【出戻り営業部編】 バグダットのマネキン騒動
(1977年(昭和52年)
平成29年1月7日掲載

◆再び バグダットへ 昭和52年 (1977)
 7月末にあの地獄のバグダットから帰国して、通常の輸出営業の仕事をしていたら、バグダットで見本市が開催されるとの知らせが入って来た。 個人的には二度と行きたくない所だが、担当課長 としては逃げる訳に行かないので渋々その準備に取り掛かった。
今回は出品する製品の技術的な事もあって、製造部門のベテランが助っ人に来てくれるので、大助かりだった。 彼等は10月始めに設営や調整の為に先遣隊として営業のN君と出発した。 彼等からの現地情報で、バグダットは目下「コレラ」が流行していて、食事が連日最低との事で、私が行く時には,持てるだけの日本食(通関にひっかからない範囲)を持参する事にした。

10月12日
朝一番の新幹線で羽田に行き、予定通り12時半に離陸。DC-8の為エコノミー席は狭くて窮屈、羽田で7分の乗客だったが、マニラでもう空席無しの満席、マニラは給油での着陸の為機外に出る事が出来ず全員 エアコンの切れた蒸し暑い席で我慢、我慢!
マニラからバンコックに飛び、此処では機外に出る事が出来て手足を伸ばしてほっとしたが、トイレは,体重80キロ?のおばさんが入り口で頑張っていて、チップの請求、余程このおばちゃんに 小なら幾らだ、大なら幾 らだと聞きたかったが もし怒らせてぶっ飛ばされたら あの体重では勝ち目ないので止めた。 羽田からここまで9時間、バグダッドまでは更に9時間飛ばねばならない。合計18時間の 忍耐飛行、離陸してから 出された食事も 夜か昼かもう全くわからず、食欲も無いので殆ど残した。 午前3時 カラチで又給油して現地時間午前1時にやっとバグダット空港に着陸、何もせず只席に座っていただけなのに、本当に疲れた。将に体力勝負だった。空港は見本市の関係か 真夜中なのに大勢の人、現地の人は10月で寒いと言うが、私には半袖の夏姿でも暑い位に感じた

10月13日より20日まで
真夜中にホテルチェックイン、 外人向けかエアコンがブンブンと廻っていた。 不思議な事に7月に経験した停電は無かった!朝食は 聞いていた通りコレラ予防の為生物は一切無し、前回出たジュースは無しで パンも干物同然のカチカチでそれとぬるい紅茶だけ。 先遣隊としてきていたN君と見本市の状況や商談内容を聞き持参したインスタントラーメンの昼食、N君は久し振りに食べたラーメンがこんなにうまいとは感激だと汁一滴も残さず食べた。 持参した甲斐があったというもの。

埃と糞の見本市
まずぶったまげたね、会場の外は元より 中も砂埃がもうもうと立ちこめて 出品物はうっすらと砂埃を被っている。 その上会場の天井には野鳩が飛び回って、所かまわず「糞爆弾」 の雨、空中より飛来した「糞爆弾」が命中した展示品は、気の毒を絵に描いた様なもの。ふき取りはしても、それ以上は何事も無し、みんな気にしない、気にしない・・・怒っている我々の方が変人かもしれない。それに加え、驚いたのは見物客の態度だった。 普通は ブースの前で、派遣員の顔は見ても直ぐ展示品に注目すると思うが、ここでは先ず誰もが展示品の横にいる、又説明している派遣員の顔をじ〜〜っと見つめている。 ちらりではない、1分、2分、3分、じ〜〜と見つめている、まるで派遣員がどっかの宇宙から来た「人間の姿をした異星人」ではないか・・・とそんな感じで見ている。この注目に耐えて説明や実演を続行するには、相当に太いか鈍い神経の持ち主でないと 無理でしょうね。 この雰囲気でやるのですから、終わってホテルに戻りますともう「疲労困憊」の状態でした。 見物客の人間性は悪いんじゃなくて、風俗習慣の違いでしょうがやはり疲れました。

