容姿端麗なる?就職活動(3) 1953年


採用通知

 和28年(1953年)11月11日の「容姿端麗組」の選考試験が行われた後、さて今度は何処の会社の就職試験を受けられるかと学部の求職掲示板を見つめる日々であったが、具体的にどっかの会社の試験を受けた記憶は無い。そうこうする内に一週間後の11月16日「採用通知」の葉書が来た。言いたい事言いたい放題で多分駄目だろうと思っていただけに全く意外と思った反面、採用通知が来た事でほっとした事をいまでも覚えている。

この古色蒼然たる採用通知の葉書がまだ手元にありますので、その文面をお見せしますから 見てください。↓

  さて 規則として学部の事務局に就職内定の連絡をする事になっていたので 報告に行ったら、「おいおい容姿端麗組で三人が採用通知もらったぞ、経済学部に 三人も容姿端麗がいるとは前代未聞の出来事じゃな」と散々冷やかされた。その位当時はこの言葉が今で言う「流行語」のように 皆の話題になっていた。

採用通知をもらった三人のうち一人は同じゼミのT君だった。彼は 私と大違い、敬虔なクリスチャンで性格温厚まじめ勤勉。オンボロ寮の部屋で トリスウイスキーを飲んで気炎をあげ終日バカ話に没頭していた私とは正反対なT君 彼とはこれから長い付き合いになるのだが有難い事に彼からは一度もアーメンなんて言われた事は無い、彼から見たら私なんか御しがたい人間で聖書とは全く縁の無い人間と判断されたせいかも知れぬ。



もう一人のY君も性格温厚で外見は「容姿端麗」には程遠い?が人間的には とても暖かい好人物。趣味の一つに 「浪曲ー浪花節」があった。後日彼が結婚して新居に冷やかしに行ったらそこで広沢虎蔵の「森の石松」の一幕を聞かされてたまげた。嫁さんは横向いて笑いを噛み殺しているが、唸っている本人は 大真面目!聞かされるこちら二人(私とT君)はいいツラのカワ、出されたお酒を飲んで酔って殆ど聞いていなかったのが本音。落語家の三遊亭金馬さんか 古今亭志ん生さんか忘れたが長屋の大家さんの義太夫を聞かされる店子の落語を知っておられる方は我々の閉口した姿がどんなものだったかすぐお分かりになると思います。

この「容姿端麗組三人」がどの様な会社人間人生を過ごしたかそのヤジキタ道中物語は後日ご報告いたします。なお、本稿を執筆している最中に日経新聞の就職活動(現在はシュウカツと呼ぶそうだ)特集記事に目がとまった。その際感じたことを以下にまとめてみたい。

当時の就職活動感と現代のシューカツ

咋今の就職活動内容を較べると その差のある事に愕然とする。昭和27,28年代は不況で 就職活動がとても厳しい状況であった。自分がやりたい仕事、 自分の長所特技を活かせる職場 将来共に安定発展が望める業界への選択が出来た学生はほんの少数だと思う。とにかく 何処でもよいから潜り込む、それから先は入社してから考える、配属された職場で与えられた業務をまずやる事、選択権は全くなし、嫌ならご自由にどうぞ 辞めて下さいの一言で終わり。

現在と違って転職に対する考え方と転職を受け入れる企業の考え方も根本的に違っていた。 例えが悪いが当時は離婚は人生を決定ずけるほどの一大事で、 「バツイチ」なんて言葉で
お手軽に表現出来る事ではなく、一旦入った会社を辞める事は余程の理由が無い限り 社会的には容認される事は少なく 「転職」ではなく「再就職」は かなりの困難さを覚悟しなければならなかった。それだけに社会的にも「石の上にも三年」と言う格言が浸透しており自分の適性とか理想に合致するしない以前の問題としてまずその仕事を やってみろ!が普通の考え方であった。

日経の記事によると、現在はまず、履歴書から志望動機をまとめた「エントリーシート」の提出からはじまり、能力適正検査、性格適性検査を受ける。その後、さらにパソコンを使ったウエブテスト、もっと進んで学生の潜在能力見極めの為のコンピテンシー面接方式等々採用する企業側も優秀学生の確保に必死の体勢を取ってきている。こんなテストをされる学生側も大変だと思っていたら 近頃は両親までもが就職活動の援助をしなければならないらしい。両親も業界や職業について勉強して学生に正しいアドバイスをする必要がある、学生自身が色々調べてこの会社にしたいと言っても両親がその企業や業種を知らなければ両親の経験で反対とか異論が出て学生が困るケースが多々発生しているそうだ。

正しい勉強知識も結構だがそれで過保護になったりまた無関心になられてもこまるが大学四年生にもなれば ある程度は自立していなければ 社会人になって役立たずになる事くらい 自覚している筈と思う、私自身貧乏学生だったから 学資生活費稼ぎで いろいろとアルバイトをやった。個人企業ではオヤジ社長の厳しさ、会社でのアルバイトは 組織の中の人間関係の難しさも十分体験したから就職活動に際しての 職業選択や 内定辞退も 全て自分の判断で決断した。親からも親類からもやいのやいの言われた記憶は全く無く その点、私の時代の就職活動は現代のそれと比較して有難かったと 感謝している次第。

平成19年12月12日


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