[385] 街化と混在 2002年12月27日 (金)「31フォーラム」で募集をしている
【オンライン短歌2002年の収穫】、
すでに10件の回答が出されている。感謝。
また、多数の告知協力者にも感謝を捧げたい。
さらに多数の意見を聞きたいと思っている。
6年前にインターネットを眺めていたとき、
短歌に関してはほぼ未開拓の状態だった。
荒野に開拓者の家がまばら、という印象。
アンケートの回答を読みながら感じるのは、
現在はあきらかに街化しているということ。
いずれは都市化してゆくことになるのだろう。
★
枡野浩一さんの『日本ゴロン』を読んでいる。
ことばと文芸をベースにした爽快なコラム集だ。
八二一さん(たち)の猫写真もたっぷり見られるし、
あいかわらず丁寧に著者編集されていて楽しめる。
この丁寧さは、作家ではかなり珍しいと思う。
ところで、その『日本ゴロン』のなかに、
インターネットについて、こんな発言がある。
「インターネット上の言葉の何が嫌かというと、
それは『内輪の話なのに、おおやけの場に
平然とさらされている』ということに尽きるんじゃないか」
嫌かどうかはちょっとおいておくとして、
これがインターネットの特性に見える理由は、
外部の何らかの秩序がカオス化されているからか。
たとえが良いのかどうかはわからないが、
インターネットでは、まったくおなじ周波数帯に、
アマチュア無線と商業放送が混在している印象がある。
商業放送のつもりでアマチュア無線を受信したり、
アマチュア無線のつもりで商業放送を受信したり、
そうしたことがおのずと起きてしまうわけだ。
目的も価値観も違う「出力」が混在しているし、
どちらでもある/ない「出力」も生まれつつある。
この問題はあらためて考える必要があるかも知れない。
[384] 押したらダッシュ 2002年12月26日 (木)年内にほんとに仕事納めがくるのだろうか、
などと不安に思いながら、外から帰ると、
マンションのお向かいさんが、玄関先に、
すでに正月飾りをしっかりと出していた。
何回も何回もまじまじと見てしまった。
どこからどう見ても正月飾りである。
「クリスマスがすぎたからかなあ」
「たぶん大掃除が済んだんだよ」
家人と二人であれこれ詮索しながら、
うちのめされたような気分になる。
朝から深夜まで30通余りメールを書いた。
打ちあわせや作業がメールで進むのは便利だが、
長い原稿をまとめたあとのような虚脱感がきた。
★
河野麻沙希さんの第一歌集『校門だっしゅ』(青磁社)、
なりかわり的文体を駆使した青年期の造形が楽しい。
ふわふわで、甘くて、緩くて、かぎりなく頼りない。
なかには演出過剰の作品もちらほら見うけられたが、
これはいいんじゃないかな、と思いながら読んだ。
どこにも大人の表情をもちこまない徹底ぶりは、
大人の世界よりもずっと強靱なのかも知れない。
また今日もしゃがんでアイスなめながらふたりで夏を無駄遣いする/河野麻沙希
男女4人ゆるく結合されたまま17歳の夕焼けを見る
真夏日が終わらぬことを理由とし触れちゃいけない場所だってある
さよならを聞いちゃう前に理科室の火災報知器押したらダッシュ
[383] 俳句観/編集観 2002年12月25日 (水)午前、例によって雀のウォッチング。
あたりを警戒しながら餌をつつく表情を
室内からじっと見てしばらく楽しんでいた。
リニューアルされた「俳句界」1月号を読む。
秋山巳之流さんが「俳句界への提言」として、
他社の編集批判的な文章を書いていて驚く。
編集対編集のバトルもときには必要だろうが、
秋山さんのこの文章では、俳句観の問題が、
編集観の問題にスライドされてしまっていて、
俳人や読者の手の届かないものになっていた。
午後、Nさんのオファーに返信のメールを書く。
まだかたちはないが、来年の楽しみがまた一つ。
プロバイダからサーバの仕様変更の予告メール。
来年二月の話だが、対応が大仕事になりそう。
夕刻、義母と家人と三人で食事と買い物に。
夜、年内急ぎの案件をいくつか進めてゆく。
★
昨夜、日記サイトのアクセスカウンタが、
70000を超えた。2か月弱で10000アクセス、
1日あたり平均して185アクセスほどになる。
リニューアルした「デジタル・ビスケット」も、
先日、アクセスカウンタが20000を超えた。
ありがたいことである。順次更新を進めたい。
今年はかなり強引にウェブ日記を維持していた。
日記そのものは、読書ノートというスタイルで、
むかしからかなり書いていたので慣れているが、
ウェブ日記というのはまるで勝手が違っている。
メディアに原稿を執筆するノウハウも通用しない。
しかも、詩歌句に特化したウェブ日記となると、
読みやすさと同時に、情報の濃度も要求される。
来年も悪戦苦闘しながらの展開になりそうだ。
[382] メリークリスマス 2002年12月24日 (火)12月24日。全国的にクリスマスのイブである。
たしか、秋頃に一度ここに引用した作品だが、
本来のクリスマスツリーのかたちで再引用。
雪
しかも
ひるがほの
花咲く音を奏で
あなたのなかに降る
雪
5年前の、パソ通の電子会議室で、
クリスマスパーティに飾ったもの。
メリークリスマス。
★
午前、Kさんから電話があって、
来年4月上旬の批評会のパネラーを頼まれた。
ずいぶん先の話だと思って聞いていたのだが、
よく考えてみると、あと3か月半ほどである。
午後、「短歌研究」の原稿をメールで入稿する。
先日の取材の補足でMさんとメールのやりとり。
自身の歌集を読みなおしてみることになった。
夜、家人と外出。プレゼントを買ってもらう。
たまに行く天麩羅屋さんで天麩羅を食べる。
コースにひつまぶしが付いていてそれも食べる。
繁華街がなんだかとてもしずかなので驚く。
サンタクロース姿のおねえさんがちらほら。
三角帽子をかぶったおじさんが見あたらない。
帰りがけに義姉の家に寄ってケーキをもらう。
夜中に家人と食べる。食べてばっかりだな。
[381] はかなき交尾 2002年12月23日 (祝)ひさしぶりに徹夜となってしまった。
午前、出張していた家人が帰宅した。
東京とか熱海とか、計五日間の仕事。
いきおいこんで話はじめるかと思って、
眠さをこらえて身構えていたのだが、
家人も昨夜は完全な徹夜だったとか。
話もそこそこに二人とも眠りに落ちる。
午後になって目覚めて仕事をはじめる。
家人は熟睡のまま。よほど疲れたのだろう。
400字5枚の書評依頼。良い本にあたった。
メールでの仕事の対応がすこし進んだ。
年内には視界がひらけるかも知れない。
夜、遅れていた「短歌研究」の原稿。
2月号の特集「文語と口語の混在」。
推敲してメールであす入稿する予定。
★
梅内美華子さんの『横断歩道/若月祭』が出た。
雁書館が新しい歌集を復刻する2in1シリーズ。
順調に進んで、この本で6冊目となっている。
二歌集を完本で収録、総合的な解説が入る。
絶版問題を早期に解決する良い企画である。
これで書店配本されれば完璧なのだが……。
懐かしみながらも新たなきもちで頁をひらくと、
シャープかつ柔和な感じの風景が次々に見つかる。
いきなり提示される風景のカッティングの巧さは、
主題が不在に見えながら、必ず何かをはこんで来る。
ゴールインのランナー抱えゆく人もはかなき交尾のごとく崩れぬ/梅内美華子
[380] おたんじょるび 2002年12月22日 (日)「31フォーラム」で募集をはじめた
【オンライン短歌2002年の収穫】に、
書きこみがいくつか集まりはじめている。
また、アンケート募集の告知についても、
さまざまな人たちが協力してくれている。
ありがたい。今後の展開が楽しみになった。
こうした年間アンケートが実施可能なほど
オンラインに短歌関連のコンテンツがあるなら、
いずれは個人執筆の月評も可能になるだろう。
2003年は、月評を考えてみるのもいいかも。
★
穂村弘詩集『求愛瞳孔反射』(新潮社)が出た。
現代詩とはどこかしら毛色の違う詩集なのだが、
なんとなく現代詩に「着地」しそうな予感がする。
着地させるのは、田中庸介さんの仕事になるかな。
巻頭作品の「チョコくッキ」がすこぶるいい。
冒頭の七行をこっそりと引用してしまおう。
おたんじょるび
おめでとん
りぽんぐるみわ
おさるジョージさく
チョコくッキねす
れきたての
チョコくッキねす
チャーリィ・ゴードンを思い出して涙腺がうずく。
しばらく遠いところから帰ってこられなくなりそう。
普通の日本語(?)の詩もたくさんある。念のため。
[379] アンケート募集 2002年12月21日 (土)私設の掲示板「31フォーラム」で、
【オンライン短歌2002年の収穫】と題して、
アンケート募集の企画をひらくことにした。
今年のオンラインの動きをメモしていたとき、
重要度の判断に迷うものだらけだったため、
今年はアンケートを実施すると楽しいかも、
と感じて、私設掲示板で試行することにした。
クリスマスを過ぎてからとも考えていたが、
巷はすでに年末だというのできょう告知した。
多くの人たちの意見を聞いてみたいと思う。
★
朝、すこし強めの雨が降っていたので、
ベランダの雀の餌の置き場をかえてみる。
室内からじっと様子をうかがっていると、
警戒しながら近づいたり離れてみたり。
ちょっとしたことにも敏感に反応する。
しばらくしたら餌をつつきはじめた。
四人で外出の約束をしていたのだが、
仕事で家人が一緒に行けなくなったので、
義母と義姉と三人で夕刻の街路を散策する。
ずっと小雨模様だったが、それも気にせず、
JR名古屋駅のタワーズライツの点灯を見て、
街路のイルミネーションを眺めながら歩いて、
ヒルトンホテルのラウンジでお茶を飲んで、
それからお気に入りの店でパスタを食べた。
どこかしら婿養子のような感じで楽しかった。
[378] 年末 2002年12月20日 (金)夜、テレ朝系「ニュースステーション」で、
年内の放送は今夜で終了だというアナウンス。
年末の番組編成とのからみなんだろうけど、
それにしても、もう、すでに、年末なのか。
愕然としながらToDoメモを見てまた愕然。
★
金山のボストン美術館でお茶を飲みながら、
午後、Mさんに、予定していた取材をうける。
1962年生の人をターゲットにした企画だそうで、
同年の著名人一覧とか少年期の年表を見せてもらう。
ああとか、ををっとか、うむうむとか言いながら、
短歌にかかわることかかわらないことあれこれと。
Mさんも同年代、1970〜80年代話で盛りあがる。
取材の帰りに近所の書店に立ちよって本を二冊。
長嶋有『タンノイのエジンバラ』(文藝春秋)、
枡野浩一『日本ゴロン』(毎日新聞社)、
部数が多いと近所の書店で買えてありがたい。
部数と言えば、きょう、神崎ハルミさんから、
私家版の歌集『観覧車日和』が届いていた。
限定31部の11番があたった(あたった?)。
限定本何番、これ一冊、の魅力も捨てがたいな。
しかし、まあ、捨てがたいことは捨てがたいが、
神崎さんの本は、もっと多く存在すべき本かも。
読者への回路が限定部数を超えて機能している。
手に入れた本たちの細かな感想はあらためて。
本日の計測、体重59.6kg、体脂肪率19.5%。
[377] 電網茶柱 2002年12月19日 (木)結社誌「短歌」12月号が届いた。
評論「現代短歌はどこで成立するか」、
彦坂美喜子さんの連載は31回目となった。
前回に引き続きぼくの作品が論じられている。
「現代短歌雁」第8号(1988年10月)掲載の
高野公彦さんの時評での『青年霊歌』への言及、
「サロン文学」「知の特権性」の批判に対して、
読みの角度をすこしずらす必要性を説いている。
などと、素材になっている当の作者自身が、
淡々と解説しているのも変なものだが……。
定金冬二句集『一老人』(詩遊社)が届いた。
倉本朝世さんの編集した晩年の秀句集である。
『無双』以後の作品から240句をまとめている。
定金冬二について書きたいと思っていたところへ、
タイミングよく貴重な資料が刊行されたのだった。
★
井口一夫さんたちの「ちゃばしら@WEB」が、
気づいたら、オンラインの短歌情報誌みたいに……。
情報は「偏向」しているが、それもいいな、と思う。
ぼくの知るかぎり、オンラインベースの短歌の動きが、
こうした「風景」としてデザインされたのははじめて。
継続すれば、かなり大きな意味をもちはじめるだろう。
ぜひとも大切に育てていってほしいサイトである。
[376] 再起動 2002年12月18日 (水)午前、信濃毎日新聞からエッセイのゲラ。
校正。今回が連載の最終回となる。13回目。
1回あたりで400字2枚、計26枚を執筆した。
午後、Mさんから郵便で歌集の原稿が届く。
二か月のび放題になっていた髪をカットする。
手元にたまっている数人の歌稿を読み進める。
夕刻、朝日新聞社の社外筆者の謝恩会に出る。
遅れている企画のだんどりを某氏と進める。
夜、Iさんからメールで歌集の草稿が届く。
★
更新がしばらく滞ったままになっていた
ホームページ「デジタル・ビスケット」、
サイト内の構成にすこしだけ手を加えて、
読者への手紙欄と著作の紹介欄を増設した。
ひぐらしひなつさんの手を煩わせた。感謝。
リニューアルと言えばリニューアルなのだが、
本格的な展開のための再起動といった感じか。
まず、メディアに執筆した原稿の再録を進め、
その後、何か新しい展開も考えてみたいと思う。
[375] 宣伝サイト 2002年12月17日 (火)朝、餌をもってベランダに出ると、
雀たちが遠くからこちらを見ている様子。
餌を置いていると隣のベランダまで近づき、
部屋のなかに入るとたちまちに飛んでくる。
餌づけは成功らしい。手にのらないかな……。
午前、午後、引き続き、資料読みとメール書き。
途中、家人と買い物に出たり食事をしたり。
ひさしぶりに回転寿司の店に行ってみた。
コハダ、鉄火、鰺、鰯、カンパチ、で満腹。
夜、信濃毎日新聞のエッセイを脱稿。800字。
価値観の多様化が多極化にならないという話。
★
深夜、黒瀬珂瀾さんのウェブ日記をひらくと、
第一歌集『黒耀宮』の宣伝サイトの宣伝があった。
筆名もそれらしいが、歌集名もそれらしいなあ。
先日書いた錦見映理子さんといい黒瀬さんといい、
漕ぎだすべきところへときちんと漕ぎだしてゆく。
第一歌集をいま出す世代、方法論はまちまちだが、
こうして舞台にあがるときの瞬発力のつよさには、
かなり大きな共通性があるらしい。頼もしいと思う。
刊行前の宣伝サイト、さらに流行しそうな気がする。
[374] 白星先行 2002年12月16日 (月)午前、午後、ひたすら資料を読んだり、
電子メールの山を崩したりの繰り返し。
今年のあれこれになかなか決着がつかない。
夜、新聞社のMさんから電話で予備取材。
金曜に会って取材を受けることになった。
新年企画の記事だと聞いていたので、
てっきりのどかなものかと思っていたら、
むずかしそうな話題だった。資料を探す。
★
池田はるみさんの本が届く。
『お相撲さん 短歌エッセイ』(柊書房)。
歌誌「綱手」に連載していたものらしいが、
大相撲をモチーフにしたエッセイ&短歌集で、
憂愁と笑いとがブレンドされた一冊である。
散文と短歌での構成を考えると、
藤原龍一郎『東京式』(北冬舎)、
水原紫苑『うたものがたり』(岩波書店)、
等につらなる試行ということになろうか。
大相撲を歌の素材にするのはむずかしい。
池田さんも苦戦しているように見えるが、
白星をきちんと先行させているのはさすが。
両国の春ひつそりと佇みぬ相撲は西を巡りてをらむ/池田はるみ
[373] 人生の給水所 2002年12月15日 (日)いつものように雀たちがベランダに来る。
うっかりのぞいて眼をあわせたら逃げられた。
あるいは自覚すれば症状が良くなるものなのか、
刺さった小骨みたいなものが消えてくれたらしい。
忙しさのせいか、風邪気味だったか、ともあれ、
これでやっと山積の仕事を進められそうだ。
午後、読みかけになっていた数人の歌稿と、
届いたばかりの数人の歌稿を読み進める。
夕刻、玲はる名さんからはずんだ声の電話。
ともだちのはずんだ声というのは心がなごむ。
★
週刊読書人12月20日号、特集「二〇〇二年の収穫」。
アンケートの回答号、他人の選を気にしながら読む。
歌人も俳人も詩人も何人かが回答しているけど、
詩歌集だけを書いた人は他にいなかった……。
短歌主体の同人誌「pool」の創刊号を読んだ。
編集人=石川美南、発行人=松澤俊二、という
若い世代による雑誌で、作品、相互批評、散文など、
10人の出稿で100頁超の誌面がぎっしり埋まっている。
作品はそれぞれに工夫のあるものだったが、そのなかで、
清水寿子の「GSK計画」がつよく印象に残っている。
一首一首のもつ詩的な軽さには批判もあるだろうが、
この連作に必然的なウェイトを維持しているようだ。
詞書の活用が効果的で、小宇宙をうまくたちあげている。
すべて式と名のつくものが好きな男は、特に結婚式を人生の給水所と形容した
どうせなら結婚式ははつなつのガソリンスタンドでってのはどう/清水寿子
[372] 精神の空腹 2002年12月14日 (土)思ったようにたちゆかない感じが続いている。
きのうはメモをつくろうとして断片だけが残った。
整理できない断片は気になるので消してしまう。
思考回路のどこかに小骨が刺さっているみたい。
症状は自覚できても原因が自覚できないのが困る。
言葉をしゃべったり、書いたりするのは、
精神が喰べてることだ。
しゃべっているとき、書いているとき、
精神は空腹をみたしているのだが、
そのときほんとに養分として摂取されるのは、
ごくわずかで、あとは老廃物として
排せつされているのとおなじだ。/吉本隆明
引用元は『言葉からの触手』(1989年、河出書房新社)。
この詩集のような散文集は、時折ひらく愛読書の一冊。
カオスやノイズとまちがえそうな、ぎりぎりの境界から、
ふわっと「現在」の輪郭をたちあげているところが好き。
書物や活字に飢えるという発想はしばしば耳にするが、
たしかに読むだけでは飢えをみたされる気がしない。
何かを他者に向けて届けないと「完了感」が起きない。
この「完了感」をもたない/もてないままでいると、
この世界に停泊している感覚がきわめて稀薄になる。
[371] 作歌文法 2002年12月12日 (木)きのう書いた東桜歌会の詠草を推敲しながら、
朝から順々に電子メールで届けられる詠草を
一枚のプリントにまとめてゆく作業をする。
用字用語文法仮名遣いのチェックだけはして、
歌の中身はあまりはっきり覚えないようにする。
司会のための、いつもどおりの奇妙な作業だ。
参加者は12名。批評時間にちょうどいい人数か。
夕刻、歌会に出かける。外はかなり冷えている。
歌会前の雑談で、歌壇時評的な話が静かに進む。
1980年代を起点にした上の世代と下の世代とが、
なぜ噛みあわないかとか、歌壇的言説は良くないとか、
新しい世代がふえたが主張がはっきり見えないとか。
