とうとう蝦夷地へ帰省する!
                                                                                                                   投稿 寺島
<最後に笑うのはウサギかカメか?〜石川県>
いつものように5時起床と共にすぐ出航準備にかかり、早い時間に次の寄港地に入港するという極めて健全、
快適なクルージングが始まった。その日も、能登半島の最北端に近い高屋港に舫い終わったのは、お昼を少しすぎた頃だった。
早い時間に到着して、知らない町を散策するのがボヘミアン流クルージングの楽しみの一つである。
クルージング中はほとんど体力を消費する事も無いので、現地に着くと運動不足解消と健全な食欲増進のため極力歩くようになった。
聞くところによると、近くに食堂はなく、少し歩いて行くところに有るということなので、ちょうどいい。
30分も歩いたころ、そろそろあってもいいんでは?と出合った土地の人にまだ先かと聞くと、う〜んまだ少し向こうだけど・・・・
と何とも微妙な返事。田舎の人の言う「ちょっと」が、都会に住む者の「かなり」に等しいという事に納得しながら歩いていると、まず、
タバコを吸わずにいられないナベさんが遅れをとり始めた。吸わない他3人は、内心優越感を感じながら遠くに見える日本海の
絶景を楽しんでいた。やがて、道は険しくなり、急なカーブのある峠道となってきた頃には、三人とも本当にこの先にあるのか?と
疑いの気持ちを持ち始めていた。もういい加減にあってもいいんでないの?と思い始めた頃、後ろからスーハー、スーハーという
危険な息遣いを感じて振り返ると、そこにはナベさんが猛然とスパートをかけてくるではではないか!普段は「疲れること嫌い!」
「努力・根性なんてナンセンス!」なんて言っておきながら、「俺、昔はカラテやってて、呼吸法は知っているんだぜ!」
という言葉を残したかと思うと、「えっ??」と唖然とする3人を遠く引き離して走り去っていったのであった。
まもなく現れた峠の茶屋のような食堂に入ると、そこには満面の笑みをたたえたナベさんがアサヒスーパードライのカンを
美味しそうに飲む姿があった。そして一言、「最後の一本だよ!」。。。まさにそれはウソでなく、一同愕然としたのでした。
まさに、ハイテイツモ!国士無双!!!ってな感じで、恐るべし野獣のような嗅覚と勝負師魂の片鱗を見せつけられた気がしました。

その後訪れた青森では、ハックベリー氏の愛弟子?の実商丸氏が迎えてくれたのですが、ご自分のヨットに万国旗を上げ、
「大歓迎ボヘミアン」の看板を掲げ誘導して頂けたのには感激しました。ご夫婦とも飾らないお人柄で、親戚のおじさんおばさん
を訪ねたような気安ささえ感じました。土地の美味しいものを食べながら、土地の美味しいお酒を頂くうちに自然と昇天していき、
帰りはナベさんに担がれての帰還となったそうです。二軒目に行った店では、青森美人の膝枕で眠っていたということ
を思い出せないことだけが悔やまれます。それでもその日、出航から5時間で小泊に入港したのはもうじきお昼近くになろうと
しているころでした。ここまでくれば松前までは目と鼻の先です。♪ごらん〜あれが竜飛岬♪鼻歌まじりで「よし、
ゆっくりと昼飯食って昼寝っと・・・」と思いきやボケ船頭の「よ〜し!出航しよう!!」に、えっっっ???さすが
『早漏のなべちゃん』といわれる由縁であります。聞くと、松前入港の許可が出たので一日早く行くのだとか!
「え〜っっっ!ゆっくり昼寝ができると思ったのに。。。」と内心思いました、口から出た言葉は『ハ、ハイッッ!!』。
クルーの辞書に『え〜?』とか『何故?』という言葉はありません!ましてや『否定形』は絶対に有り得ません!)
しかし出航してみると、遠くうっすらと見える「ホッキャードー」(名古屋弁で)に胸が躍ります。
何といっても、日本海を北上してきて遠くに拝み見えるあの蝦夷地よ。気分は平成の高田屋嘉兵衛。
しかも、北海道といえば、私が23歳をむかえる時まで過ごした懐かしの土地なのでありました。
<人情にふれ、酒と女におぼれる〜秋田県、青森県>
日本海というと暗くて荒れた激しい海というイメージがありましたが、
東北地方は、この時期まだ梅雨明け前だったにもかかわらず、毎日天候に恵まれ海の水がとても輝いて見えました。
エマージェンシーハッチからのぞくと、何ともいえない深く輝くブルーの海水とハルが切り裂く海面のうねり。見ていると、深い青さに
吸い込まれそうで、いつまで見ていても飽きることがありません。その上、佐渡〜山形ではイルカの歓迎も受けて大はしゃぎ!
手を伸ばせば届きそうな位の距離でついてきたので、イルカがこちらを見ているのがはっきりと見てとれました。

