推理作家と犯罪学者の華麗なる日常 <後編>

響 ヒロ 




 二人で共に夜を過ごした翌日は、大抵火村が先に目を覚ます。体の気怠い恋人のために美味しい朝食を作ってやるのだというのは建前で、アリスの寝顔を堪能しながら手触りの良い髪を指で梳く、この一時をゆっくり味わいたいからだ。
 人を惹きつけてやまない好奇心に溢れた鮮やかな瞳。いつぞや誰かが言っていたのを火村は聞いたことがある。「あれは世界に2つしかない稀少な宝石だ」と。その印象的な鳶色の瞳が閉ざされていると、まるで灯が消えたようになる。なまじ顔が整っているだけに造り物めいて見え、時折それが堪らなく不安で、ちゃんと呼吸をしているか確かめてしまったりすることもあるが、それも以前に比べると少なくなった。
 今朝もまた、柔らかな唇に指を滑らせ、さらさらの髪に指が通る感触を楽しんでいると、無粋な電話の呼び出し音が鳴り響いた。
 婆ちゃんは不在だし、しばらく我慢していればすぐに静かになるだろうが、隣で眠る恋人が自分の声以外で目覚めるというのはいただけない。仕方なく、火村は昨晩脱ぎ散らかした半纏に袖を通し、「さみ〜」と呟きながら、隣の部屋でまだ鳴り響いている受話器を取った。
「お待たせしました、火村です」
『お休みのところ、申し訳ありません』
 聞こえてきたのは大阪府警の敏腕警部の苦笑に満ちた声だった。
『こちらにいらっしゃるとは思わず、夕陽丘へかけてしまいました』
 なんだそりゃ、とは思うものの、普段の自分を振り返り、賢明にも思うに留めた。
「事件ですか?」
『はい、ちょっと先生の興味を惹きそうなものなので、もしよろしければどうかと思いまして。ええと、有栖川さんは……』
「ええ、ここにいます。アリスも一緒でいいですか?」
『もちろんです。いや実は、その方がこちらの士気も上がるのでありがたいんですわ』
 途端に火村は顔を顰めた。せっかく良い気分で迎えた朝だったのに。
 出来ることなら、アリスを一人でも衆目に晒したくないのだが、アリスが隣にいるのといないのとでは火村自身大いに在り様が違うので仕方がない。本当は、片時だって離れていたくないくらいだ。
「では、すぐにそちらに向かいます」
 伝えられた場所のメモを取り、口頭で確認してから受話器を置いた。
 こりゃ、朝食は新婚気分を味わってる暇なんてないな、と火村は心の中で溜息を吐きつつ隣へ戻り、布団の中でもぞもぞしているアリスに声をかけた。
「起きろよハニー」
「……朝っぱらから寒いな、君」
 アリスは髪に手をやりながら眩しそうに半身を起こす。
 髪が光に輝いて、火村の方が眩しそうに目を細めた。
「つれないな。おはようダーリンとか言ってくれないのか? ―――もう昼だぜ」
「Mornin, big boy」
「ありがとよ」
 火村はやさぐれた。
「事件か?」
「ああ、船曳さんからだ。ほら、さっさと仕度しろ」
 火村はアリスのセーターを放り投げた。
「あ、どないしよ。俺、ロングコートやった」
「構やしねぇよ。色だって派手なわけじゃなし。お前が大立ち回りするわけでもねぇだろ」
「せやな」
 アリスがラヴェンダー色のセーターを手に取り、頭を潜らせているのを火村はこっそり横目で見遣り、にやりと笑った。
「良かったな」
「何が?」
「タートルネックで」
 首を出したアリスは寝起きの頭で一瞬きょとんと火村を見つめ、見えやしないだろうにセーターの首の部分を引っ張って喚いた。
「え? あ! ああーっっ あれほど首にはつけるなて、いっつも言うてるやないかー!」
「ご馳走さん」
「このアホたれ〜!!」
 アリスは手元の枕を掴み、火村の頭をぼすぼす叩いた。
「おいこら、よせって! いいじゃねぇか、見えねんだから!」
「しゃあない、今回は許したる。君と仲良くタートルネックやし」
「なんだって? まさかお前……」
「おそろいやな」
 に〜っこり。
「この馬鹿! 俺はタートルネックなんて―――」
「この間あげたやんか。黒のやつ」
 火村は言葉を詰まらせた。