歌会合評はこのところ、歌会経験の少ない参加者の
思いがけない読解の方向にひっぱられる傾向がある。
新しい空気がすこしずつ流れはじめているらしい。
★
島内景二さんの『楽しみながら学ぶ作歌文法』、
上巻下巻がまとめて届く。短歌研究社の新刊。
数年にわたる「短歌研究」への連載の単行本化。
一般的な文法は、文法書と辞書があれば充分だが、
文語口語混交の現代短歌の事例に踏みこんでいて、
文字どおり「作歌文法」になっているのが興味深い。
ぼくの作品もそれなりにたくさん引用されていて、
いわゆる「記号短歌」や変則的な修辞の歌に対しても、
文法的解析が細かにおこなわれていてどきどきした。
なかには語法に疑問を提示された箇所もあるようだ。
いずれ何かの機会に答えなければならないと思う。
[370] 緑色をどこにも持たぬ 2002年12月11日 (水)昨日はメモをとる余裕もなく暮れていった。
日常のあれこれがどうもうまくたちゆかない。
チェック欄が空欄のまま用件がふえてゆく……。
★
多田零さんの第一歌集『茉莉花のために』(砂子屋書房)を読む。
詩情の強さがきわだち、修辞の豊富な歌人だと意識していたが、
変遷をいつのまに見失ったのか、歌集の作品群は、
どこかトリビアルな感触がひろがっていて、
詩情・修辞への偏向を中和している印象だった。
この「中和剤」は、たぶん多田さんの根底にあった
一九七〇年代的な、出口の見えにくい方法論に、
一つの明確な活路として作用していると思う。
トリビアルにすぎると感じさせるものもあったが、
「観念」「内面」といった気化しやすい詩質に
物的な感触のあるかたちを与えているのがいい。
原質も中和剤もすでに見えなくなっている
以下のような作品につよく惹かれた。
体内になみだ満ちゐてむらさきの工藤静香の唄に揺らぎぬ/多田零
あんたがいま口にした「向かう」とは東京かそれともあの世のことか
ひろげ見る母のもののちにはわれのもの紬は沼のひかりをふくむ
蛇のごとわれに向きたるものありぬ性欲なれば感応すべし
緑色(りよくしよく)をどこにも持たぬししむらなり収めてをりぬ夜半の湯舟に
ゆつくりと闇のととのひゆくやうな髪のうらがは逢はずにゐれば
[369] 東京とか京都とか 2002年12月09日 (月)東京は雪だという。
短歌誌「かばん」12月号が届く。
特集の一つが「短歌がうまくなりたい!」。
ひさびさに「かばん」を読んでことばを失った。
こういう破壊力こそ「かばん」の真骨頂だろう。
手垢まみれのことばから手垢を丁寧に拭うような
入谷いずみ「『うまさ』とは何か(初級編)」は、
この特集の骨格をなす文章であり、おもしろかった。
リベンジ意識がルサンチマンにならないのがいい。
小川真理子さんの第一歌集が届いた。
『母音梯形(トゥラペーズ)』(河出書房新社)。
商品歌集的プロデュースが強いのかと思ったが、
そうでもないし、歌壇系の匂いもきわめて薄かった。
不思議な印象の歌集だ。好きな一首を引用する。
君とゐて日本語の星空となるわが口蓋のプラネタリウム/小川真理子
★
たしか、先週の半ばだったか、
テレビCMで流れはじめたその曲を聴いて、
ざわざわっと懐かしさが広がっていった。
あ、これ、なんだっけ? と考えながら、
サビのフレーズを何回か口ずさんでしまう。
苦しめないでああ責めないで別れのつらさ……。
検索エンジンで調べて「京都慕情」と確認する。
歌詞を読んだらすべて唄えるのが楽しかったが、
折りこまれた京都の地名部分等は記憶がない。
と言うか、京都の歌だとさえおぼえてなかった。
レコードの発売されたのが1971年だという。
九歳の少年の関心はそこにはなかったらしい。
たぶん主要購買層が40代という商品なのだろう、
この頃そういうのが多いんだよな、などと思って、
ふと、何のCMだったかを忘れているのに気づいた。
[368] ヘイ、レノン 2002年12月08日 (日)ちょうど22年前のきょう、12月8日に、
ジョン・レノンが殺される事件があった。
かなり驚いたが、ぼくの驚きというのは、
ファンたちの衝撃とはたぶん異質のものだ。
それをもっともはっきり教えてくれたのは、
この事件をドキュメント風にあつかっている
加藤治郎の「チャップマン」という連作だった。
第一歌集『サニー・サイド・アップ』では、
広島忌を描いた連作「ザベルカ」とともに、
歌集のひとつの焦点をかたちづくっている。
衝撃の異質さが決定的に感じられたのは、
歌集のあとがきにちからづよく記された
「二〇世紀の二つの主要な史実のドキュメント」
という二つの連作に対する自解を読んだときのこと。
広島忌とレノン忌を並記する感覚は、ぼくにはない。
こうした衝撃の異質さこそがぼくには衝撃だった。
ペーパーバックに擦(す)れる親指 ism, ism, ism, ism, 捲(めく)れてゆくを/加藤治郎
イズムが数かぎりなく湧出するのがこの世界だし、
加藤治郎だってそのことはわかっているはずなのに、
彼は選択肢の一つをいつも断言的に語ってゆく。
短歌作品にもこの感覚は反映されていると思う。
しかも、加藤の選択は、どこかしら破壊的なのだ。
「二〇世紀の二つの主要な史実のドキュメント」。
この破壊性を愉しみはじめてから十五年が経つ。
[367] ネクストウェーブ 2002年12月07日 (土)年末から来春、第一歌集が目白押しらしい。
ダイレクトにかかわっているものもあるし、
噂を聞いているだけのものもあるけれど、
この波で「次世代像」がかなり明確になる、
という気がしている。何かを書くべき時期かも。
まだ刊行をあきらかにしていない歌集も多いが、
錦見映理子さんの『ガーデニア・ガーデン』は、
刊行にさきがけて宣伝サイトができたようだ。
縁あって原稿を読み、楽しみにしている一冊。
一九六〇年代につながるテクニカルな文体と
一九九〇年代以降の感性が自然に融合している、
というのが、初読のときの大掴みな印象である。
★
鈴木竹志さんが、4日付の「竹の子日記」で、
総合誌「短歌」12月号の松村正直さんの文章
「もうニューウェーブはいらない」について、
うーん、実に刺激的だ、などという調子で、
なんだかとてもうきうきしながら書いていた。
そんなうきうき感をひきだすような文章なのか?
と、不思議なきもちになっていたら、7日付で、
一転して冷静な、松村さんの文章をめぐる分析と
鈴木さん自身のぼくたちに対するコメントが出て、
(不思議×感謝)なきもちに包まれてしまった。
4日付は発展的論争をせよという促しだったのかな。
ただ、あのままでは論争には発展しにくいと思うし、
一度ミニシンポを企画するのが良いかも知れない。
[366] 概観のための十冊 2002年12月06日 (金)日常生活的な諸事のためにあちこちと出かける。
机から離れている時間がひさしぶりに多かった。
★
1980年代、短歌の、主に文体の変容が表面化した。
この変容を変容だと感じたり考えたりするためには、
変容を表面化させている諸作を読むことと併せて、
変容前の情報がなければどうにもならないと思う。
前衛短歌時代から1980年代以前までの概観のために、
参考になりそうな本を厳選してリストアップしてみる。
ある世代以上の人には、わざわざ紹介するまでもない、
と言われそうな本ばかりだが、あえて紹介しておく。
1970年代についてはいささか手薄かも知れない。
前衛短歌をベースに十冊を枠にした私見である。
いわゆる「初心者向きの入門書」はひとつもない。
版元については、現在の正確な情報はわからない。
『現代短歌史2 前衛短歌の時代』篠弘(短歌研究社)
『歌のありか』菱川善夫(国文社現代歌人文庫)
『抒情の論理』吉本隆明(未来社)
『言語にとって美とはなにか1』吉本隆明(角川文庫/角川選書)
『現代短歌入門』岡井隆(大和書房/講談社学術文庫)
『韻律とモチーフ』岡井隆(大和書房)
『作歌の現場』佐佐木幸綱(角川選書)
『現代定型論 気象の帯・夢の地核』三枝昂之(而立書房)
『表現の吃水 定型短歌論』永田和宏(而立書房)
『解析短歌論 喩と読者』永田和宏(而立書房)
[365] この先行き止まり 2002年12月05日 (木)「早稲田短歌」のインタビューの朱入れを完了。
400字で100枚に近い分量になったようである。
聞き手に誘導されながら語るのはむずかしいけれど、
自発的には語らないことが聞き手にひきだされている。
自分が学生のときはこんなひきだしはできなかったな、
などと感心しながら全体の構成を読みなおしていた。
メールで友人数人にざっと読んでもらってから、
あれこれ註をほどこして編集担当さんに送信。
週刊読書人「アンケート2002年の収穫から」、
この一年の書籍から3点をとりあげてコメント。
散文系の書籍ももちろん対象だったのだが、
自分の感度が高いはずの詩歌から3点を選んだ。
★
ウォーキングのコースをすこしかえてみる。
見慣れぬ道を二人できょろきょろ眺めまわす。
この先行き止まり、という表示を見た家人が、
この先行き止まり、なんだって、と言う。
ふうん、と聞き流して家人の表情を見ると、
この先行き止まり、の路地をじっと見つめ、
どこかしら眼がきらきらしているのだった。
だって行き止まりなんだよ、と心で訴えたが、
どんな風に行き止まりなのかな、という表情だ。
結局、坂になった路地を二人でのぼってゆく。
のぼりつめたところで行き止まりをたしかめ、
説明しがたい底抜けに明るい気分になりながら、
ごくありきたりのブロック塀を眼に焼きつけた。
[364] 転位と接着 2002年12月04日 (水)早朝、信濃毎日新聞のエッセイ脱稿。800字。
結社誌「未来」10月号「HEISEI NEXUS」、
総合誌「短歌」12月号「新鋭歌人の短歌観」、
という二つの特集があったことをめぐって、
いわゆる「新人」の充実についてふれてみた。
エッセイをまとめながら思ったことなのだが、
充実に反して全体像が明確になっていないのは、
オピニオンリーダーが欠けているためだろうか。
むろん「新人」が群として動いているのでもないし、
ぼくたちのときだっておなじことだったのかな……。
午後、ゲラがファックスで届く。校正をして返信。
遅れている「早稲田短歌」のインタビューの朱入れ、
わかりにくい点を整理したらリライトに近くなる。
ぼく自身のおしゃべりのいいかげんさを反省しながら、
こつこつとテープを起こしてくれたみなさんに感謝。
やっと400字で45枚分ほど完了した。これで半分だ。
あと残り45枚分、明日にはなんとしても完了したい。
★
花森こまさんの発行する個人誌「逸」第15号が届く。
個人誌のイメージを超えて充実した誌面がうれしい。
まず、詠草の欄を読みはじめて、次の句を見つけた。
鎖骨から横須賀までを草の花/花森こま
鎖骨、横須賀、という転位はかなり突飛だけれど、
草の花、がこの転位をきっちり成り立たせている。
強力な接着剤のように、点だけで結ばれた転位を
充分に安定させてしまう草の花の用法がおもしろい。
また、藤原龍一郎さんの小文「祭の準備」も佳品。
藤原さんの文章の「ねばならぬ」的な言辞を弱めると、
快い大人のリリシズムのようなものがたちあがるが、
その典型的な成功例と言っていい文章だと思った。
[363] 可能性の提示 2002年12月02日 (月)さほどしっかりした内容ではないにしても、
ここに掲載する一日分の文章を書くために、
どうだろう、たぶん30分はかかっている。
作品の鑑賞が入るときは1時間近くかかる。
メールやBBSのコメントに比して極端に遅いし、
諸日記に所用10分とか15分とか書いてあるのを
羨ましいような奇妙な気分で読んだりしている。
テキストを扱うという同じ種類の作業のため、
仕事の流れをうまくととのえる効用はあるが、
仕事が極度につまるとどうしても更新が滞る。
などというぼやきもネタにさせてもらえるのが、
たぶんウェブ日記を書く側の魅力なのだろうが、
それにしても師走のどたばたはなかなかきつい。
★
大雑把に言って1980年から1995年の15年間、
現代短歌にいくつかの波があったように言われるが、
実際は、波がやってきたりひいたりしたのではなく、
文体の可能性が順に提示されていったのだと思う。
女歌とかライトバースとかニューウェーブとか。
同時に、それらの試行に対して批判的に生じた、
名づけられることのないいくつかの可能性が。
1995年以降、文体についてはいささか静かだが、
かわりにメディアの可能性が提示されているわけだ。
20年を超えて、これだけの「アイテム」が揃って、
いよいよ何かが起きてもよさそうなのだが……。
というのを、2003年へのことばにしようかな。
[362] 鳥と魚と日記と 2002年11月30日 (土)このところ毎朝ベランダに雀が遊びにくる。
驚かさないようにカーテン越しに眺めている。
二羽でくるのが恋人同士のように見えるのだが、
はたして鳥にそういった交遊があるのかどうか。
午後、ウォーキングの道すがら、熱帯魚店に入る。
水族館を見る気分で、家人と店内をぐるぐるまわる。
小ぶりでカラフルな河豚(?)を見つけて虜になる。
水槽のなかでヘリコプターのような動きをしていた。
初心者でも飼えるのかな。いつか飼ってみたい。
ここにきて仕事がつまってしまっているので、
日記の更新が滞りがちになりそう……。
★
先日来、ちょっとした必要と興味が重なって、
ウェブ日記やテキストサイトにかかわる文章を
それなりにまとめて読んでみたのだった。
実名や筆名による公開ウェブ日記について、
文章をまとめようと思ったのが動機だったが、
種々のテキストサイト論を読んでいるうちに、
どうやら社会学の領域にも近い気配を感じて、
現状ではとても歯がたたないことを自覚した。
時間をかけて情報収集をする必要があるみたいだ。
[361] 大いに楽しむ? 2002年11月29日 (金)木曜。川柳誌「WE ARE!」の二人と大阪へ。
すでに夏から二人と盛んに相談を進めていた、
スーツにネクタイを締めて、という感じの案件。
詳細は案件の進行後にあらためて書くことにする。
他にも雑誌の方向性についての話をあれこれした。
大阪はひさしぶり。前回も川柳がらみだったか。
うわっつらじゃない大阪を見たいと思いながら、
終日うわっつらしか見えない場所を往来する。
次こそはもうすこし時間に余裕をもちたい、
と、大阪に行くたび思っているのだった。
夜、ひととおりの話を終えて名古屋に戻る。
★
金曜。かなりぼんやりしながら仕事。
午後、外食するついでにウォーキング、
それ以外はほとんど机に向かっていた。
今週分の郵便とメールがたまってしまって、
その対応に追われてあわただしかったが、
感じているほどにはなにごとも進まない。
風邪っぽい感触があるが、ただの疲労かな。
そう言えば、きのう、新大阪で占いをしたら、
あなたは与えられた仕事を
長い時間つづけてもこなしていくことのできる
丈夫な体質を持っている人です。
あなたは申し分のないすぐれた健康に恵まれ
大いに楽しむことを知っていますが
たびたび限度を超えて無理をしすぎる傾向にあります。
などと書いてあったのだった。気をつけよう。
「真実の口」という、機械による手相占い。
能力がある、とは書いてくれてないんだよな。
丈夫な体質って、ただ体力があるってことなのか。
限度を超えてって、仕事のことじゃないような……。
[360] ぴかぴかで血だるま 2002年11月27日 (水)火曜。朝が近くなったところで原稿があがる。
朝日新聞の詩歌時評「東海の文芸」。400字5枚。
メールで原稿を送信して、資料のかたづけをして、
朝食をとって、ベランダの雀にかるく挨拶して、
もう一度ぱらぱらと読書会のテキストを読んで、
メールをいくつか流して、すこし仮眠とか昼食とか。
午後、読書会で『微熱体』と『林檎貫通式』に浸る。
理解されにくい作品にはできるだけ鑑賞を加えて、
理解されやすい作品には遠慮なく批判を加える。
どこかしら歌あわせをしているような気分だった。
千葉聡も飯田有子もぴかぴかで血だるまになってゆく。
考えてみれば、作者不在での歌集の読書会はひさしぶり。
夕刻、ゲラがあがったので新聞社に出向いて校正する。
その後、読書会のメンバーで食事とか歓談とか議論とか。
★
水曜。すこしぼんやりしながら仕事。
午後、家人とウォーキング。近所の寺の境内をめぐる。
遠くから眺めていたら紅葉や黄葉がきれいなのに、
実際に境内に入ってみると意外に緑の葉が多かった。
1970年代の、あの、ぼんやりした空気のなかには、
ひとつの世界観をつらぬいてゆく先には破綻しかない、
たとえその世界観がどれほど正しさを帯びていても、
というような認識が「あきらめ」としてあったと思う。
この認識そのものはどうにもくつがえしようがないけど、
いまならそれを「あきらめ」ではないかたちとして、
ポジティブに抱えられる場所があるのではないか。
まだないとしても場所をつくることは可能ではないか。
きみがこの世でなしとげられぬことのためやさしくもえさかる舟がある/正岡豊
[359] 極と極と極とを 2002年11月25日 (月)朝、ベランダにふたたび雀が遊びにきた。
お米をおいた効果があらわれたのか。
しかし、そっと見ているつもりでも、
どうしても逃げられてしまう。う〜ん。
「短歌研究」12月号(短歌年鑑)が届く。
恒例の歌壇展望の座談会で、小池光さんが、
マニアなものがかげをひそめ平準化する現在、
逆に第二の塚本邦雄が出る素地ができている、
というような意味のコメントを出していた。
小池さんは二年前にも、たしか別の座談会で、
第二の春日井建が云々と言っていたと思う。
天才が出るのかどうか、これはわからない。
しかし、価値観がこれだけ多極化する場では、
どのような天才も条件つきの天才でしかない。
極と極と極とを延々と結んでゆくような
ある種の交通がまず成り立たないことには、
天才が出ても何も起きないような気がする。
あすの読書会で予定している歌集を再読する。
千葉聡『微熱体』と飯田有子『林檎貫通式』。
★
ネクタイのとける音すずしい/岡田幸生
句集『無伴奏』からもう一句ひいてみる。
先に「トリミング」ということを書いたが、
それは、何かを捨象してしまうわけではない。
引用句の背景に何があるのかはわからないが、
たとえば、あの、夏の灼けるような午後に、
営業から営業へと渡り歩いたうんざりする日々、
などといったぼくの個人的な追憶もつながるし、
誰かの別の体験だってここにつながるだろう。
作者自身のそれにも実はつながっているわけだ。
鮮やかに切断されているからこそ全てがつながる。
けれど、この「つながる」は、対象を特定して
呼び起こしたり連想されたりはしないのだ。
他者の体験と他者の体験との接点と言うべきか。
句集が品切れという話なので、引用をもう少し。
笑顔を残してあなたがいない/岡田幸生
半袖ふたつ触れあっている
つめたい手紙がよく燃えている
停電の部屋を泳いだ
肘がぶつかっていてうれしい
