桜山キャンパスの思い出 大須事件ほか様々な思い出


桜山キャンパスの思い出

卒業論文のことを書いているとあのころの思い出が断片的によみがえってきたのでわすれないうちに記録に残しておこうと思い、順不同ですが書いてみたいと思う。なお、経済学部は1959年(伊勢湾台風の年)に千種キャンパスに移転となり、桜山キャンパスは廃止となった。


大須事件

昭和27年(1952年)の7月に発生。そもそもは社会党の代議士の中国よりの帰国歓迎会を
共産党主催で名古屋の旧大須球場で夕方より開催したのが始まり。10時頃閉会直後名大の学生がアジ演説を開始して煽動された群衆が無届デモ行進をはじめたのに対して 警察側が制圧開始。群集から火炎瓶の投擲があり 逮捕者300人近く死亡者1名 負傷者100人近く出て大須一帯は大混乱となった。 このとき経済学部の学生も何人かがデモに参加して警察から追求され、嚶鳴寮にも警察が入るとの情報で寮の玄関は 部屋から持ち出した机で厳重なバリケードが築かれた。
それまで全く知らなかった殆どの寮生はこのバリケードで初めて事の重大さを知った。当時の真相はよくわからぬが思想関係の難しさを肌で感じた一瞬だった。

それ以来だったか記憶は定かでないが寮生の間で警察署に対していたずらがはやった事がある。その最たるものは 近くの交番派出所に掛けてあるXXX交番派出所の看板をなんと、

深夜こっそりとはずして寮に持ち帰り入り口に堂々とその看板をかかげるいたずらだ。

それを見た寮生が歓声をあげて祝杯をあげる・・。そんな他愛の無い?いたずらだったがやられた方がカンカンになって 寮に怒鳴り込んで来た記憶は無い。多分 誰かが返しに行ったんだと思うがそれでも暫くはその悪習が続いた。 あの看板を 見つからぬようにはずす、そのゾクゾクするスリルは今でも最高だった!なに?おまえもやったのかって、そりゃあねえ・・・こんな文章書いてるくらいですから。

終電車へのいたずら敢行

当時の暖房の主力は炭の火鉢であった。その炭を入れてあった 空き俵が寮の隅に山積みになっていた。嚶鳴寮の前には市電の線路が走っており11時過ぎの終電車は行き先表示板の色を赤に変えて通行していた。その終電車(乗客は殆どいない。いても酔っ払いが寝込んでいる)が
通る頃を見計らって 炭俵を線路の上に並べておく。市電は止まらざるを得ない。運転手車掌の二人が降りてきてその炭俵を歩道に悪態をつきながら放り出して発車。それを塀の影から眺めている悪童は万歳三唱、電車が見えなくなってから歩道に投げ出された炭俵をまた寮に持ち帰り次に備える。おめ〜ら アホかバカかと言われそうですがこんな単純ないたずらを繰り返した。後日談として市の交通局から警察に苦情があり交番から「嚶鳴寮の学生がやったのはわかっている。もう止めろ」との話が来た。あの頃のお巡りさん(巡査とは言わない)はとても温か味があって文字通り庶民の味方だった。こんないたずらしてもギリギリまで大目に見てくれているので彼から言われると即中止にせざるを得なかった。


【桜山の校舎1】


【桜山の校舎2】

質屋のお話

今の学生で質屋に行ったなんて経験のあるのは殆どゼロだと思うが我々の時代では 貴重な金融機関であった。遊ぶ金がある野郎は質屋なんか行かない。行くのは月末になって手持ち資金?が底をつき明日の飯代が無いゲルピン学生だけ。質草でもっとも一般的なのは 時計だったがこれはいい加減なしろものが多くて質屋さんも高くて40円から50円まで。金が無いとそのまま流れてしまう事が多かったと聞いている。   最高に値がつくのは 「学生証」。これは 何時もって行っても 100円は貸してくれた。学生証だけはどんな事があっても必ず請け出しに
くるから値が高かった。後は角帽だったがこれは20円がせいぜいだったと記憶している。   あるとき悪友の一人が専門書を持って質屋に行ったら古本屋に行けとどやされたとぼやいていたのを覚えている。質屋は何度も利用させて貰ったが一度も利息とかでもめた事もなかったし 悪い印象は何一つなかった。

