ロシア航海記(4、小樽〜ウラジオストク)

8月5日(日、13日目)
予定通り午前0時に、舫いを解き北海道ヨットクラブのメンバーの皆さんの見送りを受けながら闇夜の中4艇
「リサ」「エトピリカ」「ボヘミアン」「能楽者」で出港、星が凄く綺麗。7時西の風13ノットで帆走開始、まあまあの気象条件です。

朝飯はパン。昼食は納豆ご飯に漬物、鮭、おやつはトウモロコシの海水茹で。
夜食は小樽の市場で買ってきたハタハタの煮付け、ワカメの味噌汁、フキの佃煮。単調な航海では、食べる事は
非常にストレス解消になり、楽しみなものです。
あいかわらず寺さんの手料理は、誠に美味い。
料理を全くしない、出来ない?成さんは洗い物と後かたずけ。
食べ終わったら直ぐに洗って拭いて食器棚に手際よくしまいます。
時間をおくと夏ですから腐敗臭や食べカスが腐って、外洋航海では食中毒が怖いんです、
町中と違って救急車は直ぐ来られませんから。
これもデイセーリングとの大きな違いの一つです。

午後、どんどん西よりに風が振れたんで、機帆走に切り替える、嫌だね〜我々は西へ行くんです。
夜のワッチは渡邉が20時〜22時、寺さんが22時〜24時、成さんが0時〜2時、渡邉が2時〜4時、北では4時でもう随分明るい、
4時〜6時寺さん、6時〜8時が成さんと、暗い時は私が4時間で、2人は2時間でぐっすり夜間に眠れる様配慮し万全を期した布陣です。

それでも目覚まし時計をセット?しても複数回ワッチに遅刻する人もいましたが、30代40代は男盛りでよく熟睡できて結構ですネ。
私は気が小さいので、小さな異音でもかすかな異臭でも直ぐ起きてチェックします。
危険察知能力は心がけや、同乗者に迷惑をかけない、危険な目にあわせないと云う精神、自己責任の自覚から生まれるようですが。
あっ!そうそう、寺さんがウラジオストックに着く迄はアルコールを飲まないと宣言、何か気持ち悪りぃ〜!

それでか?成さんもビールさえ飲んでいない、寺さんに気を遣ってか?中々良いところが有る。
私も彼たちに気を遣って?隠れてビールを飲んでいましたが、一度だけ寺さんに見つかってしまった
雲が無ければ、朝日、夕陽は凄く感動的に綺麗です。新鮮な魚が食べたく&暇なので、トローリングしながら帆走します。

単調な航海では、食べる事は非常にストレス解消になり、楽しみなものです。あいかわらず寺さんの手料理は、誠に美味い。

8月6日(月、14日目)
朝飯は多分私だけだと思う、残りご飯に味付け海苔、明太子、納豆。
11時南南西の風に変わり、再び帆走開始。滑る様に快適に海面を帆走る。CDのハワイアンを聴きながら、
ご機嫌最高の時ヨットに乗っていて良かったあ〜!映画の一シーンみたい。

が、映画の様に長くは続かない、2〜30メートル位の視界しか無い猛烈な霧、即レーダーを入れる。

昼食、ニラ玉広東風ネギダイコン牛肉入りスペシャル丼。寺さん中々やるっ!15時ナホトカ港沖まで残航181マイル。
イケッ行けっ!で意気揚々。
夜食はご飯、おろし納豆、味噌汁、ツナ缶詰。まだ濃霧は晴れない、
今晩はレーダーと一晩にらめっこでしょう。

8月7日(火、15日目)
風が西南西に変わり、ノボリ角度を稼ぐのと燃料節約の為に片側のエンジンだけ、1200回転で回す。
この回転数だと、アイドリンクより少し燃料を食うだけで、セイブエネジーでえ〜す。
「エトピリカ」より「リサ」への交信、「のぼりで機走が多いいので困る、帰りの燃料に手を付けました」「リサ」より応答
「燃料小売致しま〜す、ペットボトル、紙パックタイプとどちらも揃えておりま〜す」
退屈で冗談が飛び交う。
4時頃霧が少々晴れ視界は1マイル位になってきた。朝食は明太子でお茶漬け、きゅうりの漬物。
8時霧が無くなり始めて右舷前方約20マイルにロシア大陸がかすかに見える。3人で万歳っ!バンザア〜イッ!
9時には「リサ」が航行中の船のビデオ撮りをするとVHFで伝えてきたので、
近くへ両方から接近しようとジブセールを巻き取り
南へ変針。
「リサ」のカメラの写程?内に着たので、ジブセールを再び出しコースを戻して影して貰う。
きっと素晴らしい帆走している動画が撮れたでしょう、帰国してからが楽しみです。

寺さんは色々な舫って有る船の人達に向かって、ドーブリィウゥトラ(おはよう)と愛想を振りまいている。
舫い終わったら、直ぐ税関、入国審査、検疫の職員7人が乗り込んで来て、一艇30分位で手続き終了。

しかし、パスポートを持って来るまで上陸は禁止との事で、結局2時間強待たされました。皆で船で呑むしかない。
小樽〜ウラジオストック451マイル(約835km)を3日と8時間の航海でした。パスポートを待つ間に雨が降り出しました、
運良く舫い終わった後で運が良かったです。
舫った目の前の位置に有り難い事にゴミ箱が有り、
分別せずに何でも捨てて良いとの事、助かったあ〜の反面、遅れているなあ〜?!