「あの頃君、忙しい言うて、俺との約束すっかり忘れてほったらかしたんやったよな。あの日、イラチな大阪人のこの俺が、駅のコンコースで君を待っとった1時間。京都の寒さっちゅうもんを身を以って思い知ったわ。君は毎日こんな寒さを耐え忍んでいるんやなぁて思うたら、ものすごう切のうなってな。君への気持ちを一目一目、想いを込めて編んだんや。着てくれるよな。俺に愛があるんやったら。もちろん信じとるよ、着てくれるてな」
 話している間、終始笑顔のアリスが恐ろしい。
「……分かった。着る」
 がっくりと項垂れて、火村はそう答えるよりほかになかった。





「あるとこにはあるもんやなぁ」
 今となっては現存する数は極めて少ないだろう年代物の青い鳥の運転席から降り立ち、目の前に広がる邸宅を眺めながらアリスは「おおー」と呟いた。
「お前も早く大先生と呼ばれるようになって、これくらいの家を建ててみろよ」
 助手席から降りてきた火村はアリスの肩に肘を乗せ、口の端をわずかに上げてにやりと笑った。
「大きなお世話や」
 到着早々、人様の家の真ん前で漫才をかましていると、アルマーニのスーツの裾を翻し、最近すっかり顔馴染になった森下刑事がやって来た。
「お待ちしてました、火村先生」
 まずは敬愛する犯罪学者に挨拶をし、走ってきたせいなのかなんなのか、わずかに上気させた頬で仏頂面の犯罪学者の隣に立つ推理作家に笑顔を向けた。
「お久し振りです、有栖川さん。いつ見ても推理作家やなんて信じられないくらい素敵ですね」
「森下さんこそ、はじめて見た時、あんまりカッコええからドラマの撮影でもやっているのかと思いましたよ」
 二人は能天気にあははは〜と笑った。
「アリス!」
「森下!!」
 なぁにが素敵ですね、だ。このクソガキ! とは、眉間に皺の犯罪学者。自分でさえ面と向かって言えたことのないセリフをたまに会うだけの刑事なんぞになんの臆面もなく言われては腹が立つこと夥しい。しかし森下を怒鳴りつけるわけにはいかず、苛立ちは取りも直さずアリスに向けられた。
 一方、森下を怒鳴りつけたのは上司の鮫山警部補だった。
「アホなこと言うとらんと、さっさと先生方を案内せんか!」
「す、すみません! 先生方、どうぞこちらへ」
 府警の期待の若者は、瞬時に背筋をシャキッと伸ばし、模範生のような仕草で門の中へ火村とアリスを招き入れた。
 アリスは自分のせいで怒られてしまった森下に申し訳なくて、後ろからついてくる鮫山にすなまそうに頭を下げた。
「いえいえ。有栖川さんが謝ることやありませんよ。すみません、教育がなってなくて」
 だからそうじゃなくて、とアリスはがっくり頭を垂れたが、実は後半のセリフは火村に向けたものだったとは気づかなかった。
 わざとゆっくりと庭を歩きながら鮫山から説明を受ける。
「死亡したのはこの家の主で矢作金吾、75歳。朝食を食べ終わった後、離れにある自室に戻り、7時50分頃、呻き声を聞いて駆けつけてきた妻の咲子と家政婦に倒れているところを発見されました。救急隊員が駆けつけて来た時には既に息はなかったようです。喉を掻きむしった痕と吐瀉物から毒物による中毒死と判断され、所轄に連絡が入ると同時に死亡状況に不審な点があることから府警にも連絡が回りました。私たちがここへ着いたのは8時30分です」
 それから後の調査で、これは火村先生向きかもしれないということで犯罪学者の登場と相成ったわけだった。
「解剖の結果、死因はアルカロイド系毒物による中毒死でした」
「立派な夾竹桃やなぁ」
 庭木を見つめてアリスが呟いた。
「は?」
「お前は黙ってろ。すみません、続けてください」
 火村に睨まれ、アリスは小さく首を竦める。
「あー、続けます。当時、この家の中には矢作氏を除く5人の人間がいました。妻の咲子、65歳。長男の大介、40歳。学生時代には柔道でインターハイに出場するほどの猛者で、趣味が高じて現在は柔道の道場を開いてます。長女の悦子、38歳。3年前に離婚して、ここへ戻って来ています。こちらは近くのアパートを借りて、ピアノの教室を開いてます。住み込みの庭師、高野雄一、59歳。その妻で家政婦の加代子58歳。共に、20年来ここで働いているそうです」
