第弐拾六話
世界の中心でアイを叫んだけもの
[Take care of yourself]
<あらすじ>
時に2016年、人類補完計画、人々の心の補完は続いていた。
今回は放送時間の関係で、碇シンジ、彼の心の補完についてのみが語られる。
シンジにとっての恐怖は何か?
自分がいらなくなること。しかし彼は自分に存在価値が見出せない、自分はいらない人間だと信じていた。
そう思い込んで逃げているだとミサトは詰問する。シンジはミサトも同じじゃないかと叫ぶ。
ミサトはその言葉を肯定する。私達はみんな心のどこかが欠けている。だから私達は他人を求める。だから補完計画で一つになろうとしているのだ。
人は、そうしなければ生きてゆけない。
生きていて嬉しい?レイが尋ねる。
アスカが答える。嬉しいに決まっている。
シンジが答える。嬉しいと思う。
なぜ逃げてはいけないのか。シンジは答える、逃げること、そのことで自分が無価値な人間になることは逃げることよりももっと辛いことだからだと。
だから、エヴァに乗るのだ。エヴァに乗ることで自分は自分でいられる。エヴァに乗ることでここに居ることができる。自分に価値が生まれる。
シンジにもアスカにもエヴァに乗ることがすべてだった。しかしミサトはエヴァはあなたの一部ではあるが、あなたの総てがエヴァではないことを告げる。
アスカがシンジに告げる。エヴァに頼っているとエヴァが無ければなにもできなくなる、自分のように。
恐いものは、「拒絶」。
欲しいものは、「接触と承認」。
願うものは不安の解消。求めるものは寂しさの解消。
シンジとアスカの持つ不安。それは自分達の存在価値への不安だった。それは父親に、母親に捨てられた記憶。しかし他人が認める自分は本当の自分ではないのだ。
ユイがシンジに語りかける。自分の価値は、自分自身で認めるしかないのだと。
しかし、シンジには自分がわからなかった。
だから心の閉塞を願うのかと問われる。シンジは自分が解らないから、だれも自分のことを解ってくれないからだと言う。
アスカが、そんなのはあたりまえだと言う。レイが、自分を理解できるのは自分自身だけだと言う。ミサトは、変化してゆく世界の中で、その世界を変えてゆくのは自分自身の意志であると告げる。
何も無い、真っ白な世界。その中をシンジは漂っていた。総てが自由な、それゆえに何も無い世界。
シンジにはそのなにも無い世界ではなにをすればいいのかわからない。
不安な彼にゲンドウの声が届く。不自由をやろう、と。
世界に一本の線が引かれ、天と地が生まれた。シンジはその地に足を降ろす。自由の一つが消えた世界、大地に立たなければいけない世界。しかしその世界でも彼は自由に歩き回ることができるのだ。
何も無い世界では彼は自分のアイデンティティを持てずにいた。自分以外の、他人の目がないと、自分を自分として認識できないのだ。
他人の自分に対する認識が自分を造る。しかしどのような認識をされても、自分は自分なのだ。シンジは自分の正体に気付く。
ミサトがやさしく彼の思いを肯定する。アスカがやっと気付いたのかと、いつものように彼に馬鹿者と怒鳴った。
その罵声にシンジは目を覚ました。
目を覚ますと幼なじみのアスカが自分を起こしに来てくれているのに気付く。愚痴るアスカを軽く受け流すと、もう少し寝かせてくれと布団にもぐりこむ。
キッチンでは新聞を読みふけるゲンドウが洗い物をするユイに小言を言われている。
アスカにビンタを食らい、頬に手形を付けたシンジはアスカと共に学校へと出発する。来年には彼らの街に遷都されることもあって、人の流入も多い。今日も転校生がくるらしい。かわいい子だといいな、と言うシンジをアスカは渋い目で見る。
別の道をトーストを加えた快活な少女が走る。遅刻しそうなのだ。全力疾走の少女とシンジが曲がり角で激突する。
少女はまくれあがったスカートを慌てて直すと、シンジに急いでいたのだと勢いよく詫びると再び走り出す。
教室ではトウジ、ケンスケ、ヒカリ達がいる。始業間際にミサト先生がスポーツカーで飛び込んでくる。窓からミサトにVサインを返すシンジ達3バカトリオに、アスカとヒカリが悪態をつく。
教壇に立ったミサトは転校生を紹介する。
「綾波レイです、よろしく」
シンジと今朝激突した少女だった。シンジはレイを見て息を飲み、レイは教壇からシンジを痴漢呼ばわりする。アスカが勢いよく立ち上がりシンジを弁護すると、レイは2人はできているのかとまぜかえす。ヒカリがその場を納めようとするが、教師のはずのミサトはレイとアスカをたきつける。
…そこに広がるのは典型的な学園ラブコメの世界。
シンジは台本から顔をあげる。自分がエヴァのパイロットではない世界、違う世界の中で生きる自分の可能性もあることを理解する。
講堂の中心に座るシンジにミサトが諭す。世界の可能性に気付くことができれば、この世界も決して悪いものではないと。
世界は悪くないかもしれない、しかし自分はきらいだ、シンジはそう答える。
そんな彼にみんなが語りかける。現実は認識する自分の心しだいでまるで別物になってしまう、シンジは人の好意になれていないだけだ、自分が嫌われていると、自分自身が思い込んでいるだけだと。
しかし、シンジは自分が嫌いだと言う。ミサトは、自分が理解できれば、嫌いではなくなる、やさしくできるでしょうと告げる。
シンジは自分を好きになれるかもしれないと思う。彼の周囲の世界に亀裂が走る。
彼は自覚する。自分がここにいていいことに、自分が自分でしかないことに、そして自分はここにいたい、この世界で生きてゆきたいと叫ぶ。
その時、彼一人の孤独な世界、閉ざされた講堂は消え去った。
シンジの周囲をみんなが取り巻く。ミサト、レイ、アスカ、級友、ネルフの面々、そして、両親。彼らがシンジを祝福する。
シンジは満面の笑みを浮かべて答える。
「ありがとう」と。
<評価>
- シナリオ ★★☆☆☆
- 演出 ★★★☆☆
- 総合 ★★☆☆☆
<感想とねたばらし>
あらすじが異様に長いです。ストーリーが無いんだから要約のしようがないんだよう。情報の羅列な構成だから、こちらとしてもそれを網羅するしか書きようが無いんだな。(-_-;)
- 最終回のシンジ
- 第拾六話と第弐拾話のくり返し。
それだけ。
…ほんとにそれだけだってばさ。(-_-;)
- 最終回のペンペン
- なぜここにいる?さてはお前、人間だな!!
