vanilla essenceはお好き!?

かざぎりれい 




『手土産は《さふらん》のプリンがいい』
 電話の相手はそう主張する。いつものようにそれが当然のことのように、だ。
「あんなとこまで行けってのか?」
『ええやんか、君のとこからならすぐやろ』
 電話の相手はかたくなに主張する。こいつの非常識はいつものことだが、京都から大阪まで人を呼び出すくせに、いい度胸じゃないか。だが、一度言い出したら引かない事は、長年の付き合いで熟知しているので、俺はちっと舌を鳴らすと
「一個でいいな?」
と妥協した。途端に『火村ぁ』という嬉しそうな声が返ってきたが、それだけでは割りが合わないのは明白なので、「ただし!」と付け加える。
 何しろ《さふらん》というのは河原町三条にある喫茶店の名前で、電話の相手である有栖川有栖が学生時代から好んで通っていた店の一つだからな。
「大阪のお前のところに行くのに、わざわざ人も車もうんざりするほど多い河原町くんだりまで行かせるんだから、有栖川先生は、それなりの感謝は示してくださるんだろうな?」
『うっ』
 電話の向こうで思った通りの反応が返る。まったくこいつは俺を何だと思っていやがるんだ。
「まぁ、いい。河原町経由だと時間が読めないから、河原町を出たところで電話する。多分七時頃になると思うから、簡単なつまみぐらいは作っとけよ」
 そう言い置いて電話を切ったのは、今日の四時過ぎの事だった。
 しかし、俺が大学を出掛けられたのはそれから二時間後だった。いつもなら自分の研究を適当に切り上げて帰るのだが、今日に限って教授に呼ばれてしまったためだった。
 何かと思えば『入試』だと。今までは上の教授連中がやっていた面接を、今年は俺にも手伝わせてくださるそうだ。
 はっ、ありがたくて涙が出るね。
 一応固辞してはみたものの、何故か相手がしつこく食い下がってきた。おかげで時間もかなり経っちまったし、結局は引き受けさせられてしまった。
 まぁ、俺も一応英都大学で教鞭を執る身だ。受験に全く無関係って訳でもないしな。
 とりあえず、次の火曜日に試験の打ち合わせをやる事を聞いて、やっと解放されたのは六時になろうかという時間だった。
 しかし、このときは解放されてやれやれと思ったのだが、俺はこの後これを引き受けたことをつくづく後悔する羽目になった。

◇◇◇

「おかしいな」
 河原町で買い物を済ませた俺は、アリスの家に何度目かの電話をかけた。四時頃には上機嫌だったはずの奴は、しかし全く電話に出ない。
 もともと今日はアリスが、
『原稿が上がって、ようやく人並みの生活に戻れたから遊びに来んか?』
と、呼び出しをかけてきたのだ。
 推理作家であるアリスは、原稿中全く外に出ない。それで他人に会わないためか、原稿が終わると人恋しくなるらしく、よくこの手の電話を寄越す。だから今更珍しくもなく、またたまたま今日は水曜日だが明日は祝日で、しかも明後日の金曜日を休めば、土曜日も当然その次の日曜日も、俺の勤務先の英都大学は休みだ。更に今は丁度二月で、講義も無いため休みは取り易いとくれば、くされ縁の悪友としちゃ行かない訳にはいかねぇよな。
 まぁもっともあいつの場合、どうせ俺に会いたいというより、俺の料理に会いたいってとこか。
 まぁ向こうから呼ばれたことだし、俺としてもしばらく顔を見ていない奴の様子が気にもなる。何しろ原稿明けの奴は、いつもにもまして役立たずだからな。
 そういうやり取りの後、しっかり手土産までリクエストを寄越したくせに、アリスは何をやってるんだか、まったく電話に出ようとしない。
 最初は何か買い忘れてる物でもあったのかとか、どうせまたリビングのソファーで寝こけてるんだろうと思っていたのだが、小一時間の間に数回電話をしたのに一向に受話器を取る気配がない。
「おかしいな、遅くなったぐらいのことで拗ねるはずねぇんだが」
 いやな胸騒ぎに襲われて、俺は愛車のアクセルを更に強く踏み込んだ。