 そうこうしているうちに玄関に辿りついた。そこだけで3坪はありそうな広い玄関だった。靴を脱いで上がると大人が3人並んで歩けるほどの幅の廊下が続いている。
「その色、有栖川さんによう似合いますねぇ」
 コートを脱いだアリスに森下が言った。
「おおきに」
 にっこり笑ってアリスは答えた。
「センセは脱がんのか?」
 そのままの笑顔で火村に問うと、露骨に嫌そうな表情が返った。
「先生がタートルネックやなんて、珍しないですか?」
 本人、睨んだつもりはないのだろうが、直撃を受けた森下はビクリと小さく身を竦ませた。
「あの……僕、なんや余計なこと言いました?」
 訊かれたアリスはくすくす笑うだけだった。火村は小さく溜息をつき、気を取り直して罪もない気の毒な青年にぽつりと言った。
「風邪をひいているんですよ」
「それは申し訳ないことをしました。我々も全力を上げて捜査しますので、どうかしばらくお付き合いください」
 火村の言葉を聞き咎めた鮫山が生真面目な顔で謝罪する。
 くすくす笑い続けるアリスに火村は小さな鉄拳をくれた。



 長い廊下の途中には数カ所に渡って飾り棚が設けられており、その上に壺や花瓶やらがひとつずつ置かれていた。それを一目見るなり、アリスは眉を歪めて呟いた。
「うわ、趣味悪〜」
「ええっそうですか? どれもこれも上品な感じの高そうなモンばかりやないですか。ほら特にこれなんか」
 先頭を鮫山と後退し、後からついてきた森下が言う。
「そんなことないで。どれもこれも安モンばっかりや」
「有栖川さん、そういうの分かるんですか?」
「ん〜まぁな。祖父の趣味で小さい頃からようさん見せられとってな」
「へぇ〜、すごいですね」
 なにが凄いんだかよくわからないが、それでも森下は感心して言った。
「こちらへどうぞ」
 鮫山の案内で通されたのは20畳ほどの座敷で、入り口に船曳、中央の座卓を囲むように、先刻紹介されたこの家の住人だろう5人が困惑顔で座していた。
「警部、先生方をお連れしました」
 鮫山が後ろの二人に場所を譲るように言うと、少々お疲れ気味の警部の顔に活気が戻った。
「おおご苦労。先生、お待ちしておりました」
 鮫山は船曳と目で言葉を交わすと、そのまま現場へ戻って行った。
 その様子を、見るからに神経質そうな女―――長女の悦子が煙草を挟んだ指を苛々と動かしながら言った。
「ねぇ刑事さん、私達、一体いつになったら解放されるんですか。いい加減休みたいんですよ。私達の中に父を殺した犯人がいるとでも言うんですか?」
「おい悦子!」
 煙草の煙を吐き出しながら、どこか不貞腐れた様子でそんなことを言い出す女に、隣の男―――長男の大介―――が静かに窘めた。
「申し訳ありません、もうしばらくご協力お願いします」
「もうしばらくもうしばらくって、いい加減聞き飽きたわ。それになんなんです、そっちの2人。実は父は痴情の縺れとかなんとかで殺されたっていうんですか?」
「おい、いい加減にしろ」
「だって兄さん」
 こんなことには慣れっこの船曳はそれには取り合わず、ホストとその店の用心棒かなにかと勘違いされているらしい、ここにやってきた2人連れの紹介をはじめた。
「こちらは犯罪学者の火村先生とその助手の有栖川氏です。これまでにも有益な助言をいただいたこそがあります。今回の事件でも私どもの捜査にご協力をいただくことになりました」
「学者と助手? とてもそうは見えないわね。でも、ってことは民間人よね。つまり、その人の質問に答える義務はないってわけよね?」
 余程退屈していたのだろう。悦子は挑発的な視線を無愛想な犯罪学者に投げつけた。いつもの応酬だ。
「質問は私達の方からさせていただきます。しかし、もし火村先生からのご質問があった場合は、誠意あるご協力をお願いします」
「ええ、いいですよ。いいな、悦子」
