってしまわないだろうか?
この件にからむ文章を「WE ARE!」4号にすでに寄稿している。
同誌の発行まで、これ以上のコメントは留保させてほしいのだが、
この問題は、迂回せず、焦らず、じっくりと検討してゆきたい。


[158] 水になるため化粧する 2002年04月30日 (火)

午前、穂村弘『世界音痴』書評、再脱稿。送信。
週刊読書人に掲載される予定。掲載日は未確認。
午後、松平盟子歌集『帆を張る父のやうに』書評、
ゲラの校正、夜になってからメールで訂正を送信。
これは「プチ☆モンド」の次号に掲載される予定。
編集者のKさんから電話。婉曲な督促のような気が……。
連休が明けたせいか、郵便物がまとめて届いている。
入谷いずみさんから東直子歌集『青卵』書評のゲラが届く。
これは「かばん」6月号の特集の原稿として掲載される予定。
錦見映理子さんからマラソン・リーディング2002のDM。
とてもきれいなデザイン。たしかに私用に使いたくなる。
Iさんから歌集のあとがきの原稿。シンプルで佳い。
三浦彩子さんから編集に携わっている冊子をいただく。
本人の研究レポートも掲載されている。楽しみだ。
斉藤道子さんから記念会に出た折の写真をいただく。
この日記を読んでくださっているとのこと。感謝。
「短歌人」5月号の時評で、扶呂一平さんが、
「短歌朝日」3・4月号に書いた「表現力と受容力」
をとりあげている。「状況の分析については納得できるが
評価についてはまったく納得できないというところである」。
ぼくと状況の分析が共有されているなら、意見交換が可能か。
夜から深夜、ばたばたするので、いつもより早めに日記を書く。



いもうとは水になるため化粧する/石部明

好きな句。自分だったらこう書けないと思う句。
仮想の話をゆるしてもらうとして、おそらく、
自分では「いもうとは水になるまで化粧する」
というまとめ方になってしまうような気がする。
「まで」なら、化粧の過程はリアルになりそうだが、
化粧が情念のメタファーとしてのみ読めてしまう。
時間が、物語のように、直線的に硬直してしまう。
ところが、ここが「ため」であるがゆえに、
過程が省略されて始点と終点しか示されず、
作品を流れる時間に、ゆるみの感覚が生じる。
多方向に時間が流れてゆくこの感覚が良いと思う。


[157] なにがいま崩れていくの 2002年04月29日 (祝)

午前、穂村弘『世界音痴』の書評、400字3枚、
おお、行数もぴったり、と、脱稿したところで、
歌人論として別にメモしてあった300字ほどのメモを
うっかり入れ忘れていたことに気づく。書きなおしだ。
ラエティティア歌会のコメントをいくつか送信する。
午後、書評を考えながら、別件の仕事を先に進める。
高瀬一誌さんの遺歌集『火ダルマ』(砂子屋書房)
をすこし読みはじめる。連作のアイデアを思いつく。
夕方、Eの会の記録が倉富洋子さんからメールで届く。
参加者の校正用にhtml化してネットにアップする。
暗くなってから一人でウォーキングに出ると、雨。
距離を短めにして、早々に帰宅することにした。
夜、家人の仕事がすごい状態なので、食事当番。
スパゲティを茹であげて、缶詰のソースをかける。
♪あさりがいっぱいパスタがうまい、の、あれ。
それに義母からもらった枝豆。シンプルな食事。
深夜、ラエティティア歌会のコメント、完了。



なにがいま崩れていくのお父さん/なんの菅野

昨年の秋に作者が日記にアップしていた川柳。
以前からパソコンのメモに貼りつけて眺めていた。
なんの菅野さんはわかりにくさを気にしていたが、
この句は、時事に対応し、かつ独立もしている。
わかりやすいかどうかはわからないけれども、
読みやすい句だということは確かではないか。
しかもものすごく力のある句じゃないだろうか。
鑑賞すればいくらでも書くことの溢れる句だが、
あえて鑑賞しなくてもいい良質の秀句だとも思う。


[156] 木漏れ日が揺れる 2002年04月28日 (日)

追われるとなかなか仕事が進まない。
せっぱつまるといきなり進みはじめる。
きりかわりがもっと早くくればいいのに。
午後、倉富洋子さんなかはられいこさんと
メールであれこれとやりとり。川柳のこと、
次号の「WE ARE!」に執筆した文章のこと。
夜、ようやくきりかわりの気配が感じられる。
深夜、ラエティティア歌会へコメントを出す。
かつて朝日新聞社等を襲撃した赤報隊のからみで、
この数日、テレビで右翼団体の何人かの話を聞いた。
本筋の話は「言えないこと」だらけ。背景に眼がゆく。
どの人も書架にものすごく濃厚な本を並べている。
一瞬だけ岩波現代短歌辞典の背表紙が映っていた。
いろいろな人たちがもっているんだな、あの辞典。
いったいどう読まれているのだろうか、あの辞典。
出した以上はもうどこにも引き返せないのだけど。



なかはられいこ句集『脱衣場のアリス』、
ある会のためここから三句を選ぶ必要がある。
読みなおすとあいかわらずことばが元気に跳ねている。
編集にかかわった、ロデオのような日々を思い浮かべる。

 木漏れ日が揺れる裏声出してみる/なかはられいこ
 起立して冬のチャイムを待っている
 白い雲見てるトイレの窓あけて

プロデュースの段階で考えるべきは考えたわけだが、
まだ何か考えてないことがあるとすればこのあたりか。
ときどき見させてもらっているいくつかの掲示板で
川柳と俳句の境界論風な議論が盛りあがっていた。
境界論にはどうも関心がうまくもてないのだが、
それにしてもいつも不思議に感じられるのは、
なぜ多くの川柳作家たちは俳句を否定しないのか、
肯定して共存をつねに求めようとするのだろうか、
ということだ。俳人の多くは川柳を全否定するのに。
全否定どころか、ジャンルの存在を疑う俳人もいる。
どれほど川柳シンパに見えている俳人の場合でも、
俳人が川柳を認めるのは、それが「俳句」である、
と認識できたときだけみたいだ。この差は、何?


[155] 体から誰か出てゆく 2002年04月27日 (土)

仕事にきりをつけて寝たのが午前5時頃、
荻原家の本日の起床時刻は午前6時だった。
家人がともだちの結婚披露宴に出席するため、
早朝から準備をはじめる。テンションが高い。
見おくったあとゆっくり寝るつもりだったが、
テンションの高さが伝染したのか、寝そびれる。
正午、松平盟子さんからファックスが届いた。
先日「プチ☆モンド」に書いた歌集書評のゲラ。
午後、Iさんから歌集の版下作成について電話。
遅めの昼食をとって、仮眠のためにビールを飲む。
が、結局また寝そびれてしまい、仮眠が夕方になる。
夜、『笙野頼子 虚空の戦士』(河出書房新社)を
すこし読みはじめる。清水良典さんの最新評論集。
いつもながらの、テクニカルタームのすくない明晰さ。
笙野頼子の印象がかなりかわりそうな気がしている。
ゲラ状態で送ってもらっていた「かばん」5月号を読了。
深夜、ラエティティア歌会へコメントをいくつか出す。



石部明さんの句集『遊魔系』について、
ある会のために三句を選ぶ必要がある。
この句集から三句というのもつらいが、

 いもうとは水になるため化粧する/石部明
 栓抜きを探しにいって帰らない
 体から誰か出てゆく水の音

といったところが好みの三句になるだろうか。
七句加えて十句選にすると以下の句が加わる。

 空家から黒いかたまり滲みだす/石部明
 軍艦の変なところが濡れている
 濁流を見ている妻のそばにいる
 目礼をしてひとりずつ霧になる
 蔑まれつつ銀色のものを吐く
 透明でぶよぶよしているのが私
 マネキンの腕が戻ってこない春

いずれも、隠喩のようで隠喩ではない句か。
昨日のコメントにむすびつけて言うと、
俳句等、他ジャンルとは往来していない、
川柳の川柳らしさが見える句だと思われる。


[154] 電子製作所 2002年04月26日 (金)

正午頃、家人の用事で御器所まで出かける。
待ち時間に、あたりをぐるぐる散歩してみた。
雪見町とか小桜町とかそんな町名が並んでいる。
荻原さんという表札を見つけて一瞬たちどまる。
表札のとなりに「荻原電子製作所」という看板。
なんだか自分がそこで生まれたような気分になる。
遅い昼食と洗車とそれから買い物を済ませて帰宅。
夕方になって、斎藤史さんが他界されたことを知る。
角川短歌賞に応募したとき、選考委員の斎藤さんが、
未完成の作品を最終候補に残してくれた。恩人。
享年93歳。長寿と言うべきなのかも知れないが……。
夜、Iさんと歌集の版下作成について電話で打ちあわせ。
ラエティティア歌会へコメントをいくつか出す。
未消化の仕事を抱えたまま、GWに入ることになる。



石部明句集『遊魔系』(詩遊社)について、
宮崎二健さんが{俳の細道}に批評を書いている。
「もはや川柳は俳句であり、俳句は川柳である」
という結びのことばを読むとわかるように、
フォルムの共有を梃子にした総合的視野で、
石部さんの川柳の世界を面白く読みこんでいる。
宮崎さんの見解とは角度を異にする話として、
その「総合的視野」のなかに含まれることこそ、
石部さんの最大の問題点だという気がする。
これはまた日をあらためて考えてゆきたいが、
樋口由紀子『容顔』、矢島玖美子『矢島家』
といった句集が、俳句に対してかなり明確に
プロテクトがかかった感触があるのに対して、
石部明『遊魔系』には若干往来があるように感じる。
個性なのか問題点なのか、検討の要はあるだろう。

先日、樋口由紀子『容顔』には「俳句がない」、
ということばをつかったら、俳句だと言う人もいる、
そう断言する理由を説明する必要がある、と指摘された。
俳句の本質をどこに見るか、という話になってしまうが、
定型詩という非散文ジャンルの本質を構成するのは、
文体や場であり、樋口の文体に俳句は見出せない。
樋口を俳句だと言う意見の大半は、ぼくの知るかぎり、
モチーフが俳句に似ているというものばかりなのだが……。


[153] 洗面器の深さ 2002年04月25日 (木)

朝、ごみ袋を提げて外に出ると、
鴉が二羽だけでごみ袋をつついていた。
どうやら群としてはどこかに移動したようだ。
うれしいようなさびしいような不思議な気分。
ともあれ、鴉のおかげでポオまでひらきなおして、
さらに、藤原龍一郎さんがタイトルを予告している
歌集『RAVEN・大鴉』の構想にまで思いを馳せた。
藤原さんの歌集はうまく想像つかなかったけど……。
午後から夜、連休前にどうしても、をがんばる。
ラエティティア歌会へコメントをいくつか出す。



句集『矢島家』(乃村工藝社 MEDIA-2u)
について、メモをしておいたことの簡約。

矢島玖美子第一句集『矢島家』には、
大西泰世や樋口由紀子にあるような
文体の輪郭の絶対的な安定感が稀薄だ。
詩に近寄らず詩から離れない作家である。
読み進めるとこれが不満から魅力にかわる。
見えたと思った川柳を見えなくする力がある。

