私がカード類を集めだしたのは、私の年代の人間の多くがハマった、 「仮面ライダーカード」 (カルビーの『仮面ライダースナック』(20円)を買うと付いてくるカード) である。それ以前にも面子の類は持っていたが、 意識的にモノを集めようと思ったのは、「仮面ライダーカード」が最初だと思う。 今は私の手元に1枚も残ってないのが残念だけど、収集の基本知識を、 この頃にある程度習得することができたのは、今につながる大きな資産になっている。
私のカード類の収集の歴史を簡単に振り返ってみよう。
- 1960年代、かなり厚手の紙の角メンコが出回る。
- 1967年頃、 最近の用語でいうところのいれずみシール(要するにデカール) や ピクチャーモーションカード付きのガムやふりかけ (エイトマンやおそ松くん)がブームとなる。
- 1972年、『仮面ライダースナック』発売。 「仮面ライダーカード」収集開始。
- 「仮面ライダーカード」のブームを受けて、 山勝などの印刷業者から、 1袋にカード(ブロマイド)が1枚入った10円売りの籤 (今のPPカードのような販売形式)が出る。 「バロム1」や「ウルトラマン」、東宝系特撮、 大映系特撮のカードがあった(1袋2枚入り20円売りというのもあった)。
- 1973年、第1次石油危機。やたら物価が上がってカード収集どころではなくなる。
- 1974年、カードの収集よりもソフビの怪獣人形を集めるのに夢中になる。
- 1975年。この頃から世間ではシールを集めるのがブームになり始める。
- アマダからレインボーマンやキカイダーのカードが発売されていたようだが、 すっかりカードの収集から遠ざかっていたので、詳細は知らない。
- 1986年、世間では、ビックリマンシール、ブーム頂点に到達。
- 1988年6月、最初のカードダス「聖闘士星矢カード」と「SDガンダム」、 同時発売。
- この頃より、数回、 『週刊 少年ジャンプ』に 「ドラゴンボール」のカードダスが綴じ込まれて発売される。
- 1991年11月、笠原弘子ML発足と同時に入会。
- 1992年3月、「美少女戦士セーラームーン」放送開始。 すっかりハマってしまい、 たまたま見かけたカードダスの機械に魂を吸い取られる。 以後、カード収集、再開。
- 笠原弘子MLの集まりに出て、 その帰りにたまたま寄った京都河原町の高島屋の屋上で、 不要カード捨て場なるものを 発見。そこで「ゲンジ通信あげだま」のPPカードを観測。衝撃を受ける。
- メッカ原宿、オープン。
- 笠原弘子MLにて、 拙作の「カードカタログ」配布をアナウンス。
- 1993年、普通のカードダス以外に、カードダスハーフ、 ジャンボカードダス、カードダスダブルなどが発売される。 バンダイのあの手この手の攻撃に翻弄される。
- 一方、アマダはアマダで 「ヒーローコレクション」 というカード構成枚数の多いシリーズを出してくる。
- 気がついたときには、すっかり女の子向けアニメ全般のカードに手を出していた。
- 1994年、セーラームーンのカードダス通算10億枚発売達成を記念して 特別なカードダス(非売品、2枚セット)が作られる。
- 1995年、『週刊 少年ジャンプ』の応募者全員サービスで トレーディングカードサイズのカードが配布される (「とってもラッキーマン」、「ジョジョの奇妙な冒険」、「キャプテン翼」 のそれぞれが5枚×3回=15枚セット、合計45枚のカード)。 これが、日本で最初の非スポーツ分野のトレーディングカード?
- セーラームーンのカード収集熱、醒める。私以外にも醒めた人が多かったようで、 女の子向けアニメのカード類の売り上げは落ちているようである。 代わって、男の子向けアニメのカード類が多品種化。
- 4月末、メッカ原宿、閉店。数十日後、タカラ原宿人気館、閉店。 カードコレクターにとっての原宿の重要度はほぼ零になる。
- 1996年、アニメ関係のトレーディングカードが本格的に発売され始める。 とうとう、トレーディングカードにも手を出してしまう。
- 「ドラゴンボール」の全カードダスの写真を収録したムック(全2巻) が集英社から発売される。付録として、特製カードダスが綴じ込まれている。
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