南果ひとみ
(なんで、今日に限ってこんなに静かなんや)
とりあえず紙の束とビデオは元に戻した。
部屋中、指紋をとったせいで白い粉だらけだったのも掃除した。
クロゼットの中身がぶちまけられていた寝室はとりあえず寝る場所だけ確保。
本と雑誌が散乱していた書斎は泥棒にやられたのか自分がやったのか判別がつかなかったが、とりあえず明日に回し、アリスは味気ない夕食を口にしていた。
疲労のせいか、せっかくのホテルディナーもほとんど味がわからない。
都市部であるこの周辺は、夜が遅い。なのに今日に限っては、酔客のざわめきも行き交う車もまるで絶えたかのようだ。そのせいでいつもはまるで気にならない足音や、エレベーターの稼動音、それから別室の帰宅した人のたてる音が妙に気になって仕方がない。
カツカツと規則正しい靴音が近づいてくる。
アリスはびくっと肩を震わせた。
ぴたりとアリスの部屋の前で止まる。
(まさか・・・・・・)
ピンポーン。
間の抜けた音。
(火村?)
火村が帰ってくるのは明後日のはずだ。
アリスはおそるおそる魚眼レンズから外を見た。
誰もいない。
(ま、まさか・・・・・・)
「よぉっ」
「うぎゃーっっっ」
ぬっとレンズの前に現れ出た人影にアリスは絶叫を放った。
「気が強いわりに怖がりなんだな」
くっくっくっと喉の奥で隣人・・・・・・これでも法学部の助教授だという小鳥遊湊が笑う。
先日まではドレッド気味だった髪はばっさり切られているが、相変わらず無精ひげと色付メガネは変わらない。細身のシルエットのスーツはグレー。白と黒の千鳥格子のワイシャツにアクアブルーのネクタイが目に鮮やかだ。
お裾分けにあずかったタコ焼は、さっきすませたホテルディナーよりもよっぽどおいしく感じられる。冷えたビールの味も格別だった。アリスは、自分が安堵していることに改めて気がつかずにはいられなかった。
盗まれたものはまるでなかったのだが、思ったよりもだいぶ自分は泥棒に入られたことにショックを受けていたのだろう。そうでなければ最悪の初対面からずるずるとご近所付き合いをしてはいるもののいかがわしさと怪しさの極地にいるような小鳥遊をあっさりリビングにあげたりなんかするはずがない。
「うるさい。あんたが驚かせるのが悪いんや」
しかし、相手が小鳥遊だとどうしても憎まれ口になってしまうのは最初が最初だったせいだろう。
「はいはい。で、何でそんなに驚いたわけ?あんた、お化けとか大丈夫だろ」
「お化けも幽霊も別に恐くはないんやけど、生きている人間は恐いのや・・・・・・で、なんで俺がお化け大丈夫なんて知ってるんや」
不思議そうに問い掛けるアリスに小鳥遊はずらっと並んだアリスのビデオライブラリーを目線で示す。B級ホラーのオンパレード。タイトルだけでそれとわかるのならば小鳥遊自身も相当なマニアである。
「生きている人間って・・・・・・ああ、泥棒に入られたってこの部屋か?もしや」
何がどうなっているのかわからないが、さすがに回転が速い。
「何で知ってるのや」
「ホールんとこでガキ供が3Fと7Fと12Fに泥棒が入ったって、噂していたからな」
「こんな時間に?」
「こんな時間って、まだ10時過ぎたばかりだぜ?今時のガキは塾だ何だって夜遅いからな。そんなに珍しくないだろうよ」
「・・・・・・子供やるのも大変やな」
「まあな。何たって受験戦争って言うくらいだし・・・・・・。でも、どんなにいい大学入ったってバカはバカなんだがな」
「暴言やな。仮にもK大学で法律教えてる人間のセリフとは思えんわ」
「だからこそ言えるんだろ。うちの大学は関西の私立大学じゃあトップクラスだって言われてるが、まともに勉強しにきてるヤツなんて半分もいないぞ」
「そんなものなんか?」
「ああ」
とはいえ、自分もまともに勉強しに行っていたとは言い難いアリスである。
「ま、学生時代なんてそんなもんだと思わんでもないが、最近のは特にひどすぎる。そのくせ、試験が難しすぎるだとか、単位が取れないだとか・・・・・・挙句の果てには出欠が厳しすぎるときたもんだ。対象となるガキが理屈こねないだけ、保育園の保母さんの方がマシかもしれん」
小鳥遊はおもしろくもなさそうに肩をすくめてみせる。
口元を軽くもちあげるその表情は皮肉げで、揶揄するような眼差しはどこまでも冷徹な色を帯びていた。
(大学の先生になる第一条件はこの辛辣な性格なんやろか)
アリスは思わず心の中で溜息をつく。
火村もそうだが、小鳥遊もまた柔らかな性格だとは言い難い。
(でも、似てるようで似てないんだよな)
火村と小鳥遊を比べる時、共通点はほとんど見つからない。なのに小鳥遊と話していると不思議と火村のことが思い出されてならないのはなぜなのだろうか?