 船曳の言葉に大介が妹に言い聞かせる。悦子は煙草を咥え、不遜な態度でそっぽを向いた。父親が殺されたかもしれないというのに、なんて態度だ、と森下は思う。
 咲子ら、ほかの3人はさっきから黙ったままだ。
「ではもう一度確認させていただきます」
 既に頭の中に入ってはいるが、船曳は形式で手帳を開いた。森下もそれに習う。2人の刑事の真剣な眼差しに、さすがに悦子も少しだが態度を改めた。
「今朝、7時半頃、食堂で奥さん、高野さん、加代子さんの3人と朝食をとった矢作氏が自室に戻り、加代子さんがお茶を運んだのが45分頃でしたね?」
「はい。食器の後片付けをして、それからだったのでそれくらいになります」
 落ちつかなげに、加代子が答えた。
「その時、矢作氏はまだ健在だった。加代子さんは一端キッチンへ戻り、お盆を置いたあと、自室に戻った」
「はい」
「部屋の掃除をしようと窓を開けた途端、離れからくぐもった叫びが聞こえた。慌てて隣の部屋の奥さんに声をかけ、一緒に駆けつけた時には矢作氏は既に床に倒れ伏していた。そうですね?」
「はい」
「その時、窓の外に人影はなかった」
「はい」
「矢作氏の声が聞こえた時、奥さんは何をしてましたか?」
「いつも観ているテレビ番組を観てました」
「矢作氏の声は聞こえなかった?」
「はい。窓は締め切ってありましたし、少し耳が遠くなってきているので、テレビの音量は大きくしてある方ですので」
「私は裏で納屋の片づけをしていました」
 目で促され、高野氏が答える。
「私は散歩に出てました。私は起きたばかりは食欲がでないので、朝食の前に1時間ほど散歩をするのが日課なんです。いつもは6時に起床して、7時の朝食に間に合うように帰ってくるのですが、昨晩は少し夜更しをしてしまって、起きたのは加代子さんが食事ができたと呼びに来てくれた声でした。仕方なくそれから散歩に出て、帰って来た時には家の中は大騒ぎでした」
「私は寝てたわ。毎日起きるのは9時過ぎ」
 悦子が煙草を灰皿に押しつけながら言った。
「5人が5人とも、それを証言してくれる人はいないわけですな」
 船曳は火村を窺った。
「その離れというのを見せてもらえますか?」



 離れは母屋から見て左側。10mほど離れたところに向かい合わせの位置にあった。
 中は12畳ほどの和室が一つのトイレがついており、渡り廊下から入った扉の左側にはベッドが置いてあった。残りのスペースは本棚と飾り棚で、そこにもいくつかの壺や花瓶が飾られてあった。
「有栖川さん、有栖川さん、この花瓶なんかどう思います? なんか不恰好だし、冴えないですよね」
 森下が小声でアリスを手招き、棚の上の大きな花瓶を指差した。
「へぇ、これは本物やな。かなりええ物や」
「ええ? ほんまですか? これが?」
 森下は顎に手をやり、「分からないものですねぇ」と首を捻る。
 そんな遣り取りに火村はちらりと視線を流し、改めて部屋の中を見回した。
「矢作氏は、普段からお一人でこちらで過ごされている?」
 火村の質問の意図を察して婦人が答える。
「ええ、夫婦といいましてもかれこれ10年ほど前からは、別れるにしても手続きが面倒だからというだけの仲でした」
 火村はそれに関してはコメントせず、窓際に歩み寄る。
「この窓の正面が奥さんのお部屋ですね?」
「そうです」
「その上が大介さん、その隣が悦子さん」
 それは質問というより独り言のようだ。
「声が聞こえた時、矢作氏の姿は窓から見えましたか?」
「……よく覚えてませんが、苦しそうにしているのは見えた気がします」
「ということは、苦しみだしたのは窓際でということになりますね」
「倒れていたのは、部屋のほぼ中央に当たるここでした」
 鑑識の一人が、白いチョークで人型に書かれた位置を改めて示した。
「倒れる前に床に体をこすりつけているので、周囲の絨毯がかなり擦れています」
 火村の視線は窓際の文台の上に注がれた。その視線に気がついて、咲子が声を上げた。
「わ、私じゃありません!」