マネキン騒動
今回の見本市では、編み物の実演をして出来た製品を実際に着たらどう見えるか、現地の女性を使えば文句なしですが、現地の法律でそれは出来ませんのでこちらからマネキンの上部だけを持参しました。 展示会場に行きまし たら 試作品を着ているマネキンの首が無く胴体だけ、 一体どうしたんだと聞いたら、見本市の方から、女性のマネキンを使うことは風俗上許可出来ないとの指示で首をはずしたとの事。 女性が公衆の面前に顔を見せる事はないとかで文句を言っても始まらない。これも此処の習慣なら仕方ないと首無しマネキンに実演で出来たセーター類を着せて、新しく出来上がったセーターと着せ替える時にその首無しマネキンの胴体を持って着ていたセーターを脱がした とたんに目の前の見物客から異様などよめき!なんとも言えぬ嫌な熱気が押し寄せてきた。 原因は 首無しマネキンでも 胴体は女性で、豊なバストがついている、それがセーターを脱がせた途端にそのバストがみんなの前に見えたわけ。 こんな所で女性の立派なバストを見るなんて想像もしていなかっただろうから 彼等がどよめいたのも後で納得したが、その時は「初めてヌード」を見たら こんな顔になるだろうと言う顔、顔、顔。どのように伝わったか知らないが、暫くしたらブースの前は黒山の人だかり、通行困難な状態におちいった。 警備員が来 て整理してくれたが、直ぐに見本市の役員と称する人が来て、「首無しマネキンの展示禁止だ」と宣告、冗談じゃねえ、マネキン無しでどうやってセーターの良い所をみんなに理解してもらえるか、マネキン無しなら 現地の女性を紹介してくれと食い下がった。普通なら不服申し立てしたら即座に退場!とやられる所だが、この時はそのやり取りは見物客の目の前で、マネキン使用禁止の言葉に 皆から一斉に「ブーイング」の嵐! それに押されたのか、「今後着せ替えする時は、公衆の面前でしない事」の注意で一件落着。 それれからは見物客がブースの前に来るたびに彼等の狙いは、もう一度あのマネキンを裸にするんではないか・・と期待して集まってるんじゃないかと疑心暗鬼でありました。

商談
7月に訪問した公団に、今回もまた商談に出かけた。 少しは改善されたかと期待したが、全然ダメ! 朝10時に受付してもらって> 待合室で、忍の座禅、 馴れない人初めての人は長時間待たされて、受付の女性とやりあって怒って帰っていく姿を見たが彼等の心情は痛いほど分かる様な気がする。私も初めての時は、机でもひっくり返して帰ろうかと思ったが、仕事、仕事と言い聞かせて我慢した今回も、10時に来て11時何も無し 12時受付嬢昼食でいなくなるが何も無し、ただひたすらに、仕事、仕事と心に念じて座禅の続行で、やっと面談できたのは4時であった。 6時間も待たされても、相手は嫌なら帰れの態度、商談も前回同様に、一方的な無理難題を吹っかけてくる。 到底飲めるものではない事を承知でふっかける態度には心底はらわたが煮えくり返ったが、ここで切れたらダメだと我慢して商談を進めたが、二度とやりたくない相手だった。

賄賂
もう時効だから書けるが、この公団の担当者とその周辺の仲間達は外部から商談に来る営業マンに「賄賂』を公然と要求するようになり、日本製で評判の高い光学製品の、カメラ 双眼鏡 現地で入手し難い女性の化粧用品や下着類を指名してくるようになり、某商社は現地責任者自らその賄賂製品を持参して担当者に渡して商談成立の便宜を計らってもらったとの噂が耳に入って来た。 私の担当者も、前回会った時に、カメラは貰ったが望遠レンズが無いからこれを欲しいと堂々と要求してきた。やりたくは無かったが仕方なく望遠レンズを持参して彼に渡した。 当然見返りがあるものと内心期待したが、全然無しの礫、何日か後 突然その担当者が私に前回渡した望遠レンズを返して、一切無かった事にせよとの話、 妙だなと思っていたら、公団のあまりも悪質な収賄状況が上層部に伝わって、収賄した連中が軒並み逮捕投獄されたとの噂、更に某商社の責任者は逮捕されてイラクの法律で有罪となり現地での禁固刑執行となったニュースが伝わってきたので、ここで初めて、あの担当者が急にレンズを返した来たわけがわかった次第。 別のルートからの噂では、収賄の甘い汁が吸えなかった公団の誰かさんが 上層部に密告したらしいとの事。 それ来公然たる要求はなくなったが、非能率でかつ高飛車非常識な商談習慣はなくなる事はありませんでした。

コレラ
何処でどのように流行しているのか、さっぱりわからずホテルで聞いても、兎に角流行しているから役所の許可があるまで 生の物は 出せないの一点張り。仕方なく三度に一度は持参した日本食(インスタントうどん、そば、ラーメン。 あられ 羊羹 梅干 日本茶等)>出発する前にスーパーで買い込んだ食糧を先発隊と私の4人で、部屋で食べていた。 食堂で食べられるものは ラスクの様なパン壜詰めのジュースや缶ビール、 果物は一切駄目、玉子も汚染されてるから駄目 肉類は塩漬けのベーコン程度で本当に不便だった>(これだけ食事が簡単廉価でもホテル代だけはちゃんと1人前の高い値段だった)> この不便さは 帰国する20日まで続いたが、バグダット空港離陸したら機内ではすぐ冷たいオレンジジュースが出され、昼食に久し振りの生野菜サラダが出てきた。機内食は一体何処で準備してきたんだろうと瞬間不思議に思ったが、欠食児童の前には瞬時に霧散 美味しく味わいました。 勿論帰国してもコレラの発症はありませんでした。

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