「・・・・・・で、鍵の手配は済ませたのか?」
ぼんやりと酔いの回った頭でとめどなく思考が流れて行く。
それを留めたのは小鳥遊の声だった。
(ああ、そうか。声が似てるんか)
からかわれていることがわかっていながら無視できないのも、ついつい真面目に対応してしまのもその声のせいなのかもしれない。
「どこに電話していいかわからなかったから、まだ手配してないんや。それに鍵って勝手に替えていいんやろか?」
「管理会社に電話してないのか?」
「えっ、ああ、うん」
「管理会社で全部やってくれる。電話いれてピッキング対応のシリンダーに替えさせろ。ついでに無くなったものとか壊れたものがあったらちゃんと届け出しておけよ。保険がおりるから」
「保険?」
「ああ。皆、ここのマンション契約するときに強制的に保険に入らされているからな。盗まれたものがあればちゃんと保険がおりるはずだ」
「へぇ・・・・・・」
見た目はかなりいい加減だが、中身は案外そうでもないらしい。無論、そうでなければ法学部の助教授など務まらないのだろうが。
一人にはなりたくないアリスの気持ちが通じたのか、小鳥遊が三本目に手を伸ばした。
「とりあえず鍵替えるまで、チェーンをしっかりかけとけよ。家にいる時しか役に立たないけどな」
「・・・・・・チェーン、壊れてるんやけど」
「・・・・・・貧乏作家の家に二度も入るような間抜けな泥棒がいないことを祈っとけ」
「貧乏作家で悪かったな」
「本当にそうなのか?泥棒も盗むもんがなくてがっかりしただろうな」
「あんたも大概失礼なやっちゃなあ」
「事実なんだろ」
くっと喉の奥で笑う。その、どこか試すような眼差しに視線が魅きつけられた。
火村以外の人間とサシで飲むなんてことは滅多に無いのだが、案外悪くないものだと頭の片隅で思う。
「その貧乏作家の家でビール三本も飲んでるのはどこのどいつだ」
「つまみ提供してるだろ。カタいこと言うなよ」
「つまみって、さっきからタコ焼だけやんか」
テーブルの上には3パック目のタコ焼。いくらおいしくてもさすがにこれは飽きる。
「仕方ねえだろ。あと5パックで完売だってんだから・・・・・・」
「はぁ?5パック?」
「何だよ」
「あんた、一人で5パック喰う気やったんか?」
「わけないだろ。だから、おまえんとこ持ってきたんだろうが」
「何で一人で食べきれんもの買うたんや?」
「全部売り切れば帰れるって屋台のおっさんが言うから仕方ないだろ」
「それにしたって・・・・・・」
「明日が入学式だっていうガキが家で待ってるって聞いたもんだからな・・・・・・」
そうつまらなそうに口にする小鳥遊の顔をアリスはまじまじと見つめる。
「なんだよ」
「・・・・・・いや、すっごく意外で……」
「おい」
「もしかして、結構人情家なん?」
さんざんからかわれてきたお返しにアリスはニヤリと笑みをもらす。
「わけないだろ。ただの気紛れ。俺にもガキがいるらしいから、たまたまそんな気になっただけだよ」
「ガキって子供?」
アリスは目を丸くする。
「ああ。昔、子供ができたから産むって言っていなくなった女がいるんだよ。もし産まれていれば、ちょうどその子供もそれくらいになるはずだからな」
「・・・・・・なあ」
「なんだよ」
「なんでその人と結婚せえへんかったん?」
「別に結婚を求められたわけじゃない」
苦々しい口調で小鳥遊が言う。その表情は何でこんな話になっちまったんだろうと露骨に表現しているが、アリスはかまわなかった。いつも違う女を連れているこの男の過去に興味があった。
「でも、好きやったんやろ」
「好きか嫌いかっていうなら好きだったさ。今考えても、俺の知る限り、一番いい女だ」
「じゃあ、なんで?」
「・・・・・・もっと好きな相手が他にいたからな」
ふっと小鳥遊は視線を和らげた。
それは何という表情だったろう。
懐かしげな表情、瞳の奥底にたゆとうほろ苦い感情、その眼差しは遠い記憶を辿る。
「誰を傷つけても、何を犠牲にしても・・・・・・諦めきれなかったからな・・・・・・仕方がない」
苦々しげにつぶやくその声音は、アリスの胸の内にすべり落ちる。それ以上聞いてはいけないのだと頭の片隅で警告が発せられているのに、その先を問う事をやめられなかった。
それは既に単なる好奇心ではないのだと、アリスは気づいていなかった。to be continued
お待たせしましたッ!! 『Sweet Pain』の続きです。 そして、お待ちかね(?)の小鳥遊氏が遂に登場です。うれしィ〜!! 小鳥遊氏は南果さんとみどりばのご贔屓キャラなので、きっと素晴らしい活躍をしてくれることでしょう。ドキドキ、ワクワク、ウキウキ、ルンルン…☆ あ〜、早く火村も異国から帰ってこないかなぁ…。私はこんなに火村の登場を待ったことはないッ!!---というぐらい、火村のご帰還が待ち遠しいです(笑) そして、とうとう始まるコブラ対マングースの一騎打ち。どっちがコブラでマングースかはおいていて、その日が待ち遠しいよぉvvv 頑張れ、アリス!! ---あれッ!? でもアリス釣るには、やっぱ食べ物ですね。 |
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