 死ねそうな今朝の洗面器の深さ/矢島玖美子
 ことんと秋ことんと悪事露見する
 みぞおちのあたりで秋を受けとめる

代表作を選ぶとするとたぶんこのあたり。
ただ、矢島の川柳の本当の力というのは、

 待ち合わせしたことのある喫茶店/矢島玖美子

という句が書けるところにあるような気がする。
読んで、異常に不安なきもちがやってくる句だ。
何のプラスポイントもないのに頭にこびりついた。
句としての是非を言えるものさしがぼくにはないが、
この得体の知れなさが、矢島の魅力の核かも知れない。


[152] 鴉鴉鴉 2002年04月24日 (水)

鴉。初日と二日目はこんな感じ。

 鴉鴉 鴉 鴉  鴉鴉
  鴉鴉  鴉鴉 鴉
 鴉鴉  鴉 鴉鴉 鴉
   鴉   鴉
 鴉鴉   鴉  鴉鴉


今日はこんな感じだった。

 鴉  鴉     鴉
  鴉   鴉
     鴉 鴉  鴉
 鴉  鴉   鴉
 鴉 鴉  鴉   鴉


良い傾向なのかどうなのか。
明日がごみの日なのが心配だ。



昨夜、父が、旅行のみやげを持って来てくれた。
戦友会の集まりだとか。佐渡の方へ行ったらしい。
開けてみると「コシヒカリ生そば」と書いた包み。
そば粉と小麦粉の他に米粉が入った蕎麦らしい。
さっそく茹でて味をみた。おいしい。けれど、
米粉が味にどう影響していたかは不明だった。
午後、連休前にどうしても、な仕事を進める。
夜、正岡豊さんのチャットに顔をだした。
正岡さんとコンタクトとったのはひさしぶり。
昨日の標語に作者名を入れてないが、以下の通り。
とびだすな車は急に止まれない → 警視庁(らしい)
信号は赤だとびだせそら死んだ → 大和和紀さん(らしい)
お母さん猫でも止まるよ赤信号 → 7班 弘幸くん(らしい)
青信号でも轢かれるよこの道は → 荻原裕幸
ちなみに昨日のこの標語についてのくだりは、
川柳論を考えているときにできたメモである。


[151] 鴉鴉 2002年04月23日 (火)

朝、ふたたび鴉たちがやって来た。
昨夕いなくなったのは、もしかしたら、
ただ彼等の一日が終っただけだったのか。
午後、家人と仕事時間があわず、ひとりで歩く。
鴉の様子を知りたかったので近所をぐるぐる廻る。
なんとなく字名のきれいなところばかり歩いていた。
月見ヶ岡、桜ヶ岡、紅葉園、そして緑ヶ岡とたどる。
どれも本物の字名だが、並ぶと冗談としか思えない。
名と言えば、月見ヶ岡で「雲」という表札を見た。
くもさん? うんさん? いずれにしても凄い。
その後、緑ヶ岡のあたりで鴉の群の一部を見た。
どこかの庭で何羽かが背の高いの樹を物色している。
やっぱり巣づくりか。ちょっとまずい感じがする。
夕方になると今日も鴉たちはいっせいに消えた。
明日の日記に鴉が登場しないことを祈りたい。



とびだすな車は急に止まれない、よりも、
信号は赤だとびだせそら死んだ、の方が、
圧倒的なことばのちからを内在させているが、
後者の類が交通安全標語となることは考えられない。
では、なぜこれが「考えられない」のだろうか、
なぜそれが自明のこととわかるのだろうか。
標語の目的は、標語自体の機能とは関係ない。
標語の「話者」の人格が問題にされるからだろう。
他人を思いやり、他人より少し知恵があり、
他人をつねに気にかけ決して見放さない人格。
求められるのは実は標語の内容の効果ではなく、
明るい社会を構成しそうなそうした人格なのだ。
短詩型の世界でもこれに似た風景を見ることがある。
ところで、こどもが書いたというスタイルの標語は、
このしくみが中途半端に露呈して、苦笑を誘う。
お母さん猫でも止まるよ赤信号、などのたぐい。
おとなにものもうす的な標語をつくるんだったら、
青信号でも轢かれるよこの道は、ではどうかな?


[150] 2002年04月22日 (月)

朝、ごみ袋を提げて外へ出ると、
鴉たちの声がやけにうるさかった。
案の定、通りの反対のごみ置き場で、
みんなでさかんに生ごみの袋をつついていた。
数えてみなかったが、20〜30羽はいたと思う。
あるいは巣づくりの季節なのか、午後になっても、
鴉たちはひっきりなしに中庭にたむろしている。
棲みつかれても困るなあと思っていたところ、
夕方になってやっといなくなった。ネヴァモア。
そう言えば、むかしから変にそこだけ気になっていたが、
ポオが「構成の原理」で、鴉を capable of speech
と書いているのがどうもよくわからない。鸚鵡と同等?
カァァァとかクワァァァとかしか聞いたことないぞ。
F社から出版企画の大枠についてメールが届いた。
400字11枚、深夜に脱稿して編集者にメールした。
本日の計測、体重62.8kg、体脂肪率20.0%。


[149] 解析 2002年04月21日 (日)

sweetswan.com全体のアクセス数が、
一日あたり3000件を超えているらしい。
データの転送量は、月に6ギガバイト弱。
外国ドメインからのアクセスもかなりあって、
解析データを見るうちに不思議な気分になった。
ロシア?
インドネシア?
オーストラリア?
サウジアラビア?
マレーシア?
サーチエンジンのロボットか何かが動いているのか。
けれど、ロボットにしてはアクセス数が多い気もする。
サイト運営者たちの知人のアクセスなのだろうか。



疲労がたまっている気がしたので、
ひさしぶりにウォーキングを休んだ。
Hさんの歌集草稿についてメールでコメント。
作品の疑問点を伝えるのは、ある意味で容易だが、
良い作品を良い作品だと伝えるのはむずかしい。
メモをとるだけとったまま延ばしていた原稿を、
明日中にまとめることになった。400字で11枚。
家人がレンタルしたミスチルのベストアルバムを聴く。
これまで、CDではまったく聴いたことがなかったのに、
あ、この歌、知ってる。この歌も知ってる。そんな感じ。


[148] バナナジュースにうってつけの日 2002年04月20日 (土)

湿度が高いのか、暑く感じる一日だった。
家人が、バナナジュース飲みたくない?
と言うのを聞いたら、無性に飲みたくなった。
バナナはある。牛乳もある。上白糖もある。
しかし電動ミキサーがうちにはないのだった。
ホイッパーはあるけど、電動じゃない……。
しかしそのために出かけるのも億劫だし、
なりゆきからうちでつくることになった。
バナナの皮を剥く。適当にスライスする。
ガラスのボールに入れてバナナを細かくつぶす。
ホイッパーを縦につかって、カンカンカンカンと。
果肉がペースト状になったら、牛乳をすこし入れ、
ホイッパーで泡立てる。ひたすら泡立てる。腕がいたむ。
だいたい攪拌できたところで残りの牛乳と上白糖を入れる。
さらに泡立てる。ひたすら泡立てる。ミキサー買おうかな。
バナナ1/2本、牛乳200CC、上白糖8g、のバナナジュース。
甘味が抑えられて、かなりさっぱりしていたけど、おいしかった。
ちなみに、むかしアルバイトしていた喫茶店のレシピは、
バナナ1本、牛乳200CC、上白糖18〜20g、だったと思う。
こんどはそういう本格的に甘いのをつくってみよう。



○○論というようなタイトルの、テーマについて、
いたってソフトな見解を展開するタイプの連作短歌、
むかしから書いてみたいと思っているのにどうも書けない。
根が理屈っぽいため、すぐ本腰を入れてしまうのがいけないのか。
岡井隆が「臓器論」なんて書いているのを見ると痺れてしまう。


[147] 極端 2002年04月19日 (金)

起床時間がすっきり元に戻る。午前8時。
午前、家人の用事で御器所まで出かける。
待ち時間に、喫茶店で歌集の確認のつづき。
午後、沖積舎に送る歌集の訂正稿をまとめる。
つづけて、S社に発送する自選稿をまとめる。
出すのがのびのびになっていたK誌の1首選。
短歌作品の依頼があった現代詩系の雑誌を熟読。
総合誌から批評依頼があった歌人の資料を再読。
どちらも楽しく書けそうな感触なので承諾の返信。
数件の稿料領収の返信とともにすべて発送する。
夜、Iさんと電話。歌集の細部についての示唆。
明日こそはなんとかメールを書くことに専念しよう。



出典はあえて記さないが、高野公彦さんの文章に、
「極端な所に成立つてゐるもの、
 手法が作品を引つぱつてゐるもの、
 そのやうな作品は結局飽きがくるものである。
 ひとたび極端にまで行つても、
 そこから引返して来てうたつたものこそ
 最高の作品であるに違ひない、と私は信じてゐる」
という一節がある。微妙な言いまわしだなあと思う。
引き返すためには、まず極端が要る、のか、否か。


[146] 礼儀 2002年04月18日 (木)

目覚めるとすでに午前10時をまわっていた。
早朝まで起きていたせいで予定がずれてゆく。
自選稿のため『デジタル・ビスケット』を読む。
5月に予定の二刷のため、あわせて誤植のチェック。
それにしても自著の確認というのはきつい作業だ。
読んでも読んでも読んでも読んでも作品がある。
短歌で一箇所とその他の部分で四箇所のミスを発見。
もう一度きちんと見なおした方が良いかも知れない。
玲はる名さんにR☆FC・8号用の詠草をメール。
同じく玲さんにラエティティア歌会の選歌を送信。
夕刻、買物の折に『デジタル・ビスケット』のコピー。
メールの返信にさっぱり手がつかないまま時が過ぎる。
何もかもが週末までなだれこんでゆきそうな感触だ。



近所の隼人池のそばを歩いているとき、突然、
家人が道端の花群のなかに顔をつっこんだ。
「な、何してるの?」
「フリージアを嗅いでるの」
この季節、もし外でフリージアを見かけたら、
匂いを確かめるのが、花への礼儀なんだそうだ。
図鑑にも歳時記にもどこにも書かれてないよ……。
本日の計測、体重63.2kg、体脂肪率19.5%。


[145] 不規則が襲ってきた 2002年04月17日 (水)

昨日、日記に「規則正しい生活」なんて書いたら、
にわかに呪いがかかったように不規則が襲ってきた。
知らぬ間に蓄積されていた寝不足のせいだと思うが、
眠くて眠くて、昼頃から仮眠をとらずにはいられない。
仮眠からぬけだしては作業、また仮眠、この連続だ。
夕方、出版社のMさんから電話、仕事のだんどりの話。
電脳短歌の関連の仕事、これがいちばん遅れている。
まずこれに集中しなくては。急ぎだんどりを進める。
夜になって、やっといくらかまともな状態になる。
【歌葉】の関連で届いた歌集の草稿を読み通す。
仮眠のせいで深夜になっても眼がさえている。
なんだかこれはとてもなつかしい感覚だが、
暢気なことを言っている場合ではない。