 夕陽丘のアリスのマンションに着いた時には、既に八時を過ぎていた。とりあえず、もう一度電話してみたが、やはり出る気配はない。マンションの部屋の辺りを見上げても、アリスの部屋には明かりがついている様子ではなかった。
「人を呼び出しといて、まさか出掛けた訳じゃねぇよな」
 そう口に出してみても、その考えを信じている訳じゃない。第一そう思っていたら、絶対にこんなところまで来ねぇよな。まぁ奴のことだから、出掛けた先で事件に巻き込まれていたりする可能性は否定できないんだが。
 不審に思いながらもエレベーターに乗り、部屋の前に辿り着く。とりあえずドアホンを鳴らしたが、これにももちろん応えは無い。
「しょーがねぇな」
 俺は以前から持ってはいたが、滅多に使うことの無かった合い鍵を取りだした。当たり前だ。ここに来るときには、いつも部屋の主がいたんだからな。
 カチャリと鍵が外れる音がしたのを確認して、俺はアリスの部屋に入った。明かりのついていない玄関先は真っ暗だったが、勝手知ったる何とやらで部屋の電気をつけた。
 とりあえず明かりに目が慣れるのを待ってから辺りを見回すと、梅田にある阪神デパートの買い物袋が無造作に置かれているのが目についた。どうやら買い物には行ったらしい。
「しょーがねぇな」
 俺はその袋の中身を改めると顔を顰めた。肉や野菜といった生鮮食料品が詰まっていたからだ。やはり俺に何か作らせる気でいやがったな。
 とりあえず冷蔵庫にそれらを移してから、リビングに向かう。そこにも明かりを点け、いつものアリスの定位置であるソファーを振り返ったとき、俺は思わず息を飲んだ。
「アリス!」
 いつもの定位置で、いつものようにアリスは横たわっていた。ただし、様子がおかしいのは一目で分かる。
 何しろ、いつもは幸せそうなその寝顔が、苦しそうに歪んでいたし、その顔色ときたら紙のように蒼白だったから。
 額に触れてみると高熱があることがはっきり分かり、俺は慌てた。生憎、医者には知り合いはいないが、とにかくこのままにはしておけない。
 ---たしか近くに病院があったはず……。
 今から思えば救急車でも呼べば良かったのだろうが、とにかくこの時は動転していたらしい。
 大急ぎで手近にあった毛布でアリスを包むと、俺はぐったりとしたその身体を抱え上げた。
「ん」
 身体が大きく動いたためか、アリスようやく目を開いた。
「あ、火村やぁ」
「気が付いたか?」
「うん? なんや気持ち悪い……」
「もう少し我慢してろ。それより一番近い病院は何処だ?」
「……確か……?」
「……もういい、寝てろ」
「ん」
 アリスは、俺の言葉に素直に目を閉じた。
 しかし俺は、アリスを抱き上げていなければ頭を押さえているところだった。
 いくら熱で何も考えられないとはいえ、何年この町に住んでるんだ、と訊きたくなるじゃねぇか。
 だがこのやり取りのお陰で、俺は随分落ち着きを取り戻した。
 改めてアリスの様子を観察し直すために顔を覗くと、先程より少しは楽そうに見える。アリスの右手が何かを探すように宙を彷徨ったが、その手が俺の背広に触れると擦り寄るように身を寄せてきたのを見て、俺はその様子に苦笑を漏らした。
「さて、とにかく医者だな」
 俺はアリスを落とさないように気をつけてドアを開けた。


