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南西諸島航海
念願の沖縄クルージングを計画しました。しかし、嵐のために
奄美大島まででそこからトカラ列島を廻り屋久島を巡ってくる
ことになりました。
航海の模様は可能な限りアップデートしたいと思います。
4/26(土) | 日産マリーナ出港 | |
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5/2(金) | 奄美大島名瀬入港 | | |
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5/12(月) | 宝島入港 | |
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5/13(火) | 中ノ島入港 | | |
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5/15(木) | 屋久島宮之浦入港 | | |
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5/19(月) | 屋久島出港 | | |
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5/22(木) | 日産マリーナ帰港 | |
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航海日誌
4月26日21時日産マリーナ
出港風景です
4月27日4時半潮岬沖
日産マリーナを昨日の夜10時に出港してもうすぐ一日。伊良子では低気圧の
風が残っており、10m超える風は吹いていたが、大王崎を越えてからはじょじょ
に収まってきて、現在は風速2m程度、ずっと機帆走です。天気も晴天で、先週の
練習の時の寒冷前線の中とは天国と地獄の差です。
この調子だと150マイルを24時間で走ることになり、予定より順調です。
この後、携帯での連絡は取れなくなります。衛星携帯でデータ通信はまだセッティング
してないので、できるかどうかわかりません。多分、次の航海日誌は奄美大島の名瀬
あたりになります。
4月28日太平洋上(以下名瀬までは思い出しながら書いてます)
27,28日はづっと20ノット近い東の風にのって順調に斜めに南下。
北緯30度近辺まで一気に行けました、天候も良く、こんなに順調に
行けるのか半信半疑。出港前の週間天気予報によると30日低気圧が南
に降りてくるとの情報があったので衛星携帯を使っていろんな所から
30日の天候情報を収集。みんな大丈夫だとの答えしか返ってこない。
そんな中でハリケーン石川さんの娘
(石川さんは酔って寝てしまったので、頼み込んでパソコンを操作してもらった)
が教えてくれた情報が一番適切だった。
それによると29日夕方から天気が崩れ30日朝以降まで長い時間
30ノットの強風。
また、オートパイロットを試してみたら動きません。ばらして見たら
モーターが濡れてます。拭いて乾かして見たら、チョッと動きましたが
結局動かなくなりまし。2週間前、オートパイロットは塩が溜まって
動きにくくなるので掃除するとよいと言われたのでバラシテみたのですが
その後組み立てた時シールが悪く、翌週の練習航海の時に水が入って
だめになったようです。おかげでずっと誰か舵を握っていなければならず
苦労を予感させられる出来事でした。
4月29、30日嵐との格闘
昨日の情報に基づき、早いうちからフルセールを下ろし、ナンバー3ジブ
セールで低気圧に備える。
29日の夕方から低気圧の黒雲とともに南の風30ノット前後の風が
一晩中吹き荒れた。夜は星も見えない暗闇で頼りは数秒遅れて表示して
くれるデジタルコンパスとナビの目標方位情報だけ。時々雲の合間から
星が見えて前線が通過したか、と期待するが、すぐ裏切られる。
南からの風でどんどん北上して目標が遠くなる。ナンバー3ジブは
リーチが裂けてきて破れそう。これは、一番近い種子島か屋久島に避難する
しかないと判断し、種子島の方向にひたすら走り出す。
そんな時、更に強い風がきてジブが破れて外れた。
すぐに下ろしてストームジブに交換。それからは波に揺られて風下に流されるばかり。