宿泊先のホテル「プリモーリエ」迄は歩いて30分弱ですが、荷物が有りバスで移動しましたがもの凄い交通渋滞。

8月9日(木、17日目)
このホテルはレストラン「ピザエム」での朝食付ですから、滞在中は毎朝ここでビュフェスタイルでの朝飯です。
10時にホテルの前のタクシーで海洋大学ハーバーへ、本日のセブンフィートヨットクラブとの友好レースの打ち合わせと、
あとかたずけの為に船へ行き、ついでに大学で日本語を勉強しているヴィオレッタさんに、ロシアの色々な情報を教えて貰う。

14時に「リサ」が、ごちゃ混ぜ乗務員編成で日露親善レースに参加。勿論、成績は云うまでも有りません。

ホテルから歩いて数分のところのウラジオストック舎内に在るレストランで、18時45分からレース表彰式。
その後に北海道ヨットクラブ主催の
夕食会が行われました。下の階はシベリア鉄道の始発駅のプラットホームです。
中は判りませんが列車は汚く、物凄く古い感じです。見ていた時列車が出発して行きましたが、
ホームのスピーカーから、
行進曲風の曲が流れていました、少々感動的です。
パーティで驚いたのは、十数人のロシア人セーラーがいたのに、
ウオッカで乾杯した人は2〜3人だけ。
えっ!てな感じ。最近はロシアでも古い習慣の呑み方は流行らないんでしょうか?
日本も最近は清酒より、焼酎が流行りだもんネ。「ボヘミアン」から寺さんが閉会の挨拶をして終了。

夜は「リサ」「エトピリカ」の皆さんと、夕べ行った「グトフ」へ行き、ビールを呑む。
L艇のS氏がウエイトレスのお嬢さんに「どうぞ、お食べ下さい、どうぞ、お飲み下さい」を日本語でどう言うのか?
と、聞かれて、親切に教えてあげていました。「オラッ、クエ!オラッ、ノメ!」彼女はメモを取っていましたから、後で全員が大笑い!!
次に行った日本人のお客は吃驚する事でしょうネ!
24時弊店と言うので、ホテルへ帰って24時間営業の「Pizza−M」へ行き今度はウイスキーを呑む。
その後、部屋へ戻ったら両隣の部屋から呑み会のお誘いが有り、結局1人倒れ2人寝込みで、
自分の部屋に帰ったのは4時半でした。
8月10日(金、18日目)
朝、9時半ホテル前から市内観光にバスで出かけると言うので、事前に朝食を摂る為に9時に起きる。
眠たいの眠たくないの「目が覚めたら朝、眠くなったら夜」が信条の私としては最悪。バスの中でうつらうつらの状態でした。
潜水艦博物館、要塞博物館等を見て、ЭДЕМ「エデン」
(рQ61990пjと云う寿司屋へ全員で行く。
寿司はそれなりに美味かったが、勘定も素晴らしかった。
一人当たり、1800ルーブル(9000円)でした、
立ち食い鮨では有りませんヨ。

