3月18日(火)
9時コンテナ船が入港との事で、船を又移動してくれと港湾局の係員が言って来た。ついでだから船を南2マイルの
ブルー・ラグーン・リゾート沖へ持って行きアンカーリングしようと、さっさと出港、ホテルの北西200m位の位置(北緯7度25分、
東経151度50分)に投錨。驚いた事に電子チャートのナビオニクス最新版もC−MAPも、珊瑚礁の上に船の位置の表示がでる。
何だあ〜これは!作ったのは最新でも、作成の基になる資料が古いか?珊瑚は育つらしいが、それにしても??
しかし今は皆、WGS84に統一されている筈なんだが。GPSの精度は誤差10mくらいの筈ですから本当に不可思議です。
バッテリーの電圧が11、7Vになったのでゼネレーターを回すが、5分で停止、エアー抜きをするも駄目。
急がなくても良い事なので明日再度エアー抜きをする事にして、ビールを飲みながらゆったり。そこへ、隣に停泊しているカタマラン
「マンタ」のスティーブ氏が表敬訪問。君達は着いたばかりだから後程と自己紹介の、礼儀正しい挨拶で直ぐ引き返す。
テンダーでホテルへ探検?に行くと言う寺さんに、長距離航海経験者から一言ウンチク教訓?!日本人旅行者から声をかけられた時、
楽しい事は?と聞かれたら色々正直に話しなさい。不便や困った事はと聞かれたら、日本食が手に入り難くてと言いなさい。
ひょっとしたら、「もう直ぐ帰国するし、お土産を入れるのに邪魔だから、残り物で良かったら持って来た日本食貰って頂けますか?」っと
来るかも判らないから試せよ!ヨット乗りから楽しい事はと聞かれたら、同じく正直に答えなさい。不便や困った事はと聞かれたら
「ゼネレーターが回らなくて困っている」と答えなさい。疲れる訳じゃ無しこれ位の事は、要領よく喋りなさいと伝授。
寺さんOKとばかりホテルへ、テンダーでまっしぐら。昼寝をしていると「渡辺さあ〜ん」と女性の呼ぶ声。
飛び起きると、末永さんの奥さんが現地人に小船に乗せて貰い、バナナの木の皮に包んだマングローブガニを持って来て下さった。
有り難い事に昨日買おうと思っていて、買い忘れた物だった。無線で寺さんを呼び戻し、早速海水にて塩茹で、誠に美味しい蟹でした。
海水が沸騰するまで、寺さんは子供の様に蟹とふざけ合っていました。日本では沖縄でしか食べれないでしょう、しかも大きい蟹でした。
初めて食べると云う寺さんの為に、記念に爪の部分をミイラ状態にして保存してあげました。17時隣のスティーブ氏をテンダーで訪ね、
訪問の挨拶を改めてして、ボヘミアンへ招きビール等で雑談。彼はアメリカから一人でやって来てここにはもう2週間いるそうです。
雑談の最中寺さん昼の私の教訓を思い出しタイミング良く、不都合な事を聞かれた際「ゼネレーターが回らない」と答えた、
流石!!良く出来た愛弟子。酒を飲んでいたのに良く上手に答えられました。「明日、修理する時に手伝うから呼んで呉れ」の
待ってましたの嬉しい返事を貰う。ウッシッシ!散々呑んだ挙句、相手は初対面だし危なくてもいけないので、テンダーで「マンタ」迄
スティーブ氏を送り届け、ついでにホテルのレストランへ行く。寺さん、ホテルの船着き場にてテンダーから落水、海中へドボンずぶ濡れ。
レストランでは寺さんの為に、椅子の上へ敷く物を借り食事、本人は余裕しゃくしゃくで大笑い、私は少々気恥ずかしかったです。