風上に上れないので種子島に向かうのも無理になってしまった。
翌朝、九州油津に向かうことにして北上を始めた。追っ手は6ノット以上出るが
油津までは一日以上かかる。
そのうち、黒雲が来て土砂降りの雨。風は相変わらず30ノット前後だが、北西に変わる。
おかげで油津へも行けなくなった。ハリケーンの石川さんに電話して今後の
風向、風速の変化とどこの港なら避難できるかを相談した。そしたら、
これはチャンスだ、この風を利用して南下して目標に行きなさいと言われてしまった。
風は北西から右回りに東まで廻る、夜の9時頃から収まってくるとの情報でした。
その収まるとの言葉を信じて奄美まで200マイル走ることにしました。
嵐の間、苦労したのは燃料補給でした。エンジンが切れると完全にノーコントロール
になり遭難状態です。約一日走り続けると燃料が無くなりかけるので補給をしなければ
なりませんが、給油口はデッキの上にあり、いつもスプレーに洗われています。
燃料に海水が入れば命綱のエンジンがダメージを受けると思われるのでデッキを
濡らさない様に補給するのが至難の業でした。風下にベアしながら波の合間を
縫って走ればデッキを濡らさないで給油することができました。
風は20ノット程度でしたが、追ってなので奄美までは楽なクルージングでした。
結局風はおさまっても、時々強くなるのでづっとストームジブで走り続け
奄美まではまるまる二日かかりました。
途中、イルカの集団が遊んでくれたりしましたが、寒くて、眠くて、空腹の
二日間でした。
5月2日7時奄美大島着
2日未明に奄美の灯台の灯が見えました。海図を確認すると奄美20マイル
北東の航路近くに岩があり、確実に避けるために航路を変更しました。
辛い航海を乗り越えやっと名瀬に到着です。6日ぶりに陸地に上がれました。
一番奥の都心に港があり、ホテルや買い物には便利です。港に付けて漁協に
相談したら、愛想良く停泊を許可してもらえました。
また、検査機構の人が現れ、船検と臨時航行許可書をチェックに来ました。
必ずチェックされると聞いていたので書類はしっかりそろえてました。
残念だったのは持って行った自転車(プジョーパシフィック)がパンクで
修理しなければならないこと。ゴチャゴチャになった船の整と濡れたもの
乾かし、今港のすぐ横のホテルで休憩して、明日以降どうするか考えてます。
更に沖縄まで行くか、奄美でゆっくりして早々とトカラ列島を巡るか。
5月3日奄美にて遊ぶ
晴天で天気もよく、久しぶりに楽しいクルージングと奄美のリーフを
見にいきました。奄美には天然のでかいかめやたちうおが泳いでました。
5月11日奄美の倉崎までクルージング
後発隊が到着したので、名瀬を出港して倉崎(奄美クレーター)まで
クルージング。ここの港に入ろうとしたところ水深が浅くて断念。
ペンション沖にアンカーリングして、ボートで上陸。ペンション
マリンビレッジに宿泊することとなった。
5月12日宝島到着
朝、名瀬の倉崎を出港しようとしたらアンカーが上がらない。
海底を見ると岩にアンカーラインが巻きついている。しかも
ラインは一つの岩にZ状に巻きついた上にアンカーは隣の岩に
引っかかっている。10mの海底は良く見えるために船を廻して
Z状に引っかかっている二箇所まで解いたがあと一箇所とれない。
仕方なくペンションの人に頼んで、ダイバーとなってきてもらい
はずしてもらった。ありがたかったです。
7時半出向して宝島到着は4時過ぎでした。途中から20ノット
程度のアビームが吹いてきて順調な航海でした。ところが宝島は断水で
温泉も使えない状態でした。温泉を期待していた人たちにはショック
でした。
5月13日中ノ島到着
宝島を朝7時に出港、東の風15ノット前後が安定しており
8時間程度で中ノ島に到着。途中小宝島、悪石島、平島、
諏訪瀬島など変化にとんだ島が多く快適な航海でした。
中ノ島は無料の温泉が二つあり、島の人たちは親切で温泉の
設備の使い方などいろいろ教えてくれるので何の不自由も
ありません。
持ってきた自転車で島を探検しました。トカラ馬や牛の
牧場がたくさんありますが、他には何もありません。
黒潮の民が生活していたという縄文式住居の痕跡があり
石器が多く出土するそうです。遺跡には目印の看板が
立ててあります。
5月15日屋久島到着
中ノ島から屋久島まで約50マイル。しかし、北風で
クローズホールドであることと、目標の宮之浦港が屋久島
