メニュー[メニュー]

Generation of conscience
良心の起源



 今まで私が多くの人たちと接する中で、自分の都合がいいように多くの人たちを誘導する人がおり、それがたまたま良い方向に誘導されれば良いが、 意図したものではないかもしれないが、結果として会社や国などの組織のモラルを破壊して、人の意欲を衰退させたりする多くの人がいたし、今でも多くいる。 かつてそのような人たちが周りに多くおり、どうしてどのような人がいるのか、そういった人たちに影響を受けないためにはどうすればよいかといったことをずっと考えてきた。

人はモラルに従って行動するが、それは例えば、良いと思う人の考え方や行動をまねる、ルールを作ってそれを守る、といったことをベースにしていることが多い。 ところが、良いと思う人が正しい考え方を持っているとは限らない。ルールというのは、いくつかの立場や事象の課題の対策として作られているので、十分汎用性が確保されておらず、 必ず前提条件があり、ケースバイケースで背反するケースも多い。更にはルールさえ守っていれば何をやっても構わないと考える人も多い。 例えば、会社のルールとして横断歩道を渡る前に安全を確認するために指差呼称をせよと言われると、指を左右に振るだけで 左右を確認さえしない人を良く見かける。これはルールを守っているふりをすることで免罪符を与えられたと勘違いすることで、かえって危険を増やしている。 自分が確立していないうちは人に従うことや、ルールを守ることは自分が成長するために重要であるが、ある程度自分の判断に自信が出てきた段階で、 その自信が妥当なものかを自ら顧みる必要がある。

自らを顧みる方法として、人をまねることや、ルールに従うことで作り上げてきた自分の価値観をチェックすることが分かりやすい。 チェックするために私が考える、持続可能な価値観は以下の3項目に集約される。


<モラルの条件は持続可能な価値観>

 それ自体価値があるものと、何か他のもののために価値があるものを区別する

 より基本的な価値のパラメータにおいてバランスが良いこと

 以上に基づく強い心をお互い信頼できること


 それ自体価値があるものを考えると、本当に価値のあるものに気づくことは難しい場合があるが、自分が重要だと思っていることを、それは何かを実現するための道具なのか、それともそれ自体に 価値があるものなのかを考えてみることは役に立つ。このふたつを区別すると、本当に価値があるものはそんなに多く存在するものではない、周りにいる友人や家族といった存在の価値を見直す ことになるかもしれない。また、自分の周りにいる人たちを道具として自分が単に利用しているだけなのか、本当に自分にとってそれ自体価値のある存在なのかを反省する 機会にもなる。また、道具とそうでないものを区別することで、道具とは、本来どうあるべきかといったことを明確化することになり、道具としての価値を高めることが可能となる。

 次に二つ目の項目である価値観のバランスを説明するために、まず代表的な価値のパラメータとは何かを説明する


<バランスが必要な代表的な価値のパラメータとは>

 自分の立場の違いに基づく価値観のバランス

 時系列記憶に基づく価値観のバランス

 他にも多くの価値観があり、そういったものを創り出すことや、それぞれでバランスを考えること

 自分の立場とは、個人としての立場、家族としての立場、学生としての立場、といったことを指す。 人は自分自身と(例えば、男として女として)それを豊かにするものに価値を感じることが正常であると考える。ところが、それだけでは多くの生き物と同じで、自分の属する家族、学校や会社の組織、国、世界、生物、宇宙 といった自分の立場に応じた価値観をバランスよく育成することで初めてモラルが育成されると考える。価値観の育成とはそれぞれの立場で行う営み、経験に対する良いイメージの蓄積、努力の結果としてのモチベーション である。自分の行いに意味を感じる事、家族や組織の行いがその上位に対する貢献、国に対する誇り、世界の国々に対する畏敬、全ての生物に対する尊重、宇宙に対する好奇心、 といった意識がバランス良く育成されることが我々自身や組織の持続可能性を高めることにつながる。その途中が無くても存続できる人はいるかもしれないが、 それは何か他のものがそれを補っている場合であって、そうでない場合は、それぞれで立場の価値観が連続してバランスをもって、内から外に向かって積み重ねていくことが正常進化だと考える。 そしてそのバランスがモラルを形成する価値観だと考える。