3月10日(月)
朝に近い夜中おしっこに起きたら、デッキでS君が鼾をかいて寝ている、起こしてキャビンの中でユックリ寝る様に言う。
7時、出港準備の為に起きると寺さんも朝帰り、一応「スミマセン」素直な男ですが、しかし私に謝る事は筋違い&勘違い、
本来は自分自身の安全と、自分自身の快適な航海の為なのだから。因果応報と云うか自分の過去の行為が原因となり、
その報いとして自分自身に、現在に不都合又は不幸な結果が現れる訳でしょ、他人は関係なく自己行為に対しての結果責任でしょうネ。
2人共出港前の寝不足(身体と脳の疲れが取れて無い状態)は、ロングクルーズには大敵と云う事が、充分に理解されていない?
いや、判っているが若いから刹那的な天国と、有るか?無いか?判らない地獄とを、天秤にかけたのかな?私も若かったら一緒かも??
デイセーリングとロングクルージングは、船を帆走らせると云う基本的な事は殆ど同じ様見えても、他には違う要素が沢山有るります、
特に航行中に危険で異状な状態が有れば、寝たくても起き続けて対処しなければならない事が有るのです。
沿岸航行の様に、何か有ったらすぐさま近くの漁港へ逃げ込むなんて行為は不可能ですから。医者も修理工場も無いとの覚悟が要ります。
朝8時にイミグレーションのリザマ氏がパスポートを取りに来て呉れ、直ぐ出国スタンプを押して船に戻って来て渡してくれる。
免税店より免税のタバコが配達される、市販のタバコが1箱4j75kなのに免税タバコは1j75kと大バーゲンセールみたいな物、
10箱入りを40カートン(400箱)積み込む。何か凄く儲かった気分です。大勢の方々の見送りの中、コックピットは贈り物のバナナ等満載で、
皆さんに舫いロープを解いて貰い、9時(JST8時)マイクロネシア共和国チーク諸島のモエン島(旧トラック諸島、珊瑚環礁としては
世界一大きい))向け出港。掘割の狭く浅い航路を慎重に進み、パイロットステーション付近にて、メインセール1ポイントリーフで揚げる。
8〜9ノットのアビームにて快走。朝食代わりに頂き物のバナナを、美味い美味いと皆で頬張る。それもつかの間、10時40分サイパン・
テニアン海峡を通過する頃からノボリ一杯の角度になる。早速ウインドベンをセットし常に風に一杯に登る様にする。
しかし波高が3〜4mと高く、風は20ノットオーバーでパンチング酷く乗り心地は非常に悪い。22時就寝の約束を破った寝不足の
S君はゲーゲーと吐くが、バナナしか食べていないので、直ぐ吐く物が無くなり苦しそう。日本近海で多少ヨットに乗っているからと海を
馬鹿にしてはいけない。外洋を舐めてかかると、しっぺ返しを食らう事は必定。同じく掟破りの寺さんも辛そうだが、根性で結構堪えている。
しかし、苦しかったら苦しい顔をし周囲の理解を得て、体を休め気を楽にした方が良い、我慢の連続精神的ダメージを蓄積する
東北東の風が多少東に振れ始め少しコースより南へずれ始める。止むを得ぬが600マイル弱の距離が大分延びそう。時々スコール付きで、
風速は30ノットまで風が吹き上がり、前後に叩きつける様な、ピッチングが益々酷くなる。

3月14日(金)
01時、4日ぶりに見る本船(多分貨物船)が、左舷側を2マイルを並走して追い抜いて行く。ヤッパ見張りは大切なんだ!実感!
日本時間8時、波高1.5m、東の風4〜5ノット、船内気温29度C、湿度78%、コース130度、対地速度4ノット、北緯08度27分、
東経150度54分。9時半久しぶりに凄いスコール、石鹸を持ち出しデッキへ出たらショボショボやがて止む、様子を見ていて、
石鹸塗らなくて良かった。トラック諸島には夜中到着する予定だが、珊瑚礁のデパートみたいなところなので危険、明日朝入港の予定にして、
スピードを調整の為に充電を兼ねて機帆走開始。一日中風弱くノンビリ緊張感無し。これが失敗の元、夕方から東の風が強くなり
機走しようとしても真正面からの風では堪らない、3ポイントでセールをリーフ(縮帆)し機帆走にてタックして北へ登り、そして機帆走で
コースに乗せる。機帆走でないと、タックしたら約130度近くになり、殆ど目的地方向に進まない。悲しいかなカタマランの宿命。

南太平洋クルーズ3、サイパン〜チュークのモエン島トラック環礁

3月11日(火)
夜明けに船上を点検したら、メインシートブロックの調整の為の木片が砕け潰れている。下から2番目のスライダーも外れてしまっている。
危ないので2ポイントリーフにして風を少し逃がす。S君はゲーゲーと空のゲロ吐きしきり、随分苦しそうで見ている私も何だか辛い。
寺さん12時20分からの21.437Mzのオケラネットに参加、退屈な毎日の気を紛らわすのに最適でしょう。本日珍しく1回もスコール無し。

