Please Kiss Me <おまけ>

鳴海璃生 




 戯れるようなキスを繰り返し、私達は敷きっぱなしの布団へと倒れ込んだ。少し冷たい指先が頬を滑り項を辿り、シャツのボタンを一つ一つ外していく。戯れのようなキスは徐々に深いものに変わり、息継ぎの合間さえも惜しむように、奪うように繰り返される。
 見慣れた端正な容貌に薄く微笑み、私はゆっくりと視線を上げた。藍色の中天近くへと上ってきた満月が、窓ガラスを通して銀色の光を投げかけてくる。

 低い位置にあった時にはまるで絵の具で塗ったような黄色い円盤をしていた満月も、今ではその色に透明感を増し、冷たい美しさを惜しむことなく人の目に晒している。その孤高ともいえる清冽な美しさは、どこか目の前の友人に似ていた。
 窓から覗く白銀の月を見つめ、私は僅かに双眸を細めた。中天にある月は、その美しさと気高さかで人を魅了するくせに、どこか人の手に触れることを拒むような強い意志を感じさせる。それは涙が出るくらいに愛しくて、悲しい。

 突然胸元を走ったチリッとした痛みに、私は視線を目の前の人物へと移した。夜の色を写した黒曜石の眸が、どこか危うい色を湛えて私を見下ろしている。眸の中に捕らえられた私自身の姿に緩く笑みを刻むと、黒曜石の眸が僅かに眇められた。
「随分な余裕じゃねぇか、アリス。何考えてる?」

 低いバリトンは、夜の闇を写しとったかのようだ。闇に溶けていく声は、天鵞絨のような心地よさで私を包む。
「---月が見えるんや」

 囁くような私の声に、火村は上半身を捻るようにして窓の方を振り仰いだ。いつもはカーテンを引くか雨戸を閉めている窓に、今日は藍色の闇が写っている。ガラス越しに降り注ぐ月の光は、柔らかな銀の粉のような、どこか儚い手触りを感じさせる。
「月の光を浴びていると、気が狂うぜ」

 ニヤリと口許に刻まれた笑みに、鼓動が僅かに跳ねる。月の光のような儚さではなく、もっと熱く、確かな手触りを感じさせる直接的な想い。身体の中でざわりと、何かが身を起こす。どこか乾いたような想いも、飢えのような衝動も、全てがたった一人の人間へと向かう。
 手に触れることのできない淡い憧れではなく、身の内に取り込んでしまいたいような生々しい想いを覚えたのは、一体いつのことだろう。触れることのできないもどかしさも、狂うほどの想いも、愛しさや哀しみも、私の知らなかった、いや気づくことを恐れた全てを私に与え、そしてその存在で私の全てを奪い去っていくのだ。彼は---。
 私が彼のそばを離れないように…。
 私が彼の毒を身の内に深く沈み込ませるように…。

 目の前の見慣れた男前の容貌に、ゆっくりと手を伸ばす。銀色の月の光を浴びた象牙色の膚は、どこか作り物めいた人形を思わせる。
 シャープな輪郭を辿るように、指先を滑らせていく。項を辿り肩を滑り、暖かな命の流れを指先に感じながら、私は私の髪に触れる彼の指先に自分の指を絡めた。陶器の肌触りを感じさせる少し冷たい指先に唇で触れ、請うように掌に口付けを落とす。

 項に両手を絡ませ、象牙色の躯をそっと引き寄せる。
 柔らかな暖かさが愛しい。
 重なる鼓動が嬉しい。
「月に狂うより君に狂いたい」
 鼓膜を振るわせる小さな嘘と告げない真実。
 口に出せない切ない願いは、月の光のように膚に触れ、細胞の一つ一つに染み通っていく。
 たぶん君は知らない。
 きっと君は気づかない。
 君の思いより私の想いは強い。
 君の闇より私の希いは深い。
 口付けを交わし、吐息を交わす。互いの熱を与え、奪い合う。
 君に狂って、君に魅入られる。
 君の与える死が愛しい。
 君に与える死が哀しい。
 月の光の中、互いに与えあう小さな死が、君の朝を明るいものにすればいい。



End/2000.10.30




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