大阪支店での販売営業(赤線・祇園編)
 
平成20年2月23日


もう遠い遠い昔の話で 時効になっているでしょうから大杉支店長に色々教えていただいた事を書きます。

◆ 赤線地帯へ突撃(?)

京都支店出張の時のエピソードにも 書きましたが当時はまだ 赤線地帯が全盛の時でした。運悪く? 京都では 新米が朝から晩まで会計処理で目を回していて 赤線どころか 四条川原町の繁華街も行かず仕舞だった。心斎橋に来て盲めっぽう歩き回っているうちは気が付かなかったが、慣れてくると難波、千日前、道頓堀 その辺り至る所に「赤線」らしき店が並んでいた訪問販売する昼間は まるで ばーさん猫が昼寝している様な 通りが 赤い灯 青い灯が点く頃は がらりと変貌して 嬌声が 海鳴りの様に押し寄せてくる。何で そんな事を知ってるんだ?一日終ってさて夕食は何処にするか と昼間のうちに めぼしい所を探して さてと行って見ると 一見してそれらしい女性軍がたむろしていた、ギョっとして あわてて逃げ帰った事が二, 三回あった。  そんな経験を たまたま大杉支店長と一緒に夕食を食べている時に話をしたら、突然に 「H君 君は赤線に行ったか?」と聞かれた。「興味はありますが 京都でもここでも 運悪く?まだ行ってません」 と返事したら 「よし、今晩俺について来い。赤線を教えてやる。」と言われた。

支店長公認の赤線行きだ〜。誰にも遠慮はいらんぞ(^^)!と胸を膨らませ支店長の後についてタクシーに乗った。連れて行かれたのは、場所はもう忘れたが遊郭の名前は「飛田」という。 多分大正 昭和の初めの方ならはは〜〜ん とすぐうなずかれる地名の筈。そこでタクシーを降りて飛田の街中に入ったら至る所から寄っていけ、店にあがれ 安くするよ・・・の黄色の声!そのうちに強引に腕を掴まれて引っ張りこもうとする女達も出てきた。大杉支店長は 悠々と周りを見ながら 女達をかわして町外れまで来た。

「おい H君 どうや、ここが飛田という赤線だ。入ったら最後 すってんてんになるまで飲まされておまけにお土産(隠語で性病の事)を持たされる所で知らん奴は絶対に来てはいかん所だ。わかったか。」私自身もあまりのものすごさに圧倒されていたので支店長の言う意味が本当に良く分かった。ただ、うなづくばかり。

そこで又タクシーを拾ってどこをどう走ったかわからぬが今度は 「今里」という場所に連れて行かれた。見た瞬間に飛田とは全く違う雰囲気の街だった。料亭お茶屋の様な店構えがずらりと並んで女達の姿は全く見えず。通りを歩いていても嬌声など全然。支店長いわく「 赤線でもここは高級地帯でそんじょそこらが来ても戸も開けてくれない。馴染みか紹介者から事前に話があった人だけが入れる場所だ。飛田では大体XXX円くらいだがここはXXXXX円はかかる。しかし安全だから遊ぶのならここにしなさい。行く気があるなら私が紹介してあげよう。」 と言われた。

最初は随分と閑静で赤線にしてはよい所だなと思ったが一晩の値段聞いてそんな気持ちは吹っ飛んだ。2回も来たら私の給料は全部無くなる!とうてい無理無理!安い所は命の保証なし。安全でよい所は高嶺の花!大杉支店長もその辺りは百も承知で私を飛田と今里に連れて行って赤線の実態を実地教育して下さった訳だ。もし、この教育が無かったら今頃は606号の注射のお世話になっているか、スッテンテンの空財布を抱えて青息吐息だっただろう。百聞は一見にしかず とは良く言ったものだ。

この赤線も昭和33年には 売春禁止法成立で廃止になり飛田や今里がどうなったか私には知る由も無い。・・・そんな事なら行ってみりゃ良かったかな・・・とちょっぴりどっかで思う時もあります。・・・


◆ 京都の祇園へ
そんなこんなで大阪でのセールス修行も終わりに近ずいた頃、支店長から 「芸者遊びってものを教えてやる」と言われてまたまたへんてこな所に連れて行かれるのかと思ったら支店長から 背広ネクタイ・ワイシャツ・靴まで きちんとした服装で来る様にと言われてますます疑問が深まった。

当日の夜、支店長と同行した先がなんと京都。先斗町だったかよくはわからぬが 鴨川沿いの高級旅館の様なお茶屋に行った。ここまで来たら如何にドンな私でも日本髪にあでやかなだらりの帯の舞妓さんや芸姑さんが出て来るものと期待で胸わくわく・・・の筈だったが 記憶にあるのは 広い座敷に通されて支店長と私と二人の前に小さなお膳が置かれているだけ。後ろには金屏風。そのうちにお酒とほんのちょっとした料理がお膳の上に出た。気が付いたら 隣に綺麗に着飾った芸姑さんが一人ずつついてお酌をしてくれる。行儀作法 祇園の仕来たりなんぞさっぱり知らないのだから 支店長のする通りを 真似するだけ。

 がぶがぶ酒を飲むのでもなし。出される料理はまるでお雛祭りのお供え見たいな 可愛いものばかり。一口でお仕舞。支店長はどうも馴染みなので悠然としておられるがこちとらの様に青二才は正座でかしこまって窮屈この上無し!舞妓さんが優雅に日本舞踊を踊って見せてくれるが素養が無いのでそれが何なのかさぱりわからず、ただ見ているだけ。宴がすすむにつれて 支店長自ら三味線にあわせて小唄かなんぞ一緒に陶然として口ずさんでおられる。

こんな窮屈で退屈でわけわからん芸者遊びなどもうコリゴリだ。12時近かったかやっと綺麗所に見送られて 「また おいでやすおおきに」・・・・これで本当にほっとした。こんな遊び、何処が
楽しいのかその時は全く分からなかった、今でもわかりませんが!

 ただ一つだけ感じたのは祇園での遊びは時の流れが実にゆったりとしてしていた。あわただしい、せせこましい、そんなものは全く無し。まさに浮世を忘れた別世界の感じ、 だからその別世界に入るにはそれなりの教養と財力が必要って事になる・・・。やっぱり青二歳には縁の無い別世界でした。

しかし一見さんは絶対に入る事の出来ない祇園という世界を支店長のお蔭で覗かさせて頂いた。こんな経験を一介の社員に与えてくださった 支店長の80キロの太っ腹に 最敬礼!あ 申し遅れました 祇園の花代は全て支店長さん持ちです。




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