3月12日(水)
JST8時、波高3m、東北東の風20〜3ノット、船内気温30度、湿度76%、北緯11度32分東経148度21分、サイパン出港以来
48時間のぼり一杯タック無し。S君遂に48時間何も食べず、甘いペットボトルの紅茶飲料等を少しだけ飲んでいる。食べて吐き、吐いても
食べでいかないと益々良くないと思うが、只見守るしかない。寺さんと私はシャワーを浴びる、生き返った様に気持ちが良い。
S君にも勧めるがポリタンの水で足を拭いただけ。気持ちがスッキリして、絶対にお勧めなのだが。夕方にはS君案外船酔いは
治ってきているんじゃないかな?、顔色を見ると悪くないし、笑顔を絶やさないもんネ。意外と本人は楽しんでいるのかも?
22時に58時間ぶりにフルーツのシロップ付けを少々食べたんで、完全復活近しと感じた。良いぞ!良いぞ!本日もスコールは1回も無し。

3月13日(木)
コース131度のところ、140度しか登れない。3泊4日でバッテリーが11.7V迄下がったので冷凍庫のスイッチを切り、
右舷エンジンのみ充電の為1500回転回す。有り難くないが、気象会社の馬場社長の予報通りにまだ東よりの風変わらず。
JST8時波高、2m、東の風12〜3ノット、船内気温30度C,湿度77%、コース140度、対地スピード4ノット、北緯09度46分、
東経149度36分。11時に何と無く発見!テンダーをダビットに吊るしているロープが垂れて左舷プロペラに絡んでいる、
幸い出港以来最低の風、波の為条件良しで、寺さん深さ5000mの海に潜って外す。ロープの整理整頓は、イロハのイなのだが。
私も含め全員ボケて来たかな?サイパン出港以来やっと風も波も穏やか、天気は晴れ乗り心地良し、余裕でトローリングを始める。
15時、78時間食事をしなかったS君、やっと氷で冷やしたざるうどんを、初めてペロリと一人前食べる、良かった船酔いは直った様だ!
寺さんも寝不足で船酔い?食欲が無い様だ、我慢して知られない様にしている努力は一見素晴らしいが、長期間の我慢は精神に害毒。
だから今日まで料理と言ったら1回うどんを茹でただけ、パンや菓子のみで殆ど煮焚きしていない。プロパンガスが長持ちで安心です。
私はマイペースで「さとうのご飯」で缶詰やレトルトカレー、缶ビール付き他、簡単だが食欲旺盛。23時ナモヌイト環礁を右舷に南下。

3月15日(土)サイパン〜チューク(ウエノ港)657マイル4日と23時間      
夜明けを待ち、6時半ノースチャネルより南下を始める、左右に珊瑚礁が白波を立てている。8時入港するも、呼び続けている
国際VHF16Chに応答が無い、30分以上呼んでも駄目、荷役中の貨客船「CHIFF MAILO」を16Ch呼び出し
港湾局等への連絡を頼むが、やはり呼んでも出ないそうだ。多分飛行場の方へ行っているんだろう?との事。こうなったら、
上陸せずに船内にいれば普通問題無いだろうから強行着岸しかないと、港外に一旦出てフェンダーと舫いロープをセットし
コマーシャル岸壁であるベーカードッグに9時半着岸。(ミクロネシア連邦最大の人口を抱えるチューク州で唯一の岸壁を有する港)
サイパンからチューク(Weno港)657マイル4日と23時間でした。荷役作業を見守る係員にカスタム、イミグレーション、
クアランティを呼んで呉れと頼む。10時税関職員と港湾局職員が来る。通常通り簡単に終わるが、次には待つ事約3時間後
検疫官(胸にインスペクターのワッペンが張って有った)が来る。犬や猫等動物がいるか?この船は動物園じゃないっ!って
答えたら笑ってた。生野菜、生肉有るか?等、通り一遍の質問で15分位で終わり。又1時間待って入国審査官2人で登場。
女性の方が上司らしくMrs?Mori女史曰く「お爺さんは日本人で私は漫画の(冒険だん吉)の孫だ」と言っていた。
(だん吉に、モデルがいたらしい。高知県出身の森小辯(明治2年〜昭和20年、彼の子孫は、直系だけでも千人を超える)である。
森氏は、明治25年、マイクロネシアのトラック島に渡り。そこで、酋長と意気投合、その娘と結婚して、トラック島に定住した人物。
椰子の実のコプラに目をつけた、コプラは石鹸や蝋燭の材料となる。森小辯氏はそれを日本に輸出して財をなし、
その利益でトラックに学校や銀行を建設した。また、水曜島の酋長にもなり、その子孫は今も現存、確か現大統領もMori氏です。)
「出た出た月が〜」と唄いだした時は当方吃驚!拍手したら、おまけに大津美子の「ここに幸あり」まで唄いだした。
「ベッセル エントリー クリアランス」を持って居ないと云う事で少々問題ありとの事。寺さん曰く「手続きしたけど、
OKの書類を送って来なかったんだ」と相変わらずNO天気ぶり発揮。首都ポンペイの本庁へ問い合わせて申請の
事実確認をしてから、又船に来ると云ってパスポートを持って帰ってしまった。しかしこれで上陸はOKとの事で一安心。