◇◇◇

「ったく」
 俺は、ちっと舌を鳴らした。
「随分な言い分だな」
「そうか?」
 アリスは首を傾げた。
 風をひいて部屋で高熱を出していたのは、まだまだ寒さの厳しい二月のことだった。
 そう。奴は原稿明けの惚けた頭で食料を買いに行って、風邪を貰ってきたらしい。大体二月のくそ寒い中を薄着で外出したと聞いたときには、俺は本気でこいつを見捨てて帰ろうかと思ったくらいだ。
 しかし40℃を越える高熱がなかなか下がらなかったし、独り暮らしのアリスを見捨てることはできず、四日間は付きっきりで看病してやった。その後も可能な限り休みたかったが、入試の打ち合わせは、さすがの俺もサボる訳にはいかなかった。
 結局、入試にかかる一番忙しいときに、俺は大阪のアリスのマンションから大学に通ったのだ。
 入試当日なんかは、朝は早いうえに採点の確認で付き合わされて、大阪のアリスのマンションに辿り着いた時には夜の十時を過ぎていた。全くひでぇ目にあっちまった。
 そして、今は三月も半ばにかかろうという時期。
 今日はアリスがあのときの礼をしに来る、ということだった筈だったんだが……。
「せやから、それには感謝してるって何回も言うてるやろ。ほら、手土産も持ってきたやんか」
 そう言って、アリスは誇らしそうにテーブルの上に置いた箱を示した。箱の上にはかわいい色のシールが貼られている。そのシールには《さふらん》の文字。それは、あの日アリスがプリンをねだった店の名前だった。
 中身は間違いなくプリンだ。
「言葉は分かるさ、これでも俺達の母校で教壇に立ってるんだぜ。まぁ、作家の先生からみると、たどたどしいのかも知れねぇがな」
「なんやて!」
 嫌味たっぷりに言ってやると、さすがに怒ったらしい。アリスは両方の頬を膨らませて、身を乗り出してくる。全く分かりやすい奴だよ。
 俺はひとつ息をついて「あのな」と話し掛けた。
「お前、さっき自分が言ったこと分かってるのか」
「さっきって、感謝してるて言うたアレか?」
「違う。その前の台詞だ」
 キョトンとしたその様子に、こいつホントに分かってねぇなと、俺は深くため息をつく。
「お前さっき、自分が風邪ひいたのは俺のせいだと言っただろうが」
「ああ、だってその通りやんか」
「いいか、アリス。お前が風邪をひいたのは原稿明けの消耗した体力のまま、あのくそ寒い二月に薄着で、しかも丁度特売日で人の多かったデパートに買い物に行ったためだろうが。しかも今年はインフルエンザが蔓延してるっていうのに、うがいも何もしなかったっていうのまで、俺のせいだっていうのかよ」
「そうや。買い物は、君が来るからそのために行ったんや。原稿明けで疲れているにもかかわらず、やで。薄着で出掛けたのは、その日が良い天気で暖かそうに思えたからやし、特売日やインフルエンザの流行は不可抗力で、俺が狙って行った訳やない。となれば、君のための買い物のせいっていうのが妥当な線やと思うやろ?」
「お前な、もし俺がお前のために買い物に行って、そのせいで風邪をひいても、同じ台詞が言えるのか」
 俺は実際に、雨の中をFAX一つで買い物に行かされた過去がある。幸いにして風邪はひかなかったが、あのとき風邪をひいても不思議じゃなかった。
「そんなん、何で俺のせいなんや? 第一、君が風邪をひいたりしたら、君とこの学生が迷惑するだけやろう? 大学で教えとるんやから、体調管理も仕事のうちやないんか?」
 俺はアリスのその台詞を聞いて、思いっきり脱力しちまった。まったく何て自分勝手な思考回路だろうか。すっかり反論する気が失せちまった。
「なぁ、火村。それよりこれ食べよう。せっかく河原町で買ってきたんやから」
 アリスは自分の持参した箱を指さした。
「そうだな。珍しく有栖川先生が手土産付きでやってきたんだ。ありがたく戴くとするか」
 俺が茶を出すため席を立った時だった。
 トゥルルル……。
 軽やかに電話が鳴った。この鳴り方は内線だ。無視していようと思ったが、アリスが
「おい、電話やで」
と、声をかけてきた。
「いいんだよ、どうせ内線なんだから」
 そうはいっても、結構電話はしつこかった。それをアリスが気にしていることは一目瞭然で、ちっと舌を鳴らすと、俺は諦めて受話器を手に取る。俺一人だったらこんなのは当然無視だ。
「はい、火村です」
『遅いじゃないか、火村君』
 やや不機嫌に電話に出ると、案の定教授が苛々した様子で話をしてくる。
「失礼、少々手を離せませんでしたので。それで何の用ですか」
『すぐに第三会議室まで来てくれないか。今回の入試の試験管からヒアリングを行っているんだ』
「今、来客中でしてね、できればご遠慮したいんですが」
『来客? まさかまた警察関係かね?』
「いえ、警察の方ではありませんが、その関係者には違いないですね」
『……失礼かもしれんが、断ってこちらに来てくれんか。学部からの出席者が少ないのは困るんだよ。今後の事もあるしな』
 少し迷ったようだが、教授は結局主張を繰り返した。仕方なく、俺は五分後に行くと言って受話器を置いた。
「どうしたんや?」
「教授に呼ばれた。入試のヒアリングだとさ。悪いが少し行ってくる」
「そうか、大学も大変やな」
 プリンの箱に手をかけていたアリスは、残念そうに箱を戻した。それを見て、俺は苦笑を漏らす。
「先に喰ってていいぞ、アリス。茶は淹れておいてやる」
「そうか……。でも待ってる。せっかくのバニラの香りが少なくなってしまうやろうから」
 いかにも名残惜しそうに、それでもにっこり笑ってみせたアリスに、俺は何だか餌を目前にしてお預けを喰ってる犬を連想した。
 あまり長いこと待たせると気の毒だな。そう思い、俺は急いでヒアリングを片付けた。これでまた、あいつは協調性の欠片もないって話になっちまうんだろうな。まぁ、俺の知ったことじゃねぇが、俺を助教授に推薦してくれた教授には少し気の毒だったかな。
 とにかく大急ぎで俺は部屋に帰った。
 ところが、だ。俺が大急ぎで帰ってみた部屋からは、人の話し声と笑い声が聞こえた。
「?」
 出てきた時はアリス一人だったはずだし、春休みで、研究室の助手も来ない予定だ。
 不思議に思ってドアを開けると、若い女性が一人、アリスの正面に座っていた。
「よっ、おかえり、火村」
「あ、火村先生、お邪魔しています」
