経済学部の想い出


経済学部 北川教授とゼミナールの仲間 前列左が私

1.桜山の校舎

豊川の振風寮生活一年終了後、昭和26年(1951年)の春から名古屋市瑞穂区桜山の旧名古屋高商の校舎で経済学部としての授業が行われた。現在は名古屋市立大学として全く新しくなり、昔日の面影は何も残っていない。この桜山の校舎は大正13年創立の名古屋高商の校舎をそのまま使用したが、木造の落ち着いた建物で情緒風情がしっかり残っていた。現在の様にビデオとかデジカメでもあったらこの校舎の様子をお見せする事が出来たのだが、カメラなど持っている仲間は誰もおらずお見せできないのが本当に残念です。

余談だが昭和34年(1959年)に千種区不老町に医学部以外の全ての学部の校舎が完成した。建設に際して卒業生は応分の寄付をする事になったが出すものは出しても一度もその新校舎なるものに足を踏み入れる機会が無かった。平成7年(2005年)3月の卒業50周年を記念して昭和29年卒の有志で経済学部の中庭に記念植樹をおこなった。その機会に初めて学部校舎内を見学したが冷暖房完備・学習机も一人ずつ・パソコンが使用出来る設備もあり、見学した我々の殆どが溜息!こんな立派な環境で勉強できるとは俺達は冬は寒くてたまらんので オーバー着たまま授業を受けた事もある偉い違いだ、今の学生は恵まれているとやっかみ半分の侃侃諤諤論議が沸騰したが、本当にその素晴らしさに圧倒された記憶がある。だが一言、 こんな立派な校舎だが全く冷たい感じ。俺達の桜山の木造校舎の方が暖かくて本当の校舎と思うよ・・・の声もあったが負け惜しみかな?

2.習得単位の計画
卒業するまでに必修・選択科目 あわせて80か90単位を取得する事になっていてこれが不足すると卒業出来なくなる。ただし、有難い事に2年生で何単位、3年生で幾つとは決められていなかったので各学年で自分が取りたい単位の課目を自主的に受講すればよい事になっていた。朝9時から夕方4時頃まで毎日受講して期末試験に合格して必要単位をとれば3年生になる前に卒業必要単位は取得可能だがそれは机の上だけの計算で現実には6−70%青春謳歌簡単に言えば「お遊び」、残り4−30%が 勉強のずぼら学生には到底 無理な計算。

奨学金頂く為に一年生の後期に全力投球した反動で全くやる気の無い貧乏学生が珍しく単位取得の計画を立てたんです。今振り返ってみてもよく考えたなと自分で自分を褒める位?先ず4年生は卒業論文作成があるのとバイトの金稼ぎで忙しいから授業はゼミ以外は殆ど出ないですませよう。それには3年生までに殆どの必要単位を取得しておこう。経済原論が6単位経済学総論が4単位会計学 金融論商品学 経済史 統計学・・・・・夫々の単位と取得できる授業を調べてその授業をうける計画をたて珍しく実行した。だから2年生 3年生の時は 殆ど遊んだ記憶が無い・・・本音は 遊ぶ金が無かっただけ・・・バイトも家庭教師程度しかやらなかった。

ただ現在と違って50年も昔はすべてゆったりしていた経済学部は桜山だったが法学部は名古屋城内の昔の軍隊が使用した兵舎の転用で、そこで憲法や民法などの講義を受けて単位を頂いた。もっと驚く事は 他所の学部の授業を受けてもちゃんと単位が頂けた事、寮で同室だった医学部のY君と夫々の学部の授業内容の話をしたとき彼が心理学の講義があると言う、興味を持って受講願いを出したら宜しいとの返事で医学部の学生に混じってたった一人経済学部の野郎が受講、それで誰からも文句も異論も出なかったこの心理学の講義は 後々社会人になってから人と接する時に多いに役立った。肝心の経済学が実社会では具体的に何の役にも立たなかったのとえらい違いだった。

 そんなこんなで とにかく試験成績は別にして3年生までに90%の単位は取得出来た。4年生は充分に余力がある筈これで真剣に勉学に励んだら今頃はノーベル賞でも獲得出来る秀才になっていただろうが、そこは凡才の ええ所で50年後どんな秀才(臭才)になったか、 説明不用!!





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