だって「人類」補完計画でしょ。
- 最終回のラブコメ
- あー、もう笑いが止まらん。全国の同人作家がのけぞる姿が…わはははは。
階層を一つ落とした仮想世界だったわけですが、シンジが目を覚まし、アスカが幼なじみであるというセリフが発せられた時にはみんなのけぞったことでしょう。まさか夢落ちか!!と。
しかし、あのきぴきゃぴなレイはちょっとなあ…私の好みじゃない。30000パーセクほど引いてしまった。
やっぱりレイの魅力はあの硬質な性格の隙間から見える淡い感情だと思っていますので。(病んでるなあ ^^;)
しかし、同人ネタはあらかた本編でやられちゃいましたねえ。パロディがパロディにならない状況だよな。このへんGAINAXはきっちり狙ってやっているのでしょうな。
しかしこのらぶこめ、最終話全体から見るとラス前の目くらましという役目しか見えてこない。
この後の台本を持ったシンジといい、オシイストはこーいったメタな演出に大爆笑していることだろう。
- 拍手拍手
- どっかの新興宗教か自己啓発セミナーかよ。これは丸め込まれて洗脳されただけで、シンジが「成長した」わけではないと思うぞ。
言ってることが間違っている、と言うわけではないので念のため。
- 余談
- まったくの余談になるが、もし夢落ちにするなら、シンジが目覚めたのは病院のベッド、時期は第弐話。つまり、彼は初号機で出撃したものの、第参使徒にこてんぱんにやられて初号機は死亡。第3使徒は健在、ネルフも世界の運命も風前の灯火、ってのはどーかな?(^_^)
今回の第弐拾伍、弐拾六話はいったい何だったのでしょうか??
とりあえず人類補完計画の目的は明らかにされました。しかし、
- エヴァ初号機はいったい何なのか
- 使徒はいったい何なのか
- 人類補完計画を実行するのに、なぜ使徒を全部倒す必要があるのか
- ゲンドウはいったい何を考えているのか
- レイはいったい何なのか
- ネルフ本部の地下に飼っている物は何なのか
- ロンギヌスの槍とは何なのか(どのような機能があるのか、ではない)
- セカンドインパクトはなぜ起きたのか
- 旧東京はなぜ壊滅したのか
- ペンペンはいったい何なのか
- どーしてミサトは人に頼ってばかりで成長しないのか
- 青葉君はなぜこんなに影が薄いのか
- せっかく生き残ったのにトウジはなんで出てこないのか
- ゲンドウはどーやってリツコを手込めにしたのか
- ゲンドウは他に誰に手を出しているのか
等等。
まあ、総ての謎を解説しろ、とは言いませんがせめて上から5つくらいは解説してくれないと…
「エヴァンゲリオンはシンジの成長の物語で、謎解きの物語ではない」という意見があります。それはたしかにそうでしょう。しかしこの第弐拾伍、弐拾六話というのは「物語になっていない」という致命的な欠点があります。あの結末が監督の目指した物であったにせよ、これまでの第弐拾四話までで作り上げた伏線を残したまま、それをすべて放棄してキャラクタ間の観念的な会話、情報の羅列のみで最後まで突っ走ってしまう。これでは完全に全体の構成が破綻しています。
物語は始まった以上、必ず終焉を迎えます。しかし「物語」でない物に「物語」を終わらせることはできません。
しかしこまったことに第弐拾伍、弐拾六話だけを独立して見る場合、「物語になっていない」という点と「動画にマーカーで撮影」(演出…とは言えないぞ、あれは)という点を除くとカット割りとかの演出はきっちり高水準なのが余計に厄介ですね。決してどうでもよくなって手をぬいて造ったというわけではないようですから。
内容については上でも書きましたが、つまるところ第弐拾話と同一内容です。いまさらやる内容ではありません。第弐拾話できっちり徹底的にやっておくべきだった内容です。第弐拾話はその前の第拾六話を受ける話でした。今回第弐拾伍、六話が第弐拾話を受ける話というのでは構成からしてちょっとくどい。
だいたい「自分がここにいてもいいんだ」くらいのことを自覚していないような奴がエヴァに取り込まれたあと現実世界に返ってこれるわきゃ無いと思うぞ。
しかし、「2001年宇宙の旅」にも「地球幼年期の終わり」にも「ブラッドミュージック」にも「ビューティフルドリーマー」にもならなかったなあ。
人類補完計画の内容を知ったとき、「これは絶対『ブラッドミュージック』!」と思ったのだけどな。
それがまさか自己啓発セミナーのビデオになるとわ…(T_T)
…泣くぞ。
- 今週のCM
- 「戦いは、終わらない」
なるほど、シンジ君。で、続きは??(^_^;;)
とか言っていたら…緊急報告を読むべし。
[Before TV report.]
[index|NEON GENESIS EVANGELION|TV report.]
Apr.,10,1996