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大砲の音が凄〜い!動画は此処を

ビーチでは短い夏を少しでも楽しもうと、家族連れで目いっぱい遊んでいる様子が伺えました。ビーチ入り口で8ルーブルですが、
シャワーや脱居場所が使える使用量料等でしょう?払って入ります。
我々は、ホテルのカードを見せて無料でビーチ入場&
通過させてくれました。
私の感覚では、ここの今は夏では無く春か秋の感覚で、アクシデントで潜らなければどうしょうもない時以外は、
冷たくてとても海の中へ入る気がしません。長い徒歩で感じた事2つ。
犬の放し飼いが多い、首輪を付けリードを引いて飼い主と
歩いているのは珍しい。
狂犬病の予防接種はあまりこの国ではやらないそうです、犬好きの私でも少々不安になりますネ。
車道も、歩道も整備、補修が成されて無い、夜暗いと躓いたりして怪我をする人は多いんではないでしょうか?ロシアへ着いて初めて
0時前に寝ようとした、23時半頃部屋の電話が鳴る、又呑み会のお誘いか?
と、受話器を取ったら「ア〜ユウ ウオント レィディ〜?」
と女性の声。ここは一流ホテルだったんでは?
勿論即「ノウ ニード」。ホテルの従業員の中に情報屋の人間が,
潜り込んでいるんでしょうか?いつも0時過ぎの部屋へのお帰りだったんで、こんな電話が夜中にかかるなんて知りませんでした。
8月11日(土、19日目)
朝10時前に起き、朝飯をとりにレストランへ行くがもう誰もいない、それもその筈「リサ」「エトピリカ」「ボヘミアン」のオ−ナー以外
成さんも含め殆どの人が、
シベリア鉄道に乗ってみたいと云う事で、3〜40分体験乗車しに行ったらしい。
今日も「リサ」の諏訪氏と「エトピリカ」の堀江両氏は唯一の、一日中自由時間の日にも拘らず観光にも行かずに、油の手配、
出国手配等々、忙しそうで大変です。本当に今回のクルーズでは雑用係もどきで、
申し訳無く思います、本当にありがとうございます。
私は、本日は航海記まがいをパソコンに入力し、昼飯を食べてから寺さんと2人でボヘミアンが停泊している通称海洋大学ハーバー迄、
海岸沿いの道を散歩がてらブラブラと30分の運動。食料買出しや水の補給等
明日の出港の為の準備を、今日中に終えたいと
思っていましたが、12時過ぎても寺さんが起きて来ないので
呑み過ぎで体の調子が今一かな?とかってに考え、彼の部屋のドアの
下に伝言の紙を入れて、
起こさずに一人で行きました。冷蔵庫が働きっぱなしなんで、バッテリーの為エンジンを3時間程回し充電、
アンカーをきちんと格納し、
左右のメインタンクへ補助タンクから満タンに補充、オートパイロットの油圧オイル補充その他で終了。
帰りも歩いて来ましたので、今日は結構な運動量で、体に随分良い事をしたんではないでしょうか?
軽油は350g(1gあたり17ルーブル、日本円で85円と安い)注文済みで、明日朝、時間通り来るかな?の心配だけです。
夕方ホテルへ帰ったら19時から最後の大宴会を全員でやると聞きましたが、帰ってきたら寺さんも、成さんもいないし伝言も無い、
シベリア鉄道組も全員ホテルに帰ってきているのだがと、
気をもんでいたがぎりぎりのところで戻ってきて、ホット一安心。
行ったのは、「RUSSIAN PANCAKES」ディスコやカラオケの店、えっ!ここで宴会?の感じが。
やはりこの店はレストランでは有りませんでした。店選びの時の通訳に問題が有ったんでしょうネ。
22時過ぎホテルに帰ってきて、寺さんと成さんが物足らなさそうでしたし明日出港ですから、スタミナを付けさす為にもと、
レストランで牛、豚、鶏等の肉類料理等、数種類&酒をサービスしながら、
今日はここで飲酒はお終い&外出禁止、寝不足、
二日酔いは事故の元だから0時には必ず寝る様にと指示。

明日気を付ける事は明日は日曜日で銀行や両替所が休みなので、ルーブルが足らないと困るし、余ると、ルーブルはロシア国外
持ち出し禁止ですし、もし間違って持ち出しても、日本では円にもドルにも
交換出来ません、只の紙くずになります。

ホテルへの帰りの途中自由市場にて皆さんのお土産を買う為に寄る、私はお土産には興味が無いし眠いのでバスの中で仮眠。
途中で尿意を催しトイレに行ったら有料トイレで5ルーブル(25円)でした。
午後ホテルへ帰ってから、
相変わらずの気持ち良い昼寝を貪る。
夜は、「エトピリカ」「能楽者」と5人で運動不足なんで30分位歩いてKOREA HOUSE
(рQ69464пj
へ韓国料理を食べに行く。言葉が全く通じず随分てこずったが、何とか食べたい物はたらふく食べれた。
ウオッカを飲みながらの韓国料理は、少々味加減に微妙な無理が有ったかな?
帰りも運動不足の筈だから、歩いて帰ろうと意見が一致、海岸べりを小1時間かけて散歩がてらホテルまで。

近いので直ぐ着く筈でトイレに行かなかったK氏が我慢できなくなり、私が豆乳一瓶を一気飲みし、その中へじゃあ〜ジャア〜、
地獄からいっきに天国へ直行だと、大変感謝?されました。面白い事に車は世界の常識通り右側通行ですが、
公共のバス等を除き9割以上の車が右ハンドルです。勿論日本車で、エアコンは殆ど付いてないのか?窓を開けて走っています。
又、日本なら当然在って然るべき大きな交差点でも、信号機が殆ど設置されていません、横断者は命がけです。