ぼくも出演を予定している7月の朗読のイベント、
マラソン・リーディング2002のウェブができた。
朗読はこれが2回目になる。前回は1997年秋だった。
武蔵大学で、詩人&歌人のシンポジウムも同時に開催。
互いをよく知らないまま、町田康さんと対談したりした。
朗読したのは『新星十人』に収録した「ポケットエンジェル」。
今回のテクストはまだ決めていないが、やはり、連作かな。


[144] 規則正しい生活 2002年04月16日 (火)

午後、リンク集の情報の整理、
メンテナンスがなかなか進まない。
書くべきメール、書きたいメールが、
もうかなりたまったままになっている。
夕刻から某出版社のオフィスに出かける。
社長、編集者とかなり長い打ちあわせ。
秋頃からの新しい企画、本の企画などなど。
楽しみな忙しさ、になりそうな気がする。



短歌史に思考を泳がせる必要があって、
小川太郎『血と雨の墓標』(姫路文学館)を再読。
再読しているうちに、二十代のある日を思い出した。
「君たちには、規則正しい生活が必要だ。」
何かを読みあげるような口調で加藤治郎さんが言った。
たしかにその頃(一九八九年だったかな)のぼくには、
生活の規則正しさなんてかけらもなかったのだった。
上京した折、穂村弘さんたちと遊んでいて、すでに深夜、
なぜだかいきなり加藤さんを呼ぼうという話になった。
電話の向こうで、もう時間が遅いから、とためらう加藤さん、
来るんだじろおぉ、来ておれと戦えぇ、と叫んでいる穂村さん、
しばらくすると加藤さんは自転車を漕いでやってきた。
彼は、奥底に微笑をひめたような無表情で、おもむろに、
「君たちには、規則正しい生活が必要だ。」と言った。
「学生時代に、小市民の生活をマスターしなければならない。
 グッスリねむり、さわやかな朝のめざめが必要だ。
 君らには明日がある。その明日を信じ、
 その明日を恃まなければならない。」
そこまで言うと、これ、知ってる? と笑った。
岸上大作の「ぼくのためのノート」だった。
洒落にならないような気もしたが、笑った。
笑い声が夜の巷にきもちよくひびいていた。


[143] ひまわりの種をあげよう 2002年04月15日 (月)

土曜日、義父がタイから帰国した。
あちらで事業を展開しているため、
ゆっくり顔をあわせる機会があまりない。
昨夜は、義父と義姉とうちの三組の夫婦で、
港区までドライブがてら食事に出かけた。
お気に入りの日本食の店に行ったところ、
メニューも店の雰囲気も劣化していて吃驚。
不況のあおりをうけたのか、嫌な感じだ。
昨深夜、村上きわみさんのチャットに入る。
気ままにとりとめのないおしゃべりをさせてもらった。
村上さん&遊んでくれた愉快な仲間たち、ありがとう。
午前、書評の推敲を完了。もう少しだけ寝かせてみる。
午後、昨日のボール遊びの苦情を誰かが言ったらしく、
マンションの掲示板に、大家さんの名前の貼り紙。
昼食をとりに出かけたラーメン屋が改装中で、
やむなくそのそばのファミレス風な定食屋に入る。
ハンバーグ定食。思っていたよりもおいしかった。
夕刻からやっと今日予定していた仕事にかかる。
予定の大半があす送りになりそうな気配……。
本日の計測、体重63.6kg、体脂肪率19.5%。



ながらみ書房の出している『処女歌集の風景』を再読。
河野裕子『森のやうに獣のやうに』を巻頭にはじまる
この、戦後生まれの歌人の第一歌集のアンソロジーは、
1970年代の風景を意外なほど鮮明にしていると再認識。
モチーフのあきらかな評論集では描けない風景である。

 ひまわりの種をあげようすなおすぎる思慕を受けとめかねている手に/吉沢あけみ
 マシュマロがマシュ、マロと溶けてゆくこの口の中の寂しさ
 縁日の空に浮かんだ太陽もひそかに糸をつけて売るべし
 たわむれのスナップにわが告げ得ざる語彙ありありと写されていよ
 赤い実と一緒になってほほえんでしまえじりじり自動シャッター回る

1974年刊の『うさぎにしかなれない』に収録された作品。
三枝昂之は「よく心に残っていてなつかしい歌集」と書くが、
刊行の当時、実際に誰がどのように読んでいたのだろうか。


[142] 静かにしていよう 2002年04月14日 (日)

仕事の真っ最中に家の電気が切れた。
ブレーカーを調べてみるとONのままだ。
1分ほどしたところで電気が流れはじめた。
あまりに奇妙なので電力会社に問いあわせると、
このケースは使いすぎや漏電ではないという。
マンション自体の配電盤を誰かがさわった、
としか考えられないそうだ。工事の予定はない。
となるとこどものいたずらの可能性も高そうだが、
はっきりしないことで騒ぎたてるわけにもいかない。
ちょっと考えて、パソコン本体や作業中のデータに
もし被害があったら騒ぎたてることに決めて、
リセットされた諸設定などの補完をする。
データがとんだのは10文字くらいだった。
とりあえずは静かにしていよう……。

仕事の真っ最中に変な音がひびきはじめる。
どぉんどぉんと壁に何かがぶつかる音だ。
窓からのぞくとこどもがボール遊びをしている。
うるさくてなかなか仕事に集中できないが、
すぐに気づいてやめさせないような親ならば、
こどもを叱ったところでもめごとになるだけか。
こどもはこうやって無神経になってゆくのかな。
今度の休みもつづくようだったら叱ろうか。
とりあえずは静かにしていよう……。



書評の原稿を脱稿した。400字で6枚半。
書かなかった部分まで資料を読んで、
その分だけ予定より遅れてしまった。
むろんすぐに送信するのが筋なのだが、
時間をおいて読みなおさないと落ちつかない。
もうしわけないと思いながら、推敲を重ねる。


[141] 自分自身の場所 2002年04月13日 (土)

午後、古島哲朗さんの出版記念会があった。
時評集『現代短歌を「立見席」から読む』は、
昨年末、ながらみ書房から刊行されたのが二冊目、
一冊目は、1992年、書肆季節社から刊行されている。
故・政田岑生さんと仕事をした日々を懐かしく思い出す。
ひさしぶりにスーツを着てネクタイを締めてみた。
会場はJRの刈谷駅前、刈谷は5、6年ぶりだったか。
石田比呂志さん、水城春房さん、鈴木竹志さん、
藤原龍一郎さん、青柳守音さん、宇田川寛之さん、と
つながりの見えにくい不思議なメンバーが揃う。
石田さんとははじめてお会いした。豪放な人だ。
艶事も現代短歌についても同じ声質で話している。
古島さんの時評については、みんな一致した意見で、
歌壇に対して本音を言う人が少なくなっているなかで
この姿勢を貫くのは凄い、というところにまとまっていた。
ぼくの第三・第四歌集も時評でさんざんな目にあっているが、
爽やかな印象しか残っていないのがなんとも奇妙である。
むろん「立見席」にいるからこそこれが可能なのだろう。
自分自身の場所を正しく見きわめた人の仕事は良いと思う。
散会後、鈴木さん青柳さん水城さん石田さんと宇田川さん、と
順に見おくってから、藤原龍一郎さんと企画の打ちあわせ。
名古屋駅で、新幹線のぎりぎりの時間まで話をしていた。
ホームにかけのぼる藤原さんのうしろ姿を見おくった。



帰宅後、Iさんと電話、歌集原稿の最終のつめをおこなう。
たまっている仕事の資料を机の脇にすべて積みあげてみる。
明日はまた、休みではない日曜日になりそうな気配だ。


[140] 花が咲かない 2002年04月12日 (金)

昨日からの雨がすぅっとあがり、
四月らしい穏やかな気候になった。
近隣では八重桜が花を舞わせている。
ちなみに荻原家ではなぜか花が咲かない。
マンションの3階で、庭がないため、
植物はすべて鉢植えにしているのだが、
花の咲く植物だけがどうしても育たない。
あらかじめ花の咲いた鉢を買ってみても、
その日からみごとに枯れはじめるのだった。
なのに緑一色の植物はすくすくと育ちつづける。
寝室のミリオンバンブーがそろそろ四年、
リビングのルーパウシーも三年半だったか、
どちらも主役の座をゆずったことがない。
聞くところによると、植物は、動物以上に、
側にいる人間から何かを感じるのだという。
彼等はいったい何を感じているのだろう?


[139] 信じられない 2002年04月11日 (木)

東桜歌会の例会の日だった。
朝からファックスで詠草が来る。
メールボックスをひらくとさらに数通、
それと欠席の連絡なども数通入っていた。
締切の正午まで待ってプリント作成にかかる。
タイピング、コピー&ペースト、構成、校正、
プリントアウトするまで実質一時間余りの作業だ。
夕刻、栄の会場に向かう頃に小雨が降りはじめる。
今月の参加者は11名。例会はこれで60回を数える。
歌会をはじめる前、短歌の翻訳のことが話題になる。
日本人が外国語訳することの是非について、等々。
TANKA、HAIKUの問題はどうもむずかしい。
外国語短歌は、理屈の上での勝ち目はないが、
どこか捨てがたいときめきのようなものがある。
このときめきの感覚がなかなか伝えられない。
歌会の自作、題詠は5票、自由詠は9票をもらう。



ウォーキングに出かけそこねたので、
帰宅の折、新瑞橋の駅から3kmほど歩いた。
むかしむかし通っていた中学校の校庭の前を
なつかしい気分で通り抜ける。真っ暗だったが、
記憶にある建物がかわらずに並んでいるようだった。
あの日々からおよそ25年が過ぎている。信じられない。


[138] 曝されているやさしさはよい 2002年04月10日 (水)

午前、疲れが出たのか、二度寝してしまった。
起きたあとあくせくと原稿を進めるが進みが悪い。
午後、デザイナーのTさんと会って打ちあわせ。
データサイズが大きいので手渡しでの入稿となった。
帰宅後、資料を読み直してもう一度原稿にかかる。



先日、田中槐さんに「ちょびっツ」は見てないの?
と訊かれてはじめて「ちょびっツ」のアニメ化を知った。
見てないも何も、名古屋ではまだ放映されてなかったのだ。
どうも今日の深夜からはじまるらしい。人工知能系は好きだし、
CLAMPの絵は好きなんだけど、あの耳は苦手かも知れない。

目薬をさしてる人ののどぼとけ曝されているやさしさはよい/田中槐


[137] ぽつんと旅鞄 2002年04月09日 (火)

午後、仕事の打ちあわせのため日帰りで上京した。
東京は小雨、大手町あたりの八重桜がきれいだった。
打ちあわせを終え、資料集めのために神保町を廻る。
東京堂書店が改装中で、仮店舗をひらいていたが、
書棚が少なく、品揃えがよくなかったのが残念だった。
東京駅に戻ろうとしたら「人身事故」で中央線が来ない。
誰かに会おうかなあと思って携帯電話のリストを眺めるが、
その後の予定を考え、悩んで、結局あきらめてしまった。