「私だってやってません!」
 続いて加世子も声を上げた。茶を入れた咲子と運んだ加世子。2人は文台の上の湯飲みを見て慌てたようだ。
「安心してください。あの湯飲みと中のお茶からはアルカロイド反応は出ていません」
 2人があからさまに安堵した様子を見せた。
「じゃあどうやって?」
 問われたことには答えず、火村は下唇に指を滑らせる。その目がちらりとアリスを見遣った。
 火村を見つめていたアリスはその視線に気づき、沈黙を破るように窓から身を乗り出した。
「ここからだと夾竹桃がよく見えますねぇ。こないに大きいのは中々」
「見事でしょう? 花の時期になると、それはもう綺麗ですよ」
 高野が嬉しそうに顔を綻ばせた。
 アリスは頷いて、
「あれ? あそこの枝、どうしたんですか?」
「え? どれです? ああ、あれですか。はて、風にでもやられましたかな」
 母屋の外壁に近い位置で立っている木の、折れたところをアリスが指さすと、高野は「今朝は気づかなかったな」と呟いた。
「そういえばさっきも夾竹桃がどうのって言うてましたよね。お好きなんですか?」 
 森下がアリスに訊く。
「好きやて言うたら、森下さん、プレゼントしてくれはる?」
「そりゃあもう、有栖川さんがそうおっしゃるなら!」 
 火村の射抜くような視線にも気づかず、場所も忘れて森下が意気込む。
「でも、有栖川さんとこってマンションでしたよね。それに、どっちかいうたらほかの花の方が似合いますし」
「たとえば、どんな?」
「そうですねぇ」
 ますます威力を増す火村の視線に、鮫山は森下を叱責する気にもならず、深く深〜く溜息を吐いた。
 そんな周囲の人間模様はさておいて、アリスは大介の手の甲に貼ってあるバンドエイドに目を留めた。
「その手の傷、どないしたんですか?」
「え? あ、ああ、これですか。ちょっと釣り針を引っ掛けてしまいまして」
 アリスの視線が自分の手の甲に注がれているのに気づき、大介は照れ臭そうに頭を掻いた。
「へぇ。釣りをなさるんですか」
「ええ。なんやこう……ぼぅっとしてられるところが神経休まるんです」
「大介さんは柔道をされてるんでしたね。釣りってこう、おおらかな心でどっしりと構えるっていうか……そんなところが、武道につながっているようなところがありますよね。よくされるんですか?」
「ええ、まぁ。リール釣りなんですけどね。これでも地区大会では優勝したこともあるんですよ」
「リールってあれですよね。ビューンって飛んでいくやつ。すごいですね〜 あんなんで本当に狙ったポイントにうまく落とせるもんなんですか?」
「コツさえつかめば結構できますよ」
「ええですね。今度ご伝授いただきたいものです」
「ええ、いいですよ」
 それからアリスは話題を戻した。
「さっきの夾竹桃の話ですけどね」
 府警の面々は、またアリスがなにやら言い出したぞとは思うものの、こんなことは慣れっこだ。素直に拝聴することにする。
「夾竹桃の木部や種には、アルカロイドが含まれているんです」
「え!?」
 何人かから驚きの声が上がった。
「成分はネリオドレインやG−ストロファンチンなどがありますが、それらは実際、強心剤として使われています。作用はかなり強烈で、バーベキューの串に夾竹桃の枝を使ったグループが死亡したという事件もあるくらいです」
「ということは……」
 誰かの呟きが洩れる中、
「そうです。この家の者は誰でもいつでもその劇薬を手に入れることができたのです」
 続きを火村が引き取った。
「だとしても、そんなこと知っているのは―――」
 悦子の呟きに、視線が一斉に高野に集まった。
「わ、私は殺してなんかいない!」
 高野氏が真っ青になって声を荒げた。
「あんた、確か父と待遇のことで揉めてたわよね」
「言いがかりだ!」
「ええ、高野さんは犯人じゃない」
 激昂する雰囲気の中、静かに火村の声が言った。
「夾竹桃の毒性は死亡事件でニュースになるくらいですから、それほど知られていないというわけでもない」
「だったら、誰が!?」