 時系列記憶に基づく価値観とは、自分が過去に行ってきた行動、家族の歴史、組織の歴史、国の歴史、世界の歴史、人の進化、生物の進化、宇宙の進化といった過去から現在に至る継続性と未来に対する希望に意味を感じる心だ。 継続性にどんな価値があるかといえば生物の進化を考えれば明白である。それは我々にとって目に見える範囲でのあらゆる意味や意識を創り出してきた原因である、継続性が無ければ我々は存在さえしない。 継続性とは、あらゆる立場において過去に様々な課題を克服してきた履歴であり、それを正しく理解して尊重しないということは、やみくもに行動するということで、未来に対して危険な行為である。 生物の進化の外に我々にはまだ見えていない範囲で宇宙の進化というものが広がっており、生物以前の意味を与える継続性があると思われる。 その進化の内側に人の進化、世界の歴史、国の歴史、組織の歴史、家族の歴史、個人の業績、といった長く生きてきた意味(課題の克服などの営み)が階層的に存在している。 個人の直近の行いに肯定的な意味を感じることがモチベーションにつながることはわかりやすいが、それ以前の過去にも、環境のなかでよりよく生きるための自分自身の課題を反省して改善してきた努力 の積み重ねが自分の中で継続性の価値を向上させている。家族や組織や国にも目指す理想があり、その継続性を理解して、そこに属する自分自身の価値観とすることはその存続のためには必要不可欠なものである。 その価値観が受け入れられないのであれば、準備期間が必要であるが、その家や組織や国にとどまるべきでない。そうでなければ、個人という狭い範囲か、人としての抽象的な立場の価値観だけで自分を存続させなければならなくなる。そうでなければ、破壊者になってしまい、迷惑な存在になり下がる。 また、多くの場合、その理想や歴史を正しく理解することができていないのが現実であると思う。その歴史を知るためには、自分の周りにある情報だけでは不十分な場合が多い。 自分の属する組織や国を守るために犠牲になってきた人たちの努力や歴史を正しく知ることは、自分自身の生きる意欲や、自分とその属するものがもっと豊かになりたいというモチベーションにも大きく影響する。

 以上は比較的に基本的なパラメータのバランスで、もしかしたらもっと基本的なものがあるかもしれない。 もっと基本的なものとは、まだ自分には認識できないが、人間はこの肉体に限定されない次元の高い存在であるという可能性があり、その場合更に多くの価値観が存在することになる。 それに対して従属的なパラメータとして、個人を重視すべきか組織を重視すべきか、革新的にするべきか保守的にするべきか、利便性を高めるか手間をかけるか、 といった個別の課題に対するバランスが可能になる。 従属的なパラメータは時代や場所によって大きく変化するので、人はそれぞれの時代や場所によって様々な基本的な価値観を積み重ねる機会がある。 基本的な価値観にバランス良く価値を感じることができなければ、結果として安易に組織や国を破壊する人になっていくのだと思う。 また、基本的な価値観さえしっかり意識できれば、周りがどんなに偏狭な意識に支配されていても、正しい情報を集めることができる。 以上の二つの項目に加えて、三つ目の人を信じる心がないと自分を守るばかりになって、世界はシュリンクしていく。 バランスを必要としない価値観(自己中心的な価値観)に世界は支配されてしまう。 バランスを重視する価値観を広げていき、周りの人たちを信頼できる状態することで初めてモラルが成立すると考える。 更に、人を信じるということは、自分が他人からも信じられるという状態が前提にあり、言葉や意識においてうそがないということが前提である。





bunpu@a1.rim.or.jp