大阪支店での販売営業(修行編)
訪問販売での初売上はなんと・・・ 
平成20年2月23日



 ◆ 訪問販売のセールス

京都支店の経理内容の整理と建て直しも先輩方の援助を頂いてどうやら目鼻がつき、新しい後任の担当者も決まってそろそろ名古屋に戻れるかなと期待していたが、受け取った命令は大阪支店に行って修行して来いとの指示。なんで?どうして?理由もへったくれもなし。すぐ行けの命令で京都支店からそのまま心斎橋の橋の南詰めの立派な大阪支店に出向いた。大阪支店には京都支店の会計建て直しで散々お世話になり顔なじみになった先輩方がおられて今日は何の用事で大阪にきたんや?なに?修行して来いって?会計やったらいらへんぜの冷たいせりふ。 

とにかく支店長室に行ってご挨拶申し上げたら80キロの巨体の大杉支店長いわく
「ああ、H君。会計の忙しい時は手伝ってもらうが明日から訪問販売をやってみなさい、指示は 営業の山口君から聞く事。お〜い、山口君、明日からセールス教えてやれ。それから宿はいつもの所だ。案内してやれよ」営業責任者の山口さんに連れて行かれた宿は京都と殆ど同じの商人宿。違うのは全くの素泊まり専門で食事は全て外食と決まっていた。有難い事に支店の場所が大阪で一番の繁華街の心斎橋の入り口にあり、近所にはそれこそ一膳飯屋から高級レストランまで何でもあり朝飯は6時から始まって何の不便もなかった。

訪問セールスがどんなものであるかは 京都支店で営業の連中から その苦労話を聞いていたのでおよその見当はついていたがさて実際に自分がやる段になるとさっぱりわからず。今ならきちんとした手引書がありベテランから事前の指導教育があるだろうが当時はそんなシステムなんか全く無かった。H君は新米だから一番見込み客が多い難波か千日前を君のテリトリーとしてあげるから成績を上げる様に頑張れ!

「あのお〜山口さん、一体どうやって売るのですか?」

「あほちゃうか、玄関戸を開けてコンチハ〜って入っていきゃええんや。」
「 要は自分で売ってくるんや。」

渡されたかばんの中は契約書と 価格表と簡単な地図だけ。
これで立派な販売担当員に変身〜!








難波や千日前へは心斎橋を南へ歩き道頓堀川にかかる戎橋か太左衛門橋、通称ドザエモンバシをわたって行く。道中は名古屋には見られない繁華街の熱気で一杯、 さて肝心の難波に着いても一体何処からはじめたら良いか表通りは商店街なので裏路地の狭い道に入って探すのだが玄関の引き戸を開ける勇気が無い!これでは駄目だ ドキドキする胸を押さえて勇気を出してガラガラと戸を開けて「こんちは〜〜」・・・・2.3回 呼んでも誰も出てこない。留守かあと思ったら何だかほっとして飛び出して来た。もうわけわからずに闇雲に歩きまわって 夕方くたくたになって支店に戻ってきて山口さんに只今帰りましたと報告。聞かれたのは「売れたか?」のひとこと。駄目でしたと答えると「明日頑張って来い」。それだけで近くの飯屋で夕食たべて旅館に戻って寝るだけ。   

そんな繰り返しを一週間くらいやったかなあ、段々慣れてきて玄関戸開けて逃げ出す事もなくなり 何とか話をするのだが成果は一向に上がらず支店の営業成績表の売上げグラフは相変わらず私だけ。0地点で微動だもせず。何時だったか定かではないが毎日歩き回っても 駄目の連続でいい加減嫌気がさして千日前の映画館に10時ごろから飛び込んだ。当時は三本建ての映画館があり 朝入ったら出てくるのは夕方!そこへ入って 売店でパンと飲み物買って ドンパチの西部劇は夢中で見てのんびり喜劇は半分居眠り、メロドラマは全部夢の中、夕方支店に戻って今日は疲れましたあ〜 明日頑張ります、それではお先に失礼。山口先輩は全てお見通しだったと思うけど何も言わずに 苦笑しておられただけ。そんな事をなつかしく思い出します。

◆ ついに初契約を獲得!

この話は何十年何百年たっても絶対に忘れる事は無い!とにかく歩き廻って犬も歩けば棒に当たるのか下手な鉄砲も数打ちゃ当たるのどっちかと思うがある日飛び込んだ先の人から 買ってやるから一台持って来いとの夢のような話でもう舞い上がった。とうとう売れた!初めて売れた、万歳万歳で支店に帰ってすぐ現物を手配して自分でそのお宅まで運んで届けた。  

「あの〜、代金は?」
現金ならXXXX円で、月賦ならこれこれと説明したら明日支払ってやるから改めて取りに来い との話。はいはいと二つ返事で帰って山口さんに報告
「そりゃあ 良かったな。オメデトウ。所で品代金は?明日貰って来る?ふ〜ん。」
その反応を見て何だか嫌な予感がした。

◆ 質屋とその後

山口さんの顔見ていたら何となく不安になり翌日10時頃だっただろうか、昨日納品したお客様のご自宅に「代金頂きに参りました」と訪問した。

「代金?お金は無いよ」

「支払って頂けないのなら 品物返してください」

「はあ〜品物?そんな物は無い!帰れ帰れ!」 

追い出された。

青くなって支店に戻り、山口さんと一緒に再度訪問。
そこは敏腕営業マンの山口さん。山口さんの詰問に根をあげたお客様。
その口からは驚愕の一言が!

「質屋に入れたワ」


早速その質屋に行ったらちゃんとあったがそのまま放置する事も出来ず、山口さんの判断で会社の金でその質屋から買い戻してもらったのである。

あの野郎ぉ〜、新米と見てだましゃがった!新品を質屋に持ち込んでしっかり金を稼いだ、すぐ売買契約書に署名させるべきだったんだあ!すべて舞い上がった私のチョンボ。

かくして販売第一号は夢幻の質屋受けだし第一号となった次第。

この大馬鹿セールスの不始末の報告を聞いた大杉支店長は「新米にはええ勉強になったな。」の一言だった。

 後日談

かなり後で会計課の先輩に会社が払ってくれた損失金の処理を聞いたらそんな記録は無いとの返事。私の会社が売っていた製品は当時の私の1ヶ月分の給料に相当する金額だったので
そんなバカな?と不思議に思い、山口さんに聞いてみた。なんと、質屋からの回収する際に支払った代金は大杉支店長のポケットマネーだったのである。

駆け出しのノー天気のセールスマンが初めて売れた売れたと舞い上がった翌日に真っ青な顔してショボ〜〜ン、見るに見兼ねて助けて頂いたんだと思います。この時に色々お世話になりました山口さんは何年か後、熊本の支店長に昇進されその後、私が事業部長の時に再びお世話になる不思議なご縁がありました。


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