「食事に混ざっていたのだとすれば、一緒に食べたほかの3人も無事なわけはない。矢作氏の食事だけにだったなら、毒物になんらかの加工がされていたはずです。そのまま体内に入ったのなら、その場で亡くなっているはずですから」
「じゃあ、どうやって?」
「分かっているなら、焦らさないでさっさと犯人を教えなさいよ!」
「ここにいる以外の誰かが入り込んだんじゃないのか?」
 入り乱れるそれぞれの思惑の中、それでも火村は静かに続けた。
「解剖の結果、矢作氏の胃袋の中からある成分が検出されました。コラーゲンという、たんぱく質の一種です。最近、女性の化粧品などの中によく入ってますね。コラーゲンというのは動物体中、もっとも多く含まれるたんぱく質です。極身近のある用途にも使われていますね。皆さんご存知の、薬のカプセルです」
「!!」
「薬のカプセルには硬カプセルと軟カプセルの2種類があります。軟カプセルは液体の薬剤を封じ込める場合に使われます。鼻炎の薬などです。一方、硬カプセルの方は粉体を封じ込める場合に使用されます。片側に色のついた皆さんも馴染みのある方です。薬局で簡単に手に入れられ、中味を入れ換えることも可能です。すぐ使うものであれば、液体を入れても不都合はない。カプセルは色によって溶ける時間が違うものもありますが、胃の中では大体15分から20分で溶け始めます」
「じゃあ、犯人は……」
「そうです。薬のカプセルに夾竹桃の樹液を封入して矢作氏に飲ませたのでしょう」
「でも、どうやって? 父は風邪もひいていなかった。栄養剤を飲む習慣もなかったわ。それに、15分から20分もかかるんだったら、時間だって合わなくない?」
「液体がカプセルから流れ出やすい状態だったら? 例えば、小さな穴があいていたとか」
「ええ?」
「これはあくまで仮説ですが、こんなのはいかがでしょう。仕掛けや方法は、今はおいておきます。なにか大きな音か物音がして、驚いた矢作氏は窓から身を乗り出し、大きな口を開ける。そこへすかさずカプセルが放り込まれる」
「でも、ちょっと待ってください。その時間、外には誰もいなかったんでしょう?」
 大介の言葉に加代子が頷く。
 助教授はにやりと笑った。
「先程あなたはアリスとリール釣りの話をしていましたね」
「え? あ……」
「ああ、そうか!」
 その可能性に気づいて、船曳と鮫山が声を上げた。
「でも、まさかそんなことが……?」
「そんな小さなポイントをどれだけ正確に狙えるかはなんともいえませんが。大介さんは地区大会で優勝するほどの腕前ということでしたね。できるかどうか、ご協力願うというのはいかがでしょう?」
 火村の提案に、船曳がぽんと手を打つ。
「森下。お前、ここで口開けとれ」
「えー、嫌ですよー」
「一人前の刑事になるには、何事も経験やぞ」
「酷いですよ、鮫山さんまで〜」
 そんな中、小さな呻き声が聞こえた。
「……ちくしょう」
「え?」
「お前が! お前さえいなければ!」
 呆気に取られる間もなく、逆上した大介が凄まじい形相で火村に向かって突進した。
「アリス!!」
 広くもない部屋の中、隣のアリスに危害が及ばないよう火村はアリスを庇おうとしたが、それよりもいち早く、アリスが火村の前へすっと身を滑らせた。
 それはあっという間のことだった。
「はあっ!!」
 掛け声と共にアリスの足がすっと上がり、次の瞬間、巨体は声を発する間もなく、頭から床に沈んで動かなくなっていた。
 事件のショックも冷めやらぬまま、「お、おーっっ」と歓声と拍手が上がった。
 息一つ乱さずコートの襟元を直したアリスはにっこり笑って片手を上げ、そんな見物客に応えていた。





「いや、お疲れ様でした。おかげで今回も素早く事件を片付けることができましたよ」
 頭を下げながら恐縮する船曳の言葉を頂戴し、車に戻る道すがら、2人は一言も口を利かなかった。
 アリスがコートのポケットを探り、青い鳥の鍵を取り出して差し込んだ時、その手を押さえて火村が言った。