夜、島津忠夫『女歌の論』(雁書館)を再読。
1980年代の入口についてあれこれ考えてみた。
どうも女歌の問題がたちあがった契機が見えて来ない。
篠弘『疾走する女性歌人』(集英社新書)も再読してみたが、
それでもやはり、経緯は見えても理由はうまく見えて来ない。
深夜、某氏からメールが届く。本文だけなのにやけに重い。
ひらいてみると、未発表の100枚あまりの原稿があった。
仕事の核にかかわる内容だった。時間を忘れて読み耽る。

ハッピーエンドの先にぽつんと旅鞄/倉富洋子


[136] かけかへるもののなきまま 2002年04月08日 (月)

蒸し暑い一日だった。
政治家関連のニュースに食傷する。
午後、歌集書評、400字で9枚を脱稿する。
急ぎの状況だが、時間をおいて見なおすことにして、
同時に抱えている別の歌集書評のまとめにかかる。
そちらもあともうわずかでかたちになりそうだ。
脱稿した書評は、深夜になってメールで編集者に。
明日、名古屋での打ちあわせの予定が流れた。
かわりに東京での打ちあわせの予定が入った。



小池純代さんの『梅園』について、
何か書きたいと思って、まだそのままだ。

かけがへのなき一日がかけかへるもののなきままかがやきてゐつ/小池純代


[135] 「今月の歌」と「現代短歌の世界」 2002年04月07日 (日)

「今月の歌」「現代短歌の世界」が、
5日付で【歌葉】サイトに掲載された。
今月からふたたびコラムの執筆担当となっている。
「今月の歌」は中原千絵子さんの歌集の一首鑑賞。
「現代短歌の世界」は、作品の背景の事情の話である。



家族と親類あわせて九人で実家に集い、
父母の金婚の祝いに名をかりて、
お昼から酒を飲んでいたのだった。
と言ってもほんとに酒を飲むのは三人。
一升瓶が一本、ビールの大瓶が九本空いた。
深夜になってもまだ頭がぼんやりしている。


[134] あまりに小さい 2002年04月06日 (土)

午前、昨日から待ちつづけていた速達が届く。
Iさんの歌稿。びっしりと書きこみがあって驚く。
先日の打ちあわせ分に加えて、さらに推敲がしてある。
かなり良い感触がある。たぶんこれが最終稿になるだろう。
午後、昨日から待ちつづけていたTさんから電話が来た。
急な仕事で夜中もずっとかんづめになっていたらしい。
ぼくに外泊のいいわけをしているのがおかしかった。
それはまず奥さんにした方がいいんじゃないかな。
仕事のだんどりをまとめ、クライアントに連絡する。
夕方、ウォーキングの途中で遅めの昼食をとる。
家人と義母と義姉と、近所のコメダ珈琲本店へ。
今週、体重が0.8kg増えて、体脂肪率が0.5%減った。



1980年代から90年代にかけての短歌の変容を
包括して語る視点がなかなかあらわれない、定着しない。
守旧的な人たちは可逆的な変容だと信じているようだし、
不可逆だと感じている人の多くも、個々の変容を
ひとつにつなげた風景として眺めることはほとんどない。
ニューウエーブという括りも、わがままという括りも、
つながりを欠いたままでは存在しつづけることができない。
視野をできるだけ広げた、新しい風景が必要なのだと思う。

 わたしたちは、諸民族のうちでもっとも小さいものだ。
 わたしたちの民族はあまりに小さいので、その誰もが、
  自分はただ一人であると思う。    /瀬尾育生


[133] 死後に来る春 2002年04月05日 (金)

午前、選歌・選評の原稿を脱稿、送信。
午後、急ぎの電話と郵便を待ちながら、
歌集の書評の原稿をまとめたりとまったり。
夕方になって家人とウォーキングに出かけるが、
途中で、かっこいいつくりの喫茶店を見つけ、
吸いこまれるように入ってしまう。
音響効果も考えられているようで、
ミニコンサートにもつかえそうな店。
ついつい、ケーキ1/2個、食べてしまった。
これじゃ運動したことにならないな……。



1980年代の半ば、たしか85年だったか、
松任谷由実のコンサートに行ったことがある。
ユーミンのステージがいかに良いかというのは、
それはまあぼくが書くまでもないことなのだが、
コンサートの圧倒的な迫力に魅了されながら、
その日、ステージにいたバックコーラスの女性が
なんだかとても気になってしかたなかったのだった。
その数年前までアイドルだったある女性シンガーと
紹介された名前も顔もまったく同じだったからだ。
むろん「脇役」なのだけどとてもめだつ感じの存在で、
「DANG DANG」か、「DOWNTOWN BOY」だったか、
サビが流れているとき、彼女が誰であるのか確信して、
曲の展開とも相俟ってせつないようなうれしいような
なんだかとてもへんてこな気分になったのであった。
ということを、なぜだかふいに夜中に思い出した。

死後に来る春にほのかに咲いているしずかななずなしずかななずな/早坂類


[132] 現実と夢のあわい 2002年04月04日 (木)

机まわりの本と書類の山脈がついに崩壊した。
やむをえず整理をはじめたら小一時間かかった。
このところ、携帯電話のDMがぱたっと止んでいる。
受信制限をかけたり、あれこれ手を尽くしても、
Jフォンからだけは執拗に流れて来ていたのだが、
それがまったく届かなくなった。いつまで続くか。
たまっていた電子メールの整理が少し進みはじめる。



数日前、ずいぶんひさしぶりに夢を見た。
誰かわからない誰かからの特命をうけて、
所定の場所で爆発をひきおこす必要があり、
爆弾を隠し持ったまま某所に潜入をはかる。
やがて正体がばれて捕捉されそうになるが、
予定の時刻に予定の場所で点火をするのだった。
点火の瞬間になんだかものすごくうれしくて、
にやりだったかにやにやだったか笑みを浮かべると、
そこでぱちっと目が覚めたのであった。午前七時。
あとから、自爆テロみたいだなあと思ったが、
何かもう少し明るい感触のある夢ではあった。

現実と夢のあわいに宙吊りの領域がありそれが気になる/藤原龍一郎


[131] 傷つかぬ場所 2002年04月03日 (水)

名古屋は五月を超えて六月の陽気だったらしい。
ウォーキングしていてやたらに疲れた感じがあった。
某編集者から穂村弘『世界音痴』の書評依頼の電話有。
年度末に忙殺されて音信不通だった某編集者からメール有。
諸事情でどうしても進まなかった原稿1セットを脱稿した。



玲はる名さんの発行する月刊ファックス個人誌、
Rei ☆ Haruna Fax Commu-cation 第7号、着信。
毎号毎号、溌剌としていて感心させられる。
今回はとりわけ元気が良かったように思う。
田崎Sヨーコさんとのコラボレーション、
大滝和子歌集『人類のヴァイオリン』論、等。
レイアウトも、号を重ねて愉しさが増している。

藤原龍一郎さんの『花束で殴る』を読み進める。
固有名詞系にもメタ短歌系にもちからが漲っているが、
むしろすっぴん系の作品に多く惹かれているのに気づく。

傷つかぬ場所に身を置き迸る水道の水だけを見ていた/藤原龍一郎


[130] 真実の果実 2002年04月02日 (火)

四月になった、と言うよりも
五月になった、と言いたくなる陽気だ。
暑さのせいでもないのだが、仕事が滞る。
体重63.0kg、体脂肪率20.0%となった。
ちなみに身長は166.5cmである。
目標値に徐々に近づいている。



藤原龍一郎歌集『花束で殴る』(柊書房)が刊行された。
時間をかけてじっくり読みこんでみたいと思っている。

真実の果実と決めて円卓の反対側にある茘枝噛む/藤原龍一郎


[129] 落ち着きました 2002年04月01日 (月)

暖かさをこえて暑い日がつづく。
桜がたちまちに葉桜となってゆく。
ホームページの開設から二年、
この日記もちょうど一年になった。



昨夜、穂村弘さんから電話があった。
雑件の電話を借りて懸案の企画の話をする。
例えばインコースのきわどいシュートを要求すると
たぶん当ててしまうだろうとかたくなに首をふる。
そこまでかたくなならしかたないかと思って、
アウトコースの低めに落ちる球を要求すると
こんどは、逃げるのは絶対嫌だと潔い。
どうしたものかと思案を重ねた挙げ句、
どまんなかの直球のサインを出すと
納得した表情でこっくりとうなづいた。
そんなやりとりで企画の糸口が見つかる。
秘密を打ちあけるような感じで互いに近況を話す。
ひさしぶりの電話だったのでついつい長くなった。

1や2や3になったが現在は162で落ち着きました/穂村弘


[128] 煤煤蓬蓬哺禁鮫? 2002年03月31日 (日)

三月最後の週末だったせいか、
マンションの同棟に二家族が転居、挨拶に来た。
二回とも寝ぼけた顔で玄関口に出て後悔した……。

午後、Hさんの完成歌稿をあらためて読んでみる。
言い残したことはないか、じっくり確認する。
他者の作品を「これが良い」と判断するのは、
考えてみればものすごく傲慢な話なのだが、
迷いはじめた瞬間に何も見えなくなる。
神経を集中すると「これが良い」が
どこからともなく降りて来たのだった。
完成をたしかめた旨のメールを送信する。



最近、中国語サイトからのDMが頻々と届く。
総合情報サイトに出版社にそれから旅行会社。
リンクをたどればどうにか正体はわかるのだが、
知識がまるでない上に文字化けがあるようで、
どれが中国語でどれが化けた文字列なのか、
皆目見当がつかないのであった。
煤煤蓬蓬哺禁鮫、って何だろう?