夕方、五ヶ所湾のビーブルヨットハーバーの寺田氏の友人でチーク在住30年の末永氏ご夫妻が船に見える。
取りあえず食事をと言う事で「ブルー ラクーン リゾート」の中のレストランへ、トラックの荷台に乗せて行って貰う。
港近辺が島一番の繁華街らしいが道路は穴ぼこだらけで街灯は無し自転車は殆ど見ず、勿論バス電車等有る筈も無し。
4キロ程南へ走ると中々立派?なりゾートで、沖にはカタマランが投錨している。日本食のメニューも7〜8点有り、
船内食に比べたら大変美味しそうな感じ。若い二人は洋食を、私は海老のテンプラモドキと寿司コンボモドキを注文、
久しぶりなので美味かったあ〜!軽油はバッテリー充電しか使って無く殆ど満タン状態なので、給油の必要は無いが
聞くところによると、軽油は1米ガロン5ドル、(1g約135円)ガソリンが1米ガロン4ドル70セントらしい。
この国もガソリンより軽油の方が値段が高い。末永氏ご夫妻はここ「ブルー・ラグーン・リゾート」内で住み
トラック・オーシャン・サービス」と云う旅行会社рU91−330−3801を
営んでいるそうで、早速明日の日本軍戦跡&沈船シュノーケリングのツアーを1人100ドルで3人分を依頼する。
詳しい話は明日と云う事で食事の後又、港の船まで送って頂く。結局は滞在中末長ご夫妻には随分お世話になりました。

3月16日(日)
朝、港湾局の係員が10時にタンカーが入港するから、船を移動して下さいとの事。
マイローの後ろ数メートルの場所に移動させる事にしたが、東の風がまともに向かい風、接岸に一苦労でしたが、
マイローの船員や港湾作業員が手伝ってくれ無事舫う。もう末永さんの奥さんが迎えに来ていて直ぐさま、船の発着場の有る
ブルー・ラグーン・リゾートへ行く。先ず(旧日本名)夏島へ、全力疾走の為、水泳パンツに変える暇なしで全身波飛沫でずぶ濡れ。
第四海軍司令部跡等旧日本軍の基地や街跡を見て周り、その後30m四方位の大きさの無人島へ行き幕の内弁当らしき
昼食&休憩。島の名前も船の名前も忘れたが、沈船にアンカーを引っ掛けシュノーケリングにて、日本の物資輸送船の残骸を
綺麗な熱帯魚と共にしばし観賞する。この約5時間の遊びにて、当島の観光見物は簡単に言えば全てお仕舞い。丁寧な戦跡巡り、
あちこちの沈船ダイビングしか観光資源は何も無し。16時位にブルー・ラグーン・リゾートに帰り着き、S君は今晩、深夜1時の
飛行機でグアム経由で予定通り日本へ帰るので、それまで「ラグーン・リゾート」の部屋を借り、皆で温水シャワーを浴びさっぱり。
S君は5`痩せたと、ダブダブのズボンを見せびらかし大喜び!寺さんも航行中、体調が悪かったのか?あまり食事を摂って
いなかった様なので心配していましたが、「かざぐるま」の船長に、帰国時には「7`痩せていた」と言っていたそうです。
私は、鈍感な性格&体質でしょうか?帰国時も体重は変わりませんでした。腹が多少引っ込むか?が、期待を裏切られました。