[358] 感情の波 2002年11月24日 (日)金曜の深夜、チャットルームに誘われて、
誕生日を迎えたともだちのお祝いをした。
昨朝、ベランダに雀が遊びにきていた。
ぼくがのぞくとたちまちに逃げてしまう。
また来てもらえるように、家人に頼んで、
ベランダにお米をおいてもらうことにした。
昨日は、結社誌「短歌」創立80周年記念の大会。
春日井建さん水原紫苑さん加藤治郎さんの鼎談が、
午前中に予定されていたので、朝から出かけた。
最後列で、会場の感情の波も見せてもらった。
テーマは「短歌の現在」。三者の立ち位置が、
資料として配付されたプリントからよく見える。
とりわけ、加藤治郎が選んでいた女性歌人、
盛田志保子、玲はる名、土橋磨由未、
佐藤真由美、増田静、佐藤理江らに、
春日井建が軽く驚いた感じを見せて、
会場もざわざわと波だったのが印象的で、
そこを一つの軸として鼎談が進んでいった。
はじめ拒否感のあらわれに見えたざわざわが、
次第におもしろがる感じにかわっていった。
歴史性を重んじる感じの水原紫苑の発言と
定型性を重んじる感じの加藤治郎の発言とが、
いくつかの作品で噛みあわないのも印象に残る。
そのまま夜のパーティにも出席させてもらった。
★
午後、ウォーキングがてら買い物に出たが、
きょうは部屋にほぼ缶詰状態で仕事を進める。
メールで一件、楽しそうなオファーがあった。
他者によるぼくの作品の朗読の話なのだが、
正式に決まればまたあらためて報告したい。
吉浦玲子さんのメルマガ「とんぼ通信」を読む。
木曜に配信された最新号、通巻15号である。
毎号の固定したスタイルを崩しての編集で、
いささか構成の輪郭が粗いような印象もあるが、
書きたいことへのまっすぐなきもちが見える点、
むしろ、通常の号よりも楽しんで読めた気がする。
夜、睡眠不足のせいか、猛烈な眠気に襲われている。
[357] 柿パラダイス 2002年11月22日 (金)歌会の翌日特有のけだるい感じだった。
机に向かっていても、すこし気を抜くと、
あたまが勝手に歌会のことを反芻している。
あの歌みたいにはじけてみたいとか、
コメントがうまくできなかったとか、
同じことをいつまでもいつまでも延々と。
高円宮急逝というニュース。47歳だという。
キャスターたちが喪を意識した服装だったり、
そうでなかったり、局や番組毎に違っている。
奇妙な光景だ。皇位継承順位の問題なのかな。
本日の計測、体重60.4kg、体脂肪率18.0%。
ウォーキングの量を減らしているせいか、
数字がどうにも動かなくなっている。
★
こんなに柿実らせてどうするのか/岡田幸生
ほんとにどうするのか、と思うような、
そんな柿の木もたしかにあるのだけど、
そもそもが、大きなお世話であろうし、
甘柿か渋柿かとか、売り物かどうかとか、
連想を奔らせてしまえば、行方も見えて、
やがてはさして気にもならなくなるものだ。
ほんの一瞬でぶちっと切断されているために、
連想を呼び起こせない純然たる景が屹立して、
こうした快い驚きの感触をもたらすのだろう。
一本の木に実がたくさんなった、とも読めて、
そのあたり一帯が柿の木だらけ、とも読めて、
柿パラダイスが二重に広がっている。
句集『無伴奏』には、その他にも、
「柿を食って種が残った」がある。
こちらはパラダイスの終焉かな。
[356] おつりのコイン 2002年11月21日 (木)朝食。全粒粉パンのトーストにマーガリン、
ロースハム、スライスチーズ、冷たい牛乳、
半熟っぽいゆでたまご、柿、バナナ。
午前、東桜歌会の詠草がとんとんと届く。
手書きの数人の詠草をタイピングして、
数えてみると16人32首となっていた。
時評でとりあげる詩集を読みなおす。
慣れの問題もあるのか、短詩型よりも、
メモをとるのに時間がかかってしまう。
昼食。ごはん、塩鮭の切り身の焼き魚、
たまご焼き、冷や奴、味付海苔、お味噌汁。
あさごはんを二度食べたような不思議な気分。
午後、栗木京子さんから参加人数確認の電話。
ぎりぎりの時間で締めてプリントを作成する。
夕刻、地下鉄駅まで徒歩。途中でコピーをとる。
歌会の出席者は14人。にぎやかに批評が進む。
歌会終了後、いつものように居酒屋で歓談する。
魚柳志野さんに中南米旅行の写真を見せてもらう。
日程が10日もあれば、いろいろ見られる、という。
仕事を休むことを考えて、ちょっと遠い目……。
帰宅するとすでに12時をすぎていた。
★
おつりのコインがひえている/岡田幸生
句集『無伴奏』(1996年)に収録された句。
岡田幸生の句は、世界の「表現」と言うよりは、
世界の「トリミング」といった感触が強くある。
あるいは自由律俳句の特徴としてそうなのか。
小説とくらべてみれば、短詩型の表現はすべて
トリミングのように見えるかも知れないが、
さらになにかが刈りこまれているらしい。
おつりのコイン、は、自販機のものだろうか。
冷たい、でもない、ひえてきた、でもない。
ひえている、だ。背景をほぼ呼び起こさない。
何を買ったのかという連想がゆるされない。
他の事象からすぱっと切断された一瞬なのだ。
鮮明な一瞬だけが、薄闇のなかに浮かんでいる。
姉妹作に「あなたのおつりのコインがひかる」。
こちらにはどこか演歌っぽいテイストがあるか。
[355] 複数選択の時代 2002年11月20日 (水)深夜から資料を読み続けてそのまま朝になる。
午前、あすの東桜歌会のために、詠草を2首。
題詠と雑詠とそれぞれ1首。推敲して寝かせる。
昼、ウォーキングをかねて家人と外出する。
ひさしぶりに地下鉄に乗って移動した。
車輛内の広告が激減しているのが気になる。
夕刻、信濃毎日新聞からゲラのファックス。
校正。タイトルと文字遣いを少し調整する。
夜、さらに資料読みの続き、ようやく完了。
時評でとりあげる対象を大雑把に絞ってゆく。
深夜、歌会の詠草が徐々にあつまりはじめる。
出足が少し遅い感じだ。忙しい季節なのかな。
★
総合誌「歌壇」をひもとくと、
歌誌「開放区」の広告の、
「歌はいま同人誌の時代に入った
一人一人が主役のステージがある」
というヘッドラインが目にとびこんでくる。
インターネットが活発になりはじめてから、
メディアの重みが微妙に変わって来ている。
重いものが軽く、軽いものが重くなった。
同人誌の時代、
結社誌の時代、
商業誌の時代、
ライブの時代、
ネットの時代、
どれを主張しても一理あるように見える時代、
というのがほんとのところではないだろうか。
たとえば、この五つのメディアのうちから、
最低二つは選択できないと苦しい時代かも。
[354] 絶望的苦手分野 2002年11月19日 (火)深夜からそのまま起きていて、朝食。
午前、資料を読んだり、原稿を書いたり。
時評用の未読資料をためこんでいたので、
まとめて大量に読むことになってしまった。
合間にリンク集のチェックの続きを進める。
電脳短歌イエローページの分は完了したので、
変更サイトに註を入れてファイルをアップする。
短期間でかなり変更がある。掲載総数520件強。
創設時が55件だったので、来年2月末の満5年で、
555件をめざそうと、根拠のない目標をたてる。
夕方と夜、軽く仮眠をとって眠気をごまかす。
エッセイの原稿をあげてメールする。800字。
角川短歌賞と併載の特集についてふれてみた。
本日の計測、体重60.2kg、体脂肪率19.0%。
★
何がきっかけだったか、ふとしたはずみで、
自分が苦手なことをあれこれと考えていた。
列挙するとあまりにも多くて気が滅入るけど、
そのなかで、面白いことを言って人を笑わせる、
というのは、上位5位以内には入りそうな気がした。
ナチュラルに笑わせる、いや、笑われるのは別。
イベント等では、コメントのセオリーがあって、
場が笑いを求める瞬間を見きわめさえすれば、
声の抑揚を少し変えただけでも笑いは起きるし、
ツッコミを入れるという変則的技術もあるが、
純然たる笑いをことばの意味でひきおこすのは、
これはもう絶望的なまでに向いていない気がする。
という話のオチに何か一つギャグを、と思ったが、
ギャグを考えていたら、キーボードを打つ手が
ふるえはじめて、これには自分でも驚いた。
まさか、そこまで苦手だったとはね……。
[353] 獅子座流星群 2002年11月18日 (月)午前中、それなりに仕事を進めて、
昼食がてら家人とウォーキングに出る。
二十年ほど前に通っていた定食屋さんが、
近所に移転していることがわかったので、
懐かしさもあってそこに行くことになった。
小さな街に住んでいるのだとしみじみ思う。
唐揚げ定食をふたつください、と頼むと、
ごはんはふつーでいい? と訊かれた。
もうごはんの大盛りを頼む歳でもないし、
二人ともふつーのごはんをと頼んだら、
出てきたごはんはふつーの大盛りだった。
家人と二人で顔を見あわせて焦ってしまう。
むかしのままの雰囲気、むかしのままの味。
二人ともかなりがんばって食べたんだけど、
やはり、少しごはんが残る。ごめんなさい。
★
変な時間帯に長い仮眠をとってしまったため、
夜、寝られなくなって、ずっと机に向かっている。
集中力が落ちたらリンク集のリンクのチェック。
チェックに疲れたら原稿に戻る。その繰り返し。
おかげで、獅子座流星群を見ることができた。
先に流星群を見つけた家人に教えてもらい、
朝に近い、かなり冷えこんだベランダに出て、
地上のあかりを遮るために新聞紙をひろげ、
寒さをがまんしながら空をじっと眺める。
尖った鉛筆の描線のようなものが奔る。
錯覚じゃないことをたしかめるため、
さらに眺めつづけると、また細い線。
ひかりつつ天(あめ)を流るる星あれど悲しきかもよわれに向はず/斎藤茂吉
[352] 何かの原点 2002年11月17日 (日)午前、たまった郵便物の整理を進めてゆく。
そろそろ例会の日程が近づいているので、
東桜歌会の案内メールをメンバーに送信する。
午後、先に猫の葬儀をお願いした慈妙院へ。
納骨堂に合歓の遺骨をおさめさせてもらった。
敷物や供花や遺影や位牌や好物の缶詰をととのえ、
読経をしてもらい、合掌する。やすらかに眠れ。
ちなみに読経の一つは「般若心経」だった。
猫にも般若心経でいいのかな……。
夕刻、買い物をしていったん帰宅する。
夜、家人の家族とふたたび食事に出かける。
★
1997年から1998年にかけて、
現代歌人会議というメーリングリストがあった。
加藤治郎さん坂井修一さんの呼びかけで、
江戸雪さん大谷雅彦さん大塚寅彦さん大辻隆弘さん
川野里子さん田中槐さん穂村弘さん吉川宏志さん
それに荻原裕幸の計11人が参加していた。
江戸さんの歌集『百合オイル』と
川野さんの歌集『青鯨の日』の合評、
および全員参加での歌合わせを実施した。
活動記録として『GKドキュメント』という
加藤さんの編集による冊子がある。
企画のためにすこし案をひねろうと、
ひさびさに棚からひっぱりだして、
冊子をぱらぱらとめくってみる。
そこが何かの原点であったような、
でももう戻るのはゆるされないような、
奇妙なほど切ない感触がひろがっていた。
[351] 他人の自意識 2002年11月16日 (土)昨深夜、私用で家人と出かける。
金曜の夜だというのに、繁華街には、
サラリーマンらしき人たちの姿があまりない。
街の風景にも不況が色濃く投影されるのか。
ウィルス/ワームにかかわるメールが、
あいかわらず異常な数におよんでいる。
発信者を偽る感染メールがこれだけ増えても、
プロバイダのセキュリティによる感染警告が、
偽られた発信者に対して返信されてくる。
ウィルス/ワームの直接的な対策も必要だが、
まずこの無配慮なシステムを改善してほしい。
午後、ネットで探しものをしていたら、
検索でかかったページがイベントの企画書で、
出演予定者として自分の名前があってびっくり。
打診もなければ案内ももらっていない企画なのだ。
外部からダイレクトにリンクされてはいないし、
おそらくは予定が変更になったのだろうが、
検索エンジンにはかかってしまうようである。
★
きのうのメモを少し補完しておく。
自意識の反映としての「文体」は、
作品をとてもおもしろいものにもするが、
自意識があまりにも自覚的に反映されると、
ある種の自家中毒をおこしてしまい、
鼻につく感じが生じることがある。
書かれる過程で生成されてゆく自意識と
あらかじめ抽出された自意識が書かれるのとでは
かなり大きな違いがあるということだろう。
いかにすぐれた先人を対象にしていても
「文体」の模倣作品がおもしろくない理由は、
たぶんそこにあるのではないかと思われる。
自身の自意識だろうが他人の自意識だろうが、
あらかじめ抽出することにはかわりがないからだ。
俳句がしばしば自意識を刈りこんでしまうのは、
このことともどこかでかかわるような気がする。
[350] 自意識の反映 2002年11月15日 (金)生活時間がずれたまま。起床が正午に近い。
午後、寒さのなかを家人とウォーキング。
近隣の庭のほとんどがきれいに紅葉している。
すっかり紅葉狩りに出かけている気分で、
わざわざ名所に足をはこぶまでもない。
庭木の剪定をしている業者もそこここに。
年末が近づいているらしい……。
それを見ていた家人が、
「うちも頼みたいね」と言うので、
「え? 庭、ないよ」と答えると、
「そういう家に住みたいね」と笑う。
なるほど。そういう家に住みたいね。
★
吾妻かの三日月ほどの吾子胎(やど)すか/中村草田男
連日の引用と同じく、第二句集『火の島』の句。
ナルシシズムと言えばナルシシズムなのだが、
たのしみとかよろこびといった感覚を超えて、
結婚という概念に向けた意志、その強さ、
のようなものがこちらに伝わってくる。
ぼくが草田男の句に惹かれている理由は、
こうした意志とかその強さをはらんだ
「文体」によるものだろうと思う。
その文体の質に惹かれているだけではなく、
文体が存在すること自体に惹かれるようだ。
自意識の反映としての「文体」は、
俳句というスタイルからは感じにくい。
俳句の「外」にいるゆえの誤解も含まれようが、
むしろ、この自意識を刈りこむところに
俳人の考える俳句的成熟があるように見える。
書いてみないとわからない機微もあるのだろう。
[349] 脅威の焦点 2002年11月14日 (木)まだ初冬だというのにやけに寒い。
書斎をあたたかくすると眠くなるので、
いつも細めに窓をあけているのだが、
こう寒くては頭も指も動きが鈍くなる。
リビングにいる時間がおのずと長くなる。
ビンラディンが生存しているらしい、
というニュースがしずかに流れていた。
しずかに、というのは、ぼくの感覚で、
別に世間が騒いでないわけじゃないけど、
いつかしら脅威の焦点がずれた気がする。
テロの脅威が消えた、というのではない。
現在が「戦争中」だと感じられるからだろう。
★
萬緑の中や吾子の歯生え初むる/中村草田男
親馬鹿だよなあ、というのが、
むかしむかしこの句にふれたときの初感。
季語としての「萬緑」を定着させた云々、
と言われてみても、さほどピンと来なかった。
この句にひかれるようになったのは、
俳句をある分量以上読んでからのこと。
歪みのない詠風に惹かれていったのだった。
句集『火の島』所収、昭和十四年の句。
草田男は晩婚ゆえに妻子の句が明るい、
という経歴的な解説をどこかで読んで、
なるほどそういうものかと思っていたが、
年譜をひらいてみると草田男の結婚は満34歳。
ぼくよりも早いじゃないか。晩婚だったのか……。
[348] 実体と具象性 2002年11月13日 (水)昼と夜とが逆転気味になっている。
きちんと調整しないといけない。
午頃、編集者のOさんから依頼の電話。
年間回顧系の短文。そうか年間回顧か……。
★
燭の灯を煙草火としつチエホフ忌/中村草田男
句集『火の島』に収められている一句。
どこかきどったしぐさのようにも見えるが、
さにあらず、ただ単にマッチを切らしてしまい、
燭の火で煙草をふかす生活的な情景のようだ。
ちなみに、チェーホフの命日は7月15日。
山本健吉の『現代俳句』を読むと、
この句が西洋の文豪の忌を詠んだ魁、
であるとほのめかすような鑑賞文がある。
いささか批判的な匂いのする鑑賞文だが、
行事としてではない忌を詠むことについて、
きわめてわかりやすく書かれている。
「実際のない抽象的な架空の季語に、
彼は戯れに実体と具象性とを与えるのである。」
たとえば、こうした一行は、俳句を読みはじめた頃、
それまで一人で読んでいてさっぱりわからなかった
フィクショナルな修忌をめぐる読解に、
かなり大きな示唆を与えてくれたのだった。
ところで、寺山修司の「チエホフ祭」の一部は、
この句からインスパイアされたものである。
チエホフ忌という草田男の「フィクション」が、
寺山のなかでどんどんふくれあがっていった結果、
チエホフ祭という仮想の演劇イベントになったのか。
[347] 使える九谷焼 2002年11月12日 (火)早朝、テレビのニュースを見ていると、
北朝鮮から渡された拉致被害者の「遺骨」は、
別人の骨の可能性が高い、という報道が流れた。
ん? 朝刊にのってなかったな、と思ったら、
一紙だけが扱っていませんとコメントが入る。
このテレビは日テレ系、新聞は朝日新聞である。
立ち位置の違いを貫いたのか、ただの確執なのか。
朝日もさほどこだわっていたわけではなさそうで、
オンラインでは午前中に、紙面では夕刊に報じた。
世界中のどこもかしこもが落ちつかないせいで、
マスメディアの微細な差異が気になるのかな。
世界病むを語りつつ林檎裸となる/中村草田男
句集『火の島』(1939年)所収の一句。
昭和十四年の句だが、遠い感じがしない。
最近のわが家の朝食の準備の風景も、
そして心象にひろがっている風景も、
しばしばこんな具合なのである。
★
NHK総合の「生活ほっとモーニング」が、
日常生活で実際に使える九谷焼の窯元として、
橋本俊和さん橋本薫さんの仕事を紹介していた。
縁あって、西王燦さん武下奈々子さん夫妻から、
マグカップをいただいて愛用しているのだが、
その作家さんというのが、橋本さんたち。
彼等のホームページ「うつわ歳時記」は、
くだんの使える九谷焼を紹介するとともに、
俳句と連句のサイトとしてもにぎわっている。
[346] 世界のキリトリ線 2002年11月11日 (月)世界のキリトリ線っていうのが、
ふいに見えなくなってしまうことがあって、
きょうはそのキリトリ線のことで悩んでいた。
過不足のない説明ってなんだろう、とか。
ゆるされる省略ってどんなだろう、とか。
もちろん「型」にそってきりとれば、
その種の作業はわけもなく進むのだが、
それではどこまでも「作業」でしかなくて、
きりとったはずの世界も、世界ではなく、
ただの「型」でしかなくなってしまう。
ほんとのキリトリ線が見えてくるまで、
対象をじっくり見ていないといけない、
とか、そんなことばかり延々と……。
キリトリ線、キリトリ線、キリトリ線。
★
初恋や燈籠によする顔と顔/炭太祇
ストイックな精神は絶対に欲望を凌駕できない、