さて、東北というと小学校の修学旅行で青森に行ったくらいで、ほとんど何も知らない私でした。次の入港地は山形と聞いて、
「山形って海岸あったっけ?」ってくらいですから。鼠ヶ関マリーナでは、スタッフの人達の暖かさに感激!
海の旅というのは、それまでとはいきなり違う土地に着くので驚きが多いと思っています。飛行機の旅でも同じようですが、
海の旅では、着いた土地の人達(多くは漁師さん達)といきなり交流が始まるわけで、そこで最初に出会う人々の
印象が、訪れる土地の印象を左右すると言っても過言ではないと思うのです。福井で乗船を許可されて一週間。
楽なクルージングのはずが、秋田以北で連日の責め(宴会)に遭い、深浦でとうとう自爆?
その為、今日もバテ気味の私。秋田では、ハックベリー氏の大歓迎を受けました。私自身東北の人の気質は寡黙なイメージを
もっておりましたが、明るく気さくで冗談百連発!のような方でした。ヨットであちこち行かれるのでしょう。お風呂はここ、
買い物はここ、と土地の情報を教えてくれたり、車を使わせて頂けたので、大変便利に滞在ができました。おまけに竿灯祭りの
桟敷席の手配やら、その前後の飲食の段取りをすべてやって下さったのですから、良いツアーコンダクターに
案内してもらったようで、私自身初めての祭り見物を120%堪能しました!

<北の大地で大いに飲み騒ぐ!〜北海道/松前町(2005北海道ヨットクラブ松前クルージング)>
8月8日、お昼近くになって、一度は青森県北部の小泊に入港したのですが、上記の様な事で、予定より一日早く松前入港と
いうことになる。ヨットが一隻あるだけで、人はいないようだ。次々と出て行くイカ釣りの漁船はいずれも大きく、
沢山の電球をつけていて堂々としたものだ。それに、カモメも随分と肥えており、猫くらいにまるまると太ったカモメが多いなあ〜と
感じた。さぞかし栄養が良いのであろう。さっそく歩いて、近くの店などを探し歩いた。そうすると、どうであろう。歩いていける範囲に
ガソリンスタンド、大型食料品店、酒屋、ホームセンター、そしてなんと24時間営業のコンビニまであるのにはビックリ。
食堂の建物には、うに丼・いくら丼と書かれている。ああ、北海道まで来たんだなあ〜!10日あたりから続々とヨットが集まりだし、
船の近くでイスなどを持ち出して夕涼みがてら一杯やっている風景が目につくようになってきた。いよいよお祭りである。
私もたまってきた洗濯をしたり、船底掃除をしたり船内外の掃除をして準備をする。ボヘミアン名物のつぼ入りミックス焼酎も、
めっぽう減りが早いので、酒屋へ足を運ぶ回数も自然と多くなる。そうなると昼寝の時間が無くなる→寝不足のまま飲み始める→
寝技へというのがお決まりのパターンになっていった。今日もハックベリー氏が到着し、今夜もまた宴会に突入していくのだ。
ある夜はロシア艇に行ってウォッカの飲み比べになったらしい。屈強な男達に竹やりで攻め込むようなものである。
あわれ討ち死にとなり、どこかのクルーに抱きかかえられて帰還したらしいが、何も覚えていない!
でもそんな日々が楽しかったァ〜!海が好き。ヨットが好き。それだけで知らない人達と飲み騒ぐことができる。
昨日話した内容なんて覚えていない。でも、きっとまたどこかで会うときは、同じように騒ぐのだろうな。。。。北の大地では、
もうコスモスが咲き、赤トンボが飛んでいた。最後の解散式のあとで出航となったとき、みんながホーンをけたたましく
鳴らして送ってくれたのを思い出す。じわりと熱いものを感じながら、『いつかまた皆んなに会いたいな』と思うのだった。

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函館にてボヘミアンを下船し、8月16日一足お先に空路で帰ってきました。
各地でベロベロになりながら、落水もせず無事帰ってこれたのは、ひとえに皆様のおかげと感謝しております。石川、山形、秋田、
青森、北海道でお会いした各地元のヨットマンの皆様、そして松前町の皆様、本当に良い思い出になりました。ありがとう!!