子どもの発達段階と遊び・学び・働きとの関係性について (平成29年7月17日・令和元年10月1日再編集)

児童健全育成指導士 田中 純一 

 子どもの発達段階と遊び・学び・働きの関係性を検討してみた。ピアジェ・エリクソンの考えと日本古来の考えなどを考慮して考えてみた。

  年齢区分については、基本的に3歳未満を未満児、3歳・4歳・5歳児を園児、6歳・7歳・8歳を小学低学年、9歳・10歳・11歳を小学高学年、12歳以上17歳までを生徒、18歳以上を学生(社会人になる人もいて、エリクソンのいう初期成年期))、20代後半から成年壮年、50歳以上を熟年、75歳以上を高齢者と私は設定してみた。

  エリクソンの心理的発達理論との関連性は下記のようである。


           

@   未満児(0歳〜2歳乳幼児期)はまだ自分で自分のことを守ることが出来ないのが人間の子どもである。安全安心で過ごしやすい環境を周囲の人たちが設定することが必要です。この時期をピアジェは感覚運動期と言っている。何でも触って口の中に入れる時期でもあるので、周囲に危険なものなどを置かないことや車の中に子どもを放置してはいけない。エリクソンは乳児期には基本的な信頼が大切であるという。日本古来の教えは三つ心で愛情深く育てることと肌を離さないことが必要である。新生児微笑は生後1ヶ月ころまで無意識で笑うことです。あかちゃんが無意識で周囲に愛情を求めていることであるでしょう。未満児の段階は活動そのものが遊びであるでしょう。環境さえ整えてやれば未満児は自由に遊びます。また大人を自分の一部とも思っています。周囲の大人に命令して動かすことも好きです。基本的には保護が必要な段階です。大人や保育士などと未満児の関係を私はご主人様と奴隷の関係ではないかと思っている。奴隷のように未満児の相手をしてあげると子どもは満足するようである。でも3歳未満であり、3歳を過ぎても奴隷であり続けてはいけない。

A    園児(3歳〜5歳幼児期)とはピアジェは前操作期と言っています。エリクソンは自律性と積極性が出てくると言っています。3歳になると雲梯・ブランコ・滑り台などの遊具で遊ぶこともできます。感覚運動期である未満児と違って、前操作期である園児は活動そのものが遊びになるわけではありません。道具の使い方や仲間との意思疎通など学びも必要となります。また事理弁識能力は不充分ですが、「自分の生命を自分で守る」ための学びも必要です。道路に飛び出さない、物をむやみに投げないなどの基本的な学びも必要です。園児の活動は学びを必要として遊ぶことを継続していくことにあると私は思います。日本古来の教えでは六つ躾と言って、きちんとした躾(身を美しくするとの国字)が大切と言われています。また手を離さないで安全管理をすることも必要です。その意味でも保護育成(保育)の時期です。3歳〜5歳児と大人や保育士の関係は主人と執事の関係ではないかと私は考えています。言葉として「先生」「お母さん・お父さん・おじいちゃん」と子ども達は言っていますが、自分の都合の良いように動いてくれる存在であることを望んでいます。乳幼児の段階では奴隷として仕えたとしても、3歳以上になったら、執事に昇格したわけですので、「若君・姫君、砂を投げて人にぶつけてはいけないよ」ときちんと躾けることが必要となります。

B      小学校低学年(6歳〜8歳学童期)ピアジェは小学生期を具体的操作期、エリクソンは児童期で獲得課題を勤勉性と言っています。私は日本古来の「つ」がつくまでが大事との考えを取り入れて、小学生期を低学年と高学年に分けたいと思います。小学校低学年はまだ体力的には成年の半分くらいです。高学年になると成人とほぼ似た体力になってきます。小学校低学年期は具体的操作期であり、自分なりに考えていろいろなものを操作できるようになります。また友達関係をも多くなり、親や教師よりも仲間関係が大事となる場面も出てきます。エリクソンの獲得課題は勤勉性です。勤勉性とは学ぶことと働くことでしょう。小学校低学年になったら、園児とは違って学びだけでなくて働きを活動に取り入れていくことが必要となります。働きとは人の為に動くとの国字です。まだ和語的には傍を楽にするとの語源との話もあります。たんに遊んだり学んだりするだけではなくて他人の為に動き、評価されることが必要となります。小学校低学年は遊びという手法を活用して学びと働きをする時期であると思います。環境美化活動で草抜きをしながら、植物の特性を学び、草相撲などでも遊べるようになるなどです。日本古来の教えは九つ言葉でしっかりと話が出来ることが必要となります。しっかりと眼を離さないで危険のないようにすることも大切と思います。若干の保護育成が必要なこともありますが、基本的に健全育成の時期だと思います。