映画館の話

桜山と滝子に洋画専門の映画館があった。当時の娯楽の最右翼にあるのが映画館で 学生証見せると かなりの割引があった。滝子の映画館で A君が「 金がない 料金の半額しかないが この映画が見たい、だから半分だけ見せてくれ、俺の腰に綱つけてはんぶんにんなったら
綱ひっぱれば 俺は出て来る」 そう言って交渉したら 半分の金で入れてもらえたそうだ。  勿論 綱なんかな無しで 彼は全部楽しんだそうだ。それから 後の連中が同じことをやって 成功したかどうかは 不明!

この滝子の映画館に 「第三の男」が上映された。丁度その時は前期か後期の試験の最中だった。見たくて見たくてたまらず ついに その試験科目を 棒に振って 映画館に飛び込み そこで 夕方まで 飽きずに鑑賞した。いまでも チターの音色を聞くと あのスクリーンの映像が浮かび 次に試験科目をオジャンにしたなあと思い出します
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【映画:第三の男 】


飲食店の話

桜山周辺にはうどんやも沢山あった。時として運悪く不味いうどんを出された時 そのお礼に 丼の汁の中にテーブルに置いてある七味やとんがらしを隣のテーブルの分まで持ってきて 全部ぶち込んで空にして帰る。味だけでなく店員の態度が悪かった時にやるお礼は割り箸が
立ててある竹筒の中にうどんの汁をたっぷり流し込んではいさよならした。これで後の客は割り箸が使えなくなる。これは単独犯では出来ない。共犯者多数の時だけ出来る御礼。50年たったので犯行を自白致します。

喫茶店の話

桜山の少し南にMEIMIと言う喫茶店があった。バイト代金や奨学金もらって 懐が豊かな時にしか行けないが そこで飲むコーヒーは格別うまかった。もう一つの理由は その店にとても綺麗な店員がいた事、 ほとんがその彼女目当てに行っていたと思う。昨年桜山周辺を散策したら 50年たってもまだその喫茶店が残っていて 感慨無量、あのシェーネメッチェン(美女)は
どうなったかだろうか・・存命なら80歳位と 想像した。
悪友の中には 寮の部屋に コーヒーカップ ソウサー 砂糖壷、ミルク入れ スプーン 全部 銘柄違い・・色々な店からくすねてきた・で 一式揃えていた豪傑がいたがさすがにそこまでは真似出来なかったな。上には上がいるもんです。

成績表

こんな事ばかり書いていると お前は大学で勉強したのか?と疑われそうですから 名誉挽回のために 成績表をお見せします写真をよく見てくださいね。わかりませんか?
ピンボケで申し訳なし・・・じつはそれが狙い・・色々な科目で優とか良とかありますが たった一つ 「可」があります。


【大学時代の成績表】

そうなんです、実は経済原論第一部です。経済学部の学生であるにもかかわらず、これこそがさっぱり理解出来なかった経済原論の授業。今でもわからないうらみ重なる「ケインズの雇用利子および貨幣の一般理論」です。 (余談ですが、この話を息子に何度もした為、息子はついぞ経済学部を一切受験しませんでした。)
 
マーシャルの経済学原理やシュンペーターの理論 さらにハイエクの自由の条件や 最近のガルブレイスの豊かな社会ドラッカーの断絶の時代等の有名理論は 読んでも共感を覚えたが
ケインズだけは全く駄目だった。

この成績で学年何番とか順位付けなんて聞いた事も無くまた関心もなかった。卒業してから この成績表を常時背中に貼り付けて仕事するわけでもなくこんな成績でも今まで結構人生楽しく暮らして来れたのですから気にする事なぞさらさら無し!学生時代からの超気楽トンボで楽天家の気性は こりゃ100歳になっても直りませんわ。世の諸君、学生時代の成績表なんぞ気にしない 気にしない!(といまなら声を大にして言える気がする)


平成19年10月9日(月)

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