豊川振風寮での学生生活 (3)


豊川振風寮 北寮

1.タバコの思い出

高校時代には好奇心からこっそりと煙草を吸ってみた事は誰しもが経験した事と思うが常習的に吸う事は無かった。之は煙草が配給制で容易に入手出来なかった事もあるが学校の風習として煙草を吸ってるのをみつかると 鉄拳制裁なるものが 飛んでくる終戦後復員された先輩が軍隊の名残の「全体責任」を持ち出して煙草を吸ってる本人以外にそばにいた野郎まで一緒にボコボコにぶん殴られるので誰も公然とは吸わなかった。

しかし大学生になった途端にそれまでの坊主頭から長髪に変った様に急に大人気分で煙草を吸い始めた。寮生は殆どが貧乏人?で煙草を一箱買ってくるなんて事は皆無、寮の食堂のそばにあった小さな売店の美人に頼んで「バラ売り」してもらった。3本幾ら、5本いくらとそんな買い方でも嫌がらずに販売してくれたのだから売店の方もこっちが貧乏人であることを充分承知していてくれたんだ。

現在の煙草の様にフィルターはついていない。一本の煙草を 数人で回して吸い短くなって手で持てなくなると ピンで刺して持ち最後ギリギリまで吸ったもんだ。余談だが高校の時にウラサからドイツ語を教えて頂いたお陰で、宿題のドイツ語は楽なものだったが他校から来た寮生は苦労していた様子、そこで宿題引受係りとして解答する。その報酬は「煙草」一本程度だったが結構方々から声がかかり煙草には不自由しなかった・・・・の筈だったんだが毎晩誰かが部屋に来てわいわいがやがやの青春談義、その合間に貴重な煙草を吸っていく・・・そんな事で 折角巻き上げた煙草も はかなく煙と消えて最後は おーい煙草ないかあー?で終り。

2.酒の話

煙草と同じで 高校生時代には 酒を飲む機会は滅多に無かった。「酒を飲む」その言葉には なんとなく大人の感じがあって、大学生になればもう酒も飲めるんだ・・とは言うもののスカンピンの学生にはそう簡単に手が届かぬ貴重な物だった。年一回の寮祭が11月5日行われ 演劇コンクールで我々の北寮は見事2位を獲得!賞品は一升瓶の酒だった終了後 関係者も野次馬も皆な 集まって 茶碗にほんの少しずつ貰ってあっという間に空にした。それでも みんな満足して 後はお定まりの 青春談義で 夜明けまで。

日本酒以外には ウイスキーもあったが寮にいる間に最初に飲んだのは 「トリス」の ポッケト壜だった。ほんの一口が喉を焼き尽くす様に流れて もう二度とこんなゲテモノは飲むまいと思ったが 君子豹変!トリスに 熱湯で溶かした濃い砂糖溶液をいれて トリスのお湯割りにすると 意外に口当たりが良くて冬の寒い夜に度々登場した。しかし 酔って騒いだりして 他の
寮生に迷惑かけた記憶もないし そんな野郎もいなかった。自分をコントロール出来ていたのだ なんて話じゃない真実は 酔うほど 量がなかっただけの事です。

3.窓ション話 (女性と 未成年読むべからず)

振風寮は畑の真ん中にあり 寮と寮との間隔も大きかった。冬の寒い夜中 部屋をでて 寒い廊下を通り階段を降りて離れたトイレに行くのは嫌なものです。とは言うもののこれだけは我慢に限界があります。 そこで最もお手軽なのは窓から 自然界に向かって放出する事であります。当然物理的法則に従って 放出物は下界に落下致すのでありますがもし下の部屋の住人の窓が開いていたら 如何相成りまするか想像あれ、 しかし季節は冬、この寒いのに窓開けてるトンチキはおりませんので 被害は殆どの場合僅少微小で済んでいる筈であります。一度だけだと記憶しているが 同室の YとYとHの三人が並んで一斉射撃? ナイアガラ瀑布も 顔負けの水しぶき?そんな事もありました。古き良き時代の 内緒話です。

4.振風寮の寮歌

旧制高校には どの寮にも夫々の寮歌があった。 最も有名なのは旧制一高の「ああ玉杯に花うけて」でしょう。 伊那谷の山猿連も憧れてよく歌ったものでした。それと同じように振風寮にも
寮歌がありました。何方の作詞作曲か不明ですが 全5番の内一番と二番の歌詞を紹介します。 果たして何人の方がこの寮歌を 覚えておられますでしょうね

    黎明莢か東海の  峯霄霄の松風よ
     みよ彩雲の方遥か  紅燃ゆる段戸山

    栄枯に暮るる空蝉の  うらぶる巷外にして
     高き理想に面映ゆる  龍城ケ丘の健男子





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