「相手は素手だった。お前が手を下す必要なんてなかったんだ。あれくらいだったら俺にだって――――――」
「嫌やったんや」
「ああ?」
「あいつ、君を狙ってた。君を倒すことしか目に入っとらんかった。そんなん、許せへん」
 アリスは自分自身がいじめられたかのように悔しそうに唇を噛み締め、震えるくらいに強く拳を握っていた。
 火村は黙ってその手を取り、今にも泣きそうなアリスの目に見つめられながらゆっくりと指を開かせた。その綺麗な指に、騎士のように恭しく口吻る。
 再び見つめたアリスの瞳に、もう涙の色はなかった。





 果たして、矢作氏の口の中には釣り針を引っかけた傷痕があり、大介の釣り竿についた針と手の傷からは夾竹桃の樹液が検出された。
 事件の発端は、矢作氏が壺を売ろうとしていたことだった。
 アリスが離れにあったものを「本物で良い品物」と言った通り、それ以外に飾られていた物は全て、経営不振な道場を抱えた大介に既に売却処分され、イミテーションにとって替わられていたものだった。
 散歩に出ると言って家を出た大介は母屋の外壁に沿うように立っている夾竹桃の木を登って部屋に戻った。そして矢作氏が戻ってくるのを待ち、2階の自分の部屋からリールを使ってカプセルを矢作氏の口に落とし込んだ。その後再び木を伝い下り、散歩から帰ったばかりの様子を装ったのだという。
 壺を買う趣味であっても見る目はまるで持っていなかった矢作氏の不幸な事件だった。
 
 



「あー なんや、丸ごと疲れてもうた。せっかく君んとこでゆっくりしようて思っとったのに、また大阪に戻って来てもうた」
 夕陽丘のマンションの1室。アリスはソファの背に身を預け、大きく仰向いて呟いた。
「アリス」
「なんや?」
「お前、森下から花なんざもらうんじゃねぇぞ」
「なんで? 身につけるものやなかったらええんやないのか?」
「お前な。男が男に花もらってなにが嬉しいんだよ?」
「えー、嬉しいやんか。かわええし、綺麗やし。花もらうんに、性別なんか関係ないで」
「とにかく! 駄目だったら駄目なんだよ」
「ちぇっ。せっかく俺のイメージに合わせた花くれるて言うてくれたのに」
「そんなに欲しけりゃ、俺がいくらでも買ってやる。 ―――なんだ、その目は」
「コート。脱いでくれへんかったくせに」
 火村は数回目を瞬き、にやりと笑って嘯いた。
「ばぁか。もったいなくて、人になんか見せられるかよ」
 くるりと見せた背中には、黒の無地にピンクの毛糸ででかでかと編み込まれた「ヒデオ」と「アリス」の相合い傘。
「ほんまに?」
「ほんまに」
 2人は顔を見合わせてくすりと笑い、「大好きだよ」のキスをした。


End/2001.01.23



「何分、素人の創作ですので、おかしな点も笑って許してください」
---と入れて下さい、とヒロさんから依頼されたんですが、おかしな点なんて無いですよね。
ということで、お待たせしましたぁ〜☆ ヒロさんのスーパーかっちょいいアリスの後編です。「後編の方がかっこいい」とヒロさんから伺っていたんですが、正しくその通りッ(≧▽≦) さすがは『アリシストのアリシストによるアリシストのためのアリス小説』だぁ〜♪ ヒロさんがアリシストで、みどりばめっちゃ嬉しいでッす(*^o^*)v アリシストばんざぁ〜い\(^◇^)/
あぁ、でも本当にアリスってば格好いいよぉ☆ そうよね、アリスだってひと皮剥けばこんなに格好いいのよね…と、しみじみ納得してしまいました。普段のアリスはきっと、能ある鷹は爪を隠す状態なのよ。本当に本当に本当に本当に、心の底から、ヒムりん(=火村)が羨ましいです、私…(T^T)g
でも心の底からアリスのことは愛していても、私にはあのセーターを着る勇気はちょっと…(~_~;) そういう意味では、臆面もなくあーいう台詞を宣えるヒムりんに脱帽です。ある意味、貴方は凄い人だよ┐(´〜`;)┌ いよっ、ベスト・オブ・アリシスト!!!

響 ヒロさんのステキで面白いヒムアリは、こちらで読めます