 俺を先生と呼ぶって事は、ここの学生か。
「ああ」
 春休みに何の用かと、不審そうに見たのに気付いたのだろう。アリスが俺に説明を始めた。
「あ、火村。彼女な、加藤さんいうんやて。何でもお前に質問があるらしいで。それで、一緒にお前のこと待っとったんや」
 そう言われて、改めて彼女を見ると、何処か見覚えもある気がしてきた。だからといって不審には変わりはない。
「おい、それより、それは俺の記憶が正しければ、俺に持って来た筈だったよな」
 テーブルに置かれた小さな黄色い塊を、俺は顎で示した。それにアリスは、ああこれか、と屈託無く話す。
「何や、やっぱり君も食べたかったんか、プリン。美味しいもんな、ここのは。せやけど、これは女の子の方が似合うやんか。その方がプリンも本望やろうと、君かて思うやろ?」
「プリンの望みまで俺には分からねぇが、これは俺への礼の筈だったよな」
 そう言うと俺は、アリスの目の前にあった黄色い塊を取り上げた。
「ああーっ! 俺のプリン〜」
 ひとさじ分すくって口の中に放り込むと、アリスは何とも情けない顔を見せた。
「で、何の質問だって」
 不機嫌をそのまま表して、俺は改めてぞんざいに加藤と名乗った女子学生に向き直った。
 彼女は流石に気まずそうに
「済みません。またの機会にします」
と席を立って出て行った。
「あ、加藤さん……」
「放っておけ」
 アリスは呼び止めようとしたが、俺は取り合う気は全くない。
「おい。あの態度は何や! 君は、いつも学生にああいう態度を取ってるんか」
「あのな、アリス」
 俺は思いがけず怒り出したアリスに、ため息をついて応える。そういえば今の学生、アリスが好きそうな顔立ちだったかな。
「本当に質問したい学生は、ちゃんと俺の予定を訊いてから来るんだよ。それも講義が終わってからすぐに。今頃突然たずねて来る学生は、単位を落として慌ててるか、こっちの様子を見に来るかのどっちかなんだよ。俺は不勉強で落とした単位をやることはしないし、プライバシーを覗き見されるなんてのは真っ平だ」
「そやけど……、女の子相手にあんな態度を取るやなんて……」
「相変わらず女には甘いな、アリス」
 人の気も知らず、アリスはしつこく言い募るので、俺は少し意趣返しをすることにした。
「これからどういうことになるかを、あの学生に見せつけてやっても、俺は一向に構わないんだぜ」
 俺はニヤリと笑って、アリスの側まで近寄った。
「そ、そうやなっ。君がそう言うんやったら、その通りなんやろう。ごめんなっ」
 アリスは焦って身体を引くが、俺はその程度で許す気はない。
「アリス、プリン食べたいんだろう。安心しろ、俺がちゃんと喰わせてやるよ」
「いいっ。それは君に買って来たもんやし、君が味わってくれれば、俺は本望や」
「遠慮しなくてもいいんだぜ。こうすれば、俺もお前も味わえるだから」
 アリスの顎を捕まえて上を向かせると、片手で器用に俺はプリンをわざとゆっくりと口に入れて見せた。そして、顔をゆっくりとアリスの方に近づける。
「……んっ」
 口に含んだバニラの香りを、ゆっくりとアリスの方に押しやってから、俺はようやくアリスを解放してやった。アリスはすっかり固まって、表情まで強ばらせていた。
「何だ、アリス。プリン、不味かったのか」
「何て勿体ないことをするんや。俺は、もっとじっくりとこれを味わいたいんや!」
「ふーん。もっとじっくりと、ね」
「あ、違うで。そういう意味やない……」
「遠慮するなよ、アリス。お前の好きなプリンの香り、俺がじっくりと味あわせてやるから」
 もちろんアリスの言いたいことは分かっていたが、俺は敢えて間違った解釈をしてやる。そしてもう一度同じように、しかも今度はさらにゆっくりと深く重ねるために、アリスの頭を抱え込んでやった。
「……んんっ」
 最初、アリスは力一杯俺の身体を押し戻そうとしていたが、頭を抱え込まれたうえに、呼吸も奪われては抵抗なんて続く訳はない。最初は固まっていたアリスだが、やがてぐったりと力が抜けてしまった。それを見計らってから、俺はアリスを解放した。
「これで終わりだと思うなよ、アリス。今日はたっぷりお前からの『お礼』を貰ってやるからな」
 そして更に追い打ちをかけるように、俺はふふんと笑ってみせた。
「オニ、アクマ、変態っ!」
「……アリス。そんなに俺に構って欲しいなら、素直にそう言え」
「なっ……、何でそういう解釈になるんや」
 アリスは、思いきり顔を紅潮させた。
「!」
 更に何か言い募ろうとしていたアリスの目の色が、不意に変わった。表情にも何か余裕が感じられる。何か思いついたらしい。どうせ碌でもないことだと思い、俺は斜に構えた。
「かっこうつけてるな、火村。毎日可愛い女子大生に囲まれてるんやもんな。恰好良いとこを見せてるんやろ」
 案の定アリスはニヤニヤしながら、俺の胸を肘でつつく。その切り替えの早さに呆れつつ、何を言いたいのか見当がつかないので、先を促してやる。
 アリスは、待ってましたと眼を輝かせた。
「さっき君を待ってる間に、加藤さんから聞いたんやけどな、君、随分もててるらしいで。俺が君の大学時代の友人や言うたら、熱心に君のこと訊いてたもん。君の噂話も一通りしていったで」
「ふん、どうせろくなことはなかっただろう。お前も、あまり学生に変なことを吹きこむなよ」
「あーっ、信用してないな。大丈夫や、君が変態やなんて一言も言うてへんから」
「お前なぁ……」
「まぁ、聞けって。君、特に女学生の間じゃ随分な人気らしいんや。学生時代からようもててたけど。さっき彼女は、君に面と向かっては言わなかったけど、女子学生の間じゃ名前で呼ばれてるんやて。俺も、これからそう呼んでみようかな」
 一気に喋ると、アリスは俺の耳元に口を寄せて
「ひ・で・お」
と囁いた。
 瞬間、俺の背中に悪寒が走り、顔から血の気が引いていった。何なんだ、この違和感は。
 何て事言うんだ、とアリスを振り返ってみると、言ったアリスの方も何やら様子がおかしい。
「おい、どうした」
「……あかん、ムチャ気持ち悪い。これほど似合わんとは思わんかった」
 吐き気を堪えているらしいアリスの調子が戻るのを待って、俺達は北白川の俺の下宿に帰った。
 あの、とんでもないことを吹きこんでいった学生を呪いつつ……。


