経済学部での講義

1.経済学部の授業科目

チンプンカンプンだったケインズ理論
雇用・利子および貨幣の一般理論 先に単位取得する色々の講義課目を列記したが学部四年間で全く理解出来なかった課目があった。それは 「経済原論」の学科で教えて頂いたケインズの「雇用・利子 および 貨幣の一般理論」である。



このケインズ理論については、 当時日本でもトップクラスのS教授が、直々に講義をして説明して下さるのだが、私にはその真髄が最後まで理解出来なかった。ケインズが古典派経済学に対する新学説として上記の「一般理論」を発表したのだが、消費関数の仮定や 所得と消費の乗数効果、 利子率からくる貨幣経済の流動性プレミアムによる説明は 日本語はわかっても その意味がチンプンカンプン。 1950年代は このケインズ理論が経済学の主流であり これを理解出来ない奴は、経済学勉強する価値なし とまで酷評された。

しかし わからんものはワカラン!期末試験の答案に出題と全く無関係に、 ケインズ理論が 日本経済の発展にどのように有効活用されるか、勝手放題 ヘリクツ並べ放題の答案を提出したら S教授より本来なら「不合格」だが熱意だけ買って最低点の「可」をお情けで頂いた。  経済学部の成績で「可」を貰ったのはこの課目だけである。今でも 経済誌や新聞でケインズの名前を見る度に 桜山の 薄暗い教室で 理解不能と頭抱えたシーンを思い出します。

◆平成21年3月7日追記
55年後のケインズの悪夢復活

先日ふと某新聞の経済欄を読んでいたら なんとそこに「ケインズ復活の時が来た」の見出しで論説が出ていた。このケインズについては、思い出話にも書いたように1950年代の一世を風靡した経済理論としてもてはやされ、ケインズにあらざれば経済学者ではないとまで言われた経済理論であったが、我輩にとっては、さっぱり理解出来ぬ学説であった。そりゃあお前の頭が悪いんだと言われればその通り、四年間の学部成績で唯一名誉ある「可」の評価をもらった実績があるので反論の余地なし!ケインズと聞いただけで「蕁麻疹」が出そうな気がしていたのも もう50年の月日が経つと忘却の彼方に沈み込んで消え去っていた・・・・それが突如として復活なんてタイトルで新聞紙上を飾るなんて信じられないわ。また蕁麻疹が出そうだ。

論説の中でフリードマンの名前が出てきたが彼はノーベル経済学賞を受賞している優れた学者で1950年代の後半に「資本主義と自由」の名著を発表して多くの反響を得た。彼の名前を有名にしたのは当時の最高と言われたケインズ理論を真っ向から批判した事である。極端に要約すれば、彼は規制のない経済主義を理想とし、経済が低迷するのはそこに何らかの規制が入って自由競争が阻害された結果でありケインズの言う様に現存の秩序を完全破壊して全く新しい秩序を創設出来るほど経済界は賢明ではないと考えて古典派経済学を持ち出した事で有名となったが2006年に他界された。

 論説を引用すると「彼は選択の自由と小さな政府、財政政策の無効と金融政策:市場原理の有効を訴え続けた。しかしサブプライムローン以降の金融危機と経済の低迷は彼の理論の崩壊を意味するものである・・・世界の消費も投資も負の連鎖に入ろうとしている今、積極的な消費者、投資家は政府をおいて存在しない。財政赤字拡大とインフレを恐れる事は出来ない・・・今は政府がスピード感をもって財政出動すべき真の時である100年に一度の経済危機に直面して「ケインズ復活」のときが来たのである。
と論説は述べてあるが、ケインズの「雇用利子貨幣の一般理論」の中で述べられている金融政策が、現在の不況の救い主となる理論なのか、我輩には全く理解できないのが本音。我が国政府の金融財政担当大臣様が果たしてどの様な経済理論を持ち又担当官庁のお役人様達がどの様な理論の元に政策を実施して「100年に一度」の経済混乱を乗り切ろうとされているのか今だかって聞いた事もないし読んだ事もないのは、どうしてだろう。彼らに一度で良いから「ケインズ理論」をどう解釈されましたかと聞いてみたい気がします。

2.会計学 簿記 金融論 配給論 商品学

表題だけ見ると実社会に出たときの即戦力になりそうな項目だが教えていただいたのは どの課目も理論中心であった。簿記は工業簿記が基本になっていたが、就職して実際にやらねばならぬのは商業簿記で 少々苦労したが簿記独特の用語に馴染みがあったせいかすんなりと理解出来た記憶がある。
後日談だが、この簿記を真面目にやったお陰で就職の入社試験で貸借対照表を作成する問題がでた時に多いに役立った。しかし ボンヤリ学生にとって、これらの課目が実社会でどのような価値をもっているか 全然理解していなかったので、単位稼ぎに経済史 農業政策 工業政策を受講したが 卒業と同時に 折角の内容は瞬時に五里霧散!  教えて頂いた教授には 誠に申し訳ありません。  三拝九拝です。

