新米社員の社会人生活(3)
辞令と給与の話 どうしてこれが1万円になるのか? 
 平成20年2月02日


辞令と給与明細の不思議

わたしは前述のとおり、昭和29年3月に入社したわけだが会社の決算期が5月と11月であり、諸々の決定や辞令はその翌月に出るのが通例となっていた。その時に頂いた私の辞令をお見せします。

昭和29年6月21日。資格が雇員。月俸390円。
これを貰った時は母も親類もそして他社に就職した同級生も驚いた、お前の資格は「雇員」なのか?正社員じゃないんだ?なに?月俸が390円?日給の間違いだろうと侃侃諤諤、何がどうして どうなって月給1万円弱になるのかさっぱりわからず。


昭和29年12月21日。月俸408円。半年で18円昇給


昭和30年6月28日。書記補 の辞令。 


後で聞いたら
入社時は全員雇員の辞令がでて旧制大学出身は半年で書記補となり、新制大学は一年後に書記補に昇格するという厳然たる規定が定められていたそうだ。 そして何年後には書記になりまた何年後には1級書記とかもう階級制度がしっかりと決められていた。最初こそ関心を持っていたがそのうちにどうでも結構となり辞令も紛失してしまった。

昭和30年12月28日。月俸438円


入社一年で 48円の昇給、会計課に配属されたが給与計算には全くタッチせず。438円がなぜ1万円程になるのか最後までその仕組みはわからず仕舞だった。私一人だけでなく殆どの社員がわからなかったと思う。毎月28日が給料日でその日は朝から給与明細を手書きで一人ひとり記入するので目が廻った。

覚えているのは 部長や課長は沢山貰うんだなあ それに較べて新入社員の安い事・・・今から思えば当然だ。戦力どころかお荷物になっていたのだから・・・だがその時は全く気付かず
ただ安いなあと感じただけ。

給料が安いのは当然である。
当時会社の隣に古い料亭の建物を買収して来客接待や重役連の会合、空いていれば従業員も気楽に使わせてくれる「クラブ」があった。 毎月給料支給の日は定時が3時と決まっていた。
早く安い給料を持ってお帰り?ではないだろうが、とにかく給料日はクラブは販売だけではなく 製造のほうの従業員も加わって大賑わいが通例、昔美人の仲居さんも数人居て頼めば食事もお酒も出してくれる。ワイワイがやがやの後必ずといってよいほど名物の「歌」が出てくるのである。この歌が出ると職場や階級の差は吹っ飛んでクラブの中に居る全員の大合唱になる。その歌の歌詞の一部を紹介すると

「XXXXX(会社の名前)は 月給が ヤスイ
  ヤスイ筈だよ 社長の名前が ヤスイ〜〜〜」


なにもペースケだけでなく一緒に居る課長は勿論 時には部長までが一緒に合唱した。それでいて翌日どっかから譴責処分とか 厳重注意なんてものは一切無し。また翌月の給料日には ヤスイ〜〜の大合唱の繰り返し。当然社長の耳には聞こえていると思うが全然馬耳東風であった。当時は旧態依然たるしがらみも残っていたがこんな家族的雰囲気がまだしっかりと残っていました。・・・・だからと言って ヤスイ給料に納得したんじゃありませんよ・・・



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