小学生期の子どもと大人や先生・支援員との関係は師匠と弟子の関係でありたいと私は思います。いくら先生と呼ばせても子どもが喜ぶティーチングする内容が無ければ子どもはついてきません。子ども達をあっと言わせるような何かを持っている必要性があります。大人だけが師匠である必要はありません。小学生期になれば、子どもも多様な能力を発揮してくれます。虫博士・鉄道博士・音楽得意・数字得意などいろいろな特技を持っているものです。子どもを師匠にして、子どもから大人が学ぶことも大切です。

C小学校高学年(9歳〜11歳学童後期)は客観的に自分を少し見えるようになってくる時期であり、ピアジェの言う形式的操作期への過渡期であるでしょう。エリクソンの獲得課題である勤勉性に変わりはないと思います。日本古来の教えでは十二文と言ってしっかりと客観的な文章が書けるようになることが必要と言われています。自分を客観視できることは文章としてかけることに通じていると私も思います。また体力的にももう大人が追いかけっこをしてもかなわないこともあり、心を離さずとの教えが適切であると思います。一般的に小学校低学年は子どもだけで校区外に出かけたり、プールに行ったりするのはダメですが、高学年になると良いことになるのも「心を離さず」があるからだと思います。基本的には健全育成の段階です。知的な遊びもどんどん出来るようにと思います。

D生徒(12歳〜17歳青年期)の段階についてピアジェは形式的操作期・エリクソンは青年期で獲得課題を同一性と言っています。部活動や学習などの時間が多くなり、将来を模索する時期が始まります。たんに自分が学び遊ぶだけでなく、幼児や小学生の遊び相手をするなどの要素も必要かと思います。健全育成の時期から支援の時期になったと言えるでしょう。日本古来の教えでは十五理と言って、ある程度自分の進路を見つめる時期と言っています。

E      学生(18歳〜20代後半成年初期)の獲得課題をエリクソンは親密性と言っています。仲間作りから結婚相手等を見つけていく時代でしょう。また自立した生活基盤を作るための働く場所の確保を獲得していくことが必要となります。

F      成年・熟年時代は保護・保護育成・健全育成・支援される対象から基本的に支援する対象だと思います。経済的に自立して子どもを育てたり、両親を介護したりすることも必要です。その意味では働くことが主体となりますが、活動の中には遊びと学びも内包されていますので、上手いメリハリをつけていくことが大人になっても大切と思います。

G高齢期は自立した状態から次第に要支援・介護が必要となってくる時代です。出来るだけ自立の期間を長くしていくことが大切と私も思っています。

  人間の発達は未満児として保護され、園児として保育され、小学生として健全育成、生徒として経済的精神的支援を受け、次第に保育・健全育成・支援する側になり、自立期間を出来るだけ長くして要支援の対象になっていく流れのように思う。ただ支援しているつもりが支援されているとの相互関係もあり、隣保相愛相互扶助地域と共にとの考えを持ち続けることが大切と私は思っている。 

  未満児はきれいな環境で保護され自ら遊ぶ。園児は躾と学びの保育で遊びを深め。低学年は言葉づかいをしっかりし、健全育成で仲間作りを通して勤勉性を培う。高学年は他人に対する思いやる心を育て、活動の中に働きの要素を大切にする。

年齢区分における考え方について
満年齢 出生前 0歳 1歳 2歳 3歳 4歳 5歳 6歳 7歳 8歳 9歳 10歳 11歳 12歳 13歳 14歳 15歳 16歳 17歳 18歳 19歳 20歳超
児童福祉法 乳児 幼児 少年
保育園・学校等 未満児 園児 学童 生徒(中学・高校) 学生
民法刑法上 事理弁識能力が充分でない(保育の段階) 責任弁識能力が充分でない 賠償責任能力が充分でない
数え年 一つ 二つ 三つ 四つ 五つ 六つ 七つ 八つ 九つ 十一 十二 十三 十四 十五 十六 十七 十八 十九 二十
江戸期の教え 三つ心 六つ躾 九つ言葉 十二文 十五理
たとえ 肌を離さず 手を離さず 眼を離さず   心を離さず
ピアジェ 感覚運動期 前操作期 具体的操作期   形式的操作期
エリクソン 乳児期 幼児期 幼児後期 児童期 青年期 
基本的信頼 自律性 積極性 勤勉性 同一性 
活動内容 遊び(保護) 遊びと学び(保育) 遊びと学びと働き(健全育成)  学びと働きと遊び(支援)