鬯鬯鬯鬯と不思議なものを街路にて感じつづけてゐる春である/荻原裕幸


[127] 瞼がおもい 2002年03月30日 (土)

午後、Iさんの歌集の二度目の打ちあわせ。
郵便で原稿のやりとりをして、電話で概要を決め、
直に会って個々の作品の細かいところをつめてゆく。
ひさしぶりにむかしながらのスタイルで進めている。
初稿での納得できない点をすべて指摘する。
加えて提案を出したり提案を返されたりしながら
構成を変更し、歌を削り、調整を完了する。
雑談も多少あったが、気づくと6時間が過ぎていた。
歌会かシンポジウムのはしごでもしたような密度だ。
順調に進んだので、二稿がほぼ最終稿になるだろう。



思ったよりも打ちあわせが長びいてしまったので、
その後に予定していたいくつかをキャンセルした。
途中、客のあまりいないマクドナルドに寄って、
コーラを飲みながらぼんやり考えごとに耽る。
同じように、一人でぼんやりしている客が何人か。
みんな揃いも揃って眉間に皺をよせているので、
思わず自分の眉間をたしかめてしまった。
大丈夫。あんなに怖い顔はしていない。
習慣的にメモ帖をひらいたが、何も浮かばない。
浮かばないので、こうして日記のメモをしている。

何が見える何も見えない眼をひらけ瞼がおもいそんな時代だ/荻原裕幸


[126] 一瞬の春 2002年03月29日 (金)

雨。それでも、
傘をさしながらウォーキング。
桜の花はまだしっかりしていて
雨に散らされてはいないようだった。
一昨日、管理サイトをすべて
sweetswan.comに引越したので、
ダウン時の連絡方法が別に必要になった。
この日記サイトと同じドメインに
連絡用掲示板をつくるのが良いだろう。
来週、早々にでも立ちあげようか。



昨日、家人と義母と一緒に回転寿司に行った。
以前は、機械握り中心だった回転寿司が嫌いで、
かと言って懐具合を考えると立ち喰いも怖かった(笑)。
この頃は、立ち喰いの店が、ネタはそのままで、
システムと価格だけを回転寿司に切り換えていたりする。
そうそう、穂村弘『世界音痴』の表紙の回転寿司は、
目隠しのない、板さんや他の客から丸見えの
どきどきするような設計になっているが、
あのタイプの店にはほとんど入ったことがないな。
ビールを飲むと食が進まなくなるのでお茶にする。
レギュラーのメニューの他に手書きのメニューがある。
本日のおすすめ、カンパチ、と書いてあったので、
流れて来るカンパチを探したが、無いので注文する(一皿目)。
本日のおすすめ、アジ、と書いてあったので、
流れて来るアジを探したが、無いので注文する(二皿目)。
本日のおすすめ、イワシ、と書いてあったので、
流れて来るイワシを探したが、無いので、
とりあえず流れて来るマグロを掴んで(三皿目)、
しばし考えたのちにやはりイワシを注文する(四皿目)。
マグロを食べながらイワシを待っているうちに、
どうもダイエットをそれなりに継続しているため
胃のサイズが縮んでいるらしいことに気づく。
ガリを口にほおりこみながら満腹加減をはかる。
汁物を何か頼もうと思ったがやめておいた方が無難だ。
案の定イワシをたいらげたらほぼ満腹になってしまった。
本日のおすすめ、には、サヨリ、がまだ残っていたし、
タコ(生)とかエビ(ボイル)とか定番の好物もあるのに、
色気を出して途中にマグロを入れたのがまずかった。
と思ってあきらめていたのに、目の前に
ネギトロの軍艦が流れて来るのを見て、
思わず手を出してしまった(五皿目、完)。
ああ、サヨリを注文すれば良かったかな。

一瞬の春なりければわれは食(を)す針魚(さより)十三糎(センチ)のいのち/塚本邦雄


[125] 武下奈々子歌集『フォルム』 2002年03月28日 (木)

昨日付で、【歌葉】から、武下奈々子さんの
第四歌集『フォルム』がリリースされた。
硬質な文体という印象の強かった武下さんが、
いつからか、柔軟な作風もかねそなえ、
硬軟自在な世界を展開している。
硬質な部分には繊細な内宇宙の感性が
柔軟な部分にはリアルな現実の感触が
それぞれきらめいているように思われる。
どちらかと言えば、昨今の著者の重心は、
後者の域に動きつつあるのかも知れない。

またたび酒庭に零せば猫が寄るこれではまるで魔女ではないか/武下奈々子



自宅の周辺から山崎川のあたりまで、
いたるところ満開の桜がつづいている。
真っ白のけむりのように咲きさかっている。
陽が傾くと、けむりはほんのり薄紅を帯びて、
はじらっているような表情を見せる。
陽がすっかり落ちてしまうと、今度は、
周囲のライトに照らされて、白やら薄紅やら
それぞれの表情にかわりはじめる。
満月が東の空から顔をのぞかせていた。


[124] サーバの不調 2002年03月27日 (水)

昨夜、作業があれこれ長びいて、
ひさしぶりに早朝まで寝られなかった。
8時に起きて朝食をすませたところで、
ふたたび睡魔に襲われ、うとうとしていた。
昼近くになってネットにつなげてみると
なんだか、imagenetのCGIがおかしい。
メンテナンスしようにも稼動しない。
さしあたり、ごーふる・たうんBBSを
引越させてどうにか復旧したところで、
すでに夜、7時近くになっていた。
短歌発言スペースと鳴尾日記も引越して、
いまはもう11時をまわった。徹夜かな。
引越等の詳細は掲示板にまとめることにする。


[123] かけひき 2002年03月26日 (火)

仕事用の筋肉(?)がようやく活性化した。
急ぎ足になっていくつかの案件を進める。
手つかずのままのものもまだ多い。
天気が良いので昼は外食にするつもりで外へ出て、
桜の見える公園でテイクアウトの定食を食べる。
ひだまりで鳩と雀にかこまれての食事だった。
ダイエット分のごはんが、彼等の餌になった。
家人のまわりにはよく鳥やけものがあつまる。
ぼくのまわりにはまずあつまることがない。
何か特殊な能力なのか、といつも思う。
かなり本気で羨ましかったりする。

と書いたところで家人にこれを訊いてみたら、
どうやら、動物たちの都合をまったく考えずに、
傲慢に近づこうとするぼくの態度に問題があるらしい。
動物はそういう種のオーラに敏感なのだそうだ。
こころで適切な距離をたもつことができれば、
おのずとあちらから近づいて来るのだという。
どこかしら恋のかけひきめいているんだな……。

眼のふちに沈む一日あなたのそのよそよそしさに惹かれて眠る/小林久美子


[122] 金婚 2002年03月25日 (月)

山崎川周辺の桜はほぼ五分になっていた。
政治をめぐる報道がにぎやかな一日だった。
仕事はあいかわらずの低空飛行状態である。
金婚の祝いは日をあらためてする予定なので、
せめて今日は電話だけでもと思って実家にかけると、
母だけがいて父は外出だという。しかも泊まりだとか。
日をあらためるんだからまあ一人で外出もいいんだけど、
しかし何も泊まりで出かけなくてもいいのに……。
友人たちとの旅行の下見だとかいう話。元気な人だ。
ともあれ、それはそれとして、金婚、おめでとう。



穂村弘の『世界音痴』(小学館)を読みはじめた。
歌人じゃなくても、ともだちじゃなくても、
この本にはきっといつかめぐりあって、笑いころげ、
切ない気分になり、そして大切にするだろうと思う。
世界の対義語が私なのだとすれば、世界音痴は、
私をうつくしく唄い奏でる人の逆説的な謂だろう。
その一点から、穂村弘はすでに音痴を克服している、
(だって、こんなに素敵な本を書いている奴だ)
と言うべきか、それゆえに世界について音痴なのか、
考えながら読んでみるのも楽しいような気がする。


[121] 逆境はいつ来るだろう 2002年03月24日 (日)

仕事をしたと言えるほどには仕事が進まない、
けれど、休みではない、そういう日曜日だった。
机まわりの本が山になって崩れそうになっている。
このまま放置するとあと数日でなだれがおきそうだ。



ウォーキングの時間を夜にシフトして、
家人と目をつけてあったラーメン屋に行く。
冷えこみがはげしくて足どりがいつもより早い。
店は杁中の国道153号線沿い、間口の狭いビルの2階。
夕食の時間帯だったせいか、ほぼ満席。
二人でとんこつラーメン(税込550円)を頼む。
豚骨100%のとろんとしたスープがおいしい。
麺も細打ちでスープがしっかりからむ。
替え玉(税込100円)に惹かれたが、
一応ダイエット中なのでがまんすることにした。
からだがあたたまったので帰路はふだんの足どり。
日々、生活と言っても生活の感触があまりない。
こどもがいないふたり暮らしは、いつまでもこんな風なのか。
家人が「ふたり」と言って、それが母子の意味にかわるとき、
自分はすごく淋しいのだろうが、早くそうなってほしくもある。

逆境はいつ来るだろう泡のような木蓮の下ふたり過ぎつつ/前田康子


[120] やさしいまいにちに包まれる 2002年03月23日 (土)

すこし冷えこんだ一日だった。
ウォーキングをかねて山崎川周辺の桜を見る。
咲き具合は三分から五分に近づいている。
週末だというのに花見の人の姿はまばらだ。
咲いていることにまだ気づいてないのだろうか。
家人がふるえながら花冷えだねと言うので、
彼岸のうちから花冷えって言うのかなあと呟いたら
何を言っているのこの人は、という顔をされた。
そりゃそうだ。句会をやっているわけじゃないよな。



この日記ももうすぐ一年になる。
書きこみはたぶんこれで120回目なので、
3日に1回は更新している計算になるが、
集中して書いて休んでまた集中しての繰り返し。
日記サイトには性格が直に反映されるものらしい。

 あるとき突然 きまぐれのように まいにちはこ
 なくなる その一瞬はこわくても そのときがた
 のしみで 毎日わたしはまいにちをだましている
 まいにちは毎日毎日わたしをあんしんさせて わ
 たしは毎日毎日まいにちをあんしんさせて 眼の
 はしで鏡をみるように まいにちのさみしい陰を
 ちらりと見ながら わたしは毎日毎日 やさしい
 まいにちに包まれる        /加藤栄子


[119] 締切とかてのひらとか陽だまりとか 2002年03月22日 (金)

二日続けて会に参加していた余波で
朝から夜まで資料読みと原稿に追われていた。
締切に余裕のない新聞物を一本脱稿してメールで編集者に。
中部エリア版に書いている、書評中心の詩歌時評だが、
長嶋有の「『五九四』俳句について」(「すばる」四月号)
をすこし引用させてもらった。面白いよ、五九四俳句。
自由律や破調でがんばる人ももちろんすごいけど、
新しい俳句定型でがんばるというのはものすごいと思う。



てのひらのでこぼこ想ひだす(てのひら)/荻原裕幸
誰でもない人を見つめてゐる(陽だまり)/荻原裕幸

試作(と言うか、戯れに)二句。
長嶋有の試作では、切れが二つ入っていたり、
五九の体言句プラス四の体言句になっていたり、
試作にもかかわらず初句六音だったり、
そのあたりに秘訣があるようだったが、
文体に限界が見えやすい気がしたので、
五九を連体・終止同形の用言で結んで
切れる感じにちょっとぼかしをかけてみた。
初句は六音の破調が流れをつくりやすそうだ。


[118] かっこよさとか点とか線とか 2002年03月21日 (祝)