3月17日(月)
イミグレーションの職員がビフォアーランチに来船と云っていたので、午前中船に缶詰状態で過ごす、しかしこれが幸いビ〜ビ〜!
左舷のオートビルジポンプのブザーが誤作動するので、吸入機を分解掃除したらOK。又埠頭の水道から水を補給していたら
港湾作業員がフォークリフトで運ぶのを手伝ってくれた。結局職員が来たのは15時過ぎで、ベッセル・エントリー・クリアランスを
持って来てくれた。これでマイクロネシア共和国のどこの島にも移動自由になった。夕方21時半マルローが出港とベルが2回鳴り
モヤイロープを一旦外しかけたが中止、何か故障なのか?翌朝起きたら未だ停泊していた。お客は誰も騒いだり文句も言わない。

3月19日(水)
昼少し前に起きコックピット周りの整理整頓掃除。寺さんはテンダーに自転車と洗濯物を積んでホテルのコインランドリー行きがてら、
周囲の探検に出かける。無線機を持っているので放し飼い状態?でも安心。室内31度湿度70%しかし風が強く気持ちが良い。
寺さんから無線が入り「今スティーブ氏に船着場で会った、17時に修理の手伝いに来てくれるそうだから、俺もその時間迄には帰ります」
と連絡。日差しが強いので、海の色が海底により色々と変化してとても綺麗。余り気持ちが良いので、シュノーケルを着けて海へドッボン!
綺麗な魚が沢山いる。左舷のジンクがとれてプロペラシャフトが剥き出し、右舷はと見るとジンクが無くトローリングの釣り糸がグルグルに
シャフトに何重にも巻き付いている。遊ぶ前に先に船体の状況を観察すべきだったと反省、草臥れていたので次回潜った時に
取ろうっと。17時スティーブ氏が「トムと約束したんだが」(寺さんは外国人にはこう呼ばせている)と来船、伝言を伝えた肝心の寺さんは、
まだ帰って来ない。板ばさみと云うか困ってしまい、ビールを飲んで時間稼ぎの誤魔化しに必死。30分程遅れて寺さん登場
「あれっもう来てるの?」現地時間は日本時間より、1時間進んでいるの!もお〜!早速、定番のエア〜抜きから修理再開。
OKとばかりエンジンを回すが掛からない。又エアー抜きが足らないかと再度行なったら今度は水が出てきた。調べたら
燃料フィルターも水だらけ、油水セパレーターも水だらけ。何だあ〜これはで結局は燃料タンクに大量の水が入っているから、
タンクの水を抜かなければ駄目の結論。暗くなったから、又明日再アタックする事にし、ボヘミアン船上にて、ビールでご苦労様会。

3月20日(木)
珍しく寺さん早起きで、「なべさんっ!タンクの水抜き完了」エアー抜きの要領で、順番にエアーと水を抜き準備OKでエンジンをかける。
回ったっ!バンザ〜イ!ほっとしたのも僅か5分経たない内に、プスッブスッとエンジンがストップ。チェックしたらエアーどころか、
あらゆるところから水が出る。「寺さん本当にタンクの底の水を全部抜いたの?」「本当言うと自信無い」じゃあ原因はハッキリした、
水を抜けばOKの筈で一安心。途中スティブ氏が2回もテンダーで心配そうに見に来てくれるが、原因はハッキリしたから後は
手間隙だけの問題で心配ないと答える。何か有ったらVHF16Chで呼んで呉れと親切。
スコールが激しくなり、明日やろうで本日の作業は御仕舞い。充電の為に翌朝まで右舷エンジンだけを1500回転で回わす。
勿体無あ〜い感じです。草臥れたので後は午睡やら、読書やら、ぼ〜として過ごす。寺さんはずぶ濡れになりながらも、テンダーで街へ。