ホテルへ到着後、各自荷物を部屋に置いて斜め右に在る両替所でルーブルを買う。1ルーブルは約5円でした。
お腹がペコペコの為、ホテル内1階に在るレストラン「Pizza−M」へ行き、肉料理で腹ごしらえ。その後、シャワーでは無く、
バスタブにお湯を目一杯入れ暖かいお湯に浸かりました。やっぱり日本人は湯船に浸からないと落ち着かないですネ〜、
やっぱり私は完璧なオジンかな?このホテルは、ウラジオストック駅と隣接している波止場とに歩いて数分の場所に在りますから、

時々船の汽笛がボオ〜ぼお〜と、ロマンティックに聞こえます。但し安宿では有りませんがエアコンが無く少々蒸し暑い。
異常気象というか温暖化というか今が変なんで、そもそも夏でもエアコンが不要な地域なんでしょネ。
(シングルルーム1泊約18000円の高級ホテルと聞いています)

自宅の女房にホテルの部屋から、国際電話をかけ入港を連絡後、(部屋から国際電話をかけるには、フロントデスクで500ルール
(2500円)のデポジットが必要)又、無線ランが設置されているので、インターネットは簡単に繋がるが、2時間150ルーブル
(750円)でスクラッチタイプのカードを買い、削ってパスワードと云うかIDを出し使います。夕食?迄、約2時間程昼寝。
夜はホテルから3〜4分の「グトフ」と言う店内にビールの製造装置を持っていて、色々な種類の美味いのを飲ませるレストランと
ホテルの従業員に聞いたんで、そこへ行く。シーフードを中心に頼み、美味しく楽しい時間を過ごしました。
この店はメニュ−に英語が併記してあり、ウエイトレスの女性が英語が喋れて、料理の内容等説明してくれ非常に幸運
でした。
カクテルビールの欄にはパイナップルビールと云うのも在りましたんで呑んでみましたが、これだけは甘くてダメでしたネ!!

ロシアのボートに先導されて、「リサ」を先頭にハーバーへ向かう。途中、Q旗を揚げる時に「リサ」にVHFで
北海道ヨットクラブの旗の下に碧南ヨットクラブ刈谷セーリングクラブ旗を掲げる許可を貰う。
一応今回は北海道ヨットクラブの主催ですから。予断ですが、右舷に訪問国ロシア国旗、左舷に「検疫を求む」の黄色の
Q旗を掲げます。後部には船籍の有る日本国旗を。7時40分(現地ナホトカ時間9時40分)ハーバー入り口手前で投錨して、
官憲の到着を待つように指示が有り、4艇とも北緯43度07分、東経131度53分のハーバー入り口から南西100b位の位置に投錨。

待つ事約20分、ハーバーへ入り艫付けで岸壁に接岸する様にVHFで指示が有り、各艇順次入港。

8月8日(水、16日目)
2時5分前にワッチ交代の為起きた時、濃霧の為使っていたレーダー画面に波やゴーストに紛れていた船が、
突然2〜30メーター離れた左舷側に現れる。あわや!衝突っ!運だけだった感じ、あわや、海のモズク?になるところでした。
2年間世界一周した時も、こんな危ない目には遭った事はありません。
向こうの船も同じらしく、サーチライトが鈍くこちらを
照らしていました。こんな事は初めてで
次回ワッチより1マイルに近かずいたら、素人判断せず遠慮なく私を起こす様、
2人に改めて指示。
「知ったふり 判ったふりが 事故の元」少々の説明で判らせた思った私が浅はかでした。
5時運良く霧が晴れた!ラッキー!Reynekl島の南1マイルのミーティングポイントに4艇が到着、
程なくロシアのセブンフィートヨットクラブのボートが出迎えに来てくれた。

11時半VHFをワッチしていたら、「リサ」が素麺を「能楽者」に投げ込むらしい、Sご夫妻はそれなりの年齢だし、
料理も2人では大変でしょう、「リサ」の心使いは素晴らしいと感心。
我々も昼飯、寺さん張り切って「広島もんじゃ焼き」
あれっもんじゃ焼きって東京じゃん。
広島はおたふくソースで有名、何かおかしい?でも食べたら美味しかったんで結果オーライ!
13時の日本時間を今から15時のナホトカ時間に切り替え。日本時間より2時間進めます。16時又霧が出てくる、
前方を見て考えるに大変濃い霧になるでしょう。寺さんが名古屋の「かざぐるま」に、イリジューム衛星携帯電話で現在の
ボヘミアンの情報を報告。イリジュームの初使用です、私はいまだに使用した事がありませんが。17時チャートによると、
現在爆発物投棄場の直ぐ北を航行中。18時半、濃霧のナホトカ港入り口の航路を横断中、レーダーに大型船と見られる船影を
二つ見つける。夜食は鳥釜飯と焼き牛肉。