太平洋

360度の海と空。ここには、あらゆる種類の「青」がある。
蒼、碧、BLUE‥‥、この世のすべての「青」があるかのようだ。
過酷な太平洋も、時にイルカが伴走してくれたりする。



今回の航海で最も長く、大変だったのが、日本からハワイまでの太平洋であった。
私が本格的にヨットを始めたのは、この旅に出かけるわずか2年5ヶ月前の1987年11月のことでる。
その2年5ヶ月の間に、普通のヨットマンの10年分の航海をしたと思っていたが、それでも太平洋は大変なことが多かった。

日本を出港した直後、八丈島付近で、いきなり強烈な低気圧に襲われた。
風速40〜50ノット、ほとんど台風並である。

船の前に「オバケ」のような波が立ちはだかっている。
7〜8mの波の中、船はエレベーターのように上がったり下がったり。
波山から波谷へ、そして次の波山へとジェットコースターのように走っていく。
時折、波山から波谷への着水タイミングが狂うと、「ズドーン」と巨大な音を発して船底が海面に叩き付けられる。
大波が船首を越え、デッキの上で砕ける。波が上から降ってくるのである。
ハッチをしっかりと締めていないと、海水がキャビンに流れ込んでくる。
荒天用のジャケットを着ていても、風浪の攻撃は弾丸の一斉射撃を受けたごとく強烈である。
波しぶきと雨がジャケットに当たり「バチバチ」と凄い音がする。
船はマストやセールを震わせながら、金属音を混ぜた雄叫びをあげて突進して行く。
スタート直後にこんな有様だったから、「これから先、本当に大丈夫か?」と思った。
(しかし実際には、こんな荒天は以後10回とは無かったのである。)

天候が収まった時には虚脱状態であった。
上記左側の写真のように、しばらく「2ポイントリーフ(縮帆)」したまま走る。
何もしたくない、考えたくない、食事も作りたくない、うつらうつらとして夢を見た。

順風となったのは、出航してから4日目のことであった。
南の風10m。船はアビーム(横からの風)で大きなヒールもせず快調に走る。
ハワイへ一直線だ。
「行け!、行け!」
気分が「ハイ」になる。
ラジカセで音楽を流しながら、気持ち良いセーリング。
音楽は精神の栄養、心の食事である。


出航以来、初めて釜飯を炊いた。否、作った。

これは、かつて山登りをしていた友人からの差し入れで、プロパンガス不要、水不要、オカズ不要のスグレモノであり、しかも美味かった。
単調な毎日は食べ物が第一の楽しみである。
本当に親切心が身にしみ、胃にしみわたった。
自分は今まで損得無しで、どれだけ他人に対して思いやりの気持ちを持ったであろうか。
単独航海というのは自分を見つめ直す絶好の機会である。


一人旅に慣れたのは、10日目頃からか。
南の風5〜8m、360度雲のない快晴。見えるものは青空と碧い海ばかり。
実に快適。パンツも脱ぎ真っ裸になってデッキでうたた寝。最高の気分である。
イルカ、海亀、クジラなど様々な生き物にも出会った。

このハワイまでの45日間の航海は大変であったが、これを経験してから後の航海は、順調そのものであった。



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