Because of Love
  第二章 明日の最終回を待つんだな <4>

鳴海璃生 




 そう…、決してできないはずはないんだ。火村と私は同じものを見て、同じことを聴いている。いや、もしかしたら私の方が、火村よりより多くのものを見聞きしているかもしれないんだ。---そして、忘れちゃいけない私の職業。推理作家という職業は、言うなれば、こういう謎解きのスペシャリストではないか。
 古今東西、数々の謎に接し---本の中で、ではあるが---、作者からの数多くの挑戦を打破してきた---この際、その勝率については言及しないことにする---この私に、解けない謎などあろうはずもない。巷では『事実は小説よりも奇なり』と言うが、犯罪トリックは現実よりも小説の方が奇なり、だ。
 ---火村なんか当てにするかい。
 ベッドの上で胡座をかいて、さぁ鮮やかな推理の幕を上げるぞ、と意気込みを新たにする。とその時、まるでそのタイミングを見透かしたかのように、火村がひょいとリビングのドアから顔を覗かせた。
「おい、アリス」
「火村ッ!」
 喜色満面の笑みと共に、私の口から嬉々とした声が漏れる。
 ---やっぱり火村は俺の親友や。
 きっとひねくれた心を入れ替えて船曳警部より先に、大親友であるこの私に、事件の真相を話してくれる気になったのだろう。
 ---ああ…、有り難や有り難や。
 私の多大な期待は、屋台で作られる綿菓子の勢いでモクモクと膨らんでいく。だがそれとは裏腹に、火村の口をついて出た言葉は無情だった。
「風邪ひきたくなかったら、蒲団の中に入ってろよ」
 そう言った途端、用は済んだとばかりに、火村はさっさとドアの向こうへと身体を引っ込めた。
 揉み手をせんばかりにベッドから身体を乗り出した私は、そのままの恰好で動きを凍らせた。呆気にとられたように火村が消え去ったドアを見つめる私の表情は、きっととてつもないアホ面だったに違いない。
 頭の中は真っ白にブリーチされて、最初は火村の言った言葉が理解できなかった。やがて徐々に頭の中に色が戻ってきて、火村の言葉が二十四ポイントぐらいの大きさでグルグルと頭蓋骨の中を回遊し始める。---そして、そして…。
 ---おい、ちょっと待て。言う言葉が違うんやないか。
 火村の言葉に対して漸くまともなリアクションができるようになった頃には、既に全てが遅し---である。文句を言おうにも、当のその相手たるべき火村の姿はどこにもない。もちろんリビングまで追いかけていって、文句を言うこともできる。だが今さらそれをやるのも、何だか馬鹿馬鹿しい気がする。
 途端、身体中からどっと力が抜け落ちた。
「---忘れとった。昔っから、あいつはそういう奴やったわ」
 溜め息と共に漏れた言葉が、虚しく部屋の空気に溶けていった。
「---寝よ…」
 もそもそと蒲団をはぎ、私は中に潜り込んだ。頭まで蒲団を被り、せめてもの仕返し、とばかりにベッドのど真ん中で身体を丸くした。
「あいつは、ソファで寝ればいいんや」
 フンと鼻を鳴らし、ぶつぶつと悪態を口にする。ほこほことした蒲団の中で、私は事件の内容を脳裏に描いた。せめて、火村が気付いたと同じ程度のことを見出そうと試みる。だが悲しいかな、一度ブリーチされてしまった頭の中には何も浮かんではこない。
 それどころか、蒲団のふわふわとした暖かさに呼応するように、頭の中もふわふわと霞んでくる。慌てて頭を振ってみるが、睡魔の誘惑には勝てそうもない。
 まだ午前三時を過ぎた程度だから、夜型の私にしてみれば、眠くなるという程の時間でもないはずだ。なのに、事件の概要を思い浮かべ推理しようとすると、頭の中にぼんやりとした白い霧が湧いて出てくる。
 ---これって、もしかして数学の教科書を見ると眠くなるってやつかいな。
 そう思うと、情けなさもひとしおだ。もともと数学は好きじゃないからどうでもいいんだが、推理をしようとすると眠くなるってのは、ちょっと問題有りなんじゃないか。
 ---いや、違う。きっと事件現場で緊張して、疲れたんや。
 繊細な神経が、こういう時は憎い。
 適当な理由をこじつけ、何とか納得いく程度に己を慰める。そして私は、睡魔に逆らわずに眠ることにした。どうせ考えたって判らないのなら、無駄な足掻きをするより眠った方がいい。
 フワァ…と大欠伸をして目を瞑る。その時、ベッドの傍らに人の佇む気配が感じられた。船曳警部との短い電話を終えた火村が、寝室に戻ってきたのだ。
「おい、アリス。何でど真ん中に寝てるんだ。詰めろよ」
 蒲団を捲り、呆れたような口調を零す。ひやりと背に感じた冷気に眉を顰める。そうして私は丸くなったままの恰好で、陣取った場所から一ミリたりとも動かなかった。
「俺のベッドやもん。どこで寝ようと、そんなんは俺の自由や」
「なに言ってやがる。だったら、俺はどこで寝ればいいんだよ」
 人様の家にお世話になっているにしては、随分と偉そうな台詞じゃないか。慎みとか謙虚さってもんがない。もっとも主たる私の態度も、随分と失礼なのだが…。
「リビングのソファがあるやろ。君の定位置やんか。遠慮せんで、思う存分使ってええで。毛布はクローゼットの中や」
 呆れたような溜め息を聞こえない振りで聞き流し、私は言葉を続けた。
「それより寒いんやから、さっさと蒲団を戻してくれ」
「---ったく、ガキみてぇな真似してんじゃねぇよ」
 ペシリと頭を叩き、私を端へと押しやるように強引に火村が潜り込んできた。
「あんなぁ!」
 向き直った身体に触れた火村の冷たさに、私は思わず声を上げた。
「なっ…何で君、こんなに冷たいんや?」
「リビングにいたせいだろ」
 こともなげに応える火村に、私は一つ息を吐いた。
「な〜にんが、身体が冷えてるから風呂に入れ、や。これやったら、君の方が入る必要あるんと違うか?」
 ぶつぶつと文句を言いながら、私はベッドの端の方へと身体を寄せる。それを火村の腕が捕らえ、私を胸の内へと抱き込んだ。触れた場所からじんわりと伝わってくる布地の冷たさに、私は顔を顰めた。
「俺はいいんだよ」
「いいわけあらへんやろ。お湯落としてへんから、今から入ってきたら…」
 私の言葉を遮るように、火村は私を抱く腕に力を込めた。頭の上から、安心したような火村の吐息が聞こえてくる。そして欠伸を一つ。---何となく、この体勢は…。
「…おい、火村」
「何だよ?」
 心持ち低い声での問い掛けに、眠そうな声が応えた。
「君、もしかして俺のこと湯たんぽ代わりにしてへんか?」
 一瞬の沈黙。そのあと、如何にも面倒臭そうないらえが返ってきた。
「ここには、ウリ達がいねぇからな」
 やっぱり…。
 この野郎。私に風呂に入れと言ったのも、蒲団の中に入ってろと言ったのも、全ては私を湯たんぽ代わりに使う魂胆があったせいに違いない。
 だいたい妙だな、とは思っていたのだ。私が風邪をひくと楽しくない、という火村の言い分は判る。もちろん、絶対に同意したくはないが---との注釈付きでだ。
 だがいくら何でもたったそれだけのためにしては、随分と気にし過ぎのような感じがしていたのだ。それでもまぁ、火村が私のことを心配してくれているんだと思い、それなりに有り難がっていたのに…。くっそぉー、やっぱり私は甘すぎた。今さらながらに、己の人の良さが恨めしいじゃないか。
 火村がこういう奴だということは、良く知っているつもりだった。しかし、まだまだ私の火村に対する認識は甘かったのだ。
 ---全くもう。こんなしょーもないことを今さらながらに思い知らされて、どうするっていうんだ。
 だいたい、火村がちょこっとでも優しいなんて…。---そんなのは悪夢だ、幻だ、蜃気楼だ。…きっと。
 どうせ私の風邪と火村の湯たんぽ、もしくはお猫様は、同系列に位置するものなんだ。---ちくしょう! 腹がたつったらありゃしない。
「俺は猫かい」
 ぼそりと紡いだ声に、火村が喉の奥で笑った。
「どうせ湯たんぽ代わりにするんなら、猫を抱くよりお前の方がいいな」
 比べるな、そんなもん。
 文句を続けようとした私の言葉を遮るように、火村が私を抱く腕に力を込める。
「それより、さっさと寝ろよ。明日---いや、もう今日か---は、朝早いぜ」
 その言葉に、ぎくりと身を竦める。湯たんぽ代わりにされたことよりも、起床時間の方が私にとっては大問題だ。
「…早いって、どのくらい?」
 恐る恐るお伺いをたてる私に、火村が笑う。
「そうだな…。七時ぐらいか」
「---君、俺のこと徹底的にバカにしとるやろ。七時の一体どこが早いって言うんや」
 確かに七時は、私にとっては真夜中にも等しい時間だ。だが起きようと思って、起きれない時間でもない。
 だいたい女子供じゃあるまいし、「寝不足は美容の敵よ」とか、「八時間眠らなきゃ、いや」とか言うわけないじゃないか。火村が勿体ぶって朝早いなんて言うから、私はてっきり五時とか六時とかを連想していたんだ。
 だから私の声に多少の険が混じっていたとしても、ご愛嬌ってもんだ。---とはいえ、火村に抱きしめられたこの恰好で何を言ったとしても、てんで迫力の欠片もないのが口惜しいじゃないか。
「有栖川先生には、真夜中の時間かと思ったもんでな。俺の杞憂だったか…。悪いことをした」
 ぜんぜん悪いことをしたとは思っていない口調で、火村がおざなりの謝罪を口にする。だが既に半分眠っているらしい火村の呂律は、相当に妖しい。
「おい、火村…」
 呼び掛けた私の声に、皮肉を含んだバリトンではなく、静かな寝息が返事を返してきた。
「…全くもう。俺よかこいつの方が、よっぽど寝付きがええやないか」
 呆れたように呟いた私の声に、応える声はない。規則正しい寝息が、眠りを誘うように耳朶に触れる。私の体温に暖まった火村の身体から、ほんのりとした温もりが伝わってくる。とろけるようなその柔らかさに、私はこっそりと口許に笑みを刻んだ。
「---何か、ウリ達の代わりでもええかもしれんな」
 穏やかな寝息と、規則正しい心臓の音が奏でる子守歌。それを聞きながら、私はゆっくりと瞳を閉じた。


to be continued




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