の反対側にあり、大きく回りこまなくてはならないために
14時間程度かかり、入港は20時過ぎてしまいました。
やはり屋久島はでかい。山はほとんど雲に隠れて見えません
でした。
5月17,18日屋久島探検
17日は白谷雲水峡ツアーに参加しました。まさにもののけ姫の
舞台になった景色でした。写真の様な屋久杉がたくさんあります。
夜は八重岳とたんぽぽという民宿に宿泊しました。どちらももりだくさん
のおいしい食事でとってもくつろげました。たんぽぽはきれいなおかあさんと
可愛らしい娘さんが家庭的な料理でもてなしてくれます。
18日はレンタカーで屋久杉ランドや紀元杉、千尋の滝、大川の滝
を見て屋久島を一周しました。
19日に宮之浦港を出港して帰路に着く予定です。天候が良ければ
日産マリーナまで四日程度です。
屋久島から大王崎
屋久島を出港して丸3日、大王崎に近づいて電波が届くのでアップデート
します。この三日間にずいぶんたくさんの出来事がありました。
二日目、屋久島から北東に航行中四国の遥か沖で南の方から漁船が近づいてきました。
すぐ近くまで寄ってきて何か叫んでいるのですが、声がかれててわかりません。
どうやら燃料が足りなくて戻れないと叫んでいるようでした。こちらの船に
どこかの電話番号のメモを投げ込んでさっさと北に向かって行ってしまいました。
とりあえずミートした経度緯度と徳島の大鵬という名前を控えて、
さっそく衛星携帯でメモの番号に電話しました。しかし何度かけてもかかりません。
しかた無く徳島の海上保安庁に電話して状況を連絡しました。
保安庁は電話先からの依頼で救助に向かい、巡視船から衛星携帯に
何度も電話があり、船の特徴などいろいろ聞かれました。
その日の夜巡視船から電話があり、船が見つかった件連絡がありました。
沖合い40マイルで航行不能の状態だったようで曳航すると言ってました。
めでたしめでたしです。
翌日、北東の風が朝からじょじょに風速があがってきて、そのうち30ノットを超える
風になってきました。ジブを下ろしてメインをリーフしたのですが、かなり
きつい風です。そのうち波も激しくなってきて、さばききれない波は
体が吹き飛ばされる様なスプレイです。
嵐の中でハリケーンに電話して、風情報をもらうと、午後にはおさまる、
との話。大阪湾から潮岬までの半島がスロットルになって吹いている
だけなので潮岬に近づいてもおさまるとのこと。それを信じてひたすら
東に航行。途中何度か大型船にあったのですが、彼らから見るときっと
嵐で遭難しているように見えるかも知れんなあと思いながら耐えました。
ハリケーンの言うとおり、昼過ぎから風が落ちてきて夕方には嘘のような
穏やかな風になりました。
そこで燃料補給してセールを上げているところに、エンジンが止まって
しまいました。ニュートラルにして再始動するのですが、ギアを入れると
また止まってしまいます。またまたハリケーンに電話して相談すると、
可能性としては、スクリューに異物が巻き込んでいるか、ギアオイルが
悪くなってかみ合いが悪いか。言われたとおりにバックに入れてみると
ロープの切れ端が後ろに流れてきました。良く見るとスクリューに何か
巻き込んでいる模様。仕方なく、もぐって見てみると、ロープやら浮き
やらに絡まって黒い網がスクリューに絡まっていました。ヘトヘトに
なりながら7〜8回もぐって網を切り取っていくと、最後に全体が
スクリューから離れました。それからギヤを入れるとスクリューが
回りだしました。やったー!
それからは夜中異物のワッチをして航行しました。すると、潮岬から
大王崎の間はでかい異物がいっぱい浮いています。異物の間を
縫って航行しました。恐ろしい。
この後何も無ければ22日の夜中には日産マリーナに帰れそうです。
22日夜帰港
大王崎を見たのが、4日ぶりの陸地です。それまで北東の風でクローズ
ホールドだったのが、南に廻り追っ手に変わりました。そこからにわかに
大型船が多くなり、伊良子岬の手前では大型船を避けながらの航行です。
潮の変わり目では伊良子水道を一度に10艇くらいの船が北上していきました。
三河湾に入ると、すなめりが出迎えてくれました。日産マリーナに帰港
したのが夜9時で、水も出なかったために適当に後片付けをして帰宅しました。
この後、破れたセールや傷ついた船体の修理などやることが山積みです。