真中朋久『雨裂』と松村正直『駅へ』、
二冊の歌集の合同批評会が京都・京大会館で開催された。
「塔」のメンバーを中心にした集まりとして企画されたらしい。
真中が芯に抱えているポスト前衛短歌的文体と現在とをつなぐ問題、
松村が芯に抱えている1990年代的口語文体と現在とをつなぐ問題、
これらを考察してゆくための糸口を求めてぼくも参加した。
双方ともにぼく自身の文体の問題にも直結してゆくものだ。
印象の特に強かった部分だけメモをしておく。
真中の『雨裂』については、昨日の日記にも引用したような
彼の文体がもっているある種の「かっこよさ」に対して、
どちらかと言えば批判的なコメントが多かったと思われた。
ぼくの感覚では「地味なおしゃれ」という印象だったのだが、
ダンディズムという形容(栗木京子)もされたりして、
これだけ抑制されていても拒絶の根が消えないことに驚いた。
ぼくにはあらかじめ免疫ができてしまっているというか、
むしろ栗木が批判的になるような文体を芯に抱えているので、
その点はまったく気にならなかったし肯定のポイントだったのだが、
歌集の枠組として、永田和宏がたどったような、
前衛短歌の方法的摂取→「普遍性という病」の認識
→岡井隆的私性への傾倒→斎藤茂吉的私性の再発見
といった流れを無意識になぞってしまっているのではないか、
という点が大きくひっかかっていたのだった。
流れに問題があるわけではないが、無意識にせよ
なぞるのは、どうしても良い結果にはならないだろう。
松村の『駅へ』については、自由発言の中で、
「散文としてまとめたら文学的価値の無い内容を
 短歌にして何の意味があるのかわからない」
「文学っ何なの?」
という応酬があって会場が奇妙な盛りあがりを見せた。
真中のダンディズムに対する批判の裏がえし的意見だろう。
批判者の言おうとしていることはよくわかるんだけど、
生活者としての感触を「点」として切り出した一首一首を
歌集という「線」的表現として再構成している場合、
再構成されてできてしまった「線」自体の価値を、
とりわけ「文学的」という尺度で問うのはどうだろう。
生活的リアルをきわめた「点」を「線」としてつなげば、
そこにはただの「生活」が顔を出してしまうわけである。
この「生活」を「文学的」に問うてもしかたないと思う。
一首の価値が「文学的」なものをめざしていようといまいと、
それと、歌集の枠組=一首を機能させるための場とは、
必ずしも同じ方向の何かを求めているとはかぎらない。
歌集全体の価値とこの枠組とは、似て非なるものだと思われる。



江戸雪さん小林信也さん吉川宏志さんをはじめとした
運営のスタッフさんたちが、外部参加者を気遣ってくれて、
ディスカッションに参加しやすい雰囲気があってうれしかった。
このところ関西にほとんど足をはこんでなかったので、
永田和宏さんをはじめひさしぶりに顔をあわせた人も多かった。
一泊して京都をぶらぶらしてみたかったがその余裕はなかった。
行き道に歩いた丸太町橋から荒神橋にかけての鴨川沿いに、
花も葉もない並木があったような気がしたが(記憶曖昧)、
あるいはあれは桜だったのか。咲いていれば綺麗だったろうな。


[117] 光のなかに 2002年03月20日 (水)

午後、友人たちとの読書会。
テキストは辺見庸の『単独発言』。
アフガン報復戦争批判から死刑制度批判まで、
集団の意志のような良識が綴られたこの文章の
どこが「単独発言」なのだろうと疑問だったが、
発言が、個人の声を超えて強制力を持つことへの
極端な危惧によるものなのかも知れない。
しかし、個人の声も、媒介されてしまえば、
つまりメディア=媒体に掲載されてしまえば、
その時点から力を持ちはじめてしまうわけで、
辺見の綴る「良識」はほぼ是と思いながらも、
ここに「単独」を冠するのは、あきらかに演出過剰で、
すべての「発言」の質が歪められるようにも思われた。



深夜になってから、ビデオに録画しておいた
「ロング・ラブレター〜漂流教室」の最終回を観る。
ネタが割れてしまうので詳細は書かないけれど、
初回と最終回はとても良かったんじゃないかな。
結末およびエンディングに用いられたあの見慣れた手法も
つまり、演出次第なのだ、ということをつくづく感じた。

おほぞらの見えぬ雲雀を捜しつつ光のなかにとりのこされし/真中朋久


[116] 吉浦玲子さんはネット活用派と呼びたい 2002年03月19日 (火)

吉浦玲子さん個人のメールマガジン
シンプル短歌生活<とんぼ通信>
を、昨年の12月から毎月楽しみに読んでいる。
短歌作品、短歌時評、およびエッセイを、
タイトル通りシンプルにまとめたメルマガで、
ホームページ展開のエンジンの機能も果たしているし、
結社活動とのバランス等もうまく吟味されていると思う。
インターネット上のコミュニティの方向性について、
どちらかと言えば批判的な文章を書いたりしているため、
ネットの「批判派」として認識されているようだが、
結社活動とネット活動を効率的に両立させている、
ネットの「活用派」と呼ぶべき歌人だろう。
ネット活用の理想的典型のひとつとして
内容・スタイルともに注目してほしいと思う。



午前中、区の保健所で健康指導を受けてきた。
健康診断の結果と生活・食事の調書を見てもらった。
総コレステロールの数値が微妙に高いとのことで、
やんわりと禁煙を奨められたが、そう語る一方で、
禁煙はまた別の支障が出そうですね、と苦笑していた。
からだもそれなりに動かしているし、食事も問題ない、
(むしろ食事は加減せずにもっと摂っても良いそうだ)
となると、悪いのはまあ喫煙習慣くらいなのだが、
それを禁ずるのはむずかしいだろうなあ、という感じ。
たしかにむずかしいだろうなあ……。
その他は何も問題なかったらしい。


[115] 加藤治郎さんが天麩羅にしようとした鯔 2002年03月18日 (月)

昨夜書きあげた短歌の原稿を
なんとなくしばらく眺めていて
あちこち手直ししたり戻したりして
どうにか落ち着いたところでメールする。
量的には、わずかに7首と1首だったのだが、
一度止まるととなかなか動かなくて閉口する。
動きはじめるとこんどは止まらなくなって閉口する。



鳴海の扇川に鯔が異常発生していると
加藤治郎さんが怖がりつつも楽しそうに語るので、
午後、外出の折に、そちらまで行ったみた。
はじめ大慶橋のあたりで川面をのぞいてみたが、
それらしき魚影が見えないので、川沿いに動く。
彼方に少年たちが釣りに興じている姿が見えた。
近づいてゆくと川原に魚の死骸がめだちはじめる。
名鉄鳴海駅近く、浅間橋のあたりから川面をのぞく。
暗緑色の水面がところどころ真っ黒になっている。
少年の投じた釣り針がさーっと水面を撫でると
真っ黒なかたまりがばらばらになって動きはじめ、
銀色の魚が一斉にあらわれた。ドミノ倒しみたいだ。
どうやら鯔の稚魚らしい。黒いかたまりは、
浅間橋から上流と下流に延々と広がり、
かなりのスピードで上流に移動していた。
加藤さんはこれを見て天麩羅を考えたのか……。

せっかく鳴海まで来たので、駅前を少し歩く。
駅前におやくそくのように青果店があったり、
同じ市内でも地下鉄沿線とは印象がまるで違う。
家人がこんな店を見つけたのでついつい立ち寄る。
線路に隣接したコメダ珈琲店で珈琲を飲んだ。


[114] ずっと見ていて 2002年03月17日 (日)

午後、家人と義母と義姉と四人でお茶と買い物。
春のひざしをあびて疲れが癒えてゆく感触。
おかげで短歌の原稿が進みはじめる。
まもなく脱稿できるだろう。
東直子『青卵』を読み進める。
辺見庸『単独発言』を読み進める。
Hさんの歌集の第二稿をじっくり読み直してみる。
Iさんから届いた歌集の草稿にざっと目を通す。

わたしの顔をずっと見ていて夏空に拍手の準備して待っていて/東直子


[113] 「世界に向かって歌うこと」 2002年03月16日 (土)

仕事の進みが悪いので、
一日ゆっくり休むつもりだったが、
気づくと文芸関連の雑誌・本を読んでいた。
仕事の資料を読むのと何らかわらない状態だ……。



かばん3月号で、入谷いずみさんが、
昨秋から現在にいたるテロ/戦争をめぐって、
時事詠としての短歌の問題を作品評を通して論じていた。
その中で、以前ラエティティアのML(2月2日付)に流した
以下のぼくのメールを引用して「そのような超越的視点を持ち、
事件全体を捉えることが『短歌』という形式に本当に可能なのか。
あまりにも理想的に過ぎるのではと感じつつ、やはり、
その目線の高さに敬意を表します」と書いていた。

 昨秋のテロ以後、歌人の散文による意見、
 というものをかなりたくさん読みましたが、
 今、加藤治郎さん、大辻隆弘さんをはじめ、
 自分とはまったく立場を異にする意見も含め、
 かなりな好感・ある種の共感をもって読んでいます。
 一方で、事件を素材とした短歌の作品には、
 何かそこに入って行けない感覚があります。

 1)アメリカでのテロ
 2)アフガニスタンでの戦争
 3)日本(第三者的国家)での対応
 という三つの場が短期間に形成されたために、
 一人称=主体を維持して語ることが、
 いずれかの場の問題を捨象してしまう
 つまり事件全体を狭く捉えてしまうことが原因ではないか。
 短歌形式で、今回の事件を「描く」ためには、
 少なくとも二つの一人称=主体が必要なんじゃないか。
 そんなことをつらつらと考えています。

高いところを見ているのかどうかはわからないが、
現実の世界の自分にゆるされる「ただひとつの立場」
を超えたところに文芸の展開の可能性を求めるのは、
理想的に過ぎる、ことなのだろうか?
主題制作・連作の新しい方法として想像は可能であろう。
入谷さんの、丁寧な分析と判断で綴られたこの文章の、
そこだけが納得できず、いささか理解に苦しんでいる。


[112] 元気です 2002年03月15日 (金)

雨が降ったり風が吹いたり
陽がさしたり暖かかったり
天気がくるくるとかわる一日だった。
天気のせいもあるのか、からだがだるい。
連絡、手配、事務処理といった作業が進まない。
今日中に書きあげる予定だった作品があがらない。



今日飲食したもの。間食がふだんよりも多い。
と言うか、ふだんは間食しない。疲労のせいかな。

朝、トーストパン6枚切り1枚、マーガリン、ロースハム1枚、
スライスチーズ1枚、茹卵大1個、牛乳200CC、林檎1/2個。
昼、はまち刺身1.5人前、木綿豆腐1/4丁、葱、山葵、
鶏肉ときゅうりとトマトとブロッコリーのサラダ、
ドレッシング、若布と玉葱の味噌汁1椀、ごはん1膳。
夜、蕎麦1.5人前、葱、山葵、菠薐草のおひたし、鰹節。
間食、チョコレート2粒、プリン1個、玉蜀黍1/4本、カステラ1切。
飲料、珈琲2.5杯、ミネラルウォーター200CC、烏龍茶1200CC。



「元気です」そう書いてみて無理してる自分がいやでつけくわえた「か?」/枡野浩一


[111] 蕎麦とか伊予柑とか菓子鉢とか 2002年03月14日 (木)

近所を歩いていると梅がめだっている。
暖かくおだやかな空気がひろがっている。



午後、父と母が遊びに来た。
わずか2〜3キロ離れた実家からなのに、
まるで遠い郷里から出てきたかのように
いつもみやげをいろいろ抱えてきてくれる。
袋をあけると、今日は、蕎麦と伊予柑と、
それからなぜか菓子鉢が入っていた。
菓子折ではなく菓子鉢である……。
ひさしぶりにゆっくり話をする。
歯科の治療で抜歯をうながされたものの
未だ一本も抜いたことがないので勿体ないとか、
戦友会の会誌づくりで古い字体が必要なのだが
ワープロにはその字が入ってない
パソコンなら入っているのか
そんなわけないでしょとか、
墓地を買ってあるから
今度一緒に見にゆこう
わかったわかったとか、
そういうたぐいの話である。
父と母、今月下旬で金婚を迎える。