 その後、アリスは二度と俺を名前で呼ばないと、固く誓ったようだった。俺はそれで一安心した。
 ちなみにあの学生は、毎年わざと落としていたらしい筋が見られた。何しろ三回目の履修だったからな。だが次の年度、俺の講義はさすがに取れなかったらしく、今の履修学生の中に『加藤』という女子学生はいない。


End/2001.09.20
Side Alice



「他人様によるみどりばのためのアリス本」をコンセプトに発行した蒼天2冊目のゲスト本、『ロマンチックにリボンをかけて 2』(1999.05.02)用に書いて頂いたお話です。が、私らの間では当時、この原稿は『呪われた原稿』と呼ばれていました(笑)
それっくらいアレやコレやと降り続くトラブルが…。
何せこの原稿が出来た経緯が、かざぎりさんの風邪。
そこから始まって、よくもまぁこんなに…というぐらいのトラブルの数々---。出来上がった原稿を手にした時は、思わず我が眼を疑っちゃいました。よもや出来上がるとはとはとは…。
当時のかざぎりさんの誠意と努力と頑張りには、唯々感謝多謝のひと言です。
今改めて読み直してみても、この時のかざぎりさんの生活が思い出されてホロリ…と涙がでちゃいます(:_;)
---だけど元々の原因は、かざぎりさんがアリスを苛めたことだったわねヽ(´゜`)ノ

ナルと麻衣ちゃんがラブラブなかざぎりさんの『悪霊シリーズ』は、こちらで読めます