3月21日
バースでうつらうつらしていたら、何となく現地人の話し声。寺さん許可なくテンダーで船に連れてきたらしい。
「酒は有るか?」流石の寺さん「無い」「釣り道具はどんな物が有る?」「これが日本製のトローリングの仕掛けだ」等。
*許可無く現地人を、船に乗せない!許可無く船の物は、ネジ1本たりとも持ち出さない!*の訓示が守られていない。
暫くしてたら寺さんがバースに降りて来て「なべさん今から蟹を取りに行って来る」って言って、現地人と出かけていった。
明日で1週間の滞在期限が切れるので延長手続きの方が優先の筈だが、注意が続くと折角の遊びの空気が不味くなるので、
注意は止めた。デッキには船の備品の新品のトローリングセットが、2個置いて有った。見せびらかしは盗難の元だから、
不便を装っても便利グッズは見せるべきでは無い。「うっかり、忘れる、早とちり」の3点セットは私も得意技の内だが、事故&事件に
繋がる行為だけは常に慎まなければいずれ、大問題を呼び込んで大怪我をする事になる筈。寺さん当然?手ぶらで帰って来たが、
蟹を持って来るどころか蟹籠に入れる餌に、肉が要るだのマグロの切り身が要るだので、買い物に行き色々金を使わされたみたい。
注意は止めた、彼にも感ずる所は有った筈でしょうから。帰って直ぐ、又テンダーで自転車を積み本港のイミグレーションへ行った。
無線で留守だと連絡有り「じゃあ空港へ行ったら」「空港事務所も留守です」。どうもイースターで今日は学校等も皆休み、
しかも今日は飛行機が来ないし船で外国からの入港予定も無い、つまり彼らにとっては二重に仕事の無い休日らしい。
港湾事務所へ訳を話して、後々の為に手続きに行った事実を残して置くよう指示。流石に南国、まあ〜ノンビリとしたお国柄です。
夜ホテルのレストランへ行った時に末永氏に事情を話したら、明日飛行機が昼に着くから昼には空港の事務所に居る筈だから、
13時に空港へ連れてってあげるとの有り難いお話にホットする。安いデジカメ&私の撮影技術では虹の色等、綺麗さは到底無理?

3月22日(土)
朝起きたら寺さん得意そうな笑顔で「なべさん、タンクの水抜き完璧っ!」ありがとう!でエアー抜きの要領で再チェックの後、
11時エンジンをかける、ブルンブルンゴオ〜!やったあ〜!遂に5日ぶりゼネレーターの快音。何時もは煩い音だなあ〜が、
エアコン&充電していると思うからか?今日は快音に聞こえる、人間の耳や心はどうなってるんだろう?勝手なものですネ。
今日でパスポートに記載の滞在期限が切れる、のんびり寺さんを急かしてテンダーに乗せ、午後に外国から飛行機が着く日なので
空港へ行き、3週間延長OKで4月15日ま安心です。

3月23日(日)
朝から強風が南へ振れ始め海が珍しく荒れ始める、ダイビング船「Odeyssay」の足船ボートが来て「ボヘミアンが近過ぎるので、
船長が心配している」と伝えに来る。早速少々離れたところにアンカーを打ち直す。「波羅蜜多」よりイリジューム衛星電話あり、
北チャネルを止め北東チャネルから環礁内に入るとの事、北水路の方が近いと言ったが、本船航路の有る方が安心との事。
15時入港予定なので、入国手続きが行なわれる本船が離着岸する保税岸壁の、ベーカードッグに舫いロープを取りに行く、結局16時に
「波羅蜜多」着岸。オートパイロットが壊れて4日間殆ど徹夜で食事も、ろくに食べていないそうで、クルー2人共クタクタだと笑って言っていた。
阿部オーナーも笑って「4日間寝っぱなしで、俺は楽だった」だって。辛抱強いクルー達だなあ〜!と私は感心したと同時に、流石大人の社会人!
オーナーは何千万円の船を提供し、クルーはその船を利用し遊ばせて貰うから、労働を提供する、の立場役割を良く理解されている方々です。
船を買い、維持管理すると云う事は大変な事ですからネ。長距離クルーズには、自動操舵装置、アンカーチェーン、テンダーが3種の神器
ですから、本当に大変だった事でしょう!夕方はスタミナを付け様ってな訳で、港から歩いて2〜3分の韓国料理「オリエンタル・レストラン」
рR30-6565へ5人で行く。韓国系の経営者で料理は本場物、私も含め皆さん全員欠食児童の感じで凄く良く食べ呑む。

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