[110] 「歴史が、突如、激しい痙攣を起こした。」 2002年03月13日 (水)

来週の読書会のテキストを読みはじめる。
辺見庸『単独発言』(角川書店)。



午後、伏見の名古屋観光ホテルでIさんと会う。
Iさんの第二歌集についての打ちあわせ。
先日渡してもらった草稿を見ながら、
全体の構成のこと、タイトルのこと、
ブックデザインのこと、見積のことなど、
行ったり来たりしながら話を進める。
現在700首を超えている草稿を
どのくらいの歌数でまとめるか。
かぎりなく300首に近づける
というのが今日のところの結論だ。
そのためには佳作も削らなければならない。
惜しい気もするが、300首強という数字は、
なぜか意外なほど読みやすいのだ。なぜだろう。


[109] 松平盟子歌集『帆を張る父のやうに』新装版 2002年03月12日 (火)

今日、【歌葉】から、松平盟子さんの歌集
『帆を張る父のやうに』がリリースされた。
1979年に書肆季節社から刊行された
まぼろしの第一歌集の新装版である。
1980年代が来てしまう直前の
あのどこか不可思議な時間と空間を
まざまざと眼前によみがえらせてくれる。
編集・デザイン・プロデュースにおける
ぼくの師匠であった故・政田岑生さんが、
23年前に手がけたその同じ歌集を手がけることになり、
ことばにはうまくかえられない深い感慨があった。

こらへかねて湧きくる涙樹液より透きとほる水をかなしみといへ/松平盟子



毎日4〜6キロ程のウォーキングをつづけている。
コースはこれといって決めずに気の向いたように。
昨年12月にBMIとか体脂肪率を調べてみたら、
ここに書けないような数値になっていたので、
かなり焦ってからだを動かしはじめたのだが、
先日どうにかBMIが23を切って
体脂肪率が20.0%におさまった。
双方それなりに標準的な数値らしい。


[108] 号外とか記憶に残っていることとか 2002年03月11日 (月)

国会の証人喚問関連の報道が見たかったのだが、
あまりゆっくりと時間がとれなかった。
午後、配信アドレスの整理をして、
@ラエティティアの号外を発行する。
発行数はすでに850部に近づきつつあるが、
時間を経て死んでいるアドレスも増えているようだ。
実質800部くらいといったところだろうか。
自動登録のシステムを利用すれば、
もっと多くのアドレス管理もできるし、
そろそろ配信のシステムを見なおす時期かも知れない。



土曜の批評会以後の備忘録。
会の終了後、入谷いずみさんから、
岡本潤さんと河野麻沙希さんを紹介してもらう。
松平盟子さんと【歌葉】のことで少し打ちあわせ。
懇親会では、江田浩司さんと長い話をした。
新しい「かばん」編集長の飯田有子さんが緊張気味で、
副編集長の入谷いずみさんがとても熱い感じだった。
辰巳泰子さんの息子さんらしき少年に
おぎはらさんですかと丁寧に挨拶され、箸袋をわたされて、
さかなへんで画数の多い漢字を何か書いて下さい、
と頼まれたので、ちょっと迷って「鱈」と書いた。
穂村弘のハードディスクの中をすべて見たいと思った。
伊津野重美さんと錦見映理子さんに割箸で挟まれそうになる。
梨の実歌会の常連さんも集まっていて、五十嵐きよみさんが、
井口一夫さん、吉田佳代さんを紹介してくれた。
井口さんからは月刊短歌通信「ちゃばしら」の印字版をいただく。
鍋の前にすわって汗ばんでいたら
川谷ゆきさんがハンカチを渡してくれようとしたので、
照れくさくなって慌てて自分のハンカチを探した。
高木孝さんから近く歌集刊行を予定していますと教えてもらう。
松村正直さんに今月21日の批評会の話を聞かせてもらう。
森本平さんに話かけようとしたら暗い顔でうつむいていた。話そびれる。
三原由起子さんに四月号は特選だよと知らせたが信じてもらえなかった。
玉城入野さんから興味深い情報をもらった。
仕事があるからと帰ろうとする菊池典子さんを三次会にひっぱる。
なかはられいこさんが道に迷う理由がよくわかった。
四次会は、千葉聡さん、神谷清美さん、佐藤弓生さん、佐藤りえさん、
高原英理さん、田中庸介さん、長嶋肩甲さん、なかはられいこさん、
と、カラオケボックスにこもり、ただの一曲も唄わずに、
延々と話つづけた。そこで宿泊先に戻ったが、
五次会は朝まで続いていたらしい。


[107] 超結社ゲリラ的東京句会 2002年03月10日 (日)

渋谷で一泊した日曜日、
WE ARE!のとりしきるEの会に出席した。
Eの会は、WE ARE!と恒信風が母体のようで、
五七五で作品がかける人の集まるゲリラ的句会の
東京で開催される際の名称だそうだ。
川柳とか俳句とかジャンルの壁を立てない超結社句会である。
今回の参加メンバーは、天野慶さん、植松大雄さん、岡田幸生さん、
倉富洋子さん、佐藤りえさん、なかはられいこさん、藤原龍一郎さん、
村井康司さん、木綿さん、矢島玖美子さんと荻原裕幸の11名。
名前は知っていてもコンタクトのなかった天野さん木綿さんをはじめ、
倉富さんなかはらさん藤原さん以外の8名とは、
顔をあわせて作品のハードな合評をするのははじめてで、
会が進みはじめるまではかなり緊張していた。
はじまってみれば共有する情報が多いために楽しめたが、
とりわけ岡田さん佐藤さんは、ネット上での短歌の批評からは
まったく予測できなかった場所で俳句・川柳評を展開していて、
思いがけない一面を見た気がした。興味深かった。



最終に近い新幹線で名古屋に帰る。
帰宅してマックをたちあげてみると
電子メールの山というか行列があらわれた。
月曜日、一日かけての対応になりそうだ。


[106] 千葉聡歌集『微熱体』批評会 2002年03月9日 (土)

千葉聡さんの歌集『微熱体』の批評会があって上京する。
かばんの会とラエティティアの共催で立ちあがった批評会だが、
実質的な運営部分を中沢直人さん東直子さん等が負ってくれたので、
まっすぐにディスカッションのことのみに専念できた。
パネリストは、加藤治郎さん佐藤りえさん高原英理さん高柳蕗子さん、
それからぼくがディスカッションの進行役として参加した。
記録かレポートが「かばん」本誌に掲載されるようなので
ここでは特に詳細な記録はしないが、
当日のコメントを補足しながらメモを少しまとめておく。

『微熱体』は、
1)世代的な印象として、1990年代のニューウェーブの次世代
  ということをかなり強く感じさせる歌集である。
  作風が近似しているという感覚はほとんどないのだが、
  短歌史的にどこから生じたのかが見えにくい加藤千恵とは違い、
  加藤治郎、穂村弘、あるいは荻原裕幸の作品等も、
  読んでなにかしらの匂いのようなものをまとっている。

 長生きの秘訣のように君の目が「j」になってるのを見とどけ眠る

  加藤治郎『マイ・ロマンサー』や荻原裕幸『あるまじろん』
  の表記上の試行の延長線上にこうした作品は位置している。
  感性の質は個人差を超えて世代差があるように見えるけれど。
  また一方で、かけ離れた世代であるという感覚ももちろんある。

 休憩用ホテルの裏にバスケットのゴールがあって僕たちがいる

  焦点の見えにくさと言ったらいいだろうか。
  こうした作品に内在する、読者を刺激するポイント、
  その顕在化の角度のようなものが決定的に以前と異なる。
  一読短歌のツボを心得てないかのように感じられるが、
  ではだめな作品かと言うとどうもそうでもない面白さがある。

2)技法的な印象として、近代短歌的短歌観、前衛短歌的短歌観、
  といった、前世代までが何らかのかたちでひきうけている短歌観が、
  意図しなければここまで見えなくはならないだろうと思うくらい
  すっきりと欠如している。欠如に若干の意図が見えるのは、
  次世代、である、という、短歌史的な意識の産物かも知れない。
  自己の世界観へ深く入りこみ、言葉でそれを顕現させる、
  といった行為がない。「生きる」ことの即時的な光景の
  視覚的な表層を描ききることに優先順位が置かれた文体である。
  まるで詞書がそのまま作品化されているようでもある。
  従来、詞書のように三十一文字の外に追い出されていた何かを
  意識的に作品の中に持ちこんでいる。

3)歌集構成の印象として、観念としてのテーマの追求が自然になされず、
  すべてがいったんエピソードを構成した上で遠回りに提示される。
  世界観がダイレクトに読者に向けられることがない。
  作者自身が何を考えているのか曖昧であるようにさえ見える。
  歌集外の世界・情報との接点が見えにくい。
  これは社会的文芸的な「場」に依存しないということでもある。
  従来「場」の上にのって成立していた一首の力に無意識的だ。
  外部からは閉ざされた自己の生成するエピソードが
  これまでの「場」にかわる「場」として機能しているようである。

ディスカッションでは、このような
一般論的な、司会としての視点を提示して
その後に各パネラーの分析を発表してもらった。
事前の打ちあわせをほとんどおこなっていないため、
噛みあわない部分が多数生じるのを、コメントでつないでみた。
各パネラーの発表の中から個人的に印象が強かった部分をメモしておく。

加藤治郎さんは『微熱体』を、
秀歌が多い歌集である、へたくそな歌が多い歌集である、
登場人物が面白い歌集である、と印象をまとめてくれた。
秀歌とへたくそ、という基準で読めてしまうのは、
ぼくもまったく同じ印象を持ってはいるのだが、
しかし千葉聡の価値観は、短歌史とのつながりから
どこか別の流れの中にシフトしてしまっている、
という部分が強いように思われる。
そのかたちは今のところ不鮮明で、
これからはそれを深く追ってみたい気もする。
佐藤りえさんは、文体の分析をおこなう中で、
メタファーを含んだ抽象語が物理的光景として描かれること
他者の動きを追う作者の視線、自己の動きを提示する自己の視線など、
『微熱体』に特徴的にあらわれる種々の位相を提示してくれた。
物語性を強めた連作の中では何が起きるか、が、
きわめてクリアになってゆくのがわかった。
高原英理さんは、戦前から90年代までに仮の区分をほどこして、
それぞれの時代的価値観に対して千葉聡がどう位置づけられるのか、
丁寧に分析して見せてくれた。
ぼくが感じた前の世代とはかけ離れているという印象は、
特定の時代の価値観にも深入りせずに自分を位置づけるため、
自己の位置がきわめて不鮮明になるのが原因かも知れない。
高柳蕗子さんは、『微熱体』の一首一首をパーツ化せずに、
全体をひとつながりのものとして、そこに浮かびあがる価値観、
つまり『微熱体』を読むためには、読者がどこへ視点をシフトすべきか、を
詳細に分類・分析してみせてくれた。
ぼく自身の歌集の読み方は加藤治郎さんにもっとも近く、
もっとも対照的な高柳さんの読解には多くの刺激をうけた。