と思うのだけど、欲望にも序列があって、
ただ一点から世界に接触しているような、
言ってみれば、特化された欲望は、
猥雑な他の欲望の入る余地を与えず、
見たところストイックな様相となる。
掲出句に見られる「初恋」などは、
そうした特化された欲望の一つか。
むろん、成長した「顔と顔」は、
あっと言う間に猥雑さを帯びるだろうし、
淡く、ほのぼのとした、一瞬の情景だが、
どこかしら「死」にも似た、強い永続感が、
この句を深いところから支えているようだ。
[345] 新人賞に求めるもの 2002年11月10日 (日)朝、教育テレビの「NHK歌壇」を見る。
講師が春日井建さん、司会が梅内美華子さん、
ゲストとして加藤治郎さんが出演していた。
短歌文体における「口語」のことに話がおよび、
出演している三人が、「周知のこと」として
話を進めていたのが、自然で、好印象だった。
午後、ひととおり目を通しただけになっていた、
早稲田短歌会のインタビューのゲラを見てゆく。
気になるところがあって、迷いながら進める。
夕刻、Kさんから電話。PCウィルスの情報。
夜、家人たちが旅行から帰ってくる。
どうやらかなり疲れていたようで、
帰りに横浜で買ってきてくれた
崎陽軒のシュウマイ弁当を二人で食べると、
旅行の話もそこそこできりあげて眠ってしまった。
★
総合誌「俳句」11月号の
第48回角川俳句賞の発表を見ていると、
縁あって第二句集の書評を書いた俳人が、
候補作品に名をつらねていて、少々おどろいた。
年齢も経歴もそれなりに知っているのだが、
結社では結社賞の選考をしているし、
諸処で講師や選者もつとめている。
選考委員に認められながらも瑕を叩かれて、
残念ながら受賞にはいたらなかったのだが、
いずれにせよ、新人という印象ではない。
きのう、角川短歌賞の発表を読んでいて、
新人賞が何を求めるのかを考えていたが、
角川俳句賞の場合は、これがまったく逆で、
新人賞に何を求めるのかが気になってしまった。
[344] 新人賞が求めるもの 2002年11月09日 (土)あさがおが花をつけなくなったらしい。
ちょっと淋しいけど、なにしろもう冬だ。
午後、机に向かっていると、
何かが焦点を失っている感じ。
季節が移っていく速度に、
きもちが追いついていかないみたい。
ニュースで、范文雀さんが亡くなったと知る。
ドラマ「サインはV」のシーンが、
いくつかテレビで流されたりしている。
1969年放映。小学校に入ったばかり。
主役の役名は忘れてしまったのだが、
脇役だった范文雀さんの役名は忘れてない。
ジュン・サンダースという不思議な名前だった。
彼女はむしろ、その後に良い仕事をしたように思う。
テレビでは、若いキャスターたちが、
揃いも揃って神妙な顔つき、生真面目な口調で、
「エックス攻撃」が云々とか紹介しているのだった。
それ、懐かしんで笑ってもいいところなんだけどね……。
★
総合誌「短歌」11月号を読んでいた。
第48回角川短歌賞が発表になっている。
今年から選考委員の顔ぶれが大きくかわった。
伊藤一彦、小池光、高野公彦、米川千嘉子の四人。
選考経過から四人のユニットとしての性格を見ると、
作品の堅実さを「新人としての瑕」とは捉えていない、
作家としての蓄積を重んじている選考だと言えようか。
結社賞の選考にどこか似ている気がする。
選考委員たちがかかわっている歌壇的な場での
読者=歌人の反応を体験したことがないと、
50首でこのユニットの選考に応えるのは、
かなりむずかしいのではないかという印象をもった。
受賞者の田宮朋子さんは歌歴22年、歌集が一冊ある。
半生の刹那せつなに捨てて来し膨大な裏のわれはいづこへ/田宮朋子
[343] 夢のかたち 2002年11月08日 (金)早朝、迎えのタクシーが来る。
頼んでおいた時刻の正確に10分前。
家人たちが旅行に出かけていった。
家で一人で仕事をしていると、
休日出勤のような感じ。
午後、すこし長距離のウォーキング。
外に出たついでに食事。夜は家で食事。
あと、合歓のためのお線香をあげたり、
数日ためてあった新聞をまとめて読んだり。
★
ジョナサン・ハリスさん、と言うか、
「宇宙家族ロビンソン」のドクター・スミスが、
数日前に亡くなっていた。享年87歳という。
4年前の「ロスト・イン・スペース」公開のとき、
懐かしく思い出しただけで、すっかり忘れていた。
悪役の代名詞のような存在だが、なぜか憎めない。
フライデーとのコントがおもしろかったな。
水泳の千葉すずさんが結婚していたとか。
アトランタ五輪のときだったか、
以下のような歌を書いたことがあった。
入賞しなくても夢のかたちが見える選手だった。
シドニー五輪の代表選手選考問題では、
CASに裁定を求めたのに、棄却されてしまった。
出場可能30人の枠を21人に抑えてまで外されたという。
水連の関係者以外は誰も納得していなかったと思う。
仮睡の天使を肩に棲ませた千葉すずが見てゐた夏の形を想へ/荻原裕幸
[342] 日常の密度 2002年11月07日 (木)佐藤理江さんの第一歌集『虹の片脚』が
本日付で【歌葉】からリリースされた。
表紙絵はマンガ家の浅美裕子さん。
プロデュースを担当した加藤治郎さんの
解題のタイトルが「渾身の声明」。
現代人的なまじめさがにじみでている作品で、
小細工のない、まっすぐな詠風が快かった。
歌集の主調の文体とはすこしちがうけれど、
感情の流露をぐっとこらえているみたいな、
以下の観察調・報告調の作品もぼくは好き。
迷ひなき直線として引かれつつ飛行機雲はおぼろになりぬ/佐藤理江
陸橋にゐるわれの影道に落ちセダンの屋根を撫でてまた落つ
桐壺をテスト範囲が縛りたり源氏生まれて打ち切りとなる
壁に着く赤きペンキの筋追ふに刷毛持つ生徒角を曲がりつ
★
きょうのあさがお、☆。
空に向かってうたうように、
一輪だけたのしそうに咲いていた。
暦は立冬、つまり秋がきわまったわけだが、
巷はすでにすっかり冬めいてしまった。
あすから家人が義母たちと旅行に出るので、
午後、その準備もあってあちこちかけまわる。
夜、家中に未整理の荷物がひろがっていた。
彼女にとっての数日分の荷物は、
ぼくにとっての数週分の分量のような気がする。
日常の密度にどこか差があるのかな。
各自の部屋の物の密度では負けない、
とか思ったが、要はちらかってるだけで、
勝ってもなんの自慢にもならないか……。
本日の計測、体重60.6kg、体脂肪率18.0%。
最近、微妙な数字を行ったり来たりしてるだけ。
[341] りえさんと理江さん 2002年11月06日 (水)きょうのあさがお、☆☆。
屋根の近くまでのびている蔓に、
いくつか新しい蕾が見えている。
まだもうすこし咲きつづけそうな感じ。
すっかり寒くなっているのに。不思議だ。
考えてみれば、もうそろそろ立冬じゃないか。
午後、信濃毎日新聞からエッセイのゲラが届く。
ファックスで届いたものに、
電子メールで返信をしている。
仕事の督促が一つあって慌てる。
夜になって電子メールで入稿した。
上京の折、はじめて逢った人のこととか、
あるいは、ゆっくり話をした人のことを考え、
忘れないようにいくつかメモをとっておく。
深夜、気分転換に、家人と外出する。
★
「今月の歌」「現代短歌の世界」、
【歌葉】サイトが更新されている。
執筆者は穂村弘さん。
穂村さんの執筆はこれで7回目。
第1回北溟短歌賞受賞者の今橋愛さんの一首鑑賞と
インターネットと短歌をめぐっての小時評だ。
含羞や力みによる歪みがない。快い文章だと思う。
ほんとにたくさんの情報を吸収しているのだろう。
そうそう、ときどき人に質問されること。
佐藤りえさんと佐藤理江さんは別人である。
佐藤りえさんのウェブはここにある。
佐藤理江さんのウェブはここにある。
二人とも才人だが、当然ながらキャラが違う。
[340] 古びざるこころ 2002年11月05日 (火)チェックアウト後、お茶の水に出て、
友人たちと食事。珈琲を飲みながら歓談。
その後、きょう上京した家人と待ちあわせ。
家人は徹夜で仕事をあげてそのまま上京、
午後からの打ちあわせを終えたところだった。
タクシーで二人とも気を失ったように眠る。
銀座をすこし歩いたら、体力がすぐに尽きる。
予定よりもかなり早い新幹線で帰名した。
新幹線でもやはり気を失ったように眠る。
帰宅後、信濃毎日新聞のエッセイにかかる。
先日ここにも書いた『テノヒラタンカ』のことを
すこし違うアングルからまとめてみた。800字。
気がつくとすでにまた朝に近い時間となっている。
★
企画で少し縁のできたDavid Anthonyさんから
詩集『WORDS TO SAY』を送ってもらった。
英和辞典、英和辞典、英和辞典……。
短歌誌「かばん」11月号が届いていた。
原浩輝さんの同人作品評、スタイルが変化していた。
以前、誌面批評で原さんの文章を批判したことがあるが、
あるいはその批判に応えてくれたのかな。
かなり楽しく読むことができた。
短歌誌「核」128号が届いた。
古典の文法をしっかりしこんでくれた
高校時代の恩師が参加している雑誌である。
エッセイを読むと、眼を悪くされているようで心配だが、
作品は、かすかにかげりをはらみつつも、いきいきしている。
遠からずまた近からず古びざるこころわが上にありて青空/日比野義弘
[339] 結婚を祝う会 2002年11月04日 (休)きょうのあさがお、☆☆。
この数日ずっと向きあっていた
Hさんの第一歌集の草稿のしあげに、
なんとか一つの解答を見だしたところ、
すでに早朝になっていた。
Hさんに草稿と説明のメールを送信。
ちらっとベランダのあさがおを見て、
あわてて出かける準備をはじめる。
家人に最寄りの駅までおくってもらい、
名古屋駅から予定の新幹線に乗る。上京。
田中庸介さんと佐藤りえさんの結婚を祝う会。
田中庸介さんとはいつのまにか知りあっていた。
佐藤りえさんとはいつのまにか知りあっていた。
その田中庸介さんと佐藤りえさんとが、
やはり、いつのまにか知りあっていて、
交際して、婚約して、結婚した。
交際して、婚約して、結婚した、と
書いてしまえばそういうことなのだが、
書ききれないほどの素敵なことが、
二人のあいだに満ちていたのは、
二人の表情を見ていたらほんとによくわかった。
これからもその表情でたくさん聴かせてね。
書ききれないほどの素敵なことを。
おめでとう。
★
もうかなり朝が近い。
ホテルで日記のメモをとっている。
祝う会、二次会、三次会のその後に、
深夜、企画の打ちあわせをはじめて、
きりをつけたのがまだついさっきのこと。
とてもおもしろい企画になりそうなので、
ついつい時間を忘れてしまったのだった。
タフな人たちと打ちあわせをするのは、
昼間の方が適していると悟った……。
[338] 電脳歌会の行方 2002年11月03日 (祝)きょうのあさがお、☆☆☆☆。
きのうはもうだめかなと思っていたが、
きょうまたそれなりに元気に咲きはじめる。
午後、きのうにひきつづき、
家人のともだちと義姉にきてもらう。
ともだちの一人が、人形を連れてきていた。
スーパードルフィーという美少女の人形。
身長60センチくらいで、精巧にできている。
塗装、じゃなく化粧かな、それに整形もして、
衣装もコーディネートしているという……。
ソファの上で、終日みんなの仕事を眺めていた。
夜、近所で材料を買い揃えてスパゲティをつくる。
きょうもまた、部活の合宿のような印象だった。
★
「ちゃばしら」11月号の五十嵐きよみさんの寄稿、
「ネット歌会へようこそ」をおもしろく読んだ。
歌会にかかわる人にもそうでない人にも、
これはぜひ一読しておいてほしいと思った。
ぼくが、いちばん興味深く読ませてもらったのは、
インターネットと短歌の現状をふまえた考察で、
オフライン歌会の作品質や批評のきびしさを支える
「中級者」的な存在がネット上に少ないため、
「初心者」が、きびしい意見・現実にさらされず、
ネット歌会の現状に充足してしまいやすいのではないか、
というくだりのあたり。なるほど、と思った。
いざ言われてみれば、すぐに納得できてしまうが、
向上心や情熱がないとこういう分析は生まれない。
それと、これは、たぶん、歌会だけではなく、
インターネットと短歌、全般の課題でもあろう。
そもそも、初心・中級といった縦のシステムを排して、
すべてをフラットにするのがインターネットの特徴の一つだ。
その特徴が活かされているからこそ、
「初心者」がおのずと集まり、活況を呈している面がある。
「中級者」には、ある種の居心地のわるさがつきまとう。
ここを具体的にどうのりこえてゆくことが可能か、
実践を通して考えるべき時期がすでに来ているのだろう。
[337] 少佐のきもち 2002年11月02日 (土)あさがお、ひらこうとしているんだけど、
ひらききれない、花になりかけの蕾が五つ。
午頃、川柳誌「WE ARE!」の第5号が届く。
同時代を軸として展開される誌面は、
創刊号以来、かわらず、明るく、楽しい。
遠藤治の、なかはられいこに対する、
加藤治郎の、倉富洋子に対する、
当惑感の分析みたいな批評が特におもしろかった。
今号では、川柳論と朗読をめぐる座談会でかかわった。
矢島玖美子さんからその川柳論の感想のメールが届く。
夕刻から、家人のともだち二人と義姉が、
家人の仕事のサポートをしにきてくれた。
夜、ひとりでウォーキングに出る。
お弁当を買って帰った。五人で食べる。
誰がどのお弁当にするかじゃんけんで決めた。
まるで部活のマネージャーをやってるみたいだな。
★
夕やけに涙するひまがあるんなら私のことを考えなさい/脇川飛鳥
今晩の土星の位置を知っているあなたを信じていいと思った/天野慶
いくときのあたしの瞳って青かった?ねーおしえてってば、ガガーリン/天道なお
『テノヒラタンカ』を読んで、
三人の歌人の好きな作品を選んでみた。
全体に、読者に伝える、という意識があらわだが、
その意識の表面化していないものを楽しく読んだ。
三人がならんでいるといろいろ見えておもしろい。
脇川飛鳥は、頑固に自分のメッセージを語ってゆく。
きちんとしている分だけいちばん短歌らしくない。
そこが強い魅力になっているのだが、この人のまともさは、
短歌らしさを自在に自身の魅力にも変換できるんじゃないかな。
私のことを考えなさい、は、短歌に侵犯されない感覚だと思う。
天野慶は、短歌らしさを仮装しているが、どこかおかしい。
この仮装が、作品をとても読みやすくしているが、
掴みどころもないほど感性がはじけていることは、
短歌らしさを仮装すればするほどあきらかになってゆく。
土星の位置で人を信じると真顔で言うのは怖くて愉しい。
天道なおは、う〜ん、天道なおは、つかめない……。
顔があかくなりそうな少女趣味を見せることもあれば、
顔があかくなりそうなエッチな歌を書いたりもする。
むろんあかくもあおくもならない歌もあるのだが、
あかくなる歌には、総じてつきぬけた感覚がある。
[336] エポケーと双方向性 2002年11月01日 (金)きょうのあさがお、☆☆☆☆。
そろそろ休んでもいいんだよ、と
ベランダを見るたびに思ったりする。
早朝、日テレ系のチャンネルにあわせると、
巨人の松井秀喜選手のFA宣言の話題ばかり。
明るい話題のような、そうでもないような。
午前、井口一夫さんから「ちゃばしら」が届く。
このメルマガも通巻で30号になるという。
今月号は、五十嵐きよみさんが寄稿した、
インターネット歌会をめぐる論考が目玉かな。
井口さんの文章も、こころなしか、いや、
いつもよりさらに力が入っているみたいだ。
しかも『岩波現代短歌辞典・CD-ROM版』の
うれしいPRをしてくれている。感謝。
午後、郵便で、結社誌がまとめて届く。
夜、佐藤理江さんから歌集納品との連絡。
そろそろ【歌葉】でも販売開始になるかな。
ogihara.comのアクセス数が6万を超えた。
この二か月、一日平均200のアクセスがある。
ご覧いただいている人に深く感謝したい。
★
「短歌研究」12月号(短歌年鑑)で、
「わからなくて困った批評用語50」
という特集があるそうで、原稿を書いた。
先頃実施した読者アンケートの結果だという。
【エポケー】
【双方向性】
この二つの用語が担当の執筆項目である。
語の解説が各400字、批評例文が各200字。
この語数で書くのがちょいとたいへんだった。
そもそも使えばまず晦渋な文章になる用語だ。
用語がわかりにくい、と言うよりも、むしろ、
使われる文脈がわかりにくいんじゃないかな。
香川ヒサさん東直子さんの作品の力をかりて、
どうにかこうにか噛みくだいて書いたのだった。
[335] 馬鹿と相場 2002年10月31日 (木)きょうのあさがお、☆☆。
あすから11月。月日ことを考えると、
ぐちといいわけしか浮かんでこない。
口をうごかす前に手をうごかさねば……。
午後、家人が美容室に行く。
長い髪がくるくるになる。
島田牙城さんの掲示板で、
俳句の読みについて示唆をうける。
とりわけ季語のもつ感触ついては、
俳人の意見を頻繁に聞いて確かめないと、
読解に大きなずれが生じることになる。
そこが俳句の妙味であり壁でもあると思う。
また、どこかの句会におじゃましようかな。
夜、はじめてストーブをつける。あたたかい。
深夜から雨。未明にコンビニでコピーをとる。
★
気分転換でときどきひらく本の一つに、
集英社『暮らしの中のことわざ辞典』がある。
1962年が初版で、ぼくの持っているのは、
1969年の27版。奥付には編者の検印がある。
父が買って実家にあった本をもらったのだったか。
「馬鹿と相場には勝てぬ」
【意味】ばかと相場は、
こっちの思うようにはいかないということ。
主人に内証で相場に手を出していた夫人が
株価の暴落から自殺したりするのは、
このことわざを知らないためであろう。
多くの項目がこんな調子なのである。
何かを学ばせるために書かれているのか、
それとも社会時評のために書かれているのか、
もしかすると笑いをとろうとしているのか、
いや、まあ、そんなことはないだろうけど、
強烈で、ときどき悩んでしまう辞典ではある。
編者は農学博士の折井英治さん。
むかし読んだ児童書の著者として、
同じ名前を記憶しているが、
あるいは同じ人なのだろうか。
[334] マッチ擦る 2002年10月30日 (水)きょうのあさがお、☆☆。
いよいよ本格的につらくなってきたか。
午後、所用をかねて一人でウォーキング。
陽ざしがあたたかかったのでほっとする。
あとは机にむかって、資料読みと仕事。
『テノヒラタンカ』(太田出版)が届く。
縦12.5センチ×横14.0センチの変型版、
書店ではもしかして見つけにくいかたちかも。
きれいでたのしくせつない感じの共同制作だ。
感想は後日あらためてまとめることにする。
夜、義姉が家人の仕事を手伝いにきてくれた。
仕事の合間、お茶を飲みながら、三人で話をする。
いまの短歌は五七五七七をまもらなくてもいいの?
