卒業論文の作成 1953年〜1954年


卒業論文の作成とそれにまつわるお話

済学部四年生ともなるとそろそろ一番難関の「卒論作成」が待ち構えている。教授からは
普通の学科がどんなに優秀でも卒論がヘボだったら卒業させぬ、留年だ!と脅迫(?)の言葉が出るようになったのもこのころだ。優秀な連中は三年生の後期より既に卒論のテーマや資料の収集開始していたが、わたしは一向にその気なしで。ひねもすのたりのたりかなの生活であった。

テーマ決定
5月頃だったか悪友の一人から 「おい、卒論のテーマ決めて担当教授の了解はとったか?」 と聞かれて愕然。卒論提出期限は2月末だぞ、テーマも決めてなくて作成出来るんか?う〜ん、その通り・・・ここまでくるといかに無計画無頓着根無し草の私でも重い腰をあげざるを得ない事態となった。

さて肝心の卒論のテーマだが、当時経済学の主流の新古典派経済学やこれに批判的であったケインズ経済学・・・例の「雇用利子および貨幣の一般理論」・・・聞いただけで「「蕁麻疹」がでる・・は到底やる気なしだった。担当教授が国際経済専門であったのでやはりそちらにしようと方向付けだけは決めた。参考文献として 国際経済理論の研究、外国貿易論国際経済総論等々当時の第一人者の小島 藤井、赤松 傍島 宮田 鬼頭 ほか多くの方々の出版物があったがその中で傍島教授の翻訳した「ヌルクセ国際資本移動論」に興味をそそられて、これらの著名な理論を適当に脚色変色して卒論をでっち上げようと またしても手抜き計画をたてた。
これなら卒論は夏休み前に完成だ!早速 担当教授に説明して了解を頂く予定が教授もこちらの腹の中すっかりお見通しで、 

「資本移動論は面白いからこれでやりなさい。
ただ、国内の学者の理論だけでは物足りないだろうから 未翻訳のオーリンの原書を読んでその内容を評価批判するようにまとめなさい」

と 釘を刺されてしまった。

空き部屋を借りる

 指示されたオーリンの国際資本移動論の原書はちゃんと図書館にあった。普通は一週間程度の貸し出し期間だが卒論書くまで頼むと拝みこんで独占借用したものの・・・・ためしに翻訳してみたが、日本語の文章になっていない稚拙さを痛感し、さらに原書の頁と卒論提出期限の2月から逆算してみると このままでは到底作成不可能と考えた。幸いなことに卒業までの必要単位はちゃっかりと三年生までに取得してあるので授業は興味のある科目とゼミナールだけ出席すれば良い。時間は十分あるが、やはり一人では刺激がなくどうしてもぐ〜〜たら生活になってしまい、やり遂げる自信もなくなってしまう。以上を踏まえてY村に相談すると「俺の下宿に空き部屋があるので そこに来ないか」との話。さっそく大家さんにお願いしてお借りすることにした。

部屋は4畳半の部屋のみ。もちろん冷暖房・トイレ・台所・風呂という設備は一切無し・・・・それでも別に不便とも感じなかったから余程鈍感か楽天家か、当時はそれが当たり前だった。引越しは 机、布団、資料、衣類と 登山用の炊事道具をリヤカーに積んでY村が手伝ってくれて一時間で終わり。隣にY村がいるので困ったときの相談は勿論のこと、三度の飯も時には一緒に食べるようになり、おかげで卒論作成は急速に進むようになった。
余談だがこの下宿の大家さんとは半年後びっくりするような関係になるのだがそれはまた改めて書こう。

食事の事
下宿期間中は三食すべてが外食になるわけだが、朝飯は何を食べていたか記憶が全く無い。現在のようにパンとコーヒーなんて洒落た物はあっても貧乏人には縁の無い話。当時桜山周辺は経済学部のゲルピン(金なし)学生が多く住んでいた関係で安い飯屋が何軒があったし市場もあったので金さえあれば食うには困らなかった。夕食は大学の寮「嚶鳴寮」の食堂で寮生みたいな顔して堂々とただ飯をくった。賄いのおっちゃんも顔見ても何も言わずただ飯を食わせてくれた。今頃有難うといっても遅いか!(いや、ごめんなさいか)

時にはY村と市場からうどんと油揚げを買ってきて机の上でコッヘルに入れて携帯燃料で煮て アツアツを二人で鍋から直接たべた。醤油で味付けしただけだが、当時としては上々の夕食だった。今机の上で そんな事やったらかみさんにぶっ飛ばされるだろうな。でも なつかしい思い出。

卒論完成
今までの記述で50年以上の昔の事が何故そうはっきりと記憶に残っているのだ?と不思議に思われるだろうが 実は奇跡的に卒論作成の原稿のノートが三冊手元に残っていてそこに色々書き残してあるので、そこから記憶が蘇った次第。


【三冊の原稿ノート】



【詳細なメモの残る内容】

色褪せたノートと原稿の一部の写真を掲載しますから見てください。ノートによれば 作成開始は1953年の7月で完成は1954年の1月となっておりそれから400字詰め原稿用紙に清書して315頁の卒論を提出したのが2月1日となっていた。 
やっとこれで俺も卒業出来る事になった!


卒論返却
半年以上苦労した卒論だが提出してからすでに50年以上経過、忘れるとも無く忘れていたが、平成15年(2003年)の3月経済学部より書庫満杯につき 50年以上前の卒論は返却するとの通知があった。
同じゼミナールのY橋君がゼミを代表して全員の分を受領して4月にそれぞれの自宅に郵送してくれて50年ぶりのご対面となった次第。もっと驚いたのは提出したときは原稿用紙に穴あけて紐綴じだったのが立派な製本、テーマも私の名前も金文字で印刷されているではないか!

【装丁されていた私の卒論】

これは一体どうした次第?と聞いてみたらなんと同じゼミのT見君が印刷屋さんと交渉してゼミ全員の分をこの様に立派な製本にしてくれたとか。Y橋君の話では書庫にぎっしりとゼミ毎に分類して卒論が保管されていたが我々の様な立派な製本は他には無かったと言っていた。かなりの費用がかかった筈だがそれを請求された覚えも無く払った記録もない。T見君に聞いてもついぞ笑って答えず、ま、あいつは金持だからええかと衆議一決して今もってゼミ全員が不払いのまま(のはず)だ。


平成19年10月9日 


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