小説に求めるもの


最近、NetNews (fj.books) の記事を読んでて、 それはちょっと違うんじゃないの、 と思うことが多いです。 NetNews の方で、あれこれ書いても、どうせいつものように、 平行線をたどって、どうにもならないと思われるので、 自分の Web ページで、自分の思うことを書くだけにとどめておきます。

小説、といってもいろいろありますが、 とりあえず、fj.books での議論の発端になった 『グイン・サーガ』シリーズ(栗本薫 著) についていうと、確かにこのシリーズはエンターテインメント性が強いですが、 エンターテインメントな部分だけじゃないでしょ? 単なる楽しみ、気分転換、暇つぶし、のために読むだけじゃ、 あまりにももったいない。

小説一般について、そもそも小説って、 エンターテインメントだけじゃないと思いませんか?

小説は、本来、書いてあることを追体験し、 小説世界を味わう(≠楽しむ)ためのもので、 その追体験した結果を、自分自身の生活 (物理的なものだけじゃなくて、精神的なものも含む)に照射し、 自分の生きる方向を見出すためのものでしょう。

一回目は、楽しむために読む(のは許容する)として、 二回目、三回目以降は、 それではまずい。それでは、何も進歩がない。

小説をエンターテインメントでしかない、と思わせているのは、 結局、和製ファンタジー系の本(だけじゃなくて、似非SFな本も) の氾濫が主たる要因のようで (というか、純文学寄りの本は最初から読もうともしない読者が氾濫してるので、 出版界も、そういう方向に流れちゃうんだろうけど)、 このまま行くと、エンターテインメント性皆無の小説なんて、 絶滅しちゃうんだろうな。なんか嫌な時代だなぁ。

本当は、「小説」だけじゃなくて、 「マンガ」もエンターテインメント性を軽視したのが、 主流になるべきだと思うんだけど、 今の世の中じゃ、望み得べくもない。

エンターテインメントなんて、くそくらえ!

(1998年2月7日、記)


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Last Modified: Wednesday, 29-Aug-2007 03:11:05 JST