と訊かれたので、四拍子説の説明をシンプルに。
字余りや字足らずは「休符」が多いか少ないか、
とか言いながら、カスタネットの仕草で実演してみた。
本日の計測、体重60.2kg、体脂肪率19.0%。
★
類句の話のつづき。
引用とか本歌取りといった視点は、現在、
なぜ俳句ではあまり見かけないのだろうか。
共有する本歌が想定できないという点では、
俳句も短歌もあまりかわりはないはずなのに。
俳句の文字数/音数の少なさも影響はあるだろう。
ただ、それとは別に、類似や引用を極端に嫌う何かが、
俳句に内在している、と考えることもできそうだ。
石井辰彦さんは『現代詩としての短歌』(書肆山田)で、
俳句の季語を引用/本歌取りの一技法ととらえている。
俳句の「有季」という発想が、そもそも、
引用を前提としたシステムだと言えようか。
となると、有季句において非引用となるべき
季語以外のフレーズにもう一つの系を引くのは、
よほど慎重な態度を要求されることになるだろう。
おのずと類句・類想に敏感にならざるを得ないわけだ。
一本のマッチをすれば湖は霧/富澤赤黄男
めつむれば祖国は蒼き海の上/富澤赤黄男
夜の湖あゝ白い手に燐寸の火/西東三鬼
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや/寺山修司
ついでに語るべきことではないのだが、ついでに。
俳句から短歌へとジャンルを移行した寺山修司が、
他作からの引用やコラージュをさまざまに試みたのは、
引用を前提的なシステムとした俳句時代の方法のなごり、
だと考えるのが妥当ではないかとぼくは思っている。
俳句時代に、季語に収斂していた引用の感覚が、
枷を解かれて一気に噴出したように見えないだろうか。
[333] きみはきのふ 2002年10月29日 (火)きょうのあさがお、☆☆☆☆。
かなり苦しくなってきたようだ。
すでに昼間でもかなり冷えこんでいて、
時折、電子カーペットをつけたりしている。
「現代川柳研究・宇宙船」第59号が届く。
福田弘さん編集・発行の比較的小ぶりな個人誌だが、
毎号、川柳全体を意識して、うまく編集している。
浪越靖政さんのエッセイ「川柳に未来はあるか」は、
川柳ではあまり見かけなかった「時評」である。
川柳論でもなく、提言でもなく、論争でもなく、
こうして「時評」があらわれた意義は大きいと思う。
★
先日、俳句の類句問題のことを書いたので、
以前の自作短歌をめぐって、もうすこしメモを。
自作の話だが、できるだけ他人のように書いてみる。
作者の創作意図も書いてみたいが、ここでは割愛する。
君はきのふ中原中也梢(うれ)さみし/金子明彦
「きみはきのふ寺山修司」公園の猫に話してみれば寂しき/荻原裕幸
金子明彦の句が(当然だが)先に出たもので、
荻原裕幸の歌は35年ほど後に発表されたものだ。
中原中也と寺山修司は、まるで違う固有名詞だが、
双方を類比する上では季語以上に互換性が高く、
してみれば、「梢」の一文字以外は、
歌に句がすっぽりとはめこまれている。
荻原は、原句を知らなかったわけでもなく、
うっかり似てしまったというわけでもない。
しかも、意識的に引用しコラージュしたのである。
そして創作意図は作品周囲に註釈されていない。
記憶している範囲で、原句を知った読者の感想を書くと、
高野公彦さんが、読者にわかりにくい引用で良くない、
小池光さんが、原句のもつ意味の多義性が消えている、
藤原龍一郎さんが、本歌取りの成功した稀な例、等、
引用の方法には批判的な声もあったのだが、
批評の分岐点は、本歌取りが成功しているかどうか、で、
もっとも批判的だった高野公彦さんの視点も、
註釈も入れずにブッキッシュな引用をして、
読者に対してあまりにも不親切ではないか、
という点が、類似云々よりも先行したと記憶している。
俳句の類句問題では、この「本歌取り」の視点は、
ないわけではないが、あまり見かけない。
なぜか、は、また明日にでも考えてみる。
[332] 手帖と新書 2002年10月28日 (月)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆☆☆☆☆。
数は多いが、花にはもう一時の元気がない。
ひらききらずにくすんだ色のままの花もある。
そろそろ、かな、という感じになった。
午後、定期的に連絡を入れてくれる
某住宅メーカーの営業マンから電話。
むかし住宅関連の広告をつくっていたとき、
営業の評判がいちばん悪かったメーカーなのだが、
彼にはどうもそういう嫌なところはないみたい。
ながらみ書房から、2003年版の「歌人手帖」が届く。
送料込でも千円を切っていたので、一冊買ったのだ。
1000人強の歌人名簿が付いて、他はほぼ一般的な手帖。
スケジュール欄、メモ欄、アドレス欄、等がある。
短歌研究社や角川書店の短歌年鑑の名簿にくらべ、
情報量はすくないが、携帯できるのが便利かな。
★
堺利彦さんの『川柳解体新書』(新葉館出版)が届く。
まだざっと眼を通しただけだが、網羅的な視点で、
現代川柳の「見取り図」をつくっているようだ。
川柳や他ジャンルの文献へのリンクが多く、
ぼくとしてはかなりうれしい情報書である。
他の川柳書にも同じ傾向が見られるが、
引用作品の出典がわからないのは惜しまれる。
しばらくは楽しみながら勉強させてもらえそうだ。
[331] 記憶の捏造 2002年10月27日 (日)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆。
さすがにすこし勢いがなくなってきた。
どこかしらぐっと冬が近づいた感じ。
蜜柑の酸味もかなりやわらいでいる。
室内も徐々に冬支度となっている。
玲はる名さんから、R☆FC・9号が届く。
すこし中休みがあったが元気に復活したらしい。
午後からずっと懸案事項にべったりとりくむ。
あいかわらず進みは悪いが、それなりに。
夕刻、義母や義姉たちと遅い昼食、買い物。
★
夜、WE ARE!・5号の「袋綴じ付録」作成の手伝い。
夏におこなった朗読をめぐっての座談会、等々。
文字化されると、特に固有名詞が文字化されると、
その場にいて見えなかったことが見えてくる。
おまけに、自分の発言の矛盾にも気づいた。
1987年に、加藤治郎さんの第一歌集を読んでから、
あるイベントで彼の朗読を聴いたと信じこんでいたが、
よく考えてみると、これでは、時間の順序が逆である。
ほぼ同じ時期だったと思うが、たしか朗読が先だった。
雑誌で読んでいた作品と朗読で聴いた作品と、
どこかでテキストを混同しているようだ。
無意識のうちに記憶を捏造してしまったらしい。
当時、彼の作品に対してかなり懐疑的だったこと、
また、彼の朗読にすくなからぬ衝撃をうけたこと、
は、どう思い出してみてもまちがいないので、
ここは座談会の「真実」のほうを優先して、
こっそり(?)そのままにしておいた。
[330] 類句 2002年10月26日 (土)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆。
話題になっていた「俳句研究」11月号を
櫂未知子さんから送っていただいた。感謝。
くだんの類句問題をめぐる文章を読んでみた。
いきいきと死んでゐるなり水中花/櫂未知子
いきいきと死んでをるなり兜虫 /奥坂まや
同誌からわかるいきさつをかいつまんで書くと、
先に発表された櫂さんの水中花の句を熟知しながら、
奥坂さんが、写生の句と比喩の句という違いを根拠に、
酷似したフレーズを含む兜虫の句を
類句とは認識せずに発表してしまった。
櫂さんが作品のオリジナリティについての説明を
俳句観の違いによるずれが生じないように書いた。
奥坂さんがそれを読んで、類句であることに気づき、
謝罪するとともに作品そのものを「抹消」したのだった。
島田牙城さんの言う「剽窃」という視点が生じたのは、
奥坂さんの類句認識のある種の「鈍さ」によるものだろう。
17日の日記に、ぼくは「認識の甘さ」と書いたが、
六つ目のケースとして「認識の鈍さ」も数えるべきか。
俳句の類句問題というのは、想像以上に根が深いらしい。
★
ぼくは、櫂さん奥坂さんのコメントに何か言えるほど、
俳句の(特に類句の)事情をわかっていないので、
自分の手の届く範囲ですこしメモをしておく。
櫂さんの水中花の句がどう読まれているかは知らないが、
この句のおもしろさは、一つには、季語を説明してはいけない、
という俳句の一般論を根底から覆しているところかと思う。
季語べったりになると、視野が狭くなるはずなのに、
意外なほどいろいろな連想をはたらかせてくれる。
これは「いきいきと死んでゐるなり」と「水中花」の間に、
意味上のなんらかの切断が生じているからだろう。
つまり「いきいきと死んでゐるなり」は、
単独でも機能しているフレーズであり、
この世界に接触するとき、たとえば、水中花、
と着地しているわけで、他の可能性を放棄してはいない。
俳句の文体として水中花は「動かない」が、
可能性を放棄してはいないからひろがりが出る。
この句が、水中花を(やや変則的に)写生したのだとしても、
一句の構成・構造はそのようなものだとぼくは思う。
ところが、奥坂さんはどうもそうは読んでいないらしい。
「水中花はもともと生命の無いものなので、
『いきいきと死んでゐる』は全体が比喩です。」
という彼女のことばがそれを明確にしている。
ここまで読解に違いが生じるものなのかと驚いた。
単なる形容/認識/比喩のフレーズだと読んでいるからこそ、
はじめ、類句の根拠にはならないと判断したのではないか。
こうなるとオリジナリティの認識の問題ばかりではなく、
句の読解方法にも問題の根があるように思われてくる。
俳句についてはあらためて勉強しないといけないな。
[329] 終刊 2002年10月25日 (金)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆☆。
北朝鮮による拉致被害者の「永住帰国」を
政府が決定してしまったという。う〜ん。
銀行の不良債権処理の加速策について、
与党が反対しているという。う〜ん。
どちらも根底にあるのは政治じゃないのに、
結局、政治の問題になってしまうのかな。
銀行の件では、頭取たちが、貸し渋りを招く、と
脅し文句をはいていて、汚ねー、とか思ったけど、
政治的な理由で反対するよりは意味があるかも知れない。
★
同人誌「ノベンタ」第10号=終刊号が届いた。
同誌の創刊は1990年、もう12年前だ。
島田修三さん柳宣宏さんといった中堅的メンバーと
現代短歌評論賞の受賞者たちがずらずらと揃って、
過剰なほどの熱気にみちたスタートだった。
終刊号の特集は「21世紀に短歌はありうるか」。
この特集を含めて、
読者としての12年間の感想を言えば、
ほんとに良い仕事が多かった、
不発感をつねに抱えていた、
という2点に絞られるだろうか。
良い仕事というのは、
短歌史をベースに現代短歌を考察する試み。
毎号毎号の地道な仕事が印象的だった。
『現代短歌ハンドブック』(1999年、雄山閣)、
『岩波現代短歌辞典』(1999年、岩波書店)、
『現代短歌大事典』(2000年、三省堂)、
等、20世紀末の短歌史観活性化の初動として、
この「ノベンタ」があった、と言えるのではないか。
一方、不発感というのは、
メンバーの作品のテンションが低かったこと、と
作品的な「現在」にあまり踏みこまなかったこと、だ。
前者は、評論中心ゆえのやむをえない結果とも言えようか。
ただ、掲載する以上、各号ごとのコンセプトを見せてほしかった。
後者は、もちろん意識的な選択だったと思われるし、
誌面の質を維持できた大きな要因だとも考えられるが、
1980年代以降の作品史を、そして作家たちを、
もっともっと追いつめても良かったでのはないか。
メンバーたちの以後の活動にも注目してゆきたい。
[328] 思考の経路 2002年10月24日 (木)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆☆☆。
家人の友人がきょう渡米するというので、
眠らないままで、早朝、空港へ見おくりに行く。
午前6時のロビーにはさすがにまだ人がすくない。
午前7時10分のフライト、成田で乗り継いで、
ニューヨークに着くのは深夜12時頃になるらしい。
人はすくないが、搭乗手続きの列がちっとも動かない。
テロの余波ではないかと家人が心配している。
結局、搭乗時刻ぎりぎりになってしまい、
係員と一緒に走って行く後ろ姿へ手をふった。
帰宅後、何回かばらばらに仮眠をとる。
終日睡魔に襲われながら仕事をしていた。
午後、Aさんから電話。来年の仕事の話。
夕刻、ウォーキングに出たついでに、
遅い夕食をとる。買い物をして帰宅。
夜、Nさんから電話。
ちょうど仮眠していたところで、
ぼんやりとうけこたえしていたら、
いたく体調を心配されてしまった。
電話してきた人に眠ってましたと言うのもなんだし、
元気だから大丈夫と言っても嘘くさく聞こえるだろうし。
ともあれ、そういうことなので、大丈夫です、Nさん。
★
岡井隆さんの『吉本隆明をよむ日』(思潮社)、
二月に刊行された本なのに今頃になってひらいている。
「吉本隆明」でも「吉本隆明をよむ」でもなく、
『吉本隆明をよむ日』というタイトルが、
岡井さんのむかしからの散文の特徴を端的に示している。
「吉本隆明」と「メイキングオブ『吉本隆明』」が、
綯い交ぜになって本文に組みこまれる構成、
思考の経路を丁寧に「写生」してゆく文体である。
[327] 拒否の可能性 2002年10月23日 (水)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆。
午頃、信濃毎日新聞から校正のゲラがファックスで。
コンテンツワークスから歌集のサンプルが宅配便で。
いずれも、なんとか夕方までに校正をすませる。
歌集は、佐藤理江さんの第一歌集『虹の片脚』。
佐藤理江さんは、ハンドルネーム「お気楽」さん。
プライベートな空間から社会問題まで、
モチーフに滑らかなひろがりを見せる作風。
人としての輪郭・存在感がくっきりとしている。
加藤治郎さんのプロデュースによる本で、
近々【歌葉】からリリースされる。
夜、外食に出たついでに、近所の書店に行く。
家人が、予約していた『ハリー・ポッター』の最新刊を買う。
店内の平積みはほぼ完売状態、残りは数セットだった。
本日の計測、体重60.4kg、体脂肪率18.0%。
★
「短歌研究」の10月号、現代短歌評論賞の発表号、
選評をつらつら読んでいたら、大橋弘さんという候補作家が、
歌集『あるまじろん』について書いてくれたらしいとわかる。
「拒否の可能性−短歌における資源性と記号性をめぐって」。
しかし、論文の掲載は、誌面一頁分が引用されているだけで、
ぼくの作品についてふれてあるらしい箇所も載っていない。
全文を読んでみたいと思うが、手段がないのが困る。
[326] 言葉の職人 2002年10月22日 (火)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆。
体調がどうのとばかりも言っていられないので、
ときどき昼寝をはさみながらあれこれと進めてゆく。
信濃毎日新聞のエッセイをまとめる。400字2枚。
短歌には「純文学」しかなかった、でも、という話。
1980年代と1990年代への視点の一つである。
紙幅の都合で肉づけまではできないが、
インデックスとしての視点を提示してみた。
深夜、たまりにたまった新聞をいっせいに処分する。
一年分かあるいはもうすこしあったろうか。
階段ではこびおろしていたら腕が萎えた。
家人は「まったく、新聞のくせに話題がふるい」
などとぼやきながら延々と束ねていたらしい。
おかげで部屋のなかがすっきりとした。
★
ダカーポ増刊「投稿生活」10月1日号に、
天野慶さんがおもしろい文章を書いていた。
主になっていたのは、自身の企画、
テノヒラタンカへのアプローチなのだが、
以下のようなくだりを中心とした、
伝統/歴史への理解がきわめて快かった。
例えばダイヤモンドなら、
ブリリアントカットが
一番光を美しく反射させるカット方法である、とか、
チーズをおいしく熟成させるには
温度15℃、湿度85%が最適である、
などと同じレベルの物事なんだと思います。
一番日本語がきれいに光って、おいしいカタチ、
それが5・7・5・7・7、計31音のリズムなのです。
宝石職人やチーズ職人が考えたように、
過去の言葉の職人たちが試行錯誤して辿りついた場所。/天野慶
[325] 世界の温度 2002年10月21日 (月)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆。
数えなおさないとまちがえそうなほどたくさん咲いた。
きのうからどうも体調がおもわしくないようで、
きょうはごろごろしている時間がながかった。
リビングに置いてあった
市東亮子『BUD BOY』17巻と
高屋奈月『フルーツバスケット』10巻を読む。
読んでいると、とこどころで急に、
世界の温度があがったりさがったりして、
どこか遠くに連れてゆかれるような感じ。
★
短歌誌「開放区」第65号を読んだ。
福島久男さんが指摘している
寺山修司短歌賞の選評について、
冊子を砂子屋書房から送ってもらったとき、
たしかに、もっと経緯が見えればいいのに、
とまではぼくも思ったし、たぶん多数意見だろう。
ただ、それがなぜ、賞の批判にまで展開されてしまうのか。
選考の経緯をきちんと見せないと「邪推」を生むよ、
という意味の文章なのだろうけど……。
ところで、「開放区」の同号に、
都筑正史さんの名前があっておどろいた。
そうか、そうなのか、カムバックしたんだ。
[324] 大安吉日 2002年10月20日 (日)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆。
起きてみると、たくさん咲いていてびっくりした。
家人が義母たちと名古屋祭にでかける。
留守番しながらせっせと仕事に向かうが、
どこか体調がはっきりしない感じで、
考えもうまくまとまらずに焦っていた。
焦ってもはじまらない、と
むりやり自分にいいきかせる。
いいのか、それで?