[105] おそれをしらぬしょぎょうとか快活な文体とか 2002年03月08日 (金)

【歌葉】サイトに、
第1回の歌葉新人賞の募集要項、と
叢書の書店販売の紹介が掲載された。
いずれも一周年を契機としての企画である。
おそれをしらぬしょぎょう、という気もするが、
慎重になりすぎてなかなか前進できなかった一年目を思えば、
あたたかい感じで【歌葉】に集ってくれる人の期待に
少しは応えてゆくことのできる企画ではないだろうか。
今年になってからは叢書の編集・刊行も順調に進んでいる。
佐藤彰子さん『二十歳の頃の我に向かいて』、
中原千絵子さん『タフ・クッキー』につづき、
三月中にあと二冊の刊行が予定されている。



R☆FC(玲はる名さんの個人ファックス誌)の第6号が届いた。
今号は、ぼくの歌集『デジタル・ビスケット』の作品評に
思いがけず誌面を大きく割いてもらってうれしかった。
「5冊分の本が1冊になって、たったの三千五百円なのです。
 これは、単に荻原さんがコストをケチったわけではなくて、
 現在までの自分の姿をより多くの人と出会わせたい、
 という意気込みの表れなのだと思いました」といった
著者自身が腹を抱えて笑ってしまうような快活な文体で、
作品紹介を楽しく展開してくれている。感謝。


[104] 司会をする機械とかひとりごととか 2002年03月07日 (木)

あっと言う間に一か月以上ブランクができている。
一月末から二月にかけては企画のしこみばかりで、
何をしているか書けないことだらけだったため、
ついつい日記から遠ざかってしまっていた。
と言ってもまだ書ける状態ではないのだが……。



夕刻から東桜歌会の三月例会。
初参加の高井志野さん、
栃木から富田睦子さん、
滋賀から大谷雅彦さん、などなど、
参加者計18人。会がはじまって以来の出席者数だ。
票と誰を何回指名したかを数えながら
自動運転の機械のように司会をしていた。
鑑賞したり自分の意見を言う暇もほとんどない。
帰宅してからあらためて詠草を眺め渡して
ひとりでぶつぶつとコメントしていた。
自分のことながら奇妙な光景としか思えない。


[103] 色色 2002年01月21日 (月)

ももいろのれんあい
そらいろのこんいん
にじいろのせんたく
あいいろのおそうじ
さみどりのまいにち


[102] 省略 2002年01月20日 (日)

昨日から家人がともだちの別荘に行っていたので、
睡眠も食事もその他もろもろも概ね省略して
ひたすらひたすら机にむかっていた。
帰宅した家人にきつく叱られる。
ともだちの話をいろいろ聞く。
青空のてざわりのある話。



長生きの秘訣のように君の目が「j」になってるのを見とどけ眠る/千葉聡


[101] 意図 2002年01月19日 (土)

午前中から中部日本歌人会の集いがあった。
年刊歌集の批評会および出版記念会である。
大塚寅彦さん大辻隆弘さんたちとともに作品批評を担当した。
会場は池下のルブラ王山。むかし、同じ場所にあった会館で、
現代詩、短歌、俳句、口語俳句、川柳、一行詩の各ジャンルが集う
短詩型文学のシンポジウムに出演したことを思い出しながら会場に入る。
開会まで、大平修身さん早崎ふき子さんと珈琲を飲みながら近頃の歌壇の話。
仮眠だけの徹夜あけだったので珈琲がおいしい。参加者は90名ほど。
自分の出番まで、大塚さん大辻さんたちの熱心な批評に耳を傾ける。
1人15首20分ほどのコメント時間、それなりに読めたと思う。
それでもパフォーマンス的なおしゃべりが多かったかなと反省。
批評終了後の質疑応答で、作者から解釈が違うとクレームが出た。
かなりきちんとテクストを読みこんだつもりだったが、
まあ作者の意図が汲みとれなかったのではクレームもしかたないか。
もうしわけないとは思ったものの、その作品の読みはひとつに限定できない、
ということをおだやかに伝えてみた。作者には通じなかったようだが……。



午後、ちくさ正文館書店に寄って古田一晴さんと仕事の話。
この人とのつきあいももうかれこれ20年近くになった。
中井英夫の本を読み漁っていた高校生の頃からのことで、
古書店でも見つからない本をいつも手品のように見つけてくれた。
そう言えば、かつて塚本邦雄とはじめて出会った場所もこの書店だった。
あいかわらず本の並べ方が良い。村上きわみの赤『fish』も積まれている。
文庫をのぞいた枡野浩一の本がきちんと8冊あったりもする。

ぼくらは一体どこまで行けるだろう、とあなたは言った。/村上きわみ


[100] 摩擦と予想 2002年01月18日 (金)

【e短歌salon】の『林檎貫通式』批評会で、
昨夜から「解釈」をめぐってのディスカッションが盛んになる。
大辻隆弘さんが他者の解釈を否定する意見を出したところへ、
枡野浩一さんが他者の解釈の否定という行為に違和感をとなえた。
そのあとあれこれと応援合戦みたいなコメントも入った。
オフラインなら瞬時に消えている摩擦なのだろうが、
オンラインゆえにちょっと空気が固まる感触もある。
もちろんぼくにはそういう摩擦もまた楽しいのだった

先に、飯田有子の作風について、
予想していた通り、穂村弘からの「影響」という話が出た。
予定していた通り、どう考えるべきかを提言してみたところ、
それにきりかえすように、藤原龍一郎さんと枡野浩一さんから、
むしろ影響を受けているのは穂村弘ではないのか、と、
あまり予想していなかった方向へコメントが出て、
そこへこんどは穂村さん自身が登場してコメントした。
予想通りに進まないところも批評会の楽しさなのだろう。



てのひらをくぼめて待てば青空の見えぬ傷より花こぼれ来る/大西民子


[99] 七年 2002年01月17日 (木)

阪神淡路大震災からもう七年が過ぎたという。
意外にながく揺れているんだなと思っただけで、
名古屋に住んでいたぼくには何の被害もなかったが、
その後、まったく違う意味で地震にまきこまれた。
当時、住宅メーカーの企画・広告の仕事をしていたため、
被災地にいくたびも取材にゆくことになった。
見舞ではなく取材なのだった。
電車で行けるところまで被災地の「奥」へと向かう。
車窓からの風景がだんだん悲惨なものになる。
その先が不通になっていて降ろされた駅前には、
カラオケボックスだった建物が転がっていた。
天地が逆になり、ほんとに転がっていたのだ。
高校生の一群が快活に笑いながらその前を過ぎる。
街が崩壊してもむろん人々の生活はつづいている。
そこからはもう歩いて被災地の「奥」へと進む。
倒壊した家の写真を撮って歩いた。
誰からも何の反応もない。
倒壊していない家の写真も撮った。
まわりに何もなくなってしまったため、
三階建の家などは天に突き刺さったように見える。
倒壊していない家から住人が飛び出して来る。
何しとる?
写真を撮らせていただきました。
何でや?
被害の状況を調査させてもらってます。
マスコミやろ?
違います。調査です。写真は公開しません。
嘘こけ!
いくら説明してもきりがないので、
やむをえずその場からはなれるように歩きはじめる。
彼はいつまでもついてくる。
こちらには正当性のかけらもない。
彼が敏感になるのはあたりまえだ。
ぼくはもう黙ったまま歩くしかなかった。
彼はぼくのかたわらでずっと話しつづけていた。
たまたま自分の家が残ったばかりに、
周囲の人とつきあえなくなってしまったらしい。
おれん家も壊れたらよかったんや……。
そう言い残して彼は帰って行った。
その年、傾きかけていた住宅業界の景気は、
関西を中心に一時的にうわむいたのだった。


[98] 日日 2002年01月16日 (水)

【e短歌salon】での『林檎貫通式』批評会が、
正岡豊さんの天象俳句館のトップページで紹介されている。
深い理解と抵抗感とがともにあるのを感じさせられるが、
いま・ここ、をかなり熱っぽい感じで共有してくれている。
この感覚が、正岡豊なのだろう。こちらも熱い感じになる。



いささか寝不足が続いていてきつくなって来た。
午後、電話と電子メールが洪水状態だった。
加えて、メンテナンスのあけたFreeMLが
どうも思ったように稼動してくれず、
すっきりしない気分のまま作業を続ける。

とりかへのきかぬわたしがくりかへしくり出すとりかへしのつかぬ日日/小池純代


[97] 林檎 2002年01月15日 (火)

【e短歌salon】での
飯田有子歌集『林檎貫通式』批評会が、
実に爽快な感じで動きはじめている。
水須ゆき子さんの溌剌とした進行が快い。
管理人のいないところでどんどん掲示板が動くのは、
これはもう言うに言われぬ気分の良さがあるのだ。
批評会は2月2日までの長丁場である。
この爽快な感じがずっと続いてほしい。



なにもかも何かにとって代わられるこの星で起こることはそれだけ/飯田有子


[96] 2002年01月14日 (祝)

夜、千葉聡さんから電話があった。
イベントなどではよく顔をあわせているのに
いつもどちらかがあれこれ仕事を担当していて、
あまり落ち着いて話をする機会がなかったのに気づく。
ひさしぶりにきちんとことばを交わした感じだった。
歌集『微熱体』の批評会が近々あるという。楽しみだ。



小池純代さんの歌集『梅園』(思潮社)が刊行されている。
まだぱらぱらとページを繰っている段階なのだが、
それでももうからだかこころかよくわからない
ぼくのなかのどこかに不思議な感覚が奔っている。
現代短歌が云々とかそういう「雑念」の一切を掻き消して、
この人の作品はとてもまぶしい。読むと異常に緊張する。
文体としては対極的なはずだが、小池純代と早坂類を読むとき、
とてもよく似た緊張感がある。理由はいまのところよくわからない。

わたくしといふわたくしをひとりづつたたきおこして生涯終はる/小池純代


[95] WWW 2002年01月13日 (日)

夜、どうにも原稿の進みがわるくなったので、
現実逃避というか、気分の切り換えもかねて、
電脳短歌イエローページの掲載サイトの
すべてのリンクのチェック作業をした。
いつも通り、ああ、あのサイトが消えてる!
というのがあって、複雑な気分にさせられる。
たぶん定期的な更新に疲れたのだろう。
自身のサイトをつねに整理・刷新するのは
もちろん有意義な活動であるに違いないが、
アクセスするのはリピーターばかりではない。
過去のコンテンツを消してしまわなくても、
ゆっくりかつたっぷりと時間をかけて、徐々に
何かを積み重ねてゆけばいいのではないだろうか。
ウェブは、雑誌的な情報発信の場であるとともに、
書籍に相当する機能だって持っているのだから。



名前だけおぼえてる人WWWでちっちゃな滝を見つけたら来て/加藤治郎