3.統計学
これには 驚いたしガックリもした。なにせ経済学部なら苦手の数学はもうおさらばだ! と不純な気持があったのに 数式のオンパレードこれには閉口した。  だが 一つだけ理解したのは 統計による数値の解釈は立場によって如何様にも「ヘリクツ」がつけられて 都合の良い解釈がされるから、その数値がどの様な手法で出てきたかを しっかり把握しないと、とんでもない誤解をする事になる。と色々実例を元に説明して頂いた。これは実社会にでて、需要予測の時の市場調査資料の収集分析に実に役立った。

4.タイプライターの習得

奨学金と少々のバイトで生活費と時々のコーヒー代程度は賄ったが原書を買うには到底金が無かった。 1950年当時、原書は図書館に行くか書店の丸善で特別注文する方法しかなかったが本代は一ヶ月の生活費とぼぼ同等の三千円位。到底買えるわけは無い。図書館から借りても、期限があり翻訳するには後日の為にそれを 写さねばならない。いまならコピー機で 原書一冊一時間で終わるだろうが当時はそんな物はにゃあ〜〜。ボールペンもまだ世に出ていない。万年筆でノートにヘタな英語で写していくのだが 遅遅として進まず。
これでは卒論作成に間に合わない。 どうしたら良いか?

桜山の校舎には名高商時代の 古いレミントン、アンダーウッド等のタイプライターが残されていて、しかもそれを教えていただける先生もおられた。テキストだけを買えば 用紙もリボンも無料だった。早速 右手から 次は左手の指と 両手を使って キーボードを見ずに原稿だけみてタイプするレッスンを 休まずに受講。 その結果3−4ヶ月で何とか タイプ出来るようになった。すぐ原書借りてきて真剣にタイプした、翻訳を友人と分担でやる為 カーボン紙をはさんで
3枚位のコピーを取れる様にタイプ、 とにかく借りてきた期日があるので一生懸命タイプしたお陰で 後半にはかなりタイプ能力もあがりタイプしながら 半分翻訳もするので これは大助かりであった。この技術は 就職してから意外な局面で役に立つ事になるが 当時はそんな事は全く予想だにしていなかった。


5.外国語
こんな物は 豊川の教養学部で終りと思っていた。余談だが教養学部では 英語 ドイツ語以外に 選択だったと思うが 更にもう一ヶ国語選択出来た。殆どがフランス語を選択したがへそ曲りの私は「ロシア語」を選択した。1950年(昭和25年)当時ロシア語の教科書は、ちゃんとあった。 ただ辞書だけは 一般に売られておらず、学校で貸してくれたのは なんと旧陸軍幼年学校の印が押してある「軍払い下げ」本であった。
興味本位でのたった一年のロシア語が ものになるわけは無いが あの独特の文字が読めて、簡単な単語も記憶していたお陰で 就職後、営業部時代に一人でソ連、東欧共産圏諸国で商談をした時 カタコトのロシヤ語で単語並べたら それまで「黄色の猿め」って顔していた連中が 態度豹変して 実に友好ムードで商談が進んだし ホテルでは ボーイやレストランの担当者が ロシヤ語の簡単な文章を教えてくれて
発音の是正までしてくれた。 あの当時 まだ外国人との付き合いは禁止か 監視されていた筈なのに よく話し掛けてくれたものと感謝。

さて桜山での外国語は英語以外はドイツ語であった。ドイツ語なら大したこと無いと多寡をくくったら これがとんでも無い間違い!教材はなんと 「ダンテの神曲」。これを翻訳して来るようにとの事既に本屋には神曲の翻訳本は出ているし楽勝だと思ってそれでもと実際に辞書を引きながら翻訳してみると サッパリ出来ない。出来上がった翻訳文は 到底日本語とは思えない文章、 既に世に出ている翻訳本と対照しても どうしてこの様な翻訳になるのか それすらわからない。わからないまま授業に出て 先生から ここの文章を翻訳して下さいと言われ、有名翻訳家の文を そのまま読んだら、 この単語の意味はどこからその訳が出てきますかと 散々とっちめられて赤面!翻訳するには 語学知識だけではだめで、当時の歴史的背景 思想変遷さらに著者自身の人格の分析も出来ていなければ 正確な翻訳は出来ないと説明されて 納得。以後の授業は 文章一行の翻訳1分 その背景説明に二時間弱 と言った講義が続いた。 先生のお名前は失念してしまって残念だが今時 こんな先生は居るだろうかと ふっと思い出す事があります。

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