いいわけはないんだけど……。
そう言えば、きょうは、大安、
いろいろお祝いごとのある日で、
TさんとSさんは、結婚式だそうだ。
SさんとKさんは、入籍すると聞いた。
おめでとう。すえながくおしあわせに。
[323] ふわふわ感 2002年10月19日 (土)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆。
肩こりがひどかったので、先日、枕をかえた。
やわらかい枕はどうも性にあわないらしい。
こころなしか眠りが深くなった気がする。
とは言っても、朝になってから寝る日も多いので、
寝てすぐに宅配便や速達に起こされたりしている……。
ここしばらく大きな書店にいっていないため、
入手すべき書籍・雑誌がちっとも手に入らない。
終日、パソコンに向かって、諸事の進行、あと、
他人の原稿を読んだり、自分の作品を書いたり。
夜、家人の髪をカラーリングする。明るい茶色。
★
生沼義朗さんの第一歌集『水は襤褸に』(ながらみ書房)、
先月一読しただけだったので、あらためて読み返してみた。
生沼さんの歌は、日常という足場がゆらぐとき、冴える。
逆に、日常にしっかり着地しようとするときには、
小池光、藤原龍一郎、仙波龍英を各頂点とする三角形に、
文体がすんなりとおさまってしまう印象がある。
<中ピ連>をネット検索せしときに「中年ピアノ愛好者連盟」が出る/生沼義朗
げにかぼそき声のしているくらがりをわがものとして飲めるシードル
そういえば、そういえばというこえ聞こゆ裡なる部分のそこかしこより
綾波レイの髪より青きものありて西1駐車場の青空
青空という語の響き。青という語の音感を一日愛す
引用は、日常に着地しながら日常がゆらいでいるような、
生沼さんらしいスリリングなうたいぶりを見せているもの。
話者はもちろんすべて現実に踏みとどまっているが、
足元にちょっとしたふわふわ感が見えていておもしろい。
仮想と現実のしきりがどこかしら不確かなのだ。
余談だが、Googleで「中ピ連」を検索をしてみると、
中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合、
よりも上位に、一字違いの「中年ピアノ愛好家連盟」が出た。
[322] 月光生活 2002年10月18日 (金)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆。
朝、Iさんから【歌葉】の件で問いあわせの電話。
フロッピーディスクで入稿できるかどうか訊かれて、
もちろんまったく問題ないです、と伝えたのだが、
よくよく考えてみれば、このところずっと、
フロッピーディスク用のドライブを使ったことがない。
すべてMOかCDか電子メールで済ませている。
念のために試用しておかなくてはいけない。
Sさんから【歌葉】の件で問いあわせのメール。
サンプルの納期にかかわる確認だった。
コンテンツワークスに問いあわせる。
リビングの蛍光灯が切れてしまったので、
外が暗くなる前に買いに出かけて、
新しいものととりかえる。
気づいたら四年半そのままかえてなかった。
シーリングタイプだったため、
完全に切れるまで気づかずにいたのだ。
あたりが異常なほど白くてまぶしい。
部屋の暗さに徐々に慣らされていたらしい。
慣れれば月の光でも生活できるってことかな。
★
紺野万里さんの第一歌集『過飽和・あを』(短歌研究社)、
夏に一度読んだままになっていたのを読み返してみた。
中心的主題である生命・文化史と放射能被曝の部分に、
どうもうまくきもちが反応できない。
いや、正確に言うと、むしろ、
主題をダイレクトに描かない歌のほうに、
主題が自然な感じでたちあがっていると思った。
出勤簿がくりと薄くなりし春のわたり廊下は五階をつなぐ/紺野万里
ペットボトルの雑木林にひかりあれ屈折しつつ若き渇きは
文字であることを止めたる線たちが氏名の欄に漂つてゐる
せんせいのはなのあなつてながいよと見上げて展く彼のあめりか
こひびとの姿をとざす霧として韻く三十一音目の【ず】
音すべて吸ひこみていまみづうみは欄外のごとき光を帯びる
引用歌には、鉱脈を掘りあてるときの、
鶴嘴のはじめのひとふりのような気配がある。
意図的な方法ではないかも知れないが、
見せ消ちよりもさらに「高度な技法」として、
主題がふわりと姿を見せているのではないだろうか。
[321] 剽窃をめぐって 2002年10月17日 (木)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆。
sweetswan.comのドメイン登録機関から
長い長い英文のメールが届いた。
どうもそれがかなり重要な内容らしいので、
辞書を片手にどうにか読んではみたものの、
英語力、もうすこしなんとかしないといけない。
Sさんからとてもひさしぶりにメールをもらう。
短歌の仕事の件で問いあわせ。調べて返信する。
夕刻、ウォーキングのついでにパソコンショップへ。
家人のマッキントッシュを新調しようかという話になる。
帰宅後、ちょっと疲れが出たようなので仮眠をとる。
夜、時間に追われていたので、吉野家で牛丼を食べる。
★
昨夜、島田牙城さんが書いた「剽窃考」の草稿を読んだ。
一般に、俳句作品の類似/酷似は、
意図的に引用した
うっかり似てしまった
先蹤をまったく知らなかった
類似/酷似に対しての認識が甘かった
悪意で剽窃した
の五つのケースが考えられるが、
島田さんは、四つ目の理由を認めない、
それも「剽窃」に含まれるのではないか、
という立場をとっているようである。
ぼくにはどうも、認識の甘さと悪意の剽窃とは、
ずいぶん違うもののようにも思われるのだが、
島田さんにはこだわりがあるようで、糾弾がきびしい。
該当資料をきちんと読んで、再考・熟考してみたいと思った。
[320] 印象の変化 2002年10月16日 (水)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆。
Iさんからメール、Sさんと電話、
Kさんたちにメール、Hさんとメールのやりとり、
RさんとSさんと歌会についてのだんどりのメール、
Iさんの相談にメールで返信、Nさんから私的な督促。
イニシャルで書いていても記録にならないな……。
ともあれ仕事の間にそんなことをしながらの一日。
原稿の参考資料として竹田青嗣を読む。
ひさしぶりに読み返してみたところ、
なぜか納得できなかった竹田の文章の印象が
かなり大きくかわってゆくのを感じる。
ぼくの側の何かがかわったのかな。
資料だということを忘れて読み耽る。
夜、ウォーキングに出て、そのまま買い物に。
営業時間をまちがえて閉店10分前に入店したのだが、
どたばたと10分で買い物をすませる。
ふだんはなぜ小一時間かかったりするのかな。
★
加藤治郎さんが、鳴尾日記(10月11日・12日付)に、
田中槐さんが、槐の備忘録(10月15日付)に、
それぞれ蒲郡歌会のレポートを書いてくれた。
また、なんの菅野さんが、
川柳日記(10月12日〜14日・16日付)に
詳細な感想を書いてくれた。
ありがたいことである。
[319] 新しい世代像 2002年10月15日 (火)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆☆☆。
暑い一日だったが、夜、雷があってすこし涼しくなる。
来日した拉致被害者と家族の会見をテレビで見る。
結社誌「短歌」の創立80周年に寄せた
フリーな内容のエッセイを脱稿。400字3枚。
担当者に原稿を送信して電話で詳細を確認する。
深夜、仕事でキンコーズに出かけることになりそう。
★
歌誌「未来」10月号が届く。
新しい世代の歌人像を浮きぼりにする企画として、
特集「HEISEI NEXUS」が掲載されている。
11年前に加藤治郎が企画した「NEXUS」の平成版。
今回の企画担当は田中槐。
対象歌人は、掲載順に、
岡崎裕美子、玲はる名、吉野亜矢、勝野かおり、
中沢直人、松村正直、笹公人、黒瀬珂瀾、
田中槐、江戸雪、小林久美子、飯田有子、である。
新作10首、エッセイ風なアンケート、
さらに12人6組の比較歌人論が掲載されている。
ぼくも、中沢直人と松村正直の比較歌人論を寄稿した。
ちなみに、以前の加藤治郎の企画の対象は、
水原紫苑、紀野恵、大辻隆弘、川野里子、
俵万智、白瀧まゆみ、大塚寅彦、荻原裕幸、
桜木裕子、干場しおり、穂村弘、加藤治郎、である。
当時の短歌的メインメディアが、
総合誌に集中していたことが感じられる人選だ。
今回の人選にはその点の変化も感じられて興味深い。
また、今回の比較歌人論の執筆者が、
全員「NEXUS」から選ばれているのもおもしろい。
[318] 短歌誌のかたち 2002年10月14日 (祝)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆。
朝、ごみを出してから眠りについたのだが、
それでも、暑かったせいか、午前中に目覚める。
心身が切実に休みを求めているらしく、
何もする気が起きなかったのだが、
進めるべきことのいくつかにむりやり手をつける。
夕刻、義母、義姉たちとコメダで珈琲を飲む。
夜、ウォーキングをかねて家人と外食。
深夜、気分転換に、家人とアニメのビデオを観る。
★
昨日、短歌についての短文の原稿依頼が届く。
きちんと書けるかどうか資料をあたってみる。
引用作品の選がむずかしそうだが、
なんとかいけそうな感触である。
明日締切のエッセイに手をつけはじめる。
これは、回顧的な文章になるので、
特に資料は必要なかったのものの、
たまたま膨大なコピーをもらっていたので、
ついつい読みはじめてしまって止まらなくなった。
短歌誌「レ・パピエ・シアン」の11月号を読み、
流れで10月号を読み返してみる。
あらためて考えてみると、
歌人的規模と原稿的規模、内容のレベル、
誌面の構成・デザイン、また月刊という発行速度、
これからの短歌誌の理想的なかたちの一つかも知れない。
[317] 二十二世紀の朝 2002年10月13日 (日)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆。
からだのどこかに静かな疲れが残っている。
「列島縦断短歌スペシャル」のビデオを観る。
安田聡美さんの投稿が特選になっていた。
勝野かおりさんとひぐらしひなつさんは50首選に。
蒲郡歌会については、いろいろ気になることもあった。
ふだん、自身でコーディネートとするイベントでは、
会の進行中にあれこれアイデアを練りなおして、
予定してなかったプラスαの要素をぶちこむのだが、
テレビ番組の場合にはそれができない。と言うか、
昨日の時点でそのことに気づきもしなかった。
生放送で緊張していたせいもあるだろうが、
気づけないというのは、単に力不足ということか。
アイデアの練りなおし、というのは、
要するに、他者の視点で自己を見直すことで、
企画のシフトが極端なときに調整をかけるわけである。
歌会は、その場で感じていた通り、
自分勝手にならずきちんとテキストを読むことに、
極端なシフトがかかった流れになっていた。
短歌史や歌壇的発想に依存するところはなかったけど。
あるいはふだんならもっと、ふざけてみたり依存してみせたかも。
ただ、結果としてそれは、ぼくがともすれば抱えこんでしまう
あたりさわりのなさを解消して「本音」を見せてくれたらしい。
歌会論(が仮にあるとすれば)のサンプルにできそうだ。
それと、はじめのうちずいぶん緊張している自分がいたが、
これはまあ、どうにも反省のしようがないか……。
★
テレビの話がもう一つ続くが、
今朝、NHK教育テレビの「NHK歌壇」で、
春日井建さんに『青年霊歌』の一首を紹介してもらった。
西行の「ねがはくは花のもとにて」からの「本歌取り」だという話。
ただ、本歌取りと言っても、詞句を一文字しかとっていないわけで、
モチーフにつながりがあるという変則的・現在的な本歌の認識か。
「二十一世紀を否定し、二十二世紀に夢を託している」という
春日井さんのコメントが印象的だった。二十一世紀を否定!
ゲストとして出演していた千葉聡さんの顔をひさしぶりに見る。
死ぬならば老醜過ぎてガラス器にめざむる二十二世紀の朝/荻原裕幸
[316] 蒲郡歌会 2002年10月12日 (土)7時に起床。
30分ほど、外を眺めたりたばこを吸ったり。
きちんと目が覚めたところでホテルのレストランへ。
田中槐さん東直子さん江戸雪さんはすでに食事中、
ほどなくして加藤治郎さんがやって来て、
続いて、歌会のリポーターの上原アナウンサーが来た。
穂村弘さんとはロビーに降りるエレベーターで顔をあわせる。
9時には会場に到着。
オンエアまであと2時間しかないなあ、と思っていたのに、
カメラを回してのリハーサルは直前までやらないという。
ふむふむ。そういうものなのか。
スタッフがコンマ何秒以下の誤差に時計をあわせている。
なるほど。そういうものなのか。
一昨年に二度ほどお世話になったNHKのカメラマンさんに、
番組冒頭のシーンを担当してもらうことがわかる。
緊張していたのがそれなりにほぐれた。
リハーサルの頃になって、急に、
歌会の呼び方は「うたかい」で統一するという話がきた。
おいおい。そういうものなのか。
11時から番組がはじまる。
この番組のメインになっている
ファックスによる作品投稿と批評の間に入る
出演者紹介をかねたプロローグと2回の歌会が
蒲郡からの生中継になる。
出演してもらったメンバーは、
ふだんとほぼかわらないちからを出していたと思う。
ビデオを観てみないと細かいところはわからないが、
コメントはほとんどテキストを純粋に読むことに集中し、
その場のためだけのパフォーマンス的発言が少なかったと感じた。
歌人の「本音」とはそれ以外の何ものでもないのだから、
テレビ番組としての質は判断できないとしても、
NHK側の求めた枠組みのなかで可能なレベルまでは、
歌会の一つのモデルを提示できていたと思う。
あとは、他者の判断にゆだねる他ない。
★
放送終了後、豊橋駅に出て、かるく打ちあげ。
遠来の四人のメンバーは新幹線で、
加藤治郎さんとぼくは名鉄で帰路に着いた。
その後、地下鉄駅で義母たちと待ちあわせて食事。
帰宅すると、たくさんのアットマークが出迎えてくれた。
歌会の余韻はたちまちにして消え、
あっと言う間に日常が流れこんで来たのだった。
[315] 歌会前夜 2002年10月11日 (金)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆☆☆☆☆。
午後、早めに蒲郡の会場に入らなければいけない。
一晩あけると電子メール等への対応が追いつかないので、
たまってしまっていたいくつかの案件に急ぎ対応する。
★
深夜、蒲郡のホテルでメモを書いている。
午後、JRで蒲郡にむかう。
金山駅からわずか40分ほどで蒲郡駅に到着。
これだけ近い観光地なのに一度も来たことがなかった。
会場までは近距離だが迷うといけないのでタクシーに乗る。
道が空いているな、と思っていたら、
運転手さんに、週末は道が混んでもうしわけない、
と謝られてしまった。迂闊なことを言わなくてよかった。
歌会会場の「海辺の文学記念館」に着くと、
すでに田中槐さん穂村弘さん東直子さんが来ている。
すこし遅れて江戸雪さんが到着した。
控室に使わせてもらった部屋も、
きわめてイベント向きだなと思ったので、
プロデューサーのIさんに利用できるのかどうか訊ねると、
展示室を厚意で開放してもらっているとのこと。
記念館の人に迂闊なことを言わなくてよかった。
素のままで充分にちからのあるメンバーだし、むしろ
打ちあわせを細かくしすぎるとかたさを生みそうだったので、
ほとんど打ちあわせをせずに歓談で盛りあがってゆく。
みんなで竹島の境内を散策させてもらう。
夕刻、ホテルで加藤治郎さんと合流。
みんながタクシーやマイクロバスをつかった道を、
加藤さんはひとりで歩いてきたという。
地図を見たら近そうだったから、と言っていたが、
話を聞くと電車で二駅分の距離は歩いている。
加藤さんが見た地図は、どうやら
極端にデフォルメされた観光マップだったらしい。
彼の作品は、この類の独特のセンスが文体にも反映されて、
不思議なきらめきを帯びることが多いと思うのだが、
さすがに観光に反映されると足腰がかなりたいへんそうだ……。
夕食時、お酒も入って、みんなのテンションがさらにあがる。
もうあとは明日の番組で、とも思っていたのだが、
コメダ(!)で珈琲を飲んだり、
居酒屋でアルコールを補充したりして、
テンションはさらにあがっていったのだった。
深夜、ホテルの部屋でひとり台本のチェックをする。
歌会はもちろんだが、その他もアドリブばかりで、
こういうのって心臓に悪いよなあ、と苦笑する。
[314] 場の変化 2002年10月10日(木)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆☆☆。
仕事と雑事にあれこれと追われながらも、
ときおりぼんやり蒲郡歌会のことを考えていた。
★
機会があるたびに話していることだが、
いちばん近いところでは、1995年あたりに、
現代短歌の、中サイズの転換点があったと思う。
1980年代以降、1995年頃までの十数年が、
文体の変化の時代だったとすれば、
1995年以降は「場」の変化の時代だろう。
もっとはっきり言ってしまえば、
変化した文体が「場」を獲得する時代だと言えようか。
むろん文芸の本質は作品にあり、
ぼくのこの時代分析は外枠を言っているにすぎない。
ただ、短歌における読者やメディアという外枠が、
可動のものだという認識がなければ、
1980年代の変化はあり得なかったわけで、
本質である作品を語るためには、
どうしてもこの外枠の問題を通過する必要がある。
短歌は本来、とか、短歌はそもそも、とか、
歴史のつちかった重さに極端に依存してしまい、
ほんとにそう言えるのかどうかを問わない歌論が、
有効な理論を生み出すとは考えにくい。
それが現在なのだと思う。
[313] 食欲旺盛 2002年10月09日 (水)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆☆。
昼、信濃毎日新聞からゲラのファックスが届く。
今回は朱入れも訂正もなく、そのまま校了。
結社誌「短歌」10月号が届く。
彦坂美喜子さんの連載「現代短歌はどこで成立するか」は、
今回で30回目、『青年霊歌』についての分析が展開されている。
刊行当時の批評などが引用されていて懐かしい。
自身では気づけないことが分析されていて興味深く読む。
Sさんの歌集版下を校了、コンテンツワークスに入校する。
蒲郡歌会の詳細についてIさんからファックスが届く。
本日の計測、体重60.6kg、体脂肪率18.0%。
このところ食欲旺盛で、体重が落ちなくなった。
★
食欲旺盛、で、思い出したのだが、
7月の本町通り店開店から足繁く通っているのが、
博多一風堂というラーメン屋さん。
新横浜のラーメン博物館で食べて以来、
家人と二人でとりつかれたような気分になって、
名古屋にも出店しないかなと待ちかまえていた店。
仕事の流れで夜中に外出するときによく行くのだが、
開店直後よりも最近はいよいよ人気が出て、
深夜1時台でも1時間ほど行列しないといけない。
いつも、延々と続いている行列を眺めては、
何できみたちはこんな時間にラーメン食べに来るの、
なんて思いながら、自分もおなじことをしているのだった。
[312] 花の向き 2002年10月08日 (火)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆。
以前にたくさん咲いていたときは、
花の「向き」があちこちばらばらだったが、
いま、花はすべてベランダの外側に向いている。
花の向きは何によって決まっているのだろうか?
きのう、打ちあわせのとき、Iさんに、
睡眠時間をしっかりとるように、
昼夜がひっくりかえらないように、等々、
体調の心配をされてしまったので、調整してみる。
夕刻、Yさんから歌集の校正があがってくる。
執筆者にメールで転送して確認をとる。
どうやら明日は問題なく入校できそうだ。
夜、買い物がてらウォーキングに出る。
★
信濃毎日新聞の連載エッセイ、400字2枚。脱稿。
週末の蒲郡歌会のことをあれこれ考えながら、
歌会について、比較的ソフトな文章をまとめてみた。
別件のエッセイのために資料を読みはじめる。
また、昨今の短歌の文体、とりわけ枡野浩一の短歌について、
その「伝達速度差」ということをしきりに考えている。
[311] リンク集の行方 2002年10月07日 (月)きょうのあさがお、☆☆☆☆☆。
つぼみの数もふえはじめているようだ。
出しそこねていた郵便を何通かまとめる。
Yさんに歌集校正の至急の訂正を依頼する。
12日(土)のオンエアが予定されている
BS放送「列島縦断短歌スペシャル」の件で、
NHK中部ブレーンズのIさんと細かな打ちあわせ。
企画がたいへんなのはむろんどの業界もおなじだが、
テレビという時間がらみのフレームのなかへ
あれこれきれいにつめてゆく仕事の進行の手際に、
ただただうっとりと関心して耳を傾ける。
★
先月、電脳短歌イエローページの掲載数が500件を超えた。
開設から4年半を過ぎ、短歌系のポータルサイトとして、
いろいろ活用してもらえているようでうれしい。
ただ、このリンク集に掲載すべきサイトの総数は、
現在の時点で、少なくとも数千件には及んでいるだろう。
そうした事情を考えると、
仮にも「ポータルサイト」を自称するのは、
烏滸がましい、と考えるべきなのか。
こつこつ継続してゆくつもりだが、
めざすべき「かたち」がなかなか見えてこない。
[310] 猫の葬儀 2002年10月06日 (日)東直子さん『青卵』の批評会が東京で開催されていたが、
上京するための都合がうまくつかなかった。残念。
Eさんから昨日届いた歌稿をざっと読みはじめる。
Hさんの歌集のフィニッシュのイメージが浮かぶ。
のび放題になっていた髪をカットする。
はじめての店なのでどきどきしたが、
注文どおりにすっきりとととのえてもらえた。
これまでカットしてもらっていた美容師さんが、
いまちょっと体調を崩して休暇中なので、
家人の通っている店を紹介してもらったのだった。
★
生まれてはじめて、猫の葬儀に参列した。
先日亡くなった家人の実家の「合歓」の葬儀である。
今東光が初代の住職だったという
春日井市の慈妙院にお願いした。
ペット専用の葬式場で読経してもらい、
併置された火葬場で火葬、拾骨、
人間とほとんどかわらない。
遺骨は、四十九日までは持ち帰ることができる。
その後は納骨堂におさめてもらうことにした。
動物の葬儀には伝統が存在しない。
何をすべきなのか、すべきではないのか、
実のところはよくわからないのだが、
飼主である義母のきもちが、
できるだけやわらぐようにみんなで考えてみた。
合歓自身にも希望があったかも知れない。
そこはまあかんべんしてもらうしかない。
ぼくが死んだらどこかで逢えるのかな。
そのときにでも詫びを言うことにしよう。
[309] 個人的な起点 2002年10月05日 (土)このところ毎日のように暑いなとは思っていたが、
午後、外に出ると、つくつくぼうしが鳴いていたのだった。
あさがおは咲いているし。蝉は鳴いているし。
昨日の午後は、どこかで木犀が匂うな、秋だな、
とか思っていたのに、不思議な十月だ。
ふと気づくと、マンションの1階の家族が引越しをしている。
近所づきあいがほとんどないので、
ふと気づくと、すでにいなくなっている家族があったり、
ふと気づくと、すでに棲みはじめている家族があったりする。
実家に棲んでいた頃は、
となりの町内の引越しの情報が聞こえてきたりもしたが、
まあ、どっちもどっちかな。
中庸だといいんだけどね。
★
アットニフティの電子会議室「短歌フォーラム」が、
この10月で、開設5周年を迎えることになった。
5年前の、10月の、たしか下旬だったか、
はじめて書きこんだときの緊張をまだ覚えている。
白糸雅樹さんの会議室で、
正岡豊さんと秋月祐一さんの対話に
ほんの偶然からぼくの話題が出ていて、
ああいまをのがすと初コメントの機会がないなあ、
と、意を決して書きこみをしたのだったと思う。
それが、オンラインの、公開スペースでの、
ぼくのはじめての対話だったはずだ。
個人的な起点の一つである。
雪しかもひるがほの花咲く音を奏であなたのなかに降る雪/荻原裕幸
[308] 他者の判断 2002年10月04日 (金)朝、北溟社から「短歌WAVE」第2号が届く。
郵便事故があったみたいで、送りなおしてもらった。
玉城入野さんから丁寧なメールもいただいた。
特集の一つである「レトロ☆ラボ」をぱらぱらめくってみた。
近代歌人のパスティシュを
20代30代の歌人を中心に書かせる試み、
なんだかとても不思議な雰囲気がひろがっている。
ぼくは釈迢空を「ラボった」(北溟社用語かな?)のだが、
読みなおしてみて、あまり似ていないことに苦笑してしまった。
その話法を意識すればするほど、
意識が前面に迫りだして迢空的ではなくなるのだ。
コピープロテクトがかかった文体と言えるかも知れない。
岡井隆歌集『<テロリズム>以後の感想/草の雨』が届く。
砂子屋書房刊。『E/T』に続く、第二十三歌集になるのかな。
前にどこかで書いたかも知れないが、
『αの星』(1985年)から
『宮殿』(1991年)の時期にかけて、
ぼくは、岡井隆の、歌人としてのテンションが、
すこし低くなっているのではないかと感じていた。
それが、『神の仕事場』(1994年)以降、
ふたたびぐんぐんとのぼりつめてゆく感触に
歌集が出るそのたびごとに驚かされていたのだった。
まだところどころ拾い読みした程度だが、
今回もおなじ驚きの印象がある。
あはくあかるくつねにわたくしの沖があり泣きじやくる妻のやうな舟ゆく/岡井隆
★
ひたすらたくさん売れることをめざす本があり、
さほどたくさん売れなくても出すことに価値のある本がある。
不況のせいもあってか、
全体が前者にシフトされているのは感じるが、
双方に共通するのは、
出版する価値がある、という
出版社なり編集者なりの判断が介在することだろう。
歌集出版の特殊事情は、
初版の製作費を主に著者が負担するために、
後者における他者の判断が甘くなりがちなところにありそうだ。
著者の負担を軽減すれば当然この判断は辛くなるだろう。
歌集出版全体がどのあたりに着地すべきか、
一概に言うことはできないが、
負担が重く、判断が甘い、を選べるところから、
負担が軽く、判断が辛い、をめざせるところまで、
可能性だけはできるだけひろがっていてほしいとぼくは思う。
[307] 歌会の日 2002年10月03日 (木)昨夜から東桜歌会の詠草が届きはじめる。
ファックスで数通、電子メールで十通あまり、
それに、欠席の連絡が数通。
締切は正午。
午後二時くらいまでゆっくりと待って、
14名28首の詠草が揃う。
題の確認、文字化けのチェック、
そして、無記名のプリントにしあげてゆく。
どうやら日朝首脳会談がモチーフになった作品が多いようだ。
都合ですこし早めに出かける。
待ち時間に「歌壇」「短歌」など、総合誌を読む。
歌会は、いつもように、
できるだけ司会の指名にそって進めてゆく。
自由発言にすると、圧倒的なおもしろさがあるし、
短期的には確実にもりあがるのだが、
自由発言に強く依存する歌会は、
回を重ねるとなぜか「場」の力が消失してしまうからだ。
発言を次々に遮って先へ先へと進めてゆく。
★
深夜、家人の実家の猫が、危篤となる。
このところ数日に一回は点滴をするような症状で、
午後にも点滴をしたばかりだった。
獣医さんにむりやり起きてもらい、診察を受けるが、
どうにも手のほどこしようがないらしく、
結局、家につれて帰ることになった。
一晩中がんばっていたのだが、
朝になって息をひきとる。
本名は「合歓」という。
享年18歳。
[306] 御飯茶碗 2002年10月02日 (水)あさがおが今日も元気に咲いている。☆☆☆☆。
夕方近く、ウォーキングをかねて近所の陶器屋さんに立ち寄る。
若い作家さんたちの作品をあつかっているお店。
ただ、作品と言っても、きわめて実用的なものが多く、
しかも、ぼくに理解できる範囲の価格がついているのがうれしい。
家人と二人分、御飯茶碗を買う。
新調しようという話をしてからもうずいぶん時間が経っていた。
暑かったので半袖を着ていたのだが、
帰りにコメダで珈琲を飲んで外へ出ると、
すでに気温がさがっていて肌寒かった。
朝夕でかなり気温差があるらしい。
山羊が飼われている空地の前を通りぬけて、
赤松の林のある空地の前に出ると、
家人が急に立ちどまり、
木の根元あたりをじっと見ている。
ま、まさか、松茸探してるのか……。
もしそこにあったらとっくに誰かが見つけているよ。
★
深夜、日付が3日にかわって早々に、
加藤治郎さんの鳴尾日記が更新されていた。
このところ連日、歌集出版をめぐる問題を書き綴っている。
歌人の執筆・出版環境の改善、と加藤さんはよく言う。
どこかかすかに労組のようなひびきがある。
このひびき、わるくないな、と思う。
[305] 行動力 2002年10月01日 (火)朝寝て朝起きる。眠い。
からだをこわさないうちにこのサイクルを変えなければ。
台風21号の影響か、雨風がはげしい。
昨日発足した小泉改造内閣の顔ぶれを眺めながら、
民主党の執行部人事とくらべてみる。
政治は、つまりは、方向性の問題ではなく、
行動力の問題なのだろうな、と、しみじみ思う。
午後、手をつけている仕事に
即効性があるかどうかを問題にせず、ともかく進める。
夜、Sさんの歌集の校正があがる。これで3校になる。
著者と解題執筆者に電子メールで転送。
どうやらかたちがととのった。
Fさんからもらった原稿に眼を通してゆく。
こちらもかたちがととのいつつある。
★
他ジャンルの作家が現代川柳を読んだとき、
川柳がきわめて「詩」的であることに驚くようなのだが、
ほんとうに驚くべきなのは、
川柳が「詩」とまったく無縁の場所でも、
作品として颯爽と成り立っていることかも知れない。
[304] 九月晦日 2002年09月30日 (月)To Doのメモを茫然としながら眺める……。
NHK中部ブレーンズのIさんと連絡、
10月12日(土)のオンエアが予定されている
BS放送「列島縦断短歌スペシャル」での歌会の概要をまとめる。
加藤治郎さん田中槐さん穂村弘さん東直子さん江戸雪さんとともに出演。
愛知県蒲郡市の会場から歌会の様子が中継されることになる。
Hさんの歌稿、と言うか、歌集原稿をフィニッシュさせるため、
最終的なアイデアをメモ書きしてゆく。もう少しで熟す感じ。
Fさんの書誌を書くため、資料を読みなおしてメモをつくってゆく。
先日より、数人から、歌壇賞に応募する旨、教えてもらう。
書き手がどんどん増えているという印象をうける。
★
昨深夜、机とテレビの前を往ったり来たり、
F1アメリカGPの中継をとぎれとぎれに観る。
今シーズンはすでに、レースと言うよりも、
フェラーリのデモ走行の様相を呈しはじめているが、
ぼくは、M.シューマッハのマシンを眺めていれば充分に楽しいのだった。
1988年、89年、90年を中心とするセナとプロストの時代は、
互いが互いのモチベーションになり得た。
いまはシューマッハのモチベーションとなるドライバーがいない。
しかももはや目標となる諸記録もほとんど自身で書きかえてしまった。
にもかかわらず自身を維持している彼の精神が、
マシンを眺めているだけで充分に楽しくさせてくれるのだろう。
[303] 招き猫の日 2002年09月29日 (日)朝寝て朝起きる。ぼんやりとベランダを見ると、
あさがおがこんな具合に四輪ひらいていた。
☆
☆
☆
☆
一行目がものほし竿の高さで、
二文字目が植木鉢のあるあたり。
家人が瀬戸市の「招き猫祭」にでかけて行った。
仕事の都合で留守番になったが、
街をあげてのイベントだというので
気になって調べてみたところ、
来福=くるふく、の語呂合わせで
9月29日は「招き猫の日」なのだそうだ。
夕刻、もりわじんさんの猫と一緒に帰ってきた。
夜、Tさんから電話があった。ひさしぶりに声を聞く。
とても冷静な人だが、とても冷静に声が弾んでいた。
★
日本の近代は、和歌でも漢詩でもないものとして
「詩」という概念をたちあげている。
この「詩」は、現代詩、短歌、俳句の歴史に
かぎりなく深くかかわっているが、
現在(もちろん過去においても)、
いずれのジャンルもこの「詩」の概念と領域を一致させてはいない。
たとえば、短歌は「詩」でもあるけれど「詩」だけではない。
俳句にしても、その名に由来する現代詩にしても、
これはまったくおなじことである。
「詩」であることが尊ばれたり、
「詩」であることが忌避されたり、
ジャンル観の相違から、そのジャンル内で双方が同時に起きている。
これは、ジャンルを輪郭づけるのが、概念とか理論ではなく、
歴史性である、ということの一つの証左である。
では、川柳はどうなのだろう、
すこし考えてみなくちゃいけないな、
ということを、資料を読みながら考えていた。
[302] 短歌は生きている 2002年09月28日 (土)高柳蕗子さんの歌論集『短歌の生命反応』(北冬舎)、
ぱらぱらと読みはじめたが、とてもおもしろい。
彼女の作品読解はすでに何度も読んだり聞いたりしている。
が、実は、これまでの印象では、
飛躍する発想の根拠が稀薄すぎるのではないか、
と疑問に感じることもままあったのだ。
この歌論集では、飛躍部分の説明が充実していて、
いままで見えなかった思考の流れがよく見える。
以前、彼女が叔母さんとの共編著として出した
『子どもと楽しむ短歌・俳句・川柳』(あゆみ出版)も、
この機会にあわせて読みなおしてみようかな。
何か新しい発見ができそうな気がする。
NHK教育テレビの「NHK歌壇」、春日井建さんの出演時に、
『青年霊歌』の一首が紹介されると連絡をもらった。
10月13日(日)午前中の放送らしい。うれしい話だ。
すでに「NHK歌壇」10月号にはテキストが掲載されている。
「歌の読み方・本歌取りの現在」という項目。
★
どこか旅行に行きたいね、そうだね、
というのが、最近の荻原家で頻出する対話……。
最近の、と言うか、これはもう何か月も続いているかな。
どこか旅行に行きたいね。
旅もせずひととせ街にこもりゐて旅嚢のなかの寂しき玩具/荻原裕幸
[301] 川柳三昧 2002年09月27日 (金)昨日は終日、川柳関連の原稿にかかりっきり。
近く刊行予定の「WE ARE!」第5号のための文章で、
早朝になってどうにか脱稿できた。400字で17枚となる。
樋口由紀子句集『容顔』、
大西泰世句集『こいびとになってくださいますか』、
矢島玖美子句集『矢島家』の三冊を対象に、
自分なりのビジョンを提示してみた。
時間をかけて丁寧に読んだ句集ではあるが、
こうした先鋭的な句集を
こころもとない自身の川柳史のなかで考えてゆくのは、
かなりむずかしくてかつ苦しかった。
プロジェクトA宛にメールで入稿する。
★
昨日も今日もあさがおが咲いた。
すっかり元気になった、と言うのか、
ともかくふたたび咲きはじめてくれて楽しい。
原稿がどうにかクリアできたので、
山積の懸案事項にかかりはじめる。
リストを見ていると
胃がいたくなりそうな状況だが、
どうもそんなレベルで悩んでいる段階ではない……。
早坂類&入交佐妃『ヘヴンリー・ブルー』の感想が
いろいろと聞こえはじめている。
本日の計測、体重60.4kg、体脂肪率18.5%。
[300] 仲秋朝貌 2002年09月25日 (水)◆秋がだんだん深くなりつつあるのに、ベランダのあさがおがふた
たび咲きはじめた。けさは☆☆。吸いこまれてしまいそうな天上の
青があいかわらずうつくしい。もしかしてもしかすると、このあさ
がお、夏バテしていたのかな……。
◆信濃毎日新聞から校正のファックスが届く。担当のHさんとあれ
これやりとり。Hさん、急に異動が決まって、来月からは担当者が
かわることになった。この連載の仕事を一緒にするのは、今回が最
後になるのかな、といささか感傷的になりながら校正する。
◆川柳について、ひたすら文章をまとめている。まだうまく着地点
が見えていない。なんとか書きあがりますように……。
[299] 電話の功罪 2002年09月24日 (火)◆一本の電話をきっかけに、短歌の結社についてあれこれ考えてい
た。原稿に追われて、やがて考えがぼんやりとしてしまったが、以
前、結社をめぐって、石井辰彦さんに「自家撞着をものともしない
厚顔さ」と批判されたのを、奇妙なほど懐かしく思い出した。
◆朝日新聞「東海の文芸」脱稿。400字5枚。メールで入稿。外
出して用件を済ませて戻ると、組みあがった校正のゲラがファック
スで届く。今回から担当してもらうことになったSさんとあれこれ
やりとり。大辻隆弘歌集『デプス』、山崎るり子詩集『家は』等を
とりあげる。対象は東海エリアだが、そうでなくても時評でとりあ
げるだろうな、と思いながら校正を進める。
◆信濃毎日新聞のエッセイを脱稿。「短歌と写真」と題して、俵万
智さん浅井愼平さんの『とれたての短歌です。』の話を。『ヘヴン
リー・ブルー』に関わりながら考えていたコラボレーション考察の
一端。とは言っても、400字2枚という紙幅の都合もあって、さ
ほど何かを書いたわけではない。深夜(と言うか、早朝に近づいて
いるが)、編集者にメールで入稿。
[298] タクシー異聞 2002年09月23日 (祝)◆昨日の夜、家人の家族たちと外で食事をする。まず豚カツ屋さん
に行って、その後、コメダの本店で珈琲を飲む。ああ、名古屋人だ
なあと思う。ここのところ四六時中文芸から離れられない状態が続
いているので、家族と家族らしい話をしてほっとする。
◆深夜に乗るタクシーの運転手さんは、なぜか身の上を聞かせてく
れることが多い。金曜の夜もそうだった。しんみりと何か話したく
なる時間なのかな。ちなみにその人は、元人形師さん。さながら短
篇小説で、人にはいろいろあるなあ、と思う。
◆本を読んでメモをとってばかり。時評とエッセイと川柳をめぐる
原稿を進めている。時間がどれもぎりぎり。まだあと数日はかなり
きついことになりそうな気配である。
[297] 死者の名前 2002年09月22日 (日)午後、なんとなく書いた
断片的なメモをいくつか。
★
個人の死について考えるとき
わたしの胃はきりきりといたむ
大量殺戮について考えるとき
わたしの胃はきりきりといたむ
前のきりきりと
後のきりきりが
微妙に違っているので
わたしの胃はなおさらきりきりといたむ
2001年9月11日
アメリカで殺された人の名を
あなたは何人知っていますか?
わたしはひとりも知らない
知らないまま悲しんでいる
知らないから悲しんでいる
十字を切るべきか
合掌するべきか
わからないほどおろおろとして
[296] 妄想とか選歌とか読解力とか 2002年09月21日 (土)◆一昨夜、某氏と来年の企画について話す。午後、さらに別の某氏
から同じ企画の構想をあれこれと聞く。端的に言って、構想と呼ぶ
よりは妄想と呼んだほうがずっと似あいそうな内容なのだが、話を
聞くうちにこちらもその妄想に取り憑かれはじめたようで、いつの
まにか、実現のためのだんどりを考えはじめたりしている。
◆メモをしたり歌を選んだりしながら、Fさんのすべての既刊歌集
の再読を終える。初読から再読までの時間が長いと、印象も選ぶ歌
もかなり大きく変化することを実感した。これは、たぶん、短歌観
の推移ではなく、読解力の問題ではないかと思う。読解力が低いと
どうしてもストライクゾーンが狭くなる。ど真ん中のストレートに
しか反応できなかったりするわけだ。内外角のきわどい球を見きわ
めることができれば、選ぶ歌も変化するだろうし、短歌を読むこと
がさらに楽しくなってゆくのかも知れない。
◆ちなみに、読解力の問題、これは、自作についても同じようなこ
とが言えると思う。枡野浩一さんのように、ストライクゾーンを特
定の位置に狭く絞りこむことを狙いとするならば、いささか事情の
違う話なのだが、表現を豊かに広く展開しようと考えていても、そ
の人のストライクゾーンが狭ければ、おのずとシンプルな表現にな
らざるを得ない。このシンプルさは、いわゆる表現の才にかかわる
のではなく、読解力にかかわる問題だと思う。
[295] 音楽とか名月とか情報とか 2002年09月20日 (金)◆企画の資料として、時評の資料として、歌集を主に、ひたすら本
のページをめくる時間が続いていた。付箋がそれなりの勢いで消費
されてゆく。世には、優れた書き手も、優れた文章・作品も、山の
ように存在している。存在しているが、山になってしまうと、すべ
てがまとまってノイズのようになってしまう。ノイズのなかからき
ちんと音楽をひろいだすため、耳をすます。
◆日没時、見晴らしのいい喫茶店にいたら、遠景のビルの肩口のあ
たりにぼんやりと月が見えていた。日没につれてしだいに黄味を帯
びてゆくのがとてもきれいだった。あすが仲秋の名月ということだ
から、十四夜になるのか。一足早いお月見だった。
◆夜、清水良典さんとともに、某社の編集者さんたちと会食。北朝
鮮事情についていろいろ教えてもらう。それにしても世界は自分の
知らないことばかりで構成されているらしい。「情報統制」とは言
わないまでも、日本にいたところで、見えないこと聞こえないこと
だらけだ。見えないこと聞こえないことを、それでもなお考えるの
には、どうしたらいいのかな……。
[294] 瞋りとか同時代とか座談会とか 2002年09月19日 (木)◆馬場あき子『飛花抄』(一九七二年)を読むと、古典世界への極
端な傾倒があらわれ、鬼とか世阿弥とか、同時代から乖離したよう
にも思われるが、巻頭に据えられた以下の一首、遙かなる場所に眼
を向けながら、同時に眼前の「獅子」たちを見ているのだろう。そ
の数年、巷には「しずめかねし瞋り」があふれていたはずだ。
しずめかねし瞋(いか)りを祀る斎庭(ゆにわ)あらばゆきて撫でんか獅子のたてがみ/馬場あき子
◆午後、読書会。橋川文三『日本浪漫派批判序説』の二回目。小林
秀雄「様々なる意匠」「私小説論」の二篇をサブテクストとして進
めた。橋川が執筆した一九六〇年以前の視点で、つまり同時代の視
点で、太宰治、三島由紀夫、大江健三郎、石原慎太郎らの作品が解
析されるのがとても興味深かった。過去における同時代の視点のは
ずなのに、いまなお新鮮であるのは不思議な気がするほどだ。見え
ない現在に深く喰いついたものは、逆に古びないのかな。考えてみ
れば、歴史的な視点を立てたものがたちまち古びる例は多い。
◆企画本のために、オンラインでの座談会をはじめている。座談会
では、一般に、発言・テープ起こし・編集・構成・朱入れ、等の過
程を経るが、それらをすべて凝縮したかたちで、いきなり「完成し
たディスカッション」を進めてゆくわけだ。緊張するが、かなり深
いところまでことばが届いてくれるのが楽しい。以前に、歌誌「未
来」の企画で、加藤治郎さんとメール対談をしたが、その経験に支
えられている面が多い。
[293] 感情移入とか組みあわせとか世論とか 2002年09月18日 (水)◆早坂類さん入交佐妃さんの共著『ヘヴンリー・ブルー』が、昨日
付で【歌葉】からリリースされた。編集の仕事は、作品への愛情が
ないとだめだが、著者サイドへの感情移入が起きるのもだめで、中
間的な場所で、いつも冷めたことばかり考えている。ただ、この本
の場合、共著だったせいもあってか、自分のつくった後者のルール
をはみだしたくなったことが何回かあった。それだけ人をまきこむ
ちからの大きな本なのだろう。
http://www.bookpark.ne.jp/cm/utnh/select.asp
◆早坂類の作品の深いところにあって表面化しない何かによく似た
ものが入交佐妃の写真にはある。逆に、入交佐妃の作品の深いとこ
ろにあって表面化しない何かによく似たものが早坂類の短歌にはあ
る。コラボレーションというのは、まずはそんな作家同士が出会え
るかどうか、なのかも知れない。見たところまるで違っている二人
の作家の特質が、実はやんわりとつながっているのだった。二人の
才能や努力の他に、この「組みあわせ」の問題も、良い本となった
ことへの強い要因になっているはずだ。
◆急に寒くなった。食卓におでんがのった。からだがおのずとあた
たかいものを求めているらしい。からだはわりあいかんたんにあた
たまってくれるのだが、どうもこころってやつは冷えるとなかなか
元に戻ってくれない。気分が昨日の報道をずるずるひきずって、北
朝鮮には「世論」がないのだろうなあ、ということを考えていた。
[292] 優先とか選択とか死因とか 2002年09月17日 (火)◆寄稿していた「ミューズ」の秋季号が届いた。竹内千世子さんの
歌集『一色足りない虹』の書評。未見のうちにひきうけてしまった
仕事で、批判的にしか読めなかったらもうしわけないなと思ってい
たところ、楽しんで読める歌集だったのでほっとしていた。批判も
もちろん大切な批評のファクターだが、ほとんどの歌集書評が、狭
いスペースしか確保できない。良質な何かを発見し、その紹介を優
先してゆきたいものである。
◆各メディアで日朝首脳会談の報道。誤解を怖れずに言えば、そも
そも北朝鮮側が「人質」を抱えたままの首脳会談であり、安否の情
報を信じるにせよ疑うにせよ、日本側は「拉致犯」に対して、これ
以上に「人質」の生命の安全を損なわない確率がもっとも高い対応
をする以外にどうしようもなかっただろうし、会談後もその状態は
継続していると思う。国交正常化への交渉再開に、非難の声が多い
ようだが、事件が解決しないうちに「拉致犯」を刺激するような対
応(署名の拒否とか)をするという選択は、むずかしいんじゃない
のだろうか。うんざりはするけど……。
◆だが、それにしても……。拉致被害者の死んだ原因は「病死・災
害死」であると北朝鮮側から説明があったらしい。嘘にしか聞こえ
ないなあ。真実は知りようもないが、やはり「殺された」んじゃな
いかと感じてしまう。
[291] アドバイスとかキムチとかあさがおとか 2002年09月16日 (月)◆土曜。ほとんど徹夜の状態で、午前、遅れていた仕事を一つまと
める。仮眠。午後、友人の歌稿を読みきって、アドバイスをまとめ
る。しっかりとした原稿で、あえてぼくから言うようなことはほと
んどないような気もしたのだが、プラスアルファになりそうなアイ
デアをいくつか探してみた。それから、企画本のため、Fさんの歌
集をすべて順に読む作業を進める。夜、実家へ。帰宅後ふたたび諸
作業をつづける。早朝、31フォーラムの書きこみにコメントを付
ける。結局、昼夜逆転した状態のまま、日曜、月曜をすごすことに
なった。資料を読む、メールを読む・書く、むちゃをした分だけは
仕事が進んでゆく。火曜はすこしだけのんびりしたいな。
◆土曜の夜、韓国に出かけていた義姉が帰国した。往きのフライト
が11日だったせいか、どこかはらはらしてしまった。おみやげを
もらう。食卓に松茸やキムチがならぶ週末となった。誰とも会えな
いね、と言いながら、家人とキムチをたくさん食べる。ふだん口に
するものよりさっぱりした味だった。これが本場の味なのかな。し
かし、誰とも会えないね、と言いながら、仕事の流れやら何やらが
あって、深夜の郵便局の窓口のお兄さんやコンビニのレジのお兄さ
んには会ってしまった……。もうしわけない気分になる。
◆月曜の朝、もう完全に花期が終ったと思っていたベランダのあさ
がおが、一輪だけひらいていてびっくりした。すっかり観葉植物化
していて、そろそろ鉢をしまおうかという状態だったのに、なぜか
急に一輪ひらいたのだった。ちょうど贈り主たちの本が完成したと
ころで、まるで、それにあわせて咲いたみたいだった。偶然にして
もあまりにもきもちのいい偶然で、楽しい気分にひたる。早坂類と
入交佐妃のコラボレーション作品集『ヘヴンリー・ブルー』は、ま
もなく【歌葉】からリリースされる。
[290] 減煙とか刊行ラッシュとか5万とか 2002年09月13日 (金)◆喫煙量を減らすという話。ほとんど進歩はないのだが、意識して
から、吸い過ぎてしまう日が一日もなくなった。睡眠不足とか仕事
に追われてとか、そうした状況でも、たばこが増えなくなった。と
りあえずはじめの関門はクリアした……、ことにしよう。
◆遅れていた原稿を一本脱稿。スライドした時間の調整も少し先が
見えて来たが、状況を整理してみると、まだまだ、ちっとも、ぜん
ぜん、さっぱり、いろいろとりのこしてしまっているのだった。こ
のところ、句集・歌集・詩集が届く数がふえている気がする。とり
わけ先月は、歌集刊行のラッシュだったようだ。時間をつくって順
に読んでゆきたいと思っている。
◆昨夜、この日記のアクセスカウンタが5万を超えた。ユーザに感
謝。落ち着いたら、詩歌のシンプルな作品評など、またまとめてゆ
けるといいな、と思っている。
[289] メールとか蝉とか新誌面とか 2002年09月12日 (木)◆今日はなぜか、事務系の電子メールが極端に少なく、親しくして
もらっている人たちからたくさんのメールが届いた。あれこれ追わ
れっぱなしで疲労気味だったせいもあってか、とてもほのぼのとし
た気分になる。ただ、返信がどうにも追いつかない、と言うか、こ
のところ、メールの返信が追いついたためしがない……。深謝。
◆夕方、ウォーキングをかねた買い物の途中、つくつくぼうしの声
を聞いた。まだ鳴いていたのか。急に涼しくなって、あわてて地中
から出てきたのかも知れないな。買い物が終ってないのに、閉店を
知らせる螢の光が流れはじめたときの、あんな気分かも。
◆「短歌朝日」32号が出ている。今号から新誌面だという。とり
わけ作品のレイアウトが大きく変化したみたいだ。これまでの、一
首を改行するスタイルも消え、どこか良質の同人誌めいたこだわり
が見える。特集は与謝野晶子で、これは定番だが、編集部選の名歌
三十五首に